第二十七話 前線にて
乾いた風が、荒野の土を巻き上げる。王都を発ってから、既に二十日近くが経っていた。
秋の魔物討伐は、例年より小規模になる――出征前には、そう予測されていたはずだった。実際、騎士団が前線に到着した際も、例年より随分魔物の数は少なかったのだ。少なくとも、最初は。
「――西側丘陵地帯にて群体化を確認!」
伝令の声が飛ぶ。レヴィエントは剣についた黒い血を払い、鋭く顔を上げた。
「数は」
「現時点で確認されているだけでも百を超えます!後方に変異種が混じっている可能性あり!」
舌打ちが漏れそうになるのを、辛うじて堪える。
本来、この地域にここまでの規模の魔物群が現れることは少ない。だが、今年は違った。山間部で発生した瘴気溜まりの影響か、周辺地域の魔物が異常に活性化している。
討伐は想定以上に長引いていた。
「第一分隊、前へ!後衛を下げる!」
上官の怒号が飛ぶ。レヴィエントは即座に地を蹴った。
飛びかかってきた魔狼の首を、一息で断つ。返す刃で二体目を斬り捨て、そのまま踏み込み、後方の大型種へ肉薄した。通常種より一回り以上巨大な体躯。黒ずんだ体毛の隙間からは瘴気が煙のように滲み、赤黒い眼球が濁った光を宿している。
レヴィエントは、硬質化した皮膚の隙間を狙って深い斬撃を入れる。
(――よし、入った)
魔物が激しい咆哮を上げる。一拍遅れて、右前脚がずるりと地へ落ちた。巨体が傾く。
そこへ、レヴィエントは迷いなく踏み込んだ。低く沈めた体勢から、斜め上へ。鋭い斬撃が喉元を裂いた。噴き出した黒い血が宙へ散る。
魔物は断末魔すら上げられないまま崩れ落ち、その巨体が地面を震わせた。
「……相変わらず滅茶苦茶だな、あいつ」
「大型種を単独で正面突破するか?普通……」
呆れ混じりの声が漏れる。だが、レヴィエント本人は聞いていなかった。
剣を軽く払う。刃についた黒い血が飛び散り、乾いた土へ染み込んでいく。息一つ乱さず、冷静に周囲を警戒していた。
「レヴィエント!後ろにまだ二体いる!」
「了解」
短く返答し、レヴィエントは再び剣を構える。乾いた風が、外套を揺らした。
――――
夜更けの前線基地は、昼間とは別の緊張に包まれていた。
討伐帰りの騎士たちが武具の手入れをする音。遠くで響く怒鳴り声。運び込まれる負傷兵。薬草と血の匂いが入り混じる空気。
その中を、レヴィエントは会議室へ向かって歩いていた。
前線基地の中央棟に設けられた簡易会議室には、既に各部隊の指揮官たちが集まっている。地図の上には赤い印がいくつも置かれ、燭台の火がその影を揺らしていた。
「来たか、レヴィエント」
第一騎士団の副団長を務める男が片手を上げる。四十代半ばの大柄な男だった。歴戦の騎士らしい威圧感を持ちながら、団員たちからの信頼も厚い。
レヴィエントは軽く一礼し、空いている席へ腰を下ろした。
本来、この場は団長格や分隊長格が集まる会議だ。ただの一団員であるレヴィエントが同席するのは、異例と言えば異例だった。
だが、この場の誰も、それを不自然とは思っていない。
レヴィエントの直感は、異常なほど鋭い。経験豊富な騎士ですら見落とすものを、彼は正確に掴み取る。彼の第六感とも言うべき直感は、今や指揮官たちの重要な判断指標の一つとなっていた。
「北側の瘴気溜まりが予想以上に厄介だ。西側丘陵地帯の瘴気濃度もさらに上がってる」
「今日の大型種も、通常個体より瘴気侵食が深かった。群体化の速度も異常だ。特に西側は、このまま放置すれば補給線へ流れ込む可能性がある」
地図を見ながら、第三騎士団の団長と第四騎士団の副団長が口を開く。
「――これはどう考えても、異常発生だろうな」
「ああ。周期とは大分ズレているが、現場がこれならそう判断せざるを得ない」
第一騎士団の団長、副団長が続ける。
「予定より長引くな」
「帰還時期は再延期せざるを得んか」
誰かの呟きに、沈黙が落ちる。
当初の予定では、この時期には騎士団の約半分が王都へ戻っている予定だった。現場の状況から帰還を延期したが――延期した帰還日は三日後だ。この状況で大規模帰還は難しい。前線維持を優先するなら、再延期は避けられなかった。
