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第二十八話 成年式典


 王都へ向かう帰還路を、レヴィエントは一人馬を走らせていた。秋の空は高く澄んでいる。だが、その青さとは裏腹に、胸の内は少しも晴れてはいなかった。


 前線基地を発ってから、既に半日以上。街道沿いの木々は色づき始めていたが、それを眺める余裕はない。脳裏には、出発直前まで見ていた地図と戦況ばかりが残っている。


 ――本当に、自分が王都へ戻って良かったのか。


 何度目かも分からない問いが胸を掠める。


 もちろん、命令には従う。騎士団は命令系統を何より重んじる組織だ。副団長も団長も、本気で自分を成年式典へ出そうとしていた。その気遣いを無碍にするつもりはない。


 だが、それとこれとは別の話だった。


 レヴィエントにとって、討伐が落ち着かないうちに前線を離れるのは初めてのことだった。まして今回は、異常発生の最中なのだ。

 やけに落ち着かない。手綱を握る指先へ、僅かに力が入る。


(……祝年会が終われば、すぐ戻ろう)


 そう、心の中で改めて決意する。

 成年式典も、祝年会も、一生に一度のものではある。だがレヴィエント自身は、それ以上に優先すべきものがあると思っていた。


(やはり、今伝えるべきではないな)


 王都が近づくと、脳裏に過ぎるのはテレシアの姿だった。初秋の壮行会で、美しく微笑んでくれたあの笑顔が思い起こされる。

 

 ――もう少しだけ、待っていてください。


 あの時、自分は確かにそう言った。それが正しかったのだと、今になって改めて思う。こんな慌ただしい状況で伝えるべき言葉ではないのだ。


 前線のことを気に掛けたまま。翌日には再び戦場へ戻ると決めたまま。そんな中途半端な覚悟で、あの人に想いを告げたくはなかった。


(……やはり、冬に)


 秋の討伐が終わって――きちんと、全てが落ち着いてから。

 その時こそ、正式に伝えよう。


 レヴィエントは静かに息を吐いた。


 王都へ近づくにつれ、街道を行き交う馬車が増えていく。成年式典を控えた王都は、既に祝祭の気配に包まれていた。


――――


 ――成年式典当日。


 王宮の大広間には、今年成年を迎える貴族子女たちが集められていた。


 磨き上げられた白大理石の床は鏡のようで、天井から吊るされた巨大なシャンデリアは宝石のような煌めきを放っている。会場は王家の紋章を刻んだ深紅の旗で装飾され、いつにも増して華やかで荘厳な空間を演出していた。


 祝年会とは異なり、成年式典は、徹底して格式を重んじる。立ち位置も、入場順も、全て家格と身分によって決められている。

 公爵令嬢であるテレシアと伯爵家の三男であるレヴィエントでは、立つ場所も遠い。テレシアは最前列に、レヴィエントは会場の中ほどの位置に割り当てられていた。


 レヴィエントが王都へ到着したのは、成年式典の前々日だった。準備にかける時間などほとんどなかったが、レヴィエントは礼装軍服での出席だったため、さしたる問題はなかった。

 

 濃紺の礼装軍服には銀糸の刺繍が施され、胸元には様々な勲章が並んでいる。騎士としての正装を纏ったレヴィエントは、否応なく周囲の視線を引いた。

 王国最強の騎士、エルハンダラの英雄。社交界に疎い者ですら、その名を知らぬ者はいない。


 だが、本人はそんな視線を気に留めてはいなかった。式典が始まってからというもの、レヴィエントの視線は、自然と一人の女性を探してしまう。


 ――最前列。王族に最も近い位置。深い青灰色のドレスを纏ったテレシアが、静かに立っている。

 長い金髪は丁寧に結い上げられ、繊細な銀細工が淡く光を弾いていた。背筋は真っ直ぐ伸び、その立ち姿には一分の隙もない。完璧な所作で式典へ臨む姿は、まるで一枚の絵画のようだった。


 やがて、式典の進行役がテレシアの名を呼ぶ。

 今年、成年を迎える貴族子女の代表――その役目を務めるのが、公爵令嬢テレシア・フルリエだった。


 静寂の中、テレシアはゆっくりと壇上へ進み出る。


 裾を乱さぬ完璧な歩幅。優雅で、それでいて一切の迷いがない所作。会場中の視線を浴びながらも、彼女は少しも怯まない。

 そして壇上で足を止めると、澄んだ声音で宣誓を述べ始めた。


 王国への忠誠、貴族としての責務、民を守る覚悟――一つ一つの言葉が、淀みなく紡がれていく。その姿は、あまりにも美しかった。


 ――遠い、と思う。


 物理的な距離だけではない。身分も、立場も、この場における役割も違う。


 成年式典は、祝年会のような社交の場ではない。歓談の時間もなく、参加者たちは決められた位置で粛々と儀式へ従うのみだ。

 だから、ただ遠くから見ることしか出来ない。


 ――それでも。彼女の凛とした立ち姿を見るだけで、不思議と胸の奥が静かになる。前線基地で張り詰め続けていた神経が、ほんの少しだけ緩むのを感じた。


 宣誓を終えたテレシアが、紙面から顔を上げた、その瞬間。碧い瞳が、真っ直ぐこちらを向いた――気がした。

 ほんの一瞬だった。あるいは、レヴィエントの気のせいだったのかもしれない。だが、それだけで胸の奥が静かに揺れる。


 ――綺麗だ、と思った。


 ただ、それだけを。

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