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政子見誤奉捕佐殿事(「わが都、福原」)

 さて、桓武天皇の後胤、伊豆国の住人、北条時政と申す者、武勇に優れ芸に嗜み、心映え尊き者にて候が、蛭ヶ小島に流人ありとて見れば、故頭殿が嫡男、兵衛佐頼朝殿にて候ひければ、侘びしく清らかにすまひなどしけるを見て、甚だあはれにぞ思はれて、日々の供養もてなして、紙硯など具し、時に野の花、膳などももてなせば、佐殿は誠に悦び給ひて、これ北条は我が恩顧の輩、「つゆ忘れざるべきか」とばかり思さるる。

 そもそも時政には二子あり。嫡男には小四郎。姫には御名を政子とぞ仰せらる。小四郎はさきざきの主となるべき男の子なれども、未だいとけなく、よよとして、武より文を嗜まれて、女房の膝、御母の膝にまとはりて候ひければ、「これ如何せむ」とばかり思はれけれども、政子のあさましき装束して、髪を童子の如く結ひなして、いかもの造りの太刀はいて、滋藤の弓かいこうで、日頃年頃、山野を巡り、山鳥、狐なんどを狩り、さながら敵将討ち取ったるが風情にて屋形に参られけるを見れば、時政「なんぞ女子のかくあるや。しかるべき様せよ」と申せども、詫びたるもなく、悩みたるもなく、「武家の子なればかくあるべし」とばかり申して様改める事ぞなきを、時政「これいかなる患いにや。風か、毒か、物の怪か、しからざれば則ち前世の科か」と様々にもてなし給ひけるも甲斐無し。梳るも忌み給へば、髪はあさましく熊の如くいみじくて、手ずから櫛いれむとしけれども通らず、政子は「あさまし」とて床に放ちて、御父の申しけるをも聞き給はず。

 ある年、三浦大介、上総介、佐々木秀義の参りて、酒宴をもよほしければ、秀義の兄弟ばらの数多数あるを聞きて、「これ婿にとるべし」と覚えて、「みめかたちなべて悪しからず、知恵も聡き娘なり。しかれどもはばかりありて未だ婿はとらずなりぬれば、汝が兄弟ばらの男子を婿にたびて候へ」とぞ申しける。時政は武勇の輩、加へて朋輩なれば秀義も、「これ良き縁」とて笑壺に入りて悦び給ふ。

 然れども、折に強風ありて、前栽の萩のいみじき音を立てぬれば、「これ狸か、狐か」と、人々いぶかりてありければ、にはかに黒々たる大猪の現れ出でて、いみじく鼻鳴らし爪鳴らし、どうど広縁に躍りあがりぬれば、武勇の人々といへども大いに肝を消す。「誰ぞ捕れ」と下知するも、童子ばらの蜘蛛の子の散らす如くして、女房ばらは言うべうもあらず、時政、三浦大介、上総介、秀義、大いに驚き慌てふためきて、「これ牙・爪にかかるなんどはあしかりなむ」とて、上を下へと逃げ惑ふ。然れば大猪のからからと打ち笑ふてありければ、「これあさまし。何ぞ人の声たてて笑ふぞ」と覚えて、見れば死したる猪を担ぎたる娘の、人々の驚き給ふを見てからからと笑ふものなり。赤色裾濃の直垂に、童子の如く髪結ふて、いかもの造りの太刀はいて、二十四さいたる矢を指して、「我見事討ち取って候ひければ、今宵の夕餉の膳になし給へ、父上」と申せば、人々ますます驚きて、秀義「これ時政が娘とは聞きつれど、いみじくおそろしく候ひつるものかな。良き縁と一度は覚えけれども、さはあるまじ。婿は他家よりとらせよ」と仰せければ、時政いみじう恥ずかしく、身も細るばかりの心地して、ただ「いかがせむ」と思し給ふ他はなし。

 また、政子、小四郎を引き具して、山野を巡りてありければ、白き顔、なへたる烏帽子、薄様なる衣かづきたる者の、さまよひありきて候ひけるを見て「必定これ物の怪に候はむ」と覚えて「北条に仇なさばあしかりなむ。我討ち取って父の見参に入れ奉らむ」と思し、猪を捕るべき罠の山人どもの備へつるを真似て、あさましき網など広げて、藪に潜みて待ちければ、一刻も程へずして、物の怪の網に入る。政子、太刀抜き躍りかかって曰く「音に聞け、目にこそ見えね、伊豆の国の住人、北条時政が娘、政子とは我がことぞ。伊豆に仇なす物の怪を捕らへて候」と大音声あげて、小四郎に首とらせむとしければ、物の怪と覚えたる者の口きいて「あさましや、いかにやせむ。この網取って候へ、政子殿」と申せば、政子も驚きて、いよいよその者の物の怪にあらざるを悟りけり。このとき政子は生年十一、左右も分かたぬ年頃なればやむなき事にて候けれども、このとき捕られつる物の怪とは佐殿なり。身をやうなくおぼして山野を巡り、「いかにや自害を」とばかり一念にありき給ひけるを、政子の物の怪と見誤りつるものなり。

 さて、不思議の縁とは申せども、この政子と申すは、やがて佐殿と目婚せて男児を産む。鎌倉将軍頼家・鎌倉右大臣実朝公とはこれなり。承久の戦の折にも、御自ら御家人ばらに下知して候ひければ、のちの人の「尼将軍」と呼ばせ奉るも理なり。天下の尼御前、女の身ながら天下第一、世の頂きに保ち給ふは、いとけなきよりも武芸に秀で、ものをおそれず勇なりければ、武門の妻、武家の母とて並びなく、めでたきものにて候ひければ、貴賤上下おしなべて、感ぜぬもののなかりけり。

 

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