忠清被斬事(「宿命の敗北」)
さても富士川より慌てふためきてはふはふの体にて返られければ、清盛入道、烈火の如く腹立ち給ひて、権亮中将殿の喉元おっとって床にどうと伏せければ、いみじく悪口して打擲する事甚だし。中将殿は泣く泣く「許してたべよ」と申せられけるも、入道殿聞くも及ばず、足に拳に振るわれて、一門の人々の制されけるをも聞かず、ただ甚だしく打ち給ふ。
中将殿は故小松殿の嫡子にて、入道殿の御孫にて候が、「父にをくれて哀れなる事限りなし」とばかりに思はれて、「はや平家の嫡流、総大将にこそ」とて、先の討手を命ぜられけるも、故小松殿の御教へには「平家の嫡流なれば詩歌管絃の道に秀でよ」との仰せなりければ、武芸は心及ばず、風雅の道にのみうばはれて、弓矢取りの習いも知らざりければ、かくなるあさましき有様となりぬべし。
さればにや、入道殿もうたてく思はれけるか、累代の家人、伊藤忠清を先達に召されけるが、力及ばず、かくなる様になり給へば、入道殿は忠清をも罪すべしとて、宋剣おっとって立ち給へば、これには人々「いかに」とばかり思はれて、御弟、子息ばら、加へて二位尼までも、入道殿の袖にとりつき襟につきして「ゆめ斬らるるな、な害せそ」と口々に仰せ給ふ。中にも貞能、宗清は「忠清を害すべうあらば、我等も共に斬り給へ。先の代より、保元・平治の戦までも君に従ひ奉り、これより勝る忠義の者は他になし。忠清不忠と申さば、我等こそ不忠」とて、泣く泣く申し奉りけり。
然れども忠清ちっとも騒がず、ただ君の御前にひかへてありけるが「君の御立腹ましますもげにさもあらむ」とて、頭を延べて「ただこの首召し給へよ」と申すばかりなり。これを見る人々、涙を流さぬ者ぞなき。
忠清、君の御前にかしこまり、申して曰く「今生に暇申すより先に、ただひとつ申すべきやうは、君の『弓矢取りは勝ちてこそ、平家の武者』との仰せ、誠に天晴とぞ思はれけるも、保元・平治より時隔つる今ははや、古の事と相成り候にや。公達ばらの先例を知り給はず、武芸に及ぶ暇もなきもせむかたなし。君、今は主上の御祖父君と相成られければ、はや平家は武門にあらず。詩歌管絃の道に秀で、風雅のみ頼みとなし、拠るかたなくしてありければ、権亮中将殿、伊豆の兵衛佐を討つ事ゆめかなふまじ」とて、涙を流してかきくどき、広縁降りて庭に出て、土に伏して頭を垂れければ「いざこれにて今生に御暇申して、六道の巷にて面々を待つべし」と申せば、入道殿、人々の御手を振り払い、庭に躍り出ければ、宋剣の鞘うち抜きて、この首切って捨てむとす。
然れども、哀れなる哉、入道既に齢七十、打ち物持って駆くる事かなはず、剣は御手よりからりと落ちて、庭の土にぞ伏せにけり。
これには人々「神仏の御加護にや」とて、息をつき給ひけるが、入道は地に伏し涙して、忠清もまた涙に暮れにけり。主従の契は三世とて、君のいとけなきよりも、共に年経り月隔て、紅顔の若武者どもも色褪せて、今ははや、主従共々、黒髪に霜の降りたる有様なり。かねてはついに聞きしかど、昨日今日とは思はざりし老いの道、主に従い奉りはや五十年、無常の事も理なり。




