空弓穿佐殿事(「南都焼討」)
さても佐殿の御前に参りて九郎判官殿の物語りなどしつるに、武蔵坊弁慶を御前に召されて曰く「汝は故頭殿を見知りたるや」と仰せ給へば、武蔵しかと承りて曰く「げにも故頭殿、御父君を船岡山に召されし折、武蔵もろともに参りて御最期を見奉りて候」と申せば、佐殿これにはおどろき給ひ、うちうなづかれければ、九郎判官承りて曰く「祖父君をも見知りたるとかや、これも奇しきは主従の縁、あさましかりける次第かな」とて、兄弟ともに涙に暮れ給ひておはします。
これを見て武蔵、御前に進み出て曰く「故頭殿もかくてこそ涙に濡れいておはしますを、今は昔と見奉り候ぞ。いたはしく思し召されてやありけむ、御首召す事かなはず、太刀を当つべき所もおぼえずおはしませば、乳母子の鎌田兵衛の一刀に御首召され候けり。然れども、聞けば清盛入道は、御叔父を六条河原に引き具して、情けも覚えぬ有様に、一刀に斬って捨てたりけるとぞ云々。めざましかりける有様にや」と草草の次第語りにければ、佐殿、入道のかたはらいたく思はれて「何ぞ」と仰せ給へば、武蔵曰く「鳥羽の院もいかがおぼしめしたるぞ」とて、うち笑ひてありけり。
佐殿「何ぞ院の見知り奉る」とて聞けば、武蔵物語りして曰く、「清盛入道、未だ安芸守におはせし折、山門の衆徒ばら神輿を奉じて押し寄せなんどしければ、忠盛公はじめ平家一門兵ども引き具して、これを押しとどめむとて馳せ参ず。然れども悪僧手に手に大太刀・薙刀・弓矢おっ取って、内裏に攻め寄せむとしければ、安芸守、あさましき東屋の屋根に這いのぼり、これ押しとどめて功名あぐべしとて、十二束三伏せ、鏑矢取ってつがいにければ、忠盛公引き退くべき由申すも及ばず、ひいふっと射切ってみれば、鏑矢高く遠鳴りして、神輿の鏡を打ち砕き、衆徒ばらおぢ怖れて各々おそれわななく声あげて、神輿を捨てて逃げにけり。かくもあさましかりける次第かな、安芸守は神仏の咎をも怖れず、傍若無人の振舞に、これ無間に落ちるが道理と人々さざめきあへり。然れども鳥羽の院、これを聞こし召し給へば、『天晴なる弓矢取り』と仰せあれば、畏くも六波羅に行幸し給ひ、安芸守に見え給ひしかば、これ前代未聞の珍事とて、公卿殿上人、おそれあきれ給ふ事限りなし。安芸守とても『只事にはあらざるにや』と思はれて、『これ自害すべし』とて、小太刀の柄に手を延べてありけれど、これを見参らせ給ふや鳥羽の院、『朕を射るべし』と、御手を広げて仰せ給ふ。これには安芸守も肝を消し、『ゆめ仰せ給ふな』と申し奉りけれども、院の仰せに背くを得ず、畏まって承って候に、手元にはなき弓矢のあるが如き振舞して、きりきりと引き絞り、五人張りの大弓おっとりたるが心地して、家伝の鏑矢つがうが如く、ひいふっとぞ放ちたり。されば鳥羽の院、空事の弓なれど、射抜かれたる心地やし給ひけむ、御胸抑へて息も絶え絶えになりければ、安芸守いよいよ消え入りたらむが如き心地して『はやこれまで』と覚へけるが、然れども鳥羽の院は、有難くも御涙をはらはらとこぼし給ひて曰く『見よ、弓矢取りの朕を射奉りけるぞ。さながら安芸守も一本の矢の如し。世を覆し、内裏を守護し、天下を貫く大矢とならむ』と仰せ給ひ、いよいよ安芸守の覚えめでたしとぞ云々」とて、物語し奉りければ、これを聞き給ふ佐殿も「天晴、不思議の事かな」と思し給ふ。
さて、佐殿、広縁にあがり給ひて、西の空を見給ふに、遠く都の事など物思ひしければ、平治の戦も今は昔、清盛入道の髪も霜降りたるかなどと覚えて、打ち案じておはしませば、ひいふっとて鏑矢の高鳴りする音の聞こえければ、「すはや敵の寄せたるぞ」と覚えて、太刀の柄に手をかけ給へば、一本の大矢、いずこよりか飛び来たりて、佐殿の胸を穿ちにけり。血の落ちけるを見て「すはや」と覚えて膝をつき、「不覚しけるぞ」と思はれて、御手を胸にそへ給ひ、いよいよ自害せむと覚えけるが、九郎判官の「兄君のいかがし給ふぞ、心地悪しくておはしますか」と申すを聞けば、胸に傷のなく、血の流れたる様もなく、大矢の飛び来るは幻とこそ覚え給ひしか。
人々、これ、佐殿の見奉りし大矢は、住吉・熱田より飛び来たりし神矢に候にやと思はれて、かつて清盛入道、神矢を得て天下第一の人と成り給ひけるを、いよいよ佐殿に天命めぐりたるやとて、めでたき有様、あっぱれなりと、申し奉って候とかや。




