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第二十二話 観測


 夏の熱さもピークを過ぎ、夜には風に涼しさが感じられるようになってきた頃。レヴィエントは、友好国との国境近くの伯爵邸で行われる夜会に出席していた。友好国の貴族も複数参加している、それなりに大きな規模の夜会だった。

 

 王国の夜会において、未婚の子女同士がファーストダンスを踊ることは、それなりの意味を持つ。


 王国貴族が主宰する一般的な夜会では、三組がファーストダンスを踊るのが通例である。

 一組は、主催席と呼ばれる、夜会の主催である貴族家のペアだ。当主夫妻であることが多いが、嫡男とその妻あるいは婚約者が踊ることもある。

 もう一組は、出席している招待客の中で最も家格の高い男性――筆頭紳士のペアである。

 そしてもう一組は、筆頭紳士の女性版とでも言おうか、同じく出席している招待客の中で最も家格の高い女性――筆頭淑女のペアである。

 筆頭紳士あるいは筆頭淑女は、配偶者や婚約者、あるいは親族と踊る。婚約者のいない未婚の子女で、親族が夜会に出席していない場合は、付き合いのある家の子女や親しい間柄の異性――それこそ婚約者候補のような――をパートナーに選ぶ場合もあった。


 いずれにせよ、親族以外の異性とファーストダンスを踊る場合、相手との間柄が極めて親しいものであるという明確な表明となる。

 婚約発表の夜会などでは、その日婚約が発表される男女がファーストダンスを踊ることもあり、社交界においてはそれなりの意味を持っていた。少なくとも、単なる一曲目ではない。


 今回の夜会では、筆頭紳士に値する隣国公爵が亡き妻以外とは踊らないと決めている御仁だということで、繰り上がりとしてハルミオン侯爵家からの出席者――嫡男であるエリシオ・ハルミオンに筆頭紳士の座が回ってきていた。

 エリシオには婚約者がいない。そして、今回の夜会に出席予定だったエリシオの従姉は、体調不良のため欠席していた。エリシオは急遽パートナーとなる令嬢を指名する必要があったが――その結果、今夜ファーストダンスを踊るのは二組だけとなった。


 一組は主催席。そしてもう一組は、筆頭紳士と筆頭淑女。すなわち――エリシオ・ハルミオンと、テレシア・フルリエのペアである。


 器楽を共通の趣味とするエリシオとテレシアの親交は、社交界でも広く知られている。それぞれの実家であるハルミオン侯爵家とフルリエ公爵家も、付き合いのある家柄だ。家格としてもつり合いが取れるし、エリシオがテレシアを指名するのは、何も不自然なことではない。実際、ファーストダンスでこそないものの、舞踏会におけるエリシオとテレシアのダンスペアの組み合わせはそう珍しいことでもなかった。


 もっとも、社交界の人間にとって重要なのは、「事情」よりも「見え方」だ。急遽決まった経緯など、噂話の前では大した意味を持たない。

 結果として今夜、エリシオ・ハルミオンがテレシア・フルリエをファーストダンスの相手に選んだ――その事実だけが、人々の記憶に残る。

 しかも相手は、かねてより婚約者候補として名の挙がっていたハルミオン侯爵家の嫡男だ。器楽を通じた親交、家同士の関係性、年齢、家格。どれを取っても不足はない。むしろ、ここまで条件の揃った組み合わせの方が珍しい。


 楽団が最初の旋律を奏で始めると、広間の空気がわずかに変わった。


 視線が集まる中、エリシオは優雅な所作でテレシアを中央へ導く。瑠璃色のドレスを纏ったテレシアと、洗練された佇まいのエリシオは、驚くほど絵になる組み合わせだった。

 そして実際、踊り始めた二人は美しかった。


 呼吸の合った足運びに、滑るようなターン。互いの動きを知り尽くしている者同士の、無駄のない流麗なダンス。

 器楽を愛する者同士らしく、音楽への合わせ方が巧い。単にステップを踏むだけではなく、旋律そのものを共有しているような踊り方だった。


「お似合いだな……」

「やはりハルミオン侯爵家かしら」

「いや、まだ分からんぞ。最近はレヴィエント卿も――」


 周囲では、そんな声が小さく囁かれている。

 貴族たちは、こういう話が好きだ。誰と誰が結ばれるのか。どの家がフルリエ公爵家との縁を得るのか。社交界とは結局、巨大な観測場のようなものなのだろう。


 そして、その観測対象の一人が、今夜のレヴィエントだった。


――――


 ファーストダンスが終わり、夜会は歓談の時間へと移る。今夜の夜会は盛況のようで、そこかしこで談笑する声が響いていた。意味ありげな視線や、含みのある言葉が飛び交う。


 レヴィエントは、社交というものがそれほど得意ではなかった。

 苦手というほどではない。ただ、戦場ほど分かりやすくないだけだ。


 誰が敵で、誰が味方か。どこまでが本音で、どこからが打算か。

 笑顔の裏に別の意図を隠すことを、貴族たちはあまりにも自然にやってのける。必要であればそれができる能力は身につけていたが、個人的にはそれほど居心地の良い行為ではない。


