74.騒動の後の宣戦布告
王弟が引き起こした〝王位簒奪未遂〟事件については――特に苦戦することもなく、あっさりと片付けることができた。
王の寝室に籠っていた王弟は、多少なりとも抵抗したが。今や女神たちや公爵との協力も失われた彼が、魔法を使いこなす〝依代〟に敵うはずがなかった。
そのまま寝室で騒ぎを起こし、訝しんで駆けつけてきた家臣や兵士たちに事情を説明する。
彼らは一様に驚きながらも、王弟が計画を企てたことについては、さほど意外に思っていないようだった。
みんな、「王弟はいつかやらかすかもしれない」と思っていた、ということだ。
「お前のような者が〝依代〟などと。終末も近いとみえる」
体格の良い兵士に両脇を固められ、捕縛された王弟が、取り繕うのも忘れて吐き捨てる。
テオドアは、「まだ娘のほうが悪口のセンスがあったな」と思いつつ、答えた。
「決めたのは僕ではありませんから、恨むなら神々を恨んでください」
「生意気な口を……」
「あ、そうそう」
今思い出した、と言うように。テオドアは白々しく声を上げた。
「この件を、貴方の娘であるローゼルさまにご報告申し上げました。それはもう、大変に悲しんでいらして」
王弟は訝しげに眉を寄せる。
当たり前だ。彼が行動を起こしたのは、娘と孫息子の存在と協力があってこそ。娘は計画のすべて――少なくとも、王弟の知るすべては――知っているはずだ。
だが、テオドアは続ける。
「ローゼルさまは、悲しみのあまり自死なさいました。残念なことです」
「っ、な……!」
「僕の異母兄たる二人も、責任を取ると言って……パウロベルトは自害を試みて昏睡、ツィロは公爵家を守ろうと奔走しています」
王弟の顔が、みるみるうちに真っ青になっていく。
テオドアの話は、真っ赤な嘘だ。第一夫人もパウロも、公爵が殺した。ツィロも、公爵家を守ろうなんて言う殊勝な人間ではない。
あちらはもちろん、嘘に気付いただろう。それを見越して言った。
お前の計画は、もう根本から崩れ去ったのだ――という、意味を込めて。
「それじゃあ、後のことは任せました」
「は、はい。責任を持って護送、裁きの時まで地下牢に幽閉いたします!」
この場にいる兵士のうち、取りまとめらしき男性が、背筋を伸ばして答える。
テオドアはひとつ頷き、「ひと段落したら、この件について話し合いの場を設けます」と、寝室の隅に固まった家臣たちのほうへ視線をやる。
家臣たちは、こわばらせた顔を、互いに見合わせた。
そして、渦中の人たる王弟は。
抵抗する気力すら無くしたか、覇気のない様子で虚空を見つめていた。
その後は、本当に忙しかった。
助け出された国王への説明と体調の確認、ヴィンテリオ公爵の自首、混乱する城内を収め、緘口令を敷き、『始めの儀式』に合わせて帰ってくるつもりの王妃たちをなんとか説得して、『儀式』の期日を特別にズラして――
朝起きてから夜眠るまでにやることが多過ぎて、一瞬で過ぎ去った数日間だった。
しかし、それもだんだんと落ち着きつつある。
この日のテオドアは、国王たちとの話し合いを早めに切り上げ、王宮内にある〝依代〟の家に帰り着いた。
リュカや『光の女神』からは、いったん山の上の拠点に帰ることを勧められたが。こちらのほうが通いやすいので、テオドアは一人でここに滞在している。
いつもはあれこれと世話をしてくれる女神も、今はいない。
(ルクサリネさまも、天界に戻ってお忙しいだろうからなあ……)
応接間のソファで、確認しなければならない書類と書簡を眺めつつ、女神のことを思う。
天界にとっても、今回の事件は重大なものだったようだ。
なんと言っても三柱の女神が一枚噛んでいる。しかも、百年前に死んだ『伴侶』を蘇らせたい一心で。
――死者を蘇らせることは、例え神でも禁じられている。しかも、一柱は『冥界の神』の娘だ。
天界は大騒ぎになったらしい。
ルクサリネは、「あいつらは相応の罰を受けるだろうな」と言って、天界に呼び戻されて行った。
一度、受肉体を捨て、天界に昇るというのだから、かなり大掛かりだ。「戻ってくる時はまた受肉する」と笑ってもいた。
今ごろは、神々の集う会議に参加していることだろう。
リュカは――どこにいるか分からない。以前の言動から察するに、天界には行っていないと思う。そもそも、呼び出されないかもしれない。
ネフェクシオスと雛と卵は、一時避難場所だった例の洞窟に残り、たまにテオドアを呼びつけては団欒を楽しんでいる。呼びにくるのは雛のどちらかだ。
