第二十一話 賭けと代償
テレシアは、すぐに計画を実行に移した。一番初めに行ったのは、家長であるフルリエ公爵――父への報告である。
「テレシア。本気かい?確かにどちらに転ぼうがそれなりの利は見込めるが、もし負けた場合、お前の進む道は相応に苦しいものになるだろう」
「――はい。もとより、わたくしのわがままを通すのですから、覚悟はしております」
父は、少しばかり考え込むように目を伏せた後、またあの底の見えない瞳で笑った。
「ふむ。帝国か……斬新な手を打ってきたな?」
テレシアが行うのは、一つの賭けだ。その相手は、恐れ多くも帝国の皇帝陛下である。
――グラナド帝国。比較的新しいが、大陸の東方ではその軍事力を背景に絶大な権力を誇る大国である。王国とは国境を接していないものの、その規模と影響力は到底無視できるものではない。王国もそれなりの大国ではあるが、国力・軍事力ともに、帝国と比べてしまえば一段劣る。
帝国の皇帝は、まだ若いが、非常に冷静で優秀な人物として知られている。テレシアは公式の式典で遠目に一度姿を見た限りだが、対面したことのある父には、皇帝を評して「底が見えない」と言わしめた。あの父に、である。それだけで、政治家としての優秀さは察するに余りある。
これだけであれば、テレシアの賭けなど、持ち込むまでもなく通るはずがないと分かる。だが、帝国の皇帝は、その統治者としての優秀さと同時に、稀代の享楽家としても知られていた。
――グラナド皇帝は三度の飯より賭け事が好き、とは、誰が言い始めたのか。帝国の吟遊詩人だとか、カジノ大国の王だとか、皇帝本人だという噂もある。時には国の大事すら賭けの結果で決めるなど、帝国の官僚たちはそれなりに振り回されているようである。それでも大国を上手く回しているのだから、その能力の高さはまさに底が知れないのかもしれなかった。
とにもかくにも、余興や賭け事を好む享楽的な人物であることは間違いない。
テレシアが目を付けたのはそこだった。
テレシアが持ち込もうとしているのは、己の身を賭けたギャンブルである。
テレシアが勝てば、テレシアはレヴィエントと結婚する。そして、テレシアが負ければ、その時は――テレシアが帝国の皇帝に嫁ぐ。賭けの内容は、期日までにテレシアが意中の人――レヴィエントにプロポーズされるか否か。そういう馬鹿げた賭けだった。
国力も軍事力も劣る国の、王女でもない貴族令嬢の身が、なぜ帝国――それも皇帝へ嫁ぐという条件で賭けの対象になり得るのか。理由は大きく二つある。
一つは、王国の持つ歴史にあった。王国は大陸で最も長い歴史を持つ古国であり、その伝統と格式は広く認められている。国力においては帝国が勝るものの、「格」においては王国に分があるのだ。
その国の「格」というのは、外交において存外に無視できない重みを持つ。特に東方の国々はその傾向が顕著である。東方において歴史の浅い帝国の苦労は、容易に想像ができた。軍事力で圧力をかけたところで、面従腹背の輩を統治するのにはコストがかかる。権威ある血筋――伝統ある王家の血を引くテレシアを皇室に取り入れることは、それらの問題を手っ取り早く解決する手段の一つと言えた。
しかし、それだけが理由であれば、それこそ東方の国の歴史ある国の姫を迎える方が効果的である。帝国がそれをしない――というかできない原因が、もう一つの理由――すなわち、帝国の後宮制度にある。帝国は、この大陸では珍しく後宮制度を採用していた。大陸にある多くの国では、一夫一妻を基本としている。その価値観からすれば、後宮とは当然ながら好ましい制度ではない。
王女を後宮へ入れる――それは、多くの国にとって受け入れ難い。正妃として一対一で迎えられるのであればともかく、数ある妃の一人として扱われるとなれば、王家の威信に関わる問題となるからだ。その相手が、「格」で劣ると認識している国であればなおさらである。帝国側から申し入れるだけでも、関係悪化のリスクを負うことになる。
ゆえに、帝国が東方の歴史ある王家の血筋を取り入れることは難しい。力でもって強引に娶ることは出来るかもしれないが、その行為自体が「格」を下げるという本末転倒の結果になりかねないのだ。
その点、テレシアは王女ではない。王家の血を引きながらも、王女ではないのだ。王国王家の威信を大きく損なうことなく、帝国側も高い血統を後宮に取り込むことができる。
東方の国にも、テレシアのような、王家の血を引く王女でない娘はいるだろうが、格落ち感は否めない。東方の国々において、大陸最古の王家の血筋には、それだけの特殊な価値があった。
さらに言えば、帝国は徹底した実力主義の国でもある。血筋だけではなく、個としての価値も重んじられる。
テレシアはその点においても、十分すぎる評価を得ていた。
もし、王国が帝国へ、テレシアの後宮入りを順当に申し込んだ場合、三大妃の地位は堅いだろう。帝国後宮は、皇后を頂点とし、その下に三大妃、さらに上妃、中妃、下妃と続く。皇后が東宮を産んだ妃が選ばれる地位であることを考えれば――社交界にはテレシアが帝国の皇后候補に挙がっているという噂もあったが、帝国の後宮制度的に、皇后として入内することはあり得ない――実質的な最高位での入内になる。実際、正式な申込にさえ至らずに立ち消えたが、三大妃としての入内を内々に提案されたことがあると、父から話を聞いたことがあった。