(……また、視線が増えたな)


 壁際でグラスを傾けながら、レヴィエントは静かに周囲を見渡す。園遊会以降、レヴィエントを見る社交界の視線は、以前とは明らかに空気が違っていた。

 社交界の人間というのは、本当に現金だ。少し流れが変われば、あっという間に態度も変わる。

 

 夏先の夜会の直後、有力候補とみなされていた隣国宰相家の嫡男が別の令嬢と婚約したことで、テレシアの婚約者候補争いはハルミオン侯爵家優勢へと大きく動いた。そこへ来て、ここ最近の自分の行動だ。

 これまで社交の催しにはほとんど参加してこなかった自分が、任務の合間を縫ってまで様々な催しに参加するようになった。それも――レヴィエントが参加する催しには、必ずテレシアがいる。

 かつて社交界では周知の事実だったレヴィエントの初恋を考えても、偶然では済まされない。貴族たちはそう判断したのだろう。ここに来て、レヴィエントは婚約者候補レースで追い上げを見せていた。

 その状況で、急遽決まったこととはいえ、先ほどのエリシオとテレシアのファーストダンスである。噂好きの貴族たちの中には、内心の興奮を隠そうともしない者さえいた。今も、周囲から妙に視線を感じる。値踏みするような、探るような目だ。


(面倒だな……)


 小さく息を吐く。レヴィエントの妻の座を狙っているのだろう令嬢やその親たちからのあからさまなアプローチも、ここ最近はいや増している。エリシオとテレシアのファーストダンスを見てか、今回の夜会では特に多かった。彼らにも焦りがあるのだろうが、レヴィエントにとってありがたい話ではない。


 レヴィエントは、会場の中に視線をめぐらせる。広間の向こうに、探していた金の髪が見えた。――テレシアだ。


 彼女は、今夜も人の輪の中心にいる。社交界の華という表現が、あれほど似合う女性も珍しい。笑顔一つ、扇を開く角度一つで、その場の空気を掌握してしまう。


 だが――その前に立っている男を見て、レヴィエントは僅かに眉を寄せた。


(……ディルセル卿か)


 名前は知っている。友好国の侯爵家の嫡男だ。実家の侯爵家は領内の鉱山で財産を築いており、隣国でも指折りの富裕で有名だった。当主は人格者として知られているが、その嫡男たるディルセルは、あまり良い噂を聞かない人物だ。

 女癖と気性に難があり、さしたる能力もないくせに、自尊心ばかりは山のように高い。隣国では貴族男子の嗜みである剣術の鍛錬もおろそかで、実家が金持ちなのをいいことに、遊んでばかりいる――どこまでが事実なのかはわからないが、そのような話ばかり耳にする。金を持っている家にありがちな妬みからくる悪い噂も含まれているのだろうが、この夜会で本人を観察してみる限り、さほど的外れな噂でもなさそうだった。


 テレシアの笑顔は完璧だが、おそらくあれは社交用の笑みだろう。相手を刺激しないよう、穏便に流そうとしているようにも見えた。


 ディルセル卿が、一歩テレシアへ距離を詰める。


 周囲から見れば、ただ熱心に口説いているようにも見えるだろう。だが、レヴィエントには分かった。あれは、相手が断りづらい位置取りだ。会話を終わらせるために一歩退けば、「逃げた」形になる。貴族社会では、そういう些細な動き一つが妙な意味を持つ。

 しかも、ディルセル卿は酔っているようだった。完全に理性を失っているわけではないが、声量も距離感も、制御が甘いように見える。


(……あの男、引く気がないな)


 テレシアは扇を口元に添え、優雅に笑っている。本当に困っているわけではないのだろう。あの程度なら、テレシア一人でも十分処理できる。


 (まあ、彼女なら無難に捌くだろう)


 テレシアは聡い。あの程度の男に言い負かされる女ではない。外交問題にならない範囲で、綺麗に処理するはずだ。

 だから、本来なら口を挟む必要はない。


 ――ない、はずだった。


「テレシア嬢、そう言わずに。もう少し話しましょう。よければあちらに――」


 聞こえてきた言葉に、レヴィエントの眉間に皺が寄る。視線をやれば、ディルセル卿が無遠慮にテレシアの手首を掴んだのが目に入った。ディルセル卿の視線が、値踏みするようにテレシアの身体をなぞる。


 ――その瞬間。気が付けば、考えるより先に身体が動いていた。


「――失礼、ディルセル卿」


 声をかけた途端、男がびくりと肩を揺らす。

 レヴィエントはそこで初めて、自分が二人の間へ入っていたことに気が付いた。

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