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第十六話 手合わせ


 ターズウェル伯爵家の領地は、王都から馬車で約三日の距離にある。


 堅牢な城壁と、整然とした街並み。領地自体はさほど大きくはないが、王都と西の大都市をつなぐ街道が通るこの土地は、軍事と交易の要衝として栄えてきた。


 夜会の翌朝、王都を発ったレヴィエントは、約一年振りに領地の邸宅へと戻っていた。 思い返してみれば、十七歳の夏以来の帰郷となる。騎士団では夏と冬に交代制で長期休暇が与えられるが、十七歳の冬はエルハンダラの厄災があったため、休暇どころではなかったのだ。その後の処理も終わった頃には春の魔物が活発化し、そのまま前線任務に就いていた。その分、今回は少し長めに休暇が与えられている。

 父母と長兄に会うのは、随分と久しぶりだった。王都で働く次兄のルシオとはそれなりの頻度で会ってはいるが、領地まで戻れる機会はなかなかない。

 ターズウェル伯爵家は、レヴィエントが騎士学校を卒業するまでは王都のタウンハウスを拠点として暮らしていたが、レヴィエントの卒業後はターズウェル伯爵夫妻と長兄カイエル夫妻が領地に戻っているのだ。


 父母と長兄夫婦との、約半年振り――大騎士褒章の式典以来になる――の再会を喜び、昨年の秋に生まれた甥の顔をようやく見ることができた。


 アウレリウスがターズウェル伯爵家を訪ねてきたのは、レヴィエントが帰省してから三日目のことだった。


「久しぶりだな、アウレリウス。元気にしていたか?」

「ああ、この通り。カイエルも息災か?」

「すこぶる元気さ」


 カイエルとアウレリウスは、こちらも半年振りの再会を喜んでいるようだった。

 フルリエ公爵家の嫡男であり、若くして下院議会に席を持つアウレリウスは非常に多忙だ。手紙こそ定期的に交わしているものの、カイエルが領地に帰ってからは、滅多に会うこともなくなっていた。それこそ、レヴィエントの大騎士褒章授与の式典以来だったそうだ。


「それにしても、タイミングがよかったな」

「ああ。日頃の行いだろうな」


 アウレリウスの珍しい冗談に、カイエルは声を上げて笑った。


 アウレリウスの訪問の目的は、レヴィエントとの手合わせである。あの初夏の約束だ。

 もちろん、多忙なアウレリウスは、このためだけに王都からわざわざターズウェル伯爵領くんだりまで訪ねてきたわけではない。王宮では次の休暇にと約束していたが、アウレリウスの忙しさを考えれば、もっと先になってもおかしくはなかっただろう。だが、カイエルが言うように、タイミングがよかったのだ。


 レヴィエントは、休暇の日程が決まった後、アウレリウスに手紙を出していた。『もしご都合がつくようでしたら、ぜひ手合わせにいらしてください』という内容だ。アウレリウスの都合がつかないようなら王都に帰還した後、アウレリウスの都合に合わせてタウンハウスを訪ねるとも書いたが、レヴィエントとしては十中八九王都での実施になると思っていたのだ。だが、アウレリウスからの返事は、いい意味で予想を裏切るものだった。

 

「この時期に視察が決まることなんてあるんだな」

「私は行かない予定だったんだが、ちょうど欠員が出てな。誰であっても構わない仕事だったから、私が手を挙げた」


 アウレリウスが言うように、彼はちょうどこの付近の領地で行われる視察に同行していたのだ。一日抜ける程度なら構わないとのことで、邸宅での手合わせが実現したのだ。

 アウレリウスは、レヴィエントとの手合わせもそうだが、カイエルに会えることを随分と楽しみにしていたようだった。アウレリウスとカイエルの今の関係を深くは知らないが、二人は今でも無二の親友だということなのだろう。

 

アウレリウス(お前)でないといけない仕事の方が多いだろうに」

「私でなくてはいけない仕事はそれほど多くないよ。ただ効率が落ちるだけさ」

「お前の部署は今頃大変だろうな……」


 カイエルは、アウレリウスの凄まじい作業効率を思い返し、遠い王都にいるであろう彼の同僚たちに思わず同情した。アウレリウスは一人で並の男十人分の働きは難なくこなして見せる。その彼が一週間近くもいないのだから、埋め合わせには骨が折れるどころの話では済まないのは明白だった。

