69.嵐の前の静けさと「死」
なぜ、公爵が王弟たちを殺すことを、確信しているか。
どうも、公爵の理想の世界に、彼らが必要ないようだからだ。
本当に第一夫人たちを愛していたのなら。女神たちの創った『楽園』に、彼らも連れてきたはずである。
「テオドアの母を誘拐」などとまどろっこしいことをせず、テオドアたちに事情を説明して協力を求めるだけで良かったはずだ。
労力に対して、割に合わない。
加えて、「テオドアとパウロの魂を交換する」という作戦自体も――
「リュカは、公爵のこと、どう思ってるの?」
異母兄であるツィロから情報を引き出し、テオドアも「ツィロの今後と安定」を約束して、王弟の屋敷を出た。
使用人を説き伏せて馬車を用意させ、リュカとともに揺られている。
ああ、この屋敷では、〝依代〟の評判がとんでもないことになるだろうな……と頭の片隅で思ったが、どうにもならないことだ。
「オレっすか? いやあ、まあ……」
「たぶんだけど、ずっと前からの知り合いだよね? 僕が公爵に似ているって、知ってたみたいだし」
あの運命の『選定の儀式』に、テオドアが向かうことになったのも。そもそも、このリュカの勧めである。
うっかり公爵との面識を匂わせていたのも、あのときだった。
リュカは、複雑そうな顔で頭を掻き、「まあ、そうです」と認めた。
「オレ、長生きなんで、ヴィンテリオ公爵家とちょっとした縁があるんですよ。で、人間なのにとんでもないヤツが生まれたって聞いて、その……話し相手になってました」
「それは、今の公爵のこと?」
「です。そのときはまだ、爵位も無いですけど。歩けもしない赤ん坊を、神童だ神童だって持ち上げんのも教育にどうかと思って、それなら、オレが話し相手になって軌道修正してやろうって」
適当な身分をでっち上げて、貴族として公爵家に忍び込みましたね。
と、リュカは続ける。
「アイツ、マジで可愛げないんすよ。人間の赤ん坊ってこう、庇護欲をそそる感じじゃないすか。無いですホントに。無です。魔法でゆりかごの外のこと全部一人でこなして、本人は無表情で虚空をじーっと眺めてんすよ。恐怖ですよ」
「赤ん坊で、もうそこまで自立してたの?」
「自発的な自立ってよりか、世話をしてくれる大人のすることを覚えたって感じですかね。自分でやったほうが早かったんじゃないですか」
リュカは、ひとりでに飛んでやってくる毛布やおもちゃ、粗相をしたらすぐに取り替えられるおしめ、時刻になると引っ張られてくる乳母などの様子をひとしきり語ったあと、ぽつりと言った。
「……アイツが、何かを欲しがるなんて、初めてだったんです。だから……」
「なにを欲しがったの?」
テオドアが問うと、目の前の彼は、珍しく言いにくそうに唇を噛み、視線を落とした。
「坊ちゃんのお母さまが……普通だと子どもを望めない身体なの、ご存知ですか」
「うん。この前、母さんの口から聞いた」
「……オレがこうして坊ちゃんに協力するのは、ある意味で罪滅ぼしです。オレがいなければ、なにも始まらなかった」
「えっと、話が見えないんだけど」
要領を得ない返答に、テオドアは戸惑いながら、リュカのほうへ身を乗り出した。
リュカは――覚悟を決めたように、まっすぐテオドアに顔を向けた。
「昔話を聞いてください。――――」
その、「昔話」を聞いて。
テオドアの気持ちは、ついに固まった。
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王城前に止まった馬車は、城の門番兵たちによって訝しげに迎えられた。
しかし、中からテオドアが勢いよく飛び出すと、門番兵は慌てふためいた様子だった。
テオドアは、兵たちの反応を無視し、馬車の御者に駆け寄って言う。
「このまま、屋敷に帰ってください。急いで」
「え? あ、その――」
御者もおろおろと台を降りかけたが、それを押し留め、テオドアは重ねて言った。
「急いで王弟の屋敷に戻ってください。帰りの手段も心配ありません。僕の使用人を乗せていくのが嫌だと言うなら、相応の値段をお支払いします」
「い、いや、えっと、〝依代〟さま――」
「早く。言うことを聞いて」
戸惑っていた御者も、気圧されたかのように何度も頷き、急いで馬に鞭打った。
引き返していく馬車を見送りもせず、テオドアは振り返って城門に向かう。
それを制そうとしたのは、様子を見守っていた兵士たちだった。
「よ、〝依代〟さま! 御用向きを!」
「必要ありません。通してください」