「ひとまず、最優先は西だ。第一騎士団に加えて、第三騎士団も追加する。北と東は変更なし。帰還予定は未定。浄化班到着後、戦況を見て判断する」
総指揮を執る第一騎士団長が、地図の上へ視線を落としたまま告げる。異論は出なかった。誰もが、この異常発生が想定以上に深刻であることを理解していた。
レヴィエントもまた当然のように頷く。帰還延期は妥当だ。むしろ、それ以外の選択肢はない。――だが。
「――レヴィエント、お前は別だ」
不意に、団長がそう言った。レヴィエントは顔を上げる。
「お前は一度王都へ戻れ。そうだな、明後日にはここを発ちなさい」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
珍しく、レヴィエントの表情に明確な困惑が浮かぶ。普段ほとんど感情を表へ出さない彼にしては、分かりやすい反応だった。
レヴィエントの珍しい表情に、会議室の空気が少しだけ緩む。何人かの騎士は苦笑していた。
「団長、それは」
「決定事項だ。異論は認めない」
ぴしゃりと言い切られる。
「ですが、現状で戦力を削るのは合理的ではありません」
「お前の言いたいことは分かるさ」
口を開いたのは副団長だった。椅子へ深く腰掛けたまま、片手でこめかみを掻く。
「正直、お前がいた方が前線は楽になる。大型種相手に単独で突っ込める馬鹿なんざ、そうそういねえからな」
「なら、なおさら――」
「それでもだ」
副団長は言葉を断ち切るように言った。
「お前の成年式典は、一生に一度しかない」
レヴィエントが息を呑む。
数秒遅れて、その意味を理解したように目を瞬かせた。
「……あ」
レヴィエントの反応に、会議室のあちこちから小さな笑いが漏れる。
「お前、まさか忘れてたとか言わないよな?」
副団長は呆れ半分に笑った。
図星を突かれたようなレヴィエントを見て、団長が苦笑混じりに口を開く。
「レヴィエント、普通の騎士は騎士学校在学中に終えているものだ。一生に一度の成年式典くらい、ちゃんと出てこい」
その言葉を聞いて、レヴィエントは押し黙った。
レヴィエントは、十四歳で騎士学校に入学し、通常三年の課程を二年で卒業している。他の騎士たちと比べ、二年早く騎士団に入団しているのだ。レヴィエントの年齢であれば、まだ騎士学校に在学しているのが普通だった。
レヴィエントは、自分が規格外なことを理解している。だが、だからこそ、成年式典より前線を優先することに、疑問も不満も、一切抱いていなかった。当然のことだと思っていたのだ。
「第一騎士団最年少を、成年式典にも出さず前線漬けにしたなんて知られたら、王都の連中に何言われるか分からん」
「心配せずとも、お前がいないならいないで前線は上手く回すさ。まだ十八のガキにおんぶにだっこじゃ、俺らの格好がつかねえっての」
誰かが肩を竦める。会議室のあちこちで笑いが漏れた。だが、その空気は軽薄なものではない。
この場にいる全員が、本気でそう思っているのだ。
「レヴィエント、お前な」
副団長は少しだけ声音を柔らかくする。
「ここにいる連中からしたら、まだガキなんだよ」
「……副団長」
「だから、行ってこい」
真っ直ぐな声音だった。
「成年式典も祝年会も、ちゃんと出ろ。――上官命令だ」
完全に言い切られた。レヴィエントは反論しかけて――結局、言葉を飲み込んだ。
この人たちは本気なのだ。多少の戦力低下を承知で、自分を王都へ帰そうとしている。その気遣いが分からないほど、レヴィエントは子どもではなかった。
レヴィエントはゆっくり息を吐く。
「……承知しました」
苦々しく頷くと、副団長は満足げに笑った。
「よし」
「……ですが、祝年会の翌日には戻ります」
レヴィエントは静かに付け加える。
一瞬の沈黙。それから、誰かが吹き出した。
「真面目か、お前は」
「少しくらい王都で羽伸ばせよ」
騎士たちは呆れたように笑った。
だが、レヴィエントは至って本気だった。この状況で、自分だけ長く王都へ留まる気にはなれない。
そんな彼を見て、副団長は肩を竦める。
「まあ、お前ならそう言うだろうとは思ったよ」
肩をすくめた副団長の、その目はどこか苦笑混じりで。けれど同時に、弟を見るような優しさを帯びていた。