 

「否定はしないが……息子が生まれてから、長期視察はほとんど行っていないからな。私の部署の新入りたちには良い経験になるだろうさ」

「スパルタは相変わらずか」

「人聞きの悪い。部下の育成も立派な仕事さ」


 アウレリウスは肩を竦めながらも、どこか楽しげに笑った。


「まあいい。積もる話もあるが……先にやるか?」

「ああ。そのつもりで来ている」


 短く言葉を交わすと、二人は自然と庭へと向かった。


 ターズウェル伯爵家の邸宅の裏手には、騎士の鍛錬に使われる広い庭がある。芝は短く刈り込まれ、足場も良い。簡易の訓練用武器も一通り揃っている。


「レヴィエント、お前と普通にやっても勝負にならないだろう。ひと瞬きの間に制圧されて終わりだ。いくつかハンデが欲しい」

「もちろん、構いませんよ」


 当然だろう。レヴィエントは現役の騎士で、それも当代随一の実力者の一人だ。対するアウレリウスは、それなりに鍛えていれどもあくまで文官、差は歴然だった。


「では二つ。一つは、最初の十合、レヴィエントは防御に徹すること。もう一つは、その間、その場から一歩も動かないことだ」

「分かりました」


 レヴィエントは頷いた。


「じゃあ、俺が合図するから。怪我はするなよ」


 カイエルはそう言って、腕を組んで少し離れた場所に立つ。後半の言葉を向ける相手は、もちろんアウレリウスの方だ。


 レヴィエントとアウレリウスは、静かに向かい合った。互いに木剣を手に取り、重さを確かめるように一度軽く振る。相手との間合いを測りながら、各々が足を開いた。


――――

 

 構えた瞬間、空気が変わった。先ほどまでの穏やかな空気は消え、張り詰めた静寂が落ちる。

 向かい合った瞬間、アウレリウスは理解していた。


(……これは、本当に勝負にならないな)


 五年前、あれだけの体格差をもってなお適わなかった相手だ、レヴィエントの方が体格も勝る今となっては、どれだけハンデをつけたところで、アウレリウスの勝ち目は万に一つもないだろう。文字通り、比較にならない。

 それでも構える。アウレリウスに逃げる理由はない。


 カイエルが軽く手を上げた。


「――始め」


 次の瞬間、アウレリウスは踏み込んだ。間合いを詰める判断にも迷いはない。初手から躊躇は一切なかった。だが――当然のように、その剣はレヴィエントには届かない。


 約束通り、レヴィエントは動かない。ただその場に立ったまま、最小限の動きで受ける。


 木剣が当たる――はずの軌道が、わずかに逸れる。弾かれたのか、流されたのか。それすら曖昧なまま、刃筋が空を切る。


(二合)


 間を置かず、二撃目。今度は角度を変える。――同じだった。当たる直前で、ほんのわずかにずらされる。視界では捉えている。だが、身体が追いつかない。

 連撃にしようが、フェイントを混ぜようが、あえてテンポを変えようが、力任せに叩きつけようが。何度やっても結果は変わらない。


 レヴィエントは、そこにいる。確かに目の前にいるのに、触れられない。防がれている実感すら乏しかった。まるで、そこに()があるような感覚だ。


(……完全に読まれているな)


 すべて――意味を成さない。レヴィエントの動きは最小限のまま、変わらない。


(――十)


