第四話 予感
レヴィエントは、予定より半日早く前線までたどり着いた。実際に確認した前線の状況は、悪くはないものの、良いとも言えなかった。第一騎士団が充てられていた西側の状況は、戦力の追加もあってか随分と改善したようだが、北と東の状況は、レヴィエントが前線を離れた時からほとんど変わっていない。一週間近く膠着しているというのは、間違いなく苦戦の証だった。
その日の夜の会議で、第一騎士団の配置を北に変更することが決まった。レヴィエントも、それに合わせて前線に合流する。
明けの戦場は、まさに圧巻の一言だった。
魔物の群れが崩れる。銀の軌跡が走ったかと思えば、一体。振り抜かれた剣が返る頃にはもう一体。レヴィエントは、まさに破竹の勢いで魔物を屠り続けていた。
同じく北に配置されていた第四騎士団の騎士が、その姿を見ながらどこか呆然と呟く。
「相変わらず化け物だな……」
「失礼ですよ」
隣の騎士が苦笑する。
「まあ、事実だろ」
レヴィエントが前線へ復帰してから、北側の戦況は目に見えて安定してきていた。もちろん、最精鋭である第一騎士団が配備されたことも大きいだろう。だが、レヴィエント一人で無視できない戦果を叩き出しているのも、また事実だ。
危険な個体は真っ先に討伐される。崩れかけた戦線は立て直される。レヴィエントがいるだけで、前線の被害が減る。それは誰の目にも明らかだった。
三日目には、北側の戦線は第四騎士団と第六騎士団、そして第一騎士団のうちレヴィエントを含む約半数に任され、残りの第一騎士団員は東側の戦線の支援に向かうことになった。
第一騎士団が合流したのち、東側の戦線もまもなく安定を見せる。レヴィエントが道中に抱いた嫌な予感とは裏腹に、討伐はこれまでが嘘のように順調に進んでいた。
「この調子でいけば、もう三日もすれば王都への帰還が始まるかもな」
レヴィエントが前線へ戻ってから七日目、前線基地の食堂でたまたま顔を合わせたエドガーと夕食を取った際に、そんな話をした。エドガーは第六騎士団の所属だ。レヴィエントと同じく北側に配備されているが、一口に北側の戦線といっても戦場は広く、二人の担当区域は随分離れている。前線基地では部屋割が騎士団ごとに変わるため、顔を合わせるのは久しぶりの事だった。
「そうだといいな。今回の遠征は予想外が多い」
「ま、春より秋が荒れやすいってのはよく言うからな。……あんま大きな声では言えないが、もう随分待たせちまってるから、早く帰りたいわ」
エドガーは小さなため息とともにそう呟いた。今回の遠征が終わったら、例の婚約者と結婚するらしい。式の用意も随分進んでいて、後はエドガーの帰還が決まり次第日程を調整するだけだそうだ。遠征前に浮かれた様子で婚約者の話をしていたことを、レヴィエントも覚えている。
「待っていてくれる人がいるというのは、幸せなことだな」
何気なくそう言うと、エドガーは胡乱げな目を向けてきた。
「……お前が言うと妙な感じがするな」
「そうか?」
「そうだろ。お前、今までそんな話なんてしたことなかったじゃねえか。それどころか、一に戦場、二に戦場、三四に鍛錬、五に戦場……そんな男だったろ、お前」
「……そうかもしれないな」
レヴィエントは苦笑した。確かにその通りだ。以前の自分なら、こんな話題に積極的に口を出すことはなかっただろう。
エドガーはじっとレヴィエントを見つめる。
「何かあったな」
「別に、何もない」
「嘘だな」
即答だった。レヴィエントは肩を竦める。
「嘘ではない」
「その顔で言うか?」
エドガーは呆れたように笑った。もっとも、追及する気はそこまでないらしい。エドガーは、すぐに笑いながら肩を竦めた。
「まあいいさ。お前がそんな顔をしてるなら、きっと良いことなんだろ」
食堂の窓の外では、夕暮れがゆっくりと夜へ変わり始めている。前線基地にしては珍しく穏やかな時間だった。遠くから聞こえるのは、騎士たちの談笑と食器の触れ合う音くらい。
ここ数日、戦況は明らかに好転している。魔物の活動も鈍い。補給も順調で、負傷者も減っていた。誰もが、この遠征の終わりを意識し始めている。
「本当に、もう少しかもしれねえな」
エドガーがぽつりと言った。
「ああ」
レヴィエントも頷く。
順調にいけば、あと三日もすれば騎士団の一部は王都への帰還が始まるだろう。レヴィエントの属する第一騎士団は帰還の最後に近い時期になるだろうが、それでもあと七日ほどで帰還の準備に移れるはずだ。冬になるより前には、王都へ到着する目途だった。
王都へ帰れば、テレシアに会える。その時には――。
そこまで考えたところで、不意に胸の奥がざわついた。レヴィエントの手が止まる。
「どうした?」
エドガーが首を傾げた。
「……いや」
――ほんの、一瞬だった。
理由は分からない。何かを見たわけでもなければ、聞いたわけでもない。
だが――胸の奥で、何かが引っ掛かった。まるで見えない誰かが警鐘を鳴らしたような、そんな感覚。
レヴィエントは無意識に窓の外へ視線を向けた。
夜の帳が降り始めた空は静かだった。風も穏やかで、霧もない。何も、おかしいところはないはずだ。
(……妙だな)
それでも、胸騒ぎが消えない。だが、その正体は分からなかった。いつもの直感と呼ぶにはいささかぼんやりしすぎていて、その輪郭がうまく捉えられない。
前線へ向かう途中にも似た感覚を覚えたが、今はそれより曖昧で、しかし不快感は増している。何を警戒すればいいのかが分からなかった。具体性が欠片もないせいか、いつもは確信に近い感覚を抱くような、自分が何をすべきかについても白紙のままだ。
念のため、直感に近い感覚として報告を上げたが、結局、その夜に異常の知らせは一つも届かなかった。
そして翌日。その異変は、誰も予想していなかった場所で起こることになる。




