小松大臣双六縁事(「そこからの眺め」)
さても小松大臣の御悩愈々厚く候ければ、一門の人々を枕の傍元に召し給ひ、各々の御顔をうちまもらせ給ひて曰く「後世の弔い、一門の末、もふけ厚く候へ、兄弟手ん手におほやけを支えよ」と、継ぐも苦しき息の隙に、泣く泣くかきくどき給ひけり。古の武勇の輩もかくやと言ふべき紅顔の御面影も、今ははや窶れ衰へて、萎えたる枯木の如くして、背の床を離るる事もかなはず、御顔の色黒く、眼の落ち窪みたる御有様も、ただ哀れと申す他のことぞなき。これを見奉る御方々の、涙を流さぬ者ぞなき。
小松大臣の御悩甚だ芳しからざるを聞こしめし給ひて、院の小松谷に御幸おはします。大臣の日頃の忠義・忠勤なのめならず厚き事を頼みに思し給ひておはしければ、枕に取りつき、はらはらと御涙を流して仰せ給ふには、「先頃、清盛入道の狼藉し候を、汝が一命に賭して教訓仕りけると聞く。これ何ぞ忠義の他にあらむや。敢えて忘るるやうもあらじ」とて、大臣の痩せたる御手を取ってかきくどき給ふ。重ねて、院は治天の君におはしませど、これ何ぞ礼を取らざるべきとばかり思し召して、畏くも大臣に頭を垂れ給へば、これには大臣も目をおどろかせ給ひ、起きもやらぬ御体、はふはふの体にて候が、御顔あげて「畏くも勿体なき御詞」とて、涙に暮れ給ふ。大臣曰く「何ぞこれより延ぶべき命にもあらじ、臣唯願ふらくは、君臣共に手を相携へ、おほやけを繁盛せさせ奉り給ふべき事の他になし。清盛入道の再三の狼藉に及び奉り給ふも、唯、天下を憂ふるが故に候へば、君に尽くし給ふ志に一片の曇も候はず。ゆめ疑ひ給ふ事のなきやう、唯に申し奉る」と仰せければ、院はうちうなずきて、大臣の手をゆるゆるとさすれども、にはかにからからとうち笑ひて仰せけるには、「大臣の申し事、確かに契りて候ぞ。然れども是、勝負に勝ちてこそ」とて、近臣に命じて枕元に双六の盤を据えさせ給ふ。これには大臣も顔色変じて、何事ぞとばかり覚え給ひけれども、院の唯「賽を召せ」と仰せ給ふに、わが身とも覚えざる鉛の如き御手をあげて、やうやう賽を振り給ふ。今ははや、思ふにまかせぬ御身にて候へば、如意の目の出るべう事もあらようもあらず、駒のじりじりとして、大臣は盤の末に取りつきて、汗のこぼるる額付きて伏せ給ふ。その御有様のいみじく哀れの事ぞなき。
愈々、院の駒のあがり候とばかりに覚え給ひし折、ばらばらと床板踏み鳴らす音の侍り。見給へば、清盛入道の顔色変じて、簾かきあげて、わなわなとして広縁に立ち給ふ。大臣の御悩、愈々厚き事を聞し召して参られ給ふが、思はぬ人の双六に興じておはしませば、清盛入道もこれにはいみじくあさましき事とばかり覚えて、大臣の枕元に取り付き給へば、死人の如くに変じた我が子をかき抱き給ひて、曰く「何ぞ、何ぞ」とわななくわななく仰せ給ふ。大臣ははや応ふやうもなく、苦しき息の隙に「父よ、父よ」と仰せ給ふばかりなり。
「如何様には存ぜねど、道理なき振舞とこそ思はれしか。唯是帰参し給へよ、君」と入道の仰せ給ふを聞きて、院のうち笑みたる御有様、いみじくあさましき事にこそ思はれけれども、先頃の入道が狼藉、院の御気色損ね給ひければ、大臣を憎むべうこそあらねども、唯入道ばかり何ぞ苛むべきと覚えて、かくなる御振舞に及ばれ候にや。
中頃、院の未だいとけなくおはせし折、市井の博打に興ぜられ、緋色に菊紋の出だしたる御細長、無頼の輩に奪はれて路傍に打ち棄てられておはしますを、清盛入道、いまだ安芸守にておはせしが求め出して、六波羅に御幸奉りし事のあり。
折しも宮は、双六の盤を据えさせて、安芸守と興じさせ給ひしが、中頃、御誕生し給ふ嫡男を、賭けの種のせむとて、賽を振り給ふなり。これには清盛、「宮の仰せと存ぜれど、我が子を質に出す道理なし」とて仰せに背きけれども、宮は聞こし召さず、愈々宮のあがり給ふと見えけれど、いまだいとけなき御赤子の、賽を振りければ、賽の目数多数になりて、安芸守のあがり給ふ。これに宮腹立ち給ふを、未だ遺恨に思はれければ、かくなる振舞に及び給ふとかや云々。奇しき事にこそ候が、賽を振り給ひける赤子こそ、のち長じて小松大臣その人なり。
大臣が一命、父の孝・院が忠の御為尽くして候けれど、いとけなき折に双六の盤に賭けられて、父と院との狭間に弄ばれし事こそあさましき哉。唯思ふらく、忠義孝節の輩、かくもあさましき御悩にあそばされ給ふは、前世の縁に異ならず、親と君の質草の如きもてなしを受け給へば、そも長らへる一命にあらざるにや。仏法功徳、尽忠報恩の御生涯といへども、親と君との罪業を受け給ひし事こそ唯々無念なれ。
やがて大臣のはかなくならせ給ひしかば、清盛入道の、院の御振舞を憎む事の甚だしく、及びたる御狼藉も理なりとこそ人々の申せしか。




