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第一話 賭けの結果


 フルリエ公爵家のタウンハウスは、夕暮れの薄紫に沈み始めていた。


 正面玄関へ続く石畳を、レヴィエントはテレシアと並んで歩く。隣にいるというだけで、未だ現実感が薄い。


 ――婚約を受け入れてもらった。

 その事実が、胸の奥で静かに熱を持ち続けている。


 だが同時に、ここから先は個人の感情だけでは済まされない話でもあった。貴族家の子女の結婚は、家と家との繋がりでもある。レヴィエントとテレシアは、フルリエ公爵への挨拶と結婚の許可を願いに、フルリエ公爵邸を訪れていた。 フルリエ公爵ほどの人物に対してあまりに急な訪問にはなるが、その点での礼を失するよりも、報告の遅れの方がより重大な失礼にあたるからだ。

 

 会場から公爵のタウンハウスへと向かう馬車の中で、テレシアの婚約については自身に裁量権があるという話は聞いている。レヴィエント自身も、結婚については好きにすればいいと、随分前に言われていた。その点では、何の問題もないだろう。だが、それとこれとはまた別の話だ。レヴィエントはまだしも、テレシアについては、最終的にフルリエ公爵の許可を得ねばならないことは間違いなかった。

 特にレヴィエントは、明日には前線へ戻ることが決まっている。願えば数日程度の猶予は貰えるかもしれないが、私的な理由で前線の不利を放置することなど、レヴィエントにはできなかった。


 屋敷の扉が静かに開かれる。


「お帰りなさいませ、テレシアお嬢様。ようこそお越しくださいました、レヴィエント卿」


 恭しく頭を下げる使用人へ、テレシアはいつも通り穏やかに微笑んだ。


「お父様は?」

「第二応接間にてお待ちでございます。……それと」


 使用人が、ほんのわずかに言葉を選ぶ。


使()()()()も、すでにお越しです」

「そう、ありがとう」


(……使者?)


 レヴィエントは、テレシアの表情を伺った。テレシアは何も言わない。ただ、その碧い瞳だけが静かに細められていた。


 応接間へ入ると、フルリエ公爵がゆったりとした動作で顔を上げた。


「戻ったか」

「お父様」


 テレシアが一礼する。レヴィエントもまた礼を取った。


「フルリエ公爵閣下にご挨拶申し上げます。突然の訪問となり、大変申し訳ございません」

「構わんよ。……まあ、そろそろ来る頃だろうとは思っていた」


 フルリエ公爵は意味ありげに笑う。その視線が、レヴィエントとテレシアの間をゆっくり往復した。


「どうやら、良い返事は貰えたようだな」

「はい」


 テレシアは微笑んだ。それだけで、フルリエ公爵には十分だったらしい。


「ふむ」


 満足げに頷いてから、フルリエ公爵は使用人へと視線を向けた。


「少し席を外せ。……テレシア、お前もだ」

「お父様?」

「男同士の話、というやつだ。わかるだろう?」


 フルリエ公爵はそう言って楽し気に目を細めた。テレシアは一瞬だけ父を見つめた後、静かに頭を下げる。


「承知いたしました」


 扉が閉まり、室内に沈黙が落ちる。フルリエ公爵は椅子へ深く腰掛け直し、レヴィエントを見た。 その視線を、レヴィエントは真正面から受け止める。言うべきことは分かっていた。居住まいを正し、深く頭を垂れる。


「フルリエ公爵閣下。どうか、テレシア嬢との結婚をお許しいただきたい」

「ほう」

 

 フルリエ公爵は、さも意外そうな声を出した。それが作られたものであることくらいは、レヴィエントにも容易に分かる。


「まあ、顔を上げなさい」


 フルリエ公爵はゆっくりと背凭れへ身を預けた。先ほどまでの愉快そうな空気が、わずかに薄れる。しばしレヴィエントを見つめ、それから小さく笑った。その笑みは穏やかなものだったが、値踏みするような鋭さが奥にあった。