――三大妃。確かに高位だ。帝国の後宮において、それは皇后に次ぐ実質的な頂点に等しい。だがそれでもなお、「数ある妃の一人」であることに変わりはない。さらに言えば、三大妃として入内したところで、後宮を掌握できるわけではない。後宮には当然、帝国貴族の娘たちがいるのだ。おまけに帝国政治においては、皇后以外の妃の発言権はほとんどない。東宮を産まない限り、テレシアの影響力は限定的になる。
対して、他の縁談は国外も含めてすべて、一夫一妻制に基づいた正室としての打診だった。婚家における影響力を考えれば、こちらの方が利になる可能性は高い。東宮を産めば話は別だが、授かりものである子どもに賭けるのは、あまりにリスクが高すぎると判断していた。
(けれど……賭けに負けた結果、ただ三大妃として嫁ぐのでは、帝国側のメリットは薄い)
テレシアは――そしてテレシアの血筋は、帝国にとって非常に大きな価値を持つ。だからこそ、帝国側も三席しかない三大妃の地位を持ちかけてきたのだろう。順当にテレシアが嫁ぐのであれば、それは相応しい地位であると言える。しかし、今回の賭けはそうではない。
テレシアが勝った場合、帝国側が得るものは――皇帝本人の享楽以外は何も――ない。強いて言えば、フルリエ公爵家とのつながりはできるだろうが、それはフルリエ公爵家にとっては強大なメリット足り得ても、帝国からすれば大した問題ではない。それでも賭けの場に乗せるには、帝国が勝った場合のメリットを最大化する必要がある。
「上妃として入内する……か」
父は、そう小さく呟いた。
テレシアが選んだのは、三大妃としての地位を捨てるというものだった。三大妃は、文字通り三席しかない高い地位である。当然、帝国側も可能であれば空けておきたいポジションであった。テレシアを上妃として迎えることができれば、空いた三大妃の地位には、同じような価値のある女を据えることができるからだ。これは帝国にとって明確なメリットになる。
そして、三大妃の地位を捨てるということは、帝国にとっての懸念の種をなくすことにもつながる。それが、三大妃に与えられている、寵の決め事である。
三大妃は、月に一度、皇帝からの寵が約束されているのだ。皇子を――東宮を産むことを望む後宮の妃たちにとって、皇帝の御渡りが確約されているというのは明確な強みだった。
「使い潰される覚悟まであるとは、お前は相当レヴィエント君に入れ込んでいるようだな」
だが、帝国が欲しいのは、高い血統の妃であって、テレシアの血を引いた皇子ではない。むしろ、能力主義を広めようとする帝国にとって、無駄に高い血統の皇子は邪魔になるだろう。彼らは、あくまで東方の統一をスムーズにするための駒として、格の高い妃が欲しいだけなのだ。テレシアを妃として迎えた時点で、その目的はおおよそ達成されることになる。
つまり、上妃として嫁いだ場合――一度も寵を与えられることなく、妃としてその能力だけを求められ、後宮の中で静かに使い潰される可能性があるということだ。テレシアほどの能力を持つ妃を、帝国が遊ばせておくとは思えない。後宮運営、外交補佐、東方貴族への折衝――いくらでも使い道はある。
しかし、この条件――上妃として入内する――のであれば、勝った場合の帝国側のメリットは非常に大きくなる。もとより、仮に負けたとしても、帝国側の損失は小さい。失うのは、まだ正式な婚約ですらない未来の妃候補に過ぎない。対して勝てば、大陸最古の王家の血と、極めて優秀な女を後宮へ取り込めるのだ。それも、ただの上妃として。――皇帝にとって割の良い賭けであることは、間違いなかった。
「帝国は大国ですから、きっとやりがいのある仕事も多いでしょう。身に付けた能力を十全に生かせる環境と考えれば、幸せと呼べるのかもしれませんわ。もっとも……お義姉様のような――夫に愛され、子に恵まれる幸せは、掴めないかもしれませんが」
「……まあ、よかろう。負けた結果、陛下や議会を説得する仕事は私が請け負おうじゃないか」
「……よろしいのですか?」
「ああ。遠く帝国へ旅立つ娘への餞とでも思いなさい。もっとも、そうならないことを願ってはいるがね」
父はそう言って笑った。その瞳がどのような未来を見通しているのか、テレシアには分からなかった。
――――
――それから、およそ三週間。
夏の盛りを待たずに、テレシアは、帝国との交渉をまとめきった。件の皇帝は、テレシアの予想以上に賭け事が好きで、そしてテレシアの予想以上の強権を握っていたようだ。取引の――賭けの成立は、存外にあっさりと決まった。もとより、帝国のデメリット自体はほとんどないのだから、ある意味では当然の帰結なのかもしれなかった。
期限は、秋の祝年会のその日までに決まった。日付が変わる頃、賭けの勝敗を聞きに使者を寄越すと、皇帝からの手紙には記されていた。もしお前が勝ったのなら、その男とやらを連れて来い、とも。
当然、この賭けの内容を、レヴィエントは知らない。それどころか、それを知るのはテレシアと父フルリエ公爵、そして皇帝と帝国側の高官が数名、それだけだ。テレシアの兄どころか、王国の国王陛下すらまだ知らないのだ。これは、帝国側からの条件だった。
(……可笑しな賭けね。こんなものに人生を賭けるなんて)
テレシアは、取引の成立を告げる文字をなぞりながら、そっと窓の外を見た。一月前は、想像もしていなかった展開だった。人生とはかくもわからないものなのか、と、自分で決めたことにも関わらず、ため息をつきたくなる。
――それでも。彼が自分を選んでくれる可能性に、賭けたいと思ってしまったのだ。
(勝っても負けても、後悔はないわ)
窓ガラスに映る自分の瞳は、強い光を宿していた。




