3 死なないために
あの後の夜会は地獄だった。
まず、修復不可能なまでにぐちゃぐちゃになっていた。茶色の髪がぴょんぴょんと跳ねていた。
貴族の髪形はどうしてこうも複雑なのだろうかと思いつつ、キセにやられたのだから彼女が直すべきでは、とも思った。
王宮の侍女に即席で直してもらって、難を逃れた。
そして会場に戻るや否や、キセが事前に話したのだろう。私が悪者となっていた。公爵様に色仕掛けをしていただの、公爵様に助けてもらうために自ら落ちただの、散々な言われようだ。
だがしかし、今のベアリーには何一つ効かない。
なぜなら私が入っているから!
残念だけど、キセは公爵様とはくっつかない。アレアーヌ様が公爵様の恋人になるのだから。変えられない運命だってあるのよ。
そう、私がキセに殺されるという運命も、きっと。
もし私が現実世界で死んでいないのだとしたら、甘んじて受け入れたい。だが、本当に死んでしまっていて、私がここにしかいないとしたら。次はどこに行くことになる? このまま終わり?
そんなのいや。だから死にたくない。
まずは小説の内容を思い出そう。
この夜会にアレアーヌ様はいるけれど、今回はお酒に酔ってすぐ帰るのよね。だからもういない。そして、公爵様も帰った。
じゃあ、私がここにいる意味、もうなくない? 帰ろ。
侍従を呼び止めた。
「帰るから馬車を呼んでちょうだい」
あんぐりと口を開け、驚いたような表情をされた。なんでよ、普通のことを普通の顔で言っただけなのに。
そうして私は夜会を後にした。
そういえば、アフエンって小説だと公爵様のために殺戮兵器になるんだっけ。
アレアーヌ様は平民だったが、伯爵夫人を道端で救ったことから、伯爵の養女となる。しかし貴族社会で平民の血が流れている存在は異質で、彼女は暫く馴染めないでいた。ベアリーという存在がいたが、それで周りは満足しなかった。公爵様はそんなことは気にせずアレアーヌを慈しみ、血筋に固執する家臣や貴族たちを、アフエンに焼き払わせるというラストを迎える。
溺愛の結果だと言われれば、それまでだ。
だけどそんなの、あんまりよ。
小説の中では、アフエンの気持ちは語られなかった。ただ、今生きているアフエンを見て思う。
ドラゴンだけど、怖くなんてない。誰よりも優しいと思うわ。
◆◆◇◇◇
夜会を終えた後、私は怠惰に塗れた生活を送っていた。
寝台の脇にある紐を引けば誰かが来てくれるし、料理も決まった時間に運ばれてくるし、入浴もお手入れも侍女がしてくれる。至れり尽くせりの生活を満喫していた。
アフエンへのお礼より、まず生活に慣れることを優先しただけ。決して怠けているわけではない。
そんなある日。
ぬくぬくと布団の中にいた私を、侍女は叩き起こして静かにこう言う。
「ベアリー様。アレアーヌ様がお見えです」
アレアーヌって、この小説の主人公じゃない!
私は布団から飛び出し、髪を手櫛で梳かした。
「お通ししてちょうだい! あ、準備するからちょっと時間を頂いて!」
秒速で準備を終え、私はついにヒロインであるアレアーヌと対面することとなる。
「ベアリーさま!」
なんと可愛らしい方なの!