「時に、レヴィエント君。君に一つ聞きたいことがあるんだがね」

「何なりと、公爵閣下」

「これは父としての問いだ。君の答えがいかなるものでも、私の胸にとどめておくのみにすると誓おう。我が家名にかけてな。その代わり――本音で話したまえ」

「わかりました。我が剣にかけて、嘘はつかないと誓いましょう」


 フルリエ公爵はゆっくりと頷く。そして、静かに言った。


「では問おう。君は――テレシアのために、剣を捨てられるか?」


 フルリエ公爵は、強い瞳でレヴィエントを見つめた。テレシアと同じ碧い瞳が、先ほどまでの楽し気な色が嘘のように、桁違いの迫力を帯びる。

 レヴィエントはその瞳を、怯むことなくまっすぐに見つめ返した。その問いが、父としての本気であることを理解したからだ。


「……もちろん、とお答えしたいところですが……それはできません」

「ほう。なぜ?」

「テレシア嬢を守るためであれば、それによって二度と剣を握れなくなろうと、たとえ命を落とそうと悔いはありません。少しも躊躇はしないでしょう。しかし、それは相手が誰であれ同じこと」


 レヴィエントは静かに続ける。


「私は国の剣です。国のために命をかける覚悟はとうに出来ている。私が剣を手放すときは、その剣によって国を、あるいは国の誰かを守りきった代償としてだ」


 フルリエ公爵は何も言わない。ただ、黙って聞いている。


「それ以外で……例えば、私が剣を手放せばテレシア嬢が手に入ると言われようと、その選択は出来ない。それを選ぶくらいなら、たとえ二度とお目通りが叶わずとも、この剣で彼女の安寧を遠くから守る方がずっといい」


 レヴィエントの黒曜石の瞳は、まっすぐだった。


「私の人生は剣とともにありました。己がこれと心に決めた(ひと)(ごと)を貫き通せぬようでは、誰が他に大切なものを守れましょう」


 それはレヴィエントの信念だった。レヴィエントの人生の中心には、いつでも剣がある。

 一瞬の静寂。それから、レヴィエントは静かに言った。


「私の望みは、私の剣でテレシア嬢をお守りすること。――叶うのであれば、最も近くで」

「……ふむ」


 フルリエ公爵は肘掛けへ指を打ちつけながら、しばし考え込むように目を細めた。その沈黙は、レヴィエントには随分と長く感じられたが、実際は数秒に過ぎなかっただろう。


「やはり、そうでなくてはな」


 フルリエ公爵は、そう言って再び楽し気な笑みを浮かべた。


「いや、私の目に曇りはなかったようだ。レヴィエント君」

「はい」

「テレシアとの結婚を認めよう。――あれが自分からああいう顔をする相手など、そうはおらんのでな」


 フルリエ公爵は、呵々(かか)と笑った。


「いやはや、兄妹揃って良い相手を見つけてくるものだ。親の教育が良いに違いないな。テレシア、もう入ってきて構わないよ」


 扉が開き、テレシアが静かに室内へ戻ってくる。


「お話は終わりましたの?」

「ああ。お前の未来の夫君は、なかなか期待に応えてくれそうな男だね」


 フルリエ公爵は愉快そうに言ってから、ふと思い出したように視線を動かした。


「――さて。あまり使()()殿()を待たせるわけにもいかない。貴賓室にいらっしゃるから、()()()ご挨拶に伺いなさい。いいね?」


 その言葉に、レヴィエントはわずかに眉を寄せた。

 確かに、使用人は来客があると言っていた。フルリエ公爵家であれば、おそらく来客も多いだろう。それ自体は何も不自然なことはない。子女であるテレシアが挨拶に行くというのも自然だ。だが、レヴィエントがその場に同席するというのは、あまりにおかしな話だった。そもそも、この訪問も急遽のことで――そこまで考えて、レヴィエントははたと気付いた。

 いかにも愉快気に笑うこの男を――フルリエ公爵を相手に、その狙いを察そうという方が無理な話だ。分かるのは、貴賓室(そこ)に待っている相手が誰であれ、あとは腹をくくるしかないということだけだった。