クレイグとハンナは、ルネリーゼを連れて公爵家に戻った。治安はまだ心配だそうだが、クレイグの手も空いたので戻る決心がついた、とか。
(そうだ。ルネリーゼには、ちゃんとした後見人を付けてあげないと)
公爵が国家反逆罪で捕まり、母たる第一夫人は死に、長兄は未だ昏睡状態。次兄は家のことでてんてこ舞いで、そこまで手が回らないだろう。
紙面の文字を目で追いながら、深く考えに沈む。
(どこかの貴族に嫁いだ異母姉に頼もうか。でも、たぶん今回のことで、相当な迷惑を被っているだろうし……)
第一夫人の子は四人だ。パウロより五つ年上の長女がいる。
彼女は、性格のきつい母や弟たちに比べて、格段に静かで大人しく……影が薄かった。四年ほど前に縁談のあった貴族の妻となり、今は公爵家とは関係ない家に入っている。
よく思い返してみても、加害してくるわけでもなく母たちを諌めるでもなく、ひたすら俯いて端のほうにいた女性、という記憶しかない。
まだ四つのルネリーゼが、他者から「〝依代〟の血縁」という価値を見出されていた。――子を産める年齢の異母姉への期待と重圧は、いかばかりか。
「……今度ご挨拶に行っても良いかな……」
「あの」
「うわあっ!?」
突然掛けられた声に、テオドアは驚いて仰け反った。
手元の紙束はなんとか撒き散らさずに済んだが、思考が急に引き戻されたせいで、少し混乱が残っている。
テオドアは、戸惑って、目の前に立つ女性を見上げた。
「えっと、すみません。あたし、何度かお呼びしたつもりだったんですけど、聞こえてませんでしたよね。驚かせるつもりはなかったんです」
公爵家の使用人服に身を包んだハンナは、ちょっと落ち込んだ様子でそう言った。
やっと我に返ったテオドアは、慌てて首を振る。
「い、いえ、その。誰もいないと思い込んでいたので……油断していました。公爵家の屋敷に戻っていたのでは?」
「戻ってました。でも、ルリネさんに言いたいことがあって、入らせてもらったんです」
「そう、なんですか」
彼女は、ルリネ――『光の女神』の偽名だ――を捜しているのか、きょろきょろと辺りを見渡した。
「テオドアさまの近くになら、いらっしゃると思ったんですけど」
「そんなにいつも一緒にはいませんよ。あの方にだって予定がありますから」
「いえ、いつも一緒ですよ。あたし、見ただけで分かりますもん」
ハンナはなぜか、腕を上げ、力強く拳を握り締める。そのまま堂々と言い切った。
「あの精霊さんは、あたしの好敵手です! 女の勘は鋭いんですから! 『憎からず思っていると本人は思い込んでいて、でも実際はベタ惚れ』とか、分かりやす過ぎます!」
「べ、ベタ惚れ……?」
「あ、テオドアさまは分からなくて大丈夫です。むしろ分からないでください。忘れてください」
「う、うん……」
なんだかよく分からないが、彼女の強い圧に気押されて、テオドアは引き気味に頷いた。
ハンナは照れたように笑い、腕を下ろす。
「……あたし、けっこう惚れっぽかったんです。クレイグの言うとおり、顔がかっこいいとかの理由で、色んな人に憧れました。でも……」
そこで言葉を切り、俯き加減になる。心なしか、頬が赤く染まっていた。
「覚えてはないと思うんですけど。テオドアさまがあの街で、クレイグのいる家具屋で働く前。あたし、あなたをお見掛けしてるんです」
「え?」
「ほら、赤い髪って、目立つから。クレイグの働く店に行ったとき、あなたにお会いして……すぐに、お見掛けしていたあの人だって、分かりました」
テオドアは、すぐに記憶を掘り返した。が、ハンナの言うとおり。彼女らしき人を、街中で見掛けた記憶がない。
しばらく考えたが、やはり覚えていない。若干、申し訳ない気持ちになりつつ、「すみません」と謝ることしかできなかった。
しかし、ハンナは顔を上げ、むしろ嬉しそうに笑った。
「大丈夫です。ホントに一方的だったので。それに、そのほうが頑張りがいがあります!」
だからあたしは、ルリネさんに〝宣戦布告〟しに来たんですよ!
――どっちが早く振り向かせられるか、って。
「だから、テオドアさまも覚悟しててくださいね!」
彼女は、とびっきりの笑顔で高らかに宣言してから、一転して膝を折り、うやうやしく挨拶をする。
「お邪魔しました、テオドアさま。ルリネさんがお戻りになったら、また立ち寄らせていただきます」
「うん……分かりました……」
「じゃあ、失礼します」
と言って、ハンナは応接間を後にした。
……いきなり現れて、嵐のごとく去っていった。
テオドアは、ただただ呆気に取られたまま、ハンナの消えた扉を見つめていた。




