表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/42

第十七話 覚悟


 手合わせを終えた後、さほどゆっくり過ごす時間も取れず、アウレリウスは出立の用意を始めた。今日のうちに視察先まで戻るようで、夕暮れを待たずに出立するという。

 

「泊まっていかないのか?」

「ああ。明日は朝から視察だからな。今日のうちに宿まで戻る」

「相変わらず忙しいな」


 カイエルは肩をすくめるようにして笑った。出立の用意を手伝いながら、適当な雑談を振る。


「そういや、もうすぐ夏の園遊会だろ、アウレリウスは今年も演奏するのか?」

「いや、今回はあいにく仕事と被ってな。辞退した。フルリエ公爵家からはテレシアが出る予定だ。社交もあの子に任せている」

「そうなのか。お前が出ないなんて、好事家はさぞ残念がるだろうさ」

「お褒めにあずかり光栄だ。カイエルは来るのか?もちろん客としてだろうが」


 アウレリウスは外套を羽織りつつ、からかうような視線をカイエルへと向けた。夏の園遊会では、器楽の名手が演者として招待される。アウレリウスは毎年招待を受けていたが、人前で演奏できる器楽の腕など持ち合わせていないカイエルに来るのは、もっぱら客としての招待状のみだった。


「やかましいわ。子どもも小さいし、今年はパスだ。軍閥の連中も大して出てこない」

「まあ、軍閥の家は秋の狩猟が本番か」

「そういうことだ」


 テンポよく軽口を交わす二人を見て、レヴィエントは思わず小さく笑う。普段はあまり口数の多くないアウレリウスが、カイエルと話すときばかりはいつもより少し饒舌になるのを見るのが、レヴィエントは好きだった。


 やがて出立の支度が整い、三人は連れ立って邸宅の玄関を出た。扉を開けると、昼下がりの光がそのまま差し込んでくる。夏の気配を含んだ風が、アウレリウスの外套の裾を揺らした。

 石畳の先には、門へと続く庭道がまっすぐに伸びている。手入れの行き届いた芝と、生垣の向こうに広がる木立。遠くでは従者たちが馬の支度を進めており、金具の触れ合う乾いた音がかすかに聞こえていた。


 カイエルが先に立ち、アウレリウスと並んで歩く。レヴィエントは一歩後ろからその背を追った。

 他愛もない会話の余韻を残したまま、三人はゆるやかな足取りで庭を横切っていく。

 

 途中、カイエルは「馬を確認してくる」と言って厩の方へと歩いていった。蹄の音と従者の声が遠くで交じる。

 その背中が門の向こうへ消えると、庭にはアウレリウスとレヴィエントだけが残された。さっきまでの賑やかさが嘘のように、空気が一段静まる。


 風が一度、刈り込まれた芝を撫でていく音がした。


「レヴィエント」

「はい」


 呼びかけは短い。アウレリウスは一拍置いてから、言葉を続けた。


「覚悟は決まったようだな」


 アウレリウスの碧い瞳が、レヴィエントを強く見つめる。アウレリウスが何について問うているのか、それは聞くまでもなく明らかだった。

 レヴィエントはその視線をまっすぐに受け止め、迷いなく答える。


「――はい」


 その一言に、余分な揺らぎはなかった。アウレリウスを見つめ返す黒曜石の瞳が、強い光を帯びる。磨き抜かれた剣のような美しい輝きは、きっと消えることなどないのだろう。


 アウレリウスは、その光にほんのわずかに目を細める。それは評価でも、確認でもなく――観察に近い沈黙だった。


「……ならいい。検討を祈る」


 一瞬の沈黙の後、アウレリウスは短くそう言って、口元だけをわずかに緩めた。


「アウレリウス、馬の用意が出来たぞ」

「ああ、今行く」


 カイエルの声に、アウレリウスは短く返事をしてレヴィエントから視線を外した。その一瞬で、場の空気が完全に切り替わる。


「まだ明るいとはいえ、道中は気をつけろよ」

「ああ、ありがとう。じゃあな、カイエル。レヴィエントも、また王都で」

「はい。お気を付けて」


 レヴィエントは、カイエルとともに静かにアウレリウスの背を見送った。アウレリウスの背が門の向こうに消え、やがて蹄の音も遠ざかっていく。


「……次に会えるのは、いつになることやら」


 カイエルがぽつりとこぼしたその言葉の、声音は軽くもなく、かといって重すぎもしない。ただ、ほんのわずかに力の抜けた響きだった。

 レヴィエントはそっと兄の横顔を窺う。いつものように飄々とした表情ではない。どこか遠くを見るような目をしていた。


 互いに立場が変わり、守るものが増えた。気軽に顔を合わせていた頃とは違う。そうした現実を、今さらながらに噛みしめているようにも見えた。


「お前もだぞ、レヴィエント」


 不意に、カイエルが視線をこちらへ向ける。


「もう少しくらいは顔を見せろ」

「ごめん。今年は前線の任務が多くて……」

「冗談だ、分かっているさ。顔を見たいのは本音だがな。ま、お前が無事ならそれでいい」


 カイエルは軽く笑ったが、瞳の色は真剣だった。


「……成年式典は、父さんたちと見に行くからな」

「――うん」


 その言葉に込められた意味に、気がつかないほどレヴィエントは鈍くなかった。

 成年式典は、文字通り貴族の子女たちの成人を祝う催しである。その年十八歳になる貴族の子女たちが例外なく参加する公式行事だ。その翌日には、秋の祝年会がある。秋の祝年会は成人の祝いなだけあって、春の祝年会や夏の祝年会と比べても規模が大きかった。


 そして――成年式典の直前には、毎年行われている魔物の討伐戦がある。秋の魔物は、夏の魔物とは対照的に魔法抵抗が高い。討伐は主に騎士の仕事だった。レヴィエントも、もちろん前線に派遣される予定だ。


 兄は、成年式典を見に行くと言った。レヴィエントに、成年式典に出ろと――生きて帰って来いと、そう言ったのだ。


(……大丈夫だよ、カイエル兄さん。俺には、やるべきことがあるから)


 風が吹き、芝を揺らす。先ほどと同じはずの庭のはずなのに、どこか別の場所のように感じられた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