「いけません! 国王急病の折、〝依代〟さまに病をおうつししてはいけないと避難なされたはず! まだ原因も不明なときに、お戻りになっては――」
「大丈夫です。うつりません。では」
門番兵を振り切り、テオドアは開いていない門を一人で押し開けた。
少し重かったが、『身体強化の魔法』は偉大である。
一心不乱に城内を駆け抜け、驚く使用人たちに目線もくれないまま中庭へ。テオドアの滞在していた「〝依代〟専用」の建物を過ぎ――
辿り着いたのは、王宮内に建てられた、神殿だった。
外界の神殿に比べて、装飾も一段と豪華である。大きさ自体は小さいが、建材にはさまざまな色が塗られ、金も銀もふんだんに使われているようだ。
しかし、今は、外観などどうでもいい。
テオドアは勢いのまま、神殿の中に駆け込んだ。
眩いほど豪華で繊細な造りをした、神殿の内部に――彼らは、いた。
「……どうしてお前がここにいる」
奥の祭壇前に佇む、二つの影。言うまでもなく、公爵家第一夫人・ローゼルと、その長男・パウロベルトだ。
パウロは、振り返ってテオドアを見るなり、嫌そうに顔をしかめた。
テオドアは淡々と答えた。
「さあ。僕にも分かりません」
「質問に答えろ。どうしてここにいるんだと聞いている」
「はは、どうして貴方の命令に答える必要が? 僕のほうが身分が高いのに」
「ッ……キサマ……!」
少し煽っただけで、パウロは見る間に血を上らせる。
こうやって怒りっぽいのもいつも通りだなあ、と思いつつ。やはり彼に対して、怒りも悔しさも感じなかった。
それは、隣の第一夫人に関しても、同じことである。
「貴方もそうなのね――実力もないくせに、運だけで生きている愚か者。本当に、母親にそっくりだわ」
「そうなんですね。まあ、運も僕の力ですし、誰かを虐げて悦に浸るだけの無生産な第一夫人よりマシかと」
「お黙りなさい! おぞましい、穢れた売女の子が!」
美しい顔が憎しみに歪み、醜悪なまでの毒を吐き捨てた。
けれど、テオドアの心は凪いでいる。決して赦したわけではない。
むしろ、これは、嵐の前の静けさであるのだと。そして、彼女たちの末路がどうなるのかを知っているからだと。
テオドアは、冷静に自分の感情を分析した。
「……いちおう、どうしてこんなことに手を貸したのか、は聞いておきます」
「そんなこと、決まっている。俺こそが、真に〝依代〟にふさわしい存在だからだ!」
パウロは宣言した。
胸を張り、腕を広げ、いかにも自信ありげな態度で。
そんな息子を、第一夫人も誇らしげに眺める。
「お前のように愚図でノロマで愚かな者よりも、俺の方が! 魔法の扱いも秀でているし、魔力もある! お前など、どうせ『魔力が発現した』と言うのも嘘だろう。クソな女神に媚びを売ったに決まっている」
「そうよ。売女の胎からは相応の人間しか生まれないのです。高貴な血こそ、当代の〝依代〟にふさわしい!」
「へえ、そうなんですか」
対するテオドアの声は――自分でも充分自覚できたが――平坦なままだった。表情も白けている自信がある。
その態度が気に入らなかったのか、ぎゃんぎゃんと吠え立てる二人に、テオドアはすっと右手を挙げた。
「たぶん、公爵とここで待ち合わせているんでしょうけど。早く逃げたほうがいいですよ」
「はあ? なにをふざけたことを!」
パウロが叫び、次いで何か言おうと息を吸う。
――その息は、血とともに吐き出された。
「が、――は、ぇ……?」
薄暗い神殿でも分かる。パウロの左胸から、剣の切先が生えていた。
いや、背後から胸を刺し貫かれたのだ。
すぐにあっさりと引き抜かれ、パウロはおびただしい血を流しながら、穴の空いた胸を呆然と見下ろした。
そうして、ぐらりと体勢を崩し、転がるように倒れ込む。
「いやああああああああっ!! パウロ! パウロぉ!!」
第一夫人が悲鳴を上げて、息子の身体にしがみつく。遠くからでも分かるが、彼はもう息をしていなかった。
半狂乱になった第一夫人の絶叫も、あっさり途切れる。
彼女の首は宙を舞い、周囲に鮮血を飛び散らしつつ、祭壇の下へ音を立てて落ちた。
テオドアはその光景を、なにもせずに眺めていた。
「――本当は二人とも首を落としたかったんだがな、仕方ない」
今しがた二人を殺した男は、死体を見ながら淡々と言った。
そこに、妻への情も、息子への愛も、なにもない。微塵も感じられない。
ただ――壊れた無機物を見下ろすような、そんな様子だった。
「待たせたな、テオドアくん。最後の仕上げをするぞ」
「……公爵」
血の滴る剣を片手に、ヴィンテリオ公爵はゆっくりと、祭壇を降りてきた。




