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時政以佐殿為婿事(「忠と孝のはざまで」)

さても姫君のにはかに失せ給ひぬれば、父時政の慌てふためき給ふ事限りなく、「はや夜盗に害せらるるか、或いは天狗に取られつるか」と喚き案じて、郎党ばらをして山野を求めさすなどすれどもおよそ甲斐なく、婿の山木判官とて「これ止む無し」との返り事すれば、やがて姫君の御跡とぶらふ他になきとばかり覚えて、肝魂も消え失せて、暗夜を惑う心地こそすれ。

 然れども、にはかに庭をはたたと歩き給ふ音のすれば、「これ姫の帰りぬるか」とばかり覚えて時政裸足にて広縁に駆け出れば、確かに姫君にておはします。風雨に降りこめられつるか、濡れ髪のあさましく、衣もいじみき様にて候が、からからと打ち笑みて「唯今帰参仕る」とばかり申し給ひて庭に侍りければ、これには時政、安堵の息をぞつけらるる。

 然れども、姫君を具し給ふは佐殿なり。姫君の御手を取りて、御顔うち守り給ふ様はただならざる有様にて、これには時政顔色変じ、日頃年頃疎かならずもてなしつるといへども「何ぞ佐殿の参り給ふぞ」とて声を荒らげて立ち給ふ。然れば、姫君、夜分の雨に泥みたる庭に膝付き、手付き、申し給ひて曰く「本日より佐殿に仕え奉らむと覚え給ひければ、許してたべよ父上」とて、額付きて泣き給ふ。時政これには肝魂も失せぬる心地して、否とばかりに申さむとせしが、声だに喉を通らず、ただ歯噛みして立ちておはしぬるばかりなり。

 佐殿は、平治の大乱の折に東国に遠流となりければ、伊東祐親が姫君と契りて男児をもうけ給ひしが、これ平家に憚りありとて舅によって害せらる。爾来、人と交はり給ふ事もなく、死人の如く日々を過ぐし給ひてありしを、時政哀れにおぼしめして、日頃厚くもてなして、酒宴などもふけて佐殿を慰め奉りてありけるが、伊東が姫との先例のあるによって、敢えて娘を近付け給ふことぞなき。然れば、かくなる有様、時政にはあさましくいみじく、親の心、引き裂かれむばかりにて候とかや。

 佐殿は、故頭殿には嫡男、源氏の貴種にて候ひけるが、姫君の額づき給ふを見奉り給へば、これに倣いて膝を付き、御手を付き、泥のいみじく衣を汚すもままに、ただ頭を下げて、仰せ給ひて曰く「先頃、伊東の姫と契りて候折には、源氏の血脈絶ゆるとも障りなしとこそ覚えしか。然れども、今を以て猶案ずるは、故頭殿の御志の厚く、東国の郎党ばらの栄華を願ひて限りなき事ばかりなり。我、今再び、源氏の家を興し、亡父に報い、東国の武者どもの頂きに立たむ事こそ、源氏の嫡流の務めにて候とこそ思はるれ。今、唯一人罪人にてありけるが、必定、今再び平家に肩を並べむ。故に、武門の家より剛の女子と添ひて、源氏の種を継がばや」と。

 これを聞きて時政怒りて曰く、「何でふ、罪人のかくものたまふぞ。今や平家繁盛の世に候へば、源家再興易しき事には候はず」と。然れば、姫君の仰せ給ふには、「難く険しき道程にて候へども、やがて世の移りけるは必定なり。今佐殿に仕え奉り、源氏の男児をもうけて今に東国を源氏の武者に満ち満ちてやうず」と。然れども猶、時政許さず。

 折しも、中宮の御腹に皇子の御誕生おはします。中宮は六波羅入道が姫にておはしませば、いよいよ六波羅入道の世に候ひて、何ぞ平家に背く事の然らざるや。時政には姫は一人にておはしませば、山木判官を婿に取らむとせしも、唯これ姫の繁盛を願ふが故なり。佐殿に仕え奉らば、定めて武門のあさましき修羅の道を歩まむ事の必ずとなりければ、親の心に許さるる事とも候はじ。

 庭に控えつる藤九郎盛長、これは池禅尼の心差しにて都より佐殿に従ひ奉る家人にて候けるが、佐殿と姫の御契りの浅からぬ事を知りて「いかがはせむ」とばかり覚えて、庭の畑に生ひたる瓜を一つ取れば、時政に奉りてけり。時政不審にて候ければ、藤九郎曰く、「痩せたる土にても時政殿の鍬を取り給へば、瓜もかほど丸々と生ひ候。如何や、源氏の種を、一より養ひてみむ。必定、繁盛疑ひなしにて候ぞ」と。

 これを聞きて、佐殿、姫君は、御手を取って涙を流し給ふ。伊豆の流人にて侍れば、源氏の貴種とはいへど、館も所領もなし。何一つ持たざる若武者に、仕へ奉りて家を興さむとする姫君の心差し、誠に天晴と云ふ事の他なし。

 時政の心も岩木ならねば、いよいよ佐殿の御手を取り給ひて、嘆息して曰く「嗚呼、かくも青白きなよなよと、なへたる苗木哉。養ふずるは聊か難儀ぞ」と。

 是によって時政、いよいよ佐殿を婿と頼み、源家再興の鍬を取り、東国の土を耕し、武門の大樹を養ひて、草を抜き水を撒き、子孫累代枝葉の繁盛、新しき世の花咲かせてみむ、と、心に誓いて候とかや。

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