間話.三ヶ月後――ある少年の末路
パウロベルト・ヴィンテリオが意識を取り戻したとき、寝台のそばには異母弟が座っていた。
考えられうる限り、最悪の目覚めだ。パウロは上手く動かない身体を確かめる前に、反射的に舌を打つ。
「キサマと同じ空気を吸うなど吐き気がする。さっさと出ていけ」
「それだけ喋れるなら問題ないですね」
赤い髪の、父に良く似た面差しの少年は、淡々と言葉を返してくる。
いつもそうだ。どんなに虐げようとも、どんなに侮辱しようとも、コイツは白けた顔を見せるばかり。堪えた様子もない。屈辱も怒りも何もかもが遠く、躍起になるこちらを遥か高みから見下ろしているような態度だった。
――だから気に食わない。
立場も、血筋も、魔力も、知恵も。こちらの方が上だというのに、まったく弁えない愚鈍な異母弟が、パウロにとっては目障りで仕方なかった。
その上、最高の栄誉たる〝依代〟に、コイツが選ばれたとあっては――
(失敗したのか、俺が! 〝依代〟は俺こそが相応しいと言うのに!)
身体が重い。自由が効くなら、今すぐにでもこの妾腹を殺してやるのだが。学院でも優秀な自分が遅れを取るなど、何かの間違いなのだから。
もどかしさに歯噛みをしながら異母弟を睨みつけていると、彼は無表情のまま、膝の上で広げていた本を閉じた。
パウロが起きるまでの暇潰しだろうか。学のない無能のくせに。
「……目覚めたときに、混乱して暴れられても困りますから。見張り兼、説明役で、僕はここにいます。僕だって、すぐに帰りたいんですよ」
「施しなど受けるか……ッ!」
「施しじゃありません、慈悲です。これから大変だろうし、貴方はおそらく公爵家を継げないと思うので」
「は?」
耳を疑うような言葉に、パウロは目を見開く。
それに構わず、テオドアは感情の乗らない声で続けた。
「貴方があの神殿で刺されたときから、もう三ヶ月は経っています。『始めの儀式』は終わりました。王弟と公爵も捕縛されて、裁きを待っています。神々に正式に承認されたので、僕以外が〝依代〟になることはできません……例え、魂を入れ替えても」
彼の視線は、パウロから逸れ、寝台の向こう側を向く。どこを見ているのかは、動けぬパウロには推し量れない。
テオドアは手短かに事情を話してきた。母の死、父の目論見、王弟の失脚を。そして、一度公爵に殺されたパウロを、目の前のテオドアが救ったということを。
命の恩人だとは死んでも思いたくないが、コイツにしては珍しく気の利いたことをするな、とパウロは思った。
「それと、俺が公爵家を継げないのと、どういう繋がりがある」
「……公爵に殺されたの、驚かないんですね」
「父上にはお考えがあったんだろう。このくらいで取り乱したりはしない。どこかの薄汚い女から生まれたヤツとは違う」
「執拗に僕の母を貶しますけど、それしか言うことがないんですか?」
――それとも、誇れるものが血筋しかないんですか?
