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第二十四話 約束


 曲が始まり、レヴィエントの手が腰に添えられる。以前よりもずっと自然なリードだった。レヴィエントはもともと覚えが悪い男ではないのだろう、ステップにも危うさがなくなっていた。身体能力が高いのもあるのか、数を重ねるごとに、動きが洗練されていくのが分かる。

 テレシアは、自然と身を任せている自分に気付いた。


「――先ほどは助けていただき、ありがとうございます。レヴィエント様」

「いえ。差し出がましかったでしょうか」

「まさか」


 テレシアは小さく微笑む。


「むしろ絶妙なタイミングでしたわ。あと少し遅ければ、わたくし、扇で殴っていたかもしれませんもの」

「それは、ぜひ拝見したかった気もしますね」

「まあ、冗談がお上手ね」

「本心ですが。ご令嬢がどのように戦われるのか、少しばかり興味があります」


 真顔で返され、テレシアはくすくすと笑った。本気で興味を惹かれていそうな声音だった。


「冗談です。貴女のような女性が戦わずに済むよう守るのが、我々騎士の仕事ですから」


 レヴィエントは、何でもないことのようにさらりとそう言った。その言葉があまりにも自然で、テレシアは思わずレヴィエントの表情に視線を向ける。真摯な瞳だった。そのまっすぐな瞳が眩しくて、テレシアは少しだけ目を細める。


(……この人は、本当に騎士の仕事を愛しているのね)


 打算でも、社交の駆け引きでもない。彼の中ではそれが、呼吸のように自然なのだろう。


 だから厄介なのだ、とテレシアは思う。


 社交界の男たちは、たいてい何かを計算している。家格、利益、繋がり、見栄え。あるいは欲望。だがレヴィエントは、そういうものが決定的に薄い。

 欲がないわけではないのだろう。ただ、自分の欲望より優先するものが、あまりにもはっきりしているのだ。


「……ですが」


 不意に、レヴィエントが口を開いた。


「先ほどの件は、少々軽率でした」

「軽率、ですか?」

「ええ。本来なら、貴女ご自身で十分対処できたはずです。にもかかわらず、勝手に割って入りました」


 低い声は落ち着いている。だが、その言葉には僅かな自省が混じっていた。レヴィエントは、おそらく本気で言っているのだろう。

 テレシアは少しだけ目を丸くしたあと、ふっと笑った。


「……レヴィエント様は、随分と律儀でいらっしゃるのですね」

「そうでしょうか」

「ええ。普通の男性なら、あの場で女性を助ければ、それだけで満足してしまうものですわ。自分の行動が適切だったかどうかまで、わざわざ振り返ったりはいたしません」


 ステップに合わせてドレスの裾がふわりと揺れる。

 近い距離にも、もう随分と慣れてしまった。


「ですが、わたくしは助かりましたわ」


 テレシアは静かに続けた。


「確かに、最終的には自分でどうにかできたでしょう。けれど、面倒だったのも事実ですもの」


 レヴィエントが僅かに目を細める。


「それに――」


 テレシアは少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。


「助けていただけるというのは、女性として素直に嬉しいものですのよ」


 その瞬間、レヴィエントの足がほんの僅かに乱れた。

 本当に、一瞬だけ。けれど確かに乱れたステップに、テレシアは目を瞬く。そして次の瞬間には、堪えきれずに小さく笑ってしまった。


「……今、動揺なさいました?」

「していません」

「まあ。では、わたくしの気のせいかしら」

「ええ、きっと」


 声音は平静だった。だが耳の先が僅かに赤い。

 テレシアはそれを見逃さなかった。


(……本当に、分かりやすい人)


 楽団の旋律が緩やかに流れていく。その穏やかな音色の中で、テレシアは改めて口を開いた。


「ですが、本当にありがとうございました。おかげで助かりましたわ。何かお礼をしませんと」

「お礼、ですか。それほどのことはしていません」

「それでもです」


 するとレヴィエントは、ほんの少しだけ考えるように沈黙した後、低く言った。


「……では、一つお願いを」

「何かしら?」


 彼は一拍置いて、テレシアをまっすぐに見つめた。黒曜石の瞳が、確かな熱を帯びる。鋭いのに、どこかやわらかくて――その瞳を、テレシアは素直に好きだと思った。


「テレシア嬢がよろしければ、ですが。次の夜会で――」


 そこでレヴィエントは、一瞬だけ言葉を切った。その沈黙が妙に長く感じられて、テレシアは思わず瞬きをする。

 次の夜会で――何を、と考えるより先に、テレシアは気付いてしまった。レヴィエントの表情が、少しだけ強張っている。


(緊張、しているのかしら)


 大騎士褒章の式典で御前に出た時でさえ、少しの緊張の色も見せなかったレヴィエントにしては、珍しい表情だった。

 そんなことを考えていたせいだろうか。テレシアは、次に続いた言葉に、あまりに不意を突かれてしまった。


「――ファーストダンスを、ご一緒いただけますか」


 ぎゅう、と、胸の奥を掴まれたような気がした。一瞬、呼吸を忘れる。曲の旋律が遠くなって、周囲のざわめきも、今はほとんど耳に入らない。

 レヴィエントの黒曜石の瞳だけが、まっすぐにこちらを見ていた。


 ――ファーストダンス。


 それは単なる一曲目ではない。周囲は、必ず意味を読む。レヴィエントが、それを分からない男ではない。

 テレシアは、動揺する自分を必死に押さえつけていた。


「……それはまた、随分と思い切ったお願いですこと」

「駄目でしょうか」

「いいえ」


 テレシアは微笑んだ。胸の奥が、少しだけ熱い。


(……こんな顔をされて、断れる女性がいるのかしら)

 

 少なくとも、テレシアには無理だった。相手の欲望も思惑も見抜いた上で、角を立てずに断る術など、とうに身につけている。これまで幾人もの貴族や権力者を相手に、相手の矜持を傷つけぬよう、巧みに誘いをかわしてきた。だというのに、この男の前では、その手練手管が少しも役に立たない。

 きっと次の夜会では、社交界中が騒ぐのだろう。それを想像してなお、断ろうとは少しも思えなかった。


「喜んで、お受けいたしますわ」


 その返答に、レヴィエントはほんの僅かに目を細めた。それが笑ったのだと理解できたのは、恐らくテレシアだけだった。

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