75.光の女神の帰還
「今、戻った」
三ヶ月ぶりに見る『光の女神』は、少し疲れた顔をしていた。
腰まで短くした髪を一つにまとめ、質素な白い古代風の服を着た彼女は、手で顔を仰ぎながら居間に入ってくる。
テオドアは、長椅子から立ち上がって出迎えた。
「お疲れさまです。……暑いんですか?」
「いや、なに。王城前にハンナが待ち構えていてな。いろいろと熱く語られた。釣られて、こちらまで熱くなってしまった」
「えっと、どのようなことを……?」
事件の直後、「ルリネに宣戦布告をする!」と息巻いていたハンナを思い出し、ひやりと肝が冷える。
まさか、ただの精霊だと思って、ものすごく失礼なことを言ってしまったのでは? いや、ハンナさんは礼儀正しい女性だとは思うけれど。
恐る恐る問うと、ルクサリネはふっと微笑んだ。
「お前には言えない。女同士の約束だ」
「あ、はい」
「安心しろ。私にもお前にも、不利益は何もない。ただ、そうだな――」
ルクサリネは、言葉を切り、なぜかテオドアをじっと見下ろした。
「? あの、何か……」
「……なんでもない。経験がない私でも、男を見る目はあったな、と思っただけだ」
よく分からないが、ご納得なされているなら何よりだ。
テオドアは頷き、女神に促されるまま長椅子に戻った。
そして、他にも椅子があるというのに、なぜか真隣に座ってきた女神に――困惑する。
「あ、あの、ルクサリネさま。ちょっと、その、近過ぎるかと……」
「いけないか? ひとつの寝台を共にした仲だろう」
「語弊があります! あ、あの時は添い寝だけだったはずです!」
「添い寝だけでも結構なことだと思うが、まあ良い」
互いの足と肩が触れ合い、布越しに温もりが届く。テオドアは、必死に意識を逸らし、上擦った声で話題を切り替えた。
「そ、それより! 天界での会議は、どうなりましたか? 僕が聞いても差し支えなければ……」
「ああ、お前にも話せる範囲のことを言おう。あの三人は、やはり罰を受けることに決まった」
話は、公爵を倒し、王弟を打倒しに行く途中まで巻き戻る。
『楽園』から追ってきた女神・ペレミアナは、テオドアの提案を飲み込んでくれた。
彼女たちが欲するのは、あくまでも魂。このままテオドアが〝依代〟として天界に昇れば、魂ごと抹殺されてしまうことから、暴挙に出た。
テオドアだって、あと一年に満たない命は惜しい。だが、なにも、数千年の命を望むわけでもない。
ゆえに、百年後に〝依代〟が代替わりするまで、生かして欲しいと。それと引き換えに、代替わりを果たした後の魂は好きにして良いと、契約を持ちかけた。
彼女たちにとって、魅力的な提案だったのだろう。ペレミアナはすぐに『楽園』に帰った。
そして、三柱の間で、どんな話し合いが行われたかは定かでないが――
三柱は、自ら天界の神々に申し出て、すべての行いを明らかにした。
――テオドアが知っているのは、ここまでだ。
「死者を蘇らせるために禁を犯した。……未遂ではあるがな。一国を脅かしたことよりも、そこがまず論点となった」
「まあ、神の一存で国は滅ぶものだと聞きますしね。神話の時代だと特に」
有象無象の人間たちが被害を被ったことより、仲間内で掟破りが出たことのほうが重要だろう。神々にとっては。
光の女神は、顔にかかる髪を耳にかけ、「派閥は真っ二つに分かれた」と言った。
「比較的おおらかだったのは、私を含む千年来の神だ。昔、同じようなやんちゃをさんざんやらかしてきたからな。どの口が責められるのか、という罪悪感もあっただろう」
「なるほど……」
「厳しい処断を下したがったのは、『大戦』後に生まれた若い者たちだった。いわゆる、〝併せ名〟持ちの」
耳慣れない言葉に、テオドアは首を傾げた。
「併せ名?」
「千年の昔、一人の神が司るのは一つの権能と決まっていた。支配する分野や領域が重なることはあったが、行使できる権能も、神を表す名もひとつだけ」
だが、『大戦』の後、消滅した神々が多数いたことで、変わってしまった。
