殿下乗合附山鳥事(「殿下乗合事件」)
扨ても先頃、松殿狼藉に及び給ふも、これ越前守の礼節を軽んじらるるが故に候へば、小松大納言「是非に及ばず」とて、敢えて問ひ給ふ事もなかりければ、人々「これ越前守は小松殿には御嫡子、平相国入道殿には御孫なり。権門扶桑の輩とて、これを辱めらるるは筋もなく、何ぞ恥辱の雪がざる」とぞ申しける。然れども小松大納言は深謀熟慮の人なりければ、越前守資盛を召して古今の例を引きては非礼の様を咎め給ひて候けり。
これを平相国入道、中頃、福原におはしつるが、聞こし召し給ひて、すなはち無官時忠を召し給ふ。曰く「汝が為すべき事を為せ」と。時忠承りて急ぎ都へ返し給ふ。人々「入道の何ぞ腹立ち給はぬぞ。時忠殿を召したるは何の故にや候はむ」とて不思議の事とて申しける。然れども程経ずして、松殿の召し給ふ御車、洛中を東に指して参られけるを、賊徒どもの狼藉に及びて、家人・舎人ばらの髻切られ、松殿も辱めに及ばれて、はふはふ邸に参られ給ふにつけ、人々「これ平相国入道殿の謀にや候はむ。先頃、福原に時忠殿を召して下知せらるるは、かくの如きか」と申して、口々にざざめきあへり。されど、入道殿の手の禿ども、平家を悪し様に言いなす輩を求めなどしければ、やがて人々もえ申さずなりにけり。
さて、小松大納言は、かくの如き有様知らずして、参内仕り給ひければ、公卿・殿上人、怖れをなして、わななくわななく、小松殿の御顔をも見ずして御簾の内に控えてありければ、小松殿「これはいかに」と思して、月輪殿を尋ね給へば、九条殿「先頃の狼藉に及ぶは小松殿の思し召しに候はざるや」と仰せ給へば、小松殿も色をなして、松殿を問ひ給ふ。松殿は、小松殿の御姿、御声も「おそろし、あさまし」とばかり覚えて、御簾の内に控えて頭を垂れて、「許せ、許せよ、許して賜べ」と、わななくわななく仰せ給へば、小松殿、大いに驚き給ひて候とかや。
しかるに大納言、家人引き具して、松殿の御車の辱められし橋のたもとを問ひ給へば、破れたる御車の路傍に打ち棄てられて、おそろしくもあさましき有様なり。見れば、御車に掛りける楊の糸に、めでたき濃き色のありければ、「何ぞ」と思して、家人して取られければ、本朝には見えざる山鳥の尾羽なり。これ、先頃、入道殿の異朝より求められて、時忠殿の悦ばれて家人・郎党どもに付けさせ給ふものにてありければ、小松殿、入道殿・時忠殿のなしつる業と心得て、「何ぞあさましき、筋目の通らざる」とばかり覚えて、泣く泣く六波羅に返されけり。
越前守資盛をはじめとして、一門の人々、小松殿の恥を雪がれけるぞと思し召して、悦びこれを迎え出ければ、小松殿は色にも出ずして参られけり。これ、入道殿の仕業とて咎め奉らば、人々大いに惑い騒ぐと心得てこその振舞なり。小松大納言の深謀遠慮、甚だめでたき事にて候ひけれども、小松殿は、己がなしつる業の悉く、入道殿に及ばざるかと覚えて、思いの底にぞ沈み給ふ。