 最後の一撃。これまでで最も強く踏み込んだ。間合いの内側へ、無理やり入り込む。刃筋は甘いが、それでもいい。せめて触れればいいと――だが。


 次の瞬間、手首に軽い衝撃が走る。


 やはり弾かれたかと、そう思った瞬間だった。

 ――視界から、レヴィエントが消えた。理解が追いつく前に、首元に木剣の感触があった。


「――そこまで」


 カイエルの声が落ちる。アウレリウスはゆっくりと息を吐く。抵抗する余地すらなかった。

 レヴィエントは剣を引き、軽く一礼した。


「……なるほど、本当に勝負にならないな。今ので何割だ?」

「二割でしょうか。最後は最速でした」

「そうか。いや、いい機会だった」


 アウレリウスは肩の力を抜き、苦笑する。


「さすがの腕だ。……最後は、見えもしなかったな」

「……まだ、荒いです」

「それを言うか。相変わらずだな」


 アウレリウスは一瞬だけ目を細め、それから小さく笑った。緊張が解け、空気が元に戻る。

 試合を見ていたカイエルが近づいてきて、軽く肩をすくめた。


「まあ、こんなもんだろうな。アウレリウス、お前にしてはよくやった方だ。鍛錬は欠かしてないみたいだな」

「慰めになっているのか、それは」

「なってるだろ」


 カイエルはあっさりと言い切る。アウレリウスは小さく息を吐き、木剣を元の場所に戻した。


「レヴィエント、せっかくだから俺ともどうだ?久々に父上より強いのがいるからな、手合わせがしたい」

「もちろん」

「じゃあ、アウレリウスと同じ条件で」

「分かった」


 カイエルとアウレリウスが入れ替わる形で、再び手合わせが始まった。二人の打ち合いを眺めながら、アウレリウスは今しがたの結果とその意味を冷静に試算していた。


(やはり勝負にはならなかったが……収穫はあった)


 カイエルは、アウレリウスよりはまだ勝負になっているようだった。十合を超えてもなお数回、木剣の合わさる音がして――だがそれも、ものの数分と立たずに決着がつく。カイエルの喉元に剣先が突き付けられ、勝負は終わった。


「本当に強くなったな、レヴィエント」


 カイエルはそういって、レヴィエントの頭を少しばかり乱暴に撫でた。

 アウレリウスは、少し照れたような顔をするレヴィエントを見て、今日の手合わせの目的について考えていた。先ほどの試合で、それはおおよそ達成された。


 レヴィエントが前線へ出るようになってからというもの、討伐戦の被害は激減している。数字としての報告は受けていたが、とてもではないが信じられないレベルで、だ。だがそれも、実際にレヴィエントを相手取った今となっては腑に落ちる結果だった。


(……あれが前線にいるのであれば、それはそうだろうな)


 アウレリウスは、レヴィエントの実力の、その全容を理解したわけではない。だが、実際にレヴィエントを相手取って戦えば――正確なあたりをつけることくらいは容易にできる。


 あの速さ。あの精度。あの余裕。


(……分かってはいたが)


 レヴィエントは、まさしく英雄と呼ぶにふさわしい。レヴィエントがいる限り、王国が魔物の被害に悩まされることはおそらくない。彼がいる限り、対魔物の前線は安泰で、彼の存在は外交においてさえ牽制となり得るだろう。


(――だが、レヴィエントは永遠ではない)


 強すぎる個人は、所属する組織をダメにすることがある。その個人がすべてを解決してしまうせいで、周りが身につけていたはずのそれまでのノウハウや能力は失われていく。そうして、当の本人がいなくなった時に何もできなくなってしまうのだ。

 レヴィエントは人間だ。いくら強くとも、いずれは老い、そして死ぬ。英雄は永遠ではないのだ。


 アウレリウスは官僚である。前線が一個人――レヴィエント頼みにならないような仕組み、後進の育成、そう言ったものを考える立場にあった。


 だが――数字で見ていたものと、実際に対峙した感覚は、まるで別物だった。――あれは、規格が違う。並の騎士が何人いようと、埋まる差ではないだろう。

 だからこそ。使い潰すわけにはいかない。そして――頼り切るわけにもいかない。


 考えるべきことは、もう見えている。


 「どうした、難しい顔をして」


 声をかけられ、思考を引き戻される。カイエルが木剣を肩に担ぎながら、こちらを見ていた。


「いや。良いものを見せてもらったと思ってな」

「それだけか?」

「それだけだよ」


 アウレリウスは、王都へ帰ってから考えるべきことの多さに、静かに息を吐いた。

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