入道殿御遺戒事(「遊びをせむとや生まれけむ」)
さても入道殿のはかなくならせ給ひてのち、をくれ給へる御方々は、天を仰ぎ地に伏し、肝魂も消え果つるばかりの心地して、涙に暮れてすぐさせ給ふ。中にも入道殿の北の方は、いとけなきよりも仕えさせ給ひ、「これこそ光る君」とばかり思し奉りて、共に黒髪に霜の降るまでと添ひ奉り給ひければ、御嘆きの程甚だしく、見る人哀れに思ふ事限りなし。
さて入道殿の失せ給ひて程隔たりてのち、「これ御供養あるべし」とて、西行法師の六波羅に参り給ふに、一門の人々、「これを頼みに」と思はれて、法師の読経かきくどき奉るを聞き給ひ、「志の厚き程、必ず往生なるべし」と思われて、ただ頼みにぞ思はるる。
さても読経果てつる程に、西行法師の一門の人々にに向かひて「入道殿の御訓戒を申すべし」と申されければ、これには一門の人々も不思議に思し給ひて、「六波羅にてはかなくならせ給ひぬる入道殿の御訓戒を、如何に法師の存じ給ひぬるぞ」と、屋島大臣の仰せ給へば、法師、答へて曰く「二見浦にて見え給ふ」と。「如何に二見浦」と門脇殿の仰せ給へば、法師曰く「僧が庵を結びける」と。いみじき問答に、人々「あさまし」と覚え給へば、西行法師は「不思議の事にて候にや、二見浦の庵にて、読経かきくらしてすぐし候程に、『これ西行よ、義清よ』と呼ばふる声のしければ、『これ何人の我をば呼び給ふぞ』と覚えてかえりみれば、入道殿のおはします。『いかにや入道殿』と問えば、『六波羅にて臥して候』と答え給へば、『さればにや、六条の御息所の如く』と申し奉り候へば、入道殿のしかとうちうなづき給ふこそ、不思議の事にて侍れ」とて語り給へば、一門の人々、深く感じ入り給ふ。
されば西行法師は、入道殿より授かり給ひし御訓戒、面々に向かひて語り給へば、これ入道殿の生きて語られ給ふ心地して、人々の涙を流し給ふ。中にも屋島大臣は、「御父の生き返りぬるか」とばかり思はれて、御手を合わせて仏の功徳に拝み給ふ。
法師、屋島大臣に向かひて曰く「これ汝は誠の平家の棟梁なり。一門の頼みの艫綱なれば、必ずこれを支えよ」と仰せ給ふ。また、維盛・資盛の御兄弟には「小松大臣に倣ふて一門に恩愛を尽くせよ。汝らが父は天下第一の孝子なるを忘るべからず」また、新中納言知盛・本三位重衡に曰く「汝らは入道の子なれば天下第一の武者どもなり。平家のつはもの、必ず源氏に背中見すな」また、平大納言時忠には「一門の筋にあらざれども大納言なくして平家なし。時忠あらずんば平家にあらずとはこれ誠ぞ」また、門脇殿教盛・修理大夫経盛に曰く「あっぱれ、入道の誉れの弟どもかな。二人にして一人とは、人の申すもさもあらむ。門脇は武の道、修理大夫は芸の道。願ふらくは汝ら共に手を取りて二人して、入道の子らを守り給へよ」また、池大納言には「入道には過ぎたる誉れの弟かな。父母の流れ、ゆめ絶やすな。汝の受けたる血はこれ平家の嫡々ぞ」と。これを聞き給へる一門の御方々、「ありがたかりける次第かな」とて、皆々涙を流し給ひけり。
さらには、家子郎党までに声を尽くし給ひて、中にも平宗清には「よくも心を尽くし給ひける家人かな。一門に心従はずとも、池殿には三世まで従へよ」と仰せ給へば、宗清あまりの有難さに、涙を留める事ぞなき。また、平貞能には「父家貞の忠義、測るも及ばず、海山よりも高く深くしてありけるに、汝もよくも尽くしけるかな。小松大臣には第一の家臣なるべし。小松の家は汝を頼むべし」と。また、平盛国には「鱸丸よ」とて、格別に御声をかけ給ふ。「汝はさながら鱸にやあるらむ。往古、父忠盛が西海を渡りてありけるに、船に大なる鱸の飛び込みて、爾来平家繁盛とは承りしが、これ汝が事にしてありけるよな。平家繁盛は汝の招きたるが奇瑞に違はず、入道には過ぎたる家の者にて候ぞ」と仰せ給へば、盛国あまりのありがたさにただ伏しに伏して泣きにけり。
