後白河院御戯事附悪別当事(「平家にあらずんば人にあらず」)
さても時に院の御戯れめきて遊ばしし事どもには、建春門院がもとへ御出御の折に「汝が思ふ大なるものを食らふべし」とぞ仰せける。先ずは建春門院が女房健寿、謹みて申し給ふには「されば館を召して候」と。これを聞きて建春門院の曰く「さればにや山など如何」とぞ仰せらる。方々申すを聞し召し給ひて、院のからからと打ち笑ひて仰せけるは、「いずれもいずれも大なる事に違いなし。されども朕の召しけるこそ第一なり」との仰せなり。
院のめずらしき御戯を遊ばし給ふを聞きて、新大納言成親、殿上にありしとき「されば国を一つ召すべし」と仰せ給ひけれども甲斐なし。西光法師の「暗闇を召そうず」と仰せ給ひけれども、まず甲斐なし。
いよいよ、何人の院に勝りたるやと覚えらるるべけれども、院の福原御幸の折、六波羅入道清盛、御戯の由聞こし召して「さればにや我が志とぞ覚えける。この腹の内にぞ据えたる心の、大なる事海よりも広く山より高し。何の勝りたるものやある」と仰せ給ふ。
これには人々大いに驚きて「さすがの入道、もっともしかるべし。これには院の勝りたる事よもあらじ」と覚えけれども、院のからからと打ち笑ひて仰せけるやうは、「されば朕の勝りたる」とて、清盛入道「院の何を召されたるぞ」と聞けば「是清盛入道なり」と仰せらる。
これを聞き給ひける人々、大いに怖じ怖れ給ひて「いみじくもあさましや。院の平家を悪し様になしつるぞ」と覚えて、わななくわななくおはしつれど、しかれども清盛入道ちっとも色を変えずして、応え給ひて曰く「良き哉、良き哉。さればこの体、如何様にも召し給へ。定めて大なるぞ。されば畏くも、院の玉の御腹を食い破りて這ひ出てみせむ」と。
これには院の御覚え芳しからず、清盛入道のいみじき御有様、さながら平家の程をわきまへずして、自らの治天の君の如き御振舞、いずれもいずれもあさましく、おぢ恐れぬ人ぞなき。思へば平家の驕り高ぶる事のはじめなり。
そもそも清盛入道、驕り高ぶることのいみじければ、悪別当時忠に下知して曰く「平家を悪し様になしつる者のゆめ許すな」との仰せにて、時忠、悪口いみじき輩を召すべく、濃き水干に禿の童子を洛中に放ちて、平家を罵る者どもを悉く召して罰せらる。洛中の貴賤上下おしなべて、おぢ恐れぬ人ぞなき。
時に洛中に病の流行りたる事のありて、人々「定めて清盛入道の宋より召しける禽獣の振舞なるべし」と、口々に申しければ、これを聞し召して清盛入道、「何者の風聞なしつるぞ。必定、平家を悪し様になさむとせし輩の謀なるべし」とばかり覚えて、時忠に下知して、禿して、風聞の元とおぼしき輩を洛中より取りこめて、鞭打ち、召したるものの悉く奪い取りなどし給ひぬ。これ平家をあしうおぼして「如何にしてのぞかむ」と日頃心を悩ましける八条院の下人の仕業なり。八条院は後白河院には御姉にておはしませども、高倉宮のもてなしを日頃あさましく覚えて候ひければ、平家を朝廷より除かむとての謀なり。
禿してこれを退けければ清盛入道心安く候が、然れども八条院だに怖れぬ時忠の振舞のあさましき事、一門の人々もあまりにいみじく相応しからずと覚えて、時忠を憎む者もあり。中にも下人の兎丸、是西海の海賊にてありけるが、「何ぞ過ぎたるは賊に同じにやあらむ」とばかり覚えて、時忠に向かひて曰く「禿どもの親を失ひたる者ばかりを召して、あさましき様さすは道に背きたるぞ」とて、いみじく悪口しけり。これを聞きて悪別当曰く「定めて親なき子のすなはち賊になりて人々を害すべし。平家に召してもてなすも是、慈悲の道なり」と。兎丸はいみじう腹立ちて「かくなる様は賊にたがはず」とて罵り給ひけるが、悪別当曰く「平家にあらずんば人にあらず。平家を悪し様になりつるはよも許さるるまじ」と仰せ給ふとかや。
これ平家の驕り高ぶることのいみじくあさましき様、天を怖れず、仏を虚ろにし給ふがゆえの詞にて、あさましき事限りなし。高くも卑しきも、この有様を慮れば、清盛入道の有様に、慈悲のなき様疑ひなく、人々おぢ恐れる他ぞなき。
然れども一本に曰く、悪別当時忠、平信範が子、二位尼時子の同腹の弟、建春門院には異腹の兄にて候が、未だ御姉の清盛入道と目婚はせて程なき折、一門の人々と座を連ね給ひ、様々意見などしければ、入道が兄弟ばら、いみじう腹立てて「平家にあらずんば物なのたまひそ」と悪し様に申されければ、別当も「平家にあらずんば人にあらざるにや」と覚えて、御心の内に悩みてけるとかや。第一の郎党兎丸も、盗賊朧月が子にして平家にあらざるゆえに、時忠ののたまひける事こそいみじう事にぞ思さるる。然れども、近く窺ふに、六波羅入道清盛公こそ、故白河院の御胤にておはしければ、その身の平家にあらざるこそ、定めて奇妙の事ども、いみじくあさましき事にて、因果のあさましける事こそ思わるれ。