薄ピンクの髪をサラサラと靡かせ、潤む瞳でこちらを見上げている。鈴の転がる声で名前を呼ばれた私の心臓は、一度大きく跳ねた。
あ、見惚れている場合じゃない。挨拶はちゃんとしないと。
「アレアーヌ様、ご機嫌よう」
「あっ、ご機嫌よう。それでベアリーさま、あの時の夜会! バルコニーから落下されたと聞きました。大丈夫でしたか?」
「えぇ。レオン公爵様のドラゴンに助けていただいたんです」
「まあ! あの公爵様のドラゴンですね! ドラゴンは気性が荒く、主人以外には誰にも懐かないという……」
確かに、小説にもそんな描写があったような、なかったような。
まあ、ドラゴンの懐柔を試みている途中だなんて言ったら、驚かれてしまうでしょうし。ここは知らないふりが一番。
「確かに、(多分)主人の命令で助けていただきました。もし公爵様が恐ろしいお方だったらと思うと、ゾッとします」
「えぇ。最近なんて、特におかしいと言われてますから! 幼体化されているだとか、記憶喪失だとか」
へぇ、そんな風に小説のなかの公爵様は言われていたのね。確かに子どもっぽい一面も、小説にはあったかも。
「あと、契約したドラゴンに体を乗っ取られたんじゃないかって噂もあるんです!」
待って、貴族のあられもない噂をこんな大声で話していいものだっけ。ベアリーの記憶が警鐘を鳴らしている、気がする。
「アレアーヌ嬢、少し控えめに……」
「ごめんなさい……」
「いいえ。それで、おかしいと言われているんですか?」
「はい。あとあと、最近の公爵は、妙に色っぽいらしいんです」
「い、色っぽい?」
「いつも肌は見せない禁欲的な方が、最近は着崩しているんです」
思い返してみると、着崩していたような……。
「なにより、喋り方です。喋り慣れていないというか、言葉そのものを理解していないような感じで……」
「それはわかります。会話がワンテンポ遅れる感じ。考えているというより、答えを待っているような」
気にしたことはなかったが、言われてみれば、という違和感だけど。
「さすがベアリーさまです! わたしもそう思っておりました!」
アレアーヌはテーブルに拳を落とし、前のめりになって必死にそう言った。
なんで貴女がそんなに必死なのよ、と思ったのは内緒。
「アレアーヌ様から公爵様に聞いてみたら?」
「いやですよ? 興味ありませんし」
意外とアレアーヌはさっぱりしてるんだ。
「逆に、ベアリーさまが今度の舞踏会で聞いてみてください!」
「舞踏会?」
「えぇ、三ヶ月後の舞踏会が、わたしの初めての舞踏会になります!」
あ、そうか。
次の国王主催の舞踏会が、アレアーヌ様の初めての舞踏会になるんだ。
そこで初めて公爵様と会話し、ラストダンスを踊ることになる。今まで見ているだけの存在だった公爵様に触れて、アレアーヌ様はときめいてしまう。
公爵様はアレアーヌ様の出自を心では馬鹿にし、見下していた。聖女の力を使って、伯爵家に取り入った女と。
しかし、実際に出会ってみると聡明で、謙虚で努力家。公爵様は偏見を捨ててアレアーヌを見直し、その舞踏会以降から頻繁に逢瀬を重ねるようになる。
そこで互いの弱さを補いながら、悪役であるキセを倒して幸せになるという結末、だった気がする。
そうしたら今の私って、ものすごく邪魔じゃない? というか、すでに邪魔してない?
残り三か月。この間にアレアーヌ様に聖女になってもらわないと、公爵様はアレアーヌ様を相手にしようとも思わないはず。
いや、もはやストーリーは狂っている。なら、結末までの過程が、変わることもあり得るのでは。それなら私の手で小説の内容を変更させよう!
アレアーヌ様は自分が平民出身であることを悩んでいる。後ろ盾も伯爵と弱く、社交界では立場が弱かった。そこをつけば、アレアーヌ様は私の案を承諾せざるを得ないはずよ!
「アレアーヌ様、舞踏会のパートナーは決まってるの?」
「実はまだで……」
「公爵様とかどうかしら? 国王に告ぐ権力者と舞踏会のパートナーになれば、あなたの悩みなんて一瞬で消えるわ。私、お願いしてみる」
「い、いいんですか……?」
「もちろん。友人のためならなんだってするわ。できれば王族の方がいいと思うんだけど、生憎私には伝手がなくて……」
「そんな! 十分すぎます!」
「では今度、公爵邸に行く用事があるのでその時、頼んでみますね」
これで小説通りの結末になるはず。
あとは、どうやって公爵様を説得するか。とりあえず、公爵邸に行くために、花をたくさん摘まないとね。