もともと、神々が交際した結果から生まれるにせよ、自然発生のように生まれるにせよ、神の「出生率」はさほど高くない。〝依代〟制度が作られた後も、それは変わらなかった。
その歪みを正すかのように、『大戦』後に生まれてきた神は、みな二つの権能を持っていた。
ゆえに、神の名を聞けば、それが『大戦』の前に生まれたか後に生まれたか、はっきり分かるのだという。
「併せ名の者は、少々真面目過ぎるきらいがある。決まりを守り、清廉潔白であることを至上とする風潮もある。〝依代〟制度も、生まれた時から存在しているものだから、無条件に良いものだと信じがちでな」
「ああ……その方々にしてみれば、お三方はとんでもない悪神ですね」
彼女たちの行いは、〝依代〟制度を根本から覆しかねないものだ。
若い神々は何よりも、そこに反発を覚えたらしい。
「神さまの中でも、世代間による価値観の違いがあるんですね……驚きました」
「我々も、人間と変わらない生き物、ということだ」
ルクサリネはこちらを振り向き、ふと自嘲気味に笑った。
そして、すぐに表情を戻し、話を続ける。
「結局、厳罰を求める声は、古参の神々が退けた。だが、咎めがないのも示しがつかない」
そういうわけで、三柱は、これから五年間、神としての地位を剥奪されて地界に降りることになったそうだ。
「三人の一途さには、私も目を見張ったよ。〝依代〟たるお前を殺すなら、自分たちも後を追って消滅するとまで言い出した」
「それは……」
「まさか、本当に死ぬつもりはないだろう。三人の神を失うのは天界としても打撃だと、それを分かった上での発言だ」
テオドアは、別れ際の『知恵と魔法の女神』――ペレミアナのことを思い返した。
〝百年生かせ〟などと、無茶なことを言った自覚はある。それでも、彼女たちは応えてくれた。こちらの要望通り、どんな手を使ってでも、テオドアの助命を嘆願してくれたのか。
「……加えて、事情を知った一部の神の口添えもあり、〝依代〟が天界に上がるまでの期間を五年ほど猶予できた」
「えっ」
テオドアが驚いて立ち上がりかけたのを、ルクサリネは優しく制し、話を続ける。
「もともと、代替わりには五年を要する。別に今すぐ殺さなくとも、使いようはある。地界で〝依代〟として威光を撒き散らさせれば、次回の〝依代〟の質も高くなる……ひいては、天界の権威も上がる、というわけだ」
「つまり……」
「つまり、お前の寿命は五年に伸びた。正確には――『大祭』の一年が終わった後だから、五年と半年だな」
まだ、生きられる。
望んだ百年ではないにしても、五年という年月は、人間にとっては貴重な長さだ。
――目の前が急に開けたような感覚に陥る。テオドアは、自分でも分かるくらい情けない声で、「ありがとうございます……」と呟いた。
ルクサリネは、そんなテオドアの手を握って、言う。
「……交渉次第では、お前を代替わりのときまで生かすことができるだろう。まだ、終わっていない。次の手を講じなければ」
「はい」
「テオドア……こちらを向いてくれ」
言われるがままに顔を向ける。予想に反して、彼女は真顔だった。
空いた片手でテオドアの頬に触れ、髪を撫でる。慈しむような――母が子に触れるような手つきだ。
「私は、お前に謝らなくてはならない。〝依代〟になればすぐに死ぬと知っていて、お前に何も言わなかったことを。そのくせ、自分勝手な罪悪感に振り回されて、とんでもないことを口走ったな」
「ああ……ええと、僕も勝手に暴走しましたし、お互いさまですよ」
「そうかもしれない。だが、それでは私の気が済まない。やり直しをさせてほしい」
ルクサリネは、緑がかった瞳で、真っ直ぐにこちらを見据える。
そうして、両手を胸の前で組んだ。何かを願うように。
「テオドア。お前にその気がないのは分かっている。しかし、もしも私のことを哀れだと思ってくれるのなら――、一夜限りでも良い。慈悲をくれないか?」