と、テオドアは呟くように言った。
それから、がらりと話題を変える。
「そうだ。最近、市井ではこのような本が流行っているんですよ」
「……本?」
「僕が監修や普及に協力した本なんです。これがとても好評で。文字が読めない人々のために、劇や朗読も盛んになっています」
テオドアは立ち上がり、持っていた本を掲げた。ご丁寧にも、見えやすいように表紙をこちらに向けている。
表題には、こうあった。
――『ヴィンテリオ公爵家騒動記』。
「面白いですよ。特に、ローゼルとパウロっていう悪役が、悪事を働くところとか」
「は――」
何を言われているのか、分からなかった。
言葉が理解できなかったわけではない。ただ、真っ白になった頭では、状況がよく飲み込めなかったのだ。
「このアルカノスティア王国にとって、自国の〝依代〟は四百年ぶりだそうですね。だから、僕の自伝はとても価値のあるものらしいです。出来事については、ほんのちょっと盛りましたが――」
テオドアは椅子に座り直し、本を開いた。目当てのページがあるのか、迷いない手つきでペラペラとめくっていく。
「事実は事実です。第一夫人が僕と母を迫害したこと、貴方が僕を執拗に虐めていたこと、暴言暴力その他諸々――記憶にある限りすべて、お話に盛り込んでもらいました」
あるページで手を止め、紙面を叩く素振りをする。
すると、空中に、見覚えのある公爵家の一室が映し出された。その中で、人形のような人影が四人、大仰な口調と仕草で動き出す。
『お前など、ヴィンテリオ公爵家の恥晒しだ! 死んでしまえ!』
『パウロの言う通りよ。おぞましい売女の子! 公爵さまの血が流れているはずがありません!』
『恥知らずにも程があるよね……いつまで公爵家に居座るつもりなんだか……』
三人から罵声を浴びせられるその中心で、赤い髪の人形はうずくまっている。
いかにも安っぽい、悲劇に打ちのめされたような仕草だった。他者が見れば、さぞ哀れを誘うのだろう。
こんなふうにテオドアが振る舞ったところなど、見たことがない。
「と、このような仕掛けも施してあります。一章ごとに映像が流せるので、読み聞かせなくて良いのが楽ですね」
再び本を閉じると、映像も消える。
こちらにちらと視線を落とす異母弟は、やはり無表情のままだった。
――悔しいほど、父に、似ている。
「僕にはあまり縁がありませんが、国王によれば、社交界でも大評判だそうで。貴方がたの所業は、みんなに知れ渡っています」
思い返す。
忌々しい、コイツが〝依代〟に選ばれたときのこと。正当な抗議をしたパウロたちは、なぜか社交界で嘲笑の的となった。
あの時の、白い目。よそよそしい雰囲気。明らかにパウロたちの噂をしているのに、そばに行けば黙り込む人々。
加えて、今回の醜聞が広く知られたのなら――
――パウロは、自分の顔から、だんだんと血の気が引いていくのを自覚した。
「そんな悪辣な人間は、公爵家を継ぐに相応しくないと、王宮からも申し出がありまして。貴方が起きてから、正式に貴方を廃嫡するそうです」
「ふ、ふざけるな、俺がいなければ誰が継ぐ!」
「ツィロが。僕、三ヶ月前に、あの人と取引きをしたんです。貴方がたの居場所を教えてくれたら、悪いようにはしないと」
だから、この本でも、途中で改心して善人になっています。笑えるくらい爽やかな別人になっていますよ。
そう付け足して、テオドアは、ここで初めて笑みを浮かべた。
まっすぐに、パウロを見据える。
「――覚悟の上だったんでしょう? 僕や母を虐げるときは、当然、将来やり返されることを念頭に置いていたんでしょう? 自分は優秀だって、いつも自慢していましたもんね」
「う……ぐ……」
「貴方の悪事は、すべて世間に広まりました。僻地に貴方専用の別荘を用意しますから、どうぞ存分に、後ろ指を差される人生を楽しんでください」
テオドアは席を立ち、懐から手紙を取り出して、パウロの枕元に置いた。
「動けるようになったら、読んでください。貴方宛です」
そうしてそのまま、振り返りもせずに部屋を出て行った。
いけ好かない態度だが、今はそんなことに拘っている場合ではない。
「クソ……! クソ、クソぉおおっ!!」
悔しさを吐き出し、パウロは力を振り絞って身を起こした。
「殺してやるッ……! 絶対に! アイツだけは!!」
悪事をバラしただと? 悪評を立てただと?
笑わせる。そんなことで絶望してたまるものか。
むしろ、腹から湧き上がる怒りに突き動かされ、なにがなんでも復讐してやると決意するくらいである。
例え、社交界で爪弾きにされようと――
そうだ。俺は学院では指折りの実力者だ。アイツが作ったという本は、多少は流通しているだろうが、学院長もみすみす俺を手放さないだろう。
学院でも人気があった。人望もあった! みんな、喜んで俺に協力をするだろう!
噂を跳ね飛ばして、必ずアイツを殺す!
息巻きながら、パウロは手紙を掴んだ。
半ば破り捨てるように封を切り――
その文字を、見る。
『退学通告
パウロベルト・ヴィンテリオ殿』
「――うわああああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」
パウロは、今度こそ、絶望を叫んだ。