「二人で、とは。私もお伺いするという認識でよろしいでしょうか」

「その通りだよ、レヴィエント君」


 フルリエ公爵は、どこか面白がるように目を細めた。


「先方も、君にはぜひ会いたいそうでね」

「……私に?その先方というのは……」


 レヴィエントは内心で首を傾げる。フルリエ公爵家の貴賓室に通されるような高位の知り合いは軒並み前線にいる今、レヴィエントには全く心当たりがなかった。使()()という点も、疑問を大きくする。

 もっとも、聞いたところで答えが返ってくるとは思わないが――。


「さて、どうかな。行けば分かるさ」


 案の定、フルリエ公爵は楽しげに笑うだけだった。


「お父様。まさかとは思いますが――」

「ダメだよ、テレシア。言ってしまっては面白くないだろう?」


 フルリエ公爵の言葉の静かな圧に、テレシアは押し黙った。

 フルリエ公爵は使用人へ視線を向ける。


「貴賓室へ案内して差し上げなさい」

「かしこまりました」


 使用人が恭しく一礼する。

 レヴィエントとテレシアは、フルリエ公爵へ退出の礼を取り、それから廊下へ出た。


 公爵家のタウンハウスは静かだった。

 夜の帳が落ち始めた屋敷には、柔らかな灯りがともっている。厚い絨毯が足音を吸い込み、壁際には精巧な装飾燭台が等間隔に並んでいた。


 使用人の後について歩きながら、レヴィエントは考え続けていた。

 応接間を退出する前のフルリエ公爵とテレシアのやり取りを考えると、テレシアに聞いても相手を答えてくれるとは思えない。


 不意に、隣のテレシアが小さく息を吐いた。


「テレシア嬢?」

「……いえ」


 そう答える声音は平静だった。だが、その碧い瞳はわずかに鋭い。


「こちらでございます」


 廊下の最奥にある重厚な扉の前で、案内役の使用人が静かに足を止めた。


「フルリエ公爵家ご令嬢、テレシア・フルリエ嬢。並びに、ターズウェル伯爵家ご令息、レヴィエント・ターズウェル卿をお連れいたしました」


 使用人が口上を述べる。扉の前には、見慣れぬ男たちが立っていた。

 黒を基調とした軍装。胸元に刻まれた、双頭鷲の紋章。――グラナド帝国の皇室印だ。


(帝国?なぜ、帝国が――)


 レヴィエントの目が細められる。その瞬間、扉の向こうから、低く愉快そうな声が響いた。


「構わん。入れ」


 レヴィエントは、その声に覚えがなかった。だが隣で、テレシアがほんのわずかに目を見開く。


 恭しく一礼し、使用人が扉を開く。室内へ足を踏み入れた瞬間、レヴィエントは思わず息を呑んだ。


 ――その男は、部屋の奥のソファーへ深く腰掛けていた。


 漆黒の長髪。夜を溶かしたような黒が、ゆるやかに肩へ流れている。ハッとするほど美しい男だ。脚を組み、片肘をソファーの肘掛けへ預ける姿は、どこか気怠げですらあった。だが――。


 (……玉座、だ)


 レヴィエントは一瞬、そう錯覚した。


 そこにあるのは、豪奢な造りとはいえ、ただの応接用のソファーのはずだった。それなのに、男が座っているだけで、それはまるで絶対君主の玉座のように見える。


 黄金の瞳が、ゆっくりとこちらを向く。視線が合うより早く、テレシアは即座に最上級の礼を取った。レヴィエントがほとんど遅れずに礼を取ることができたのは、ほとんど彼の()()のなせる業だった。驚愕より先に、身体が動く。右手を胸元へ当て、そのままほとんど直角に近い角度まで深く頭を垂れた。

 それは他国の貴族男性に対して王国貴族が行う礼の中で、最上級の敬意を持った所作だ。騎士の礼が、男性に対しては己の主君――レヴィエントにとっては王国の国王陛下に対してのみ許されていることを考えれば、この場で最も相応しい所作はそれだった。

 なにせ、目の前におわすのは――


「今は公の場ではない。楽にしろ」


 ――グラナド帝国の皇帝陛下、その人なのだから。

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