また、女人ばらにも御遺戒あり。小松大臣にをくれ給へる北の方には、法師深々と頭を垂れて曰く「汝が小松大臣に目婚はせてより、小松の繁盛専らなり。よくも心尽くしたるものかな、ありがたき事なり」と。また畏くも建礼門院の行幸あり。これにも法師、見え給ひて曰く「入道の娘にもあらじ」と申されて、人々「如何に」と思へども、法師はさながら入道殿の心地して涙を流して申すには「よくも一門に仕えてこそ。女の身なれども数多の功名、他になし。あっぱれ、天下第一のもののふ、日本無双の弓矢取りよ」とて、建礼門院をはじめ奉り、聞く人涙を流さぬ者ぞなき。
法師、順をめぐりて最後には、入道の北の方、二位尼御前に向かひて、語り給ひて曰く「汝を入道の妻となしてありがたき事言葉に尽くすも及ばず。尼御前こそ入道が紫の上」と。これを承り給ふ尼御前、うちうなづけばうち笑みて、ただ「光る君よ」と仰せ給へば、これを見奉る各々方、親子は一世と申せども夫婦は二世の縁、前の世よりも深く契り給ふ鴛鴦に相違なしとて、感じ入らせ給ひけるとかや。さてもさても、ありがたかりける次第なり。
さて、西行法師はやがて鎌倉に下らせ給ふ。鎌倉殿に見え給ひ、歌の道、武の道など草々語り給ひにけり。先年すでに壇ノ浦にて平家の人々滅び給ひ、先帝御入水ましまして、また入道の仰せに従ひて血を継ぐべかりける池大納言も鎌倉に失せ給へば、かくてもおよそ諸行無常の理を感じ、鎌倉殿、仏道の理をも西行法師と問答し給ひけるとかや。
鎌倉殿「六波羅入道殿なれば、いかが思し給ひけむ」と問ひ給へば、法師からからとうち笑ひ「かくも源氏の世には候はじ」と申せば、これを聞く人々「無礼の法師かな」とて腹立ちしけるが、鎌倉殿の顔色変じ、「今一度申し給へよ」と仰せ給へば、人々「いかに」と思へども、見れば、長押に大股開きてどうど座すは、先年に失せ給ひぬる清盛入道に相違なし。人々肝を消しけるが、鎌倉殿は礼を以て尽くし「いかに入道」と問ひ給ふ。されば入道の答えて曰く「平家一門は一つ蓮葉の上に契りたりける面々にして、源氏に背中見すべうもあらず。入道の遺戒に従ふて、必ず源氏の兵どもうち退け、鎌倉殿の御首を入道の墓前に捧ぐべし。一門これみな入道の弟、子どもなり。天下第一の武者にて候へば、必ず源氏を滅ぼすべし」と仰せ給ふ。これには人々「入道殿の魂、壇ノ浦に沈み給ふ一門の行く末を恨みて、鎌倉殿を地獄に引くべう見え給ふか」とおじ怖れ、ある者は地に伏し、ある者は御手を合わせ、ある者は震えて柱の陰に身を潜む。しかれども鎌倉殿はちっとも騒がずして「源氏の武者、必ず一門を西海に落とすべし。武者の世は、源氏の世。この世を治め奉るはこの鎌倉ぞ」と仰せ給へば、入道殿はからからとうち笑ひて悦に入り給ひぬる有様なり。「あっぱれ、かくてこそ義朝が子」と手を打ちて、やがてかき消すやうに失せにけり。
やがて人々、「前太政大臣六波羅入道清盛公、武者の世を為し給へる鎌倉殿を祝ふ由にて見え給ふぞ」とて、不思議の事ども多かれども、ありがたかりける次第かなとて、御手を合わせて極楽往生願はせ給ふと云々。
かくて前太政大臣六波羅入道平清盛公の御生涯、あっぱれなりける有様にして、語り継がれけるに候ぞ。異朝には趙高、王莽、安禄山、本朝には将門・純友、義親、信頼とて、皆々驕りて天下の大乱を知らず久しからざる者どもに並べ、あさましき人とも申されけれども、天下泰平なるべくして武者の世を鎌倉大将軍源頼朝公に継ぎたるは、これ平朝臣清盛公の他になし。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きにして、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理とは申せども、風の前の塵に立たずして天下を平らぐ事かなはず、春の夜の短き夢に夢を見ずば、何ぞ人の何事をか為しつるぞ。いずれもいずれもはかなき人の世に候へども、やがて散りぬるを知りてこその御生涯にやあるらむ。その天晴なる御有様こそ、心も言葉も及ばれね。




