66.細く繋がった希望を掴む
床に尻もちをついたテオドアは、突然乱入してきた「ハンナ」を見上げた。
テオドアが公爵家で爪弾きにされていたころ、最後に働いていた職場の同僚の、双子の姉。奇妙な縁から、今は異母妹の子守りになっている少女。
外見は完璧にそうだ。公爵家の女性使用人がまとう制服も着ている。
――だが、ひと目見ただけで、何かが違うと分かった。
「あ、貴方はいったい?」
場違いを自覚しつつ、戸惑いながら問いかける。
すると、未だに槍を挟んで女神と睨み合っていた「彼女」は、あっさりとこちらを向いた。
「あ、この格好じゃ分かるもんも分からないすよね。坊ちゃんとこの下働きしてます、リュカです」
「リュカ……?」
「非力でなんも取り柄のない少年が、実はとんでもない力を隠し持ってたとか、あるあるでしょ。いえーい、オレこういうの得意なんすよね〜」
女神の槍の柄を握っているのにも関わらず、この余裕ぶり。対する女神・ティアディケのほうは、槍を引こうとしても引けずに、わずかに目を見開いている。
非力でなにも取り柄がない少年――と言うには、いささか物分かりが良すぎて賢すぎる印象があったが、言うのは野暮だろう。
「汝は何者だ?」
「ええ? 今はどうでも良いでしょ、そんなこと。肝心なのは――どっちが坊ちゃんを持ってくかです!」
と言うなり、ハンナの姿をしたリュカは、槍柄をためらいなく掴み直すと、思い切り横薙ぎに振り切った。
ハンナより体格が優れているはずの女神が、いとも容易く振り回され、後方に吹っ飛んで壁に当たる。
轟音が響いた。
「やっべ。今の、流石に他の女神にも気付かれますよね」
リュカは「やっちまった」と言わんばかりに顔を歪めた。本物のハンナが、滅多にしなさそうな表情である。
「こうなったら強行突破っす! 行きますよ!」
「え、え? ちょ、ちょっと待」
「マジでヤバいんで説明とかあとでします! じゃ!」
ティアディケがふらふらと起き上がる、その隙を突いて。
リュカはテオドアの腕を掴み、素早く魔法陣を宙に描いたかと思うと、その中へ飛び込んだ。
当然、腕を掴まれているので、テオドアも引きずられて入る。
背後からティアディケの叫び声が聞こえた気がしたが、それを聞き終わる前に――
テオドアたちの体は、どこかの空の上に投げ出されていた。
「――ぇええええええええっ!!?」
下を見ても、雲の向こうにうっすらと木々の緑が見える程度である。ずいぶんと高いところへ出てしまったようだ。――なにせ、落下もしている。
落下?
それってすごく、まずい状況なのでは?
「お、落ちてるけど大丈夫!?」
「大丈夫です! 迎え呼んどいたんで!」
「迎え――ッ!?」
ぐんぐんと落ちていく。リュカに掴まれた腕も、落ちる勢いのせいで、引き千切れんばかりである。
だが、ついに森の木々が一本一本判別できるくらい近づいたとき。
突如として、二人の下に滑り込むものがいた。
「!」
その広い背に、テオドアは頭から突っ込んだ。
口に羽毛が入ってしまった。急いで吐き出して、起き上がる。
覚えのある柔らかさだった。
「よーし。坊ちゃんの奥方、ホント優秀っすね。ピッタリ到着してくれるんですもん」
「いや、僕に奥さんは……奥、さん?」
テオドアの妻。周囲からそんな扱いをされる者は、一人――いや、一羽しか知らない。
テオドアは、恐る恐る、前方を窺った。
怪鳥ネフェクシオスが、飛びながら、首を曲げてこちらを振り返った。
「いやー、ホント、危機一髪でしたね! あのままだと、『戦と正義』に殺されてましたよ! 坊ちゃんは無事でしょうけど」
怪鳥の背に掴まりながら、リュカは――もう少年の姿に戻っている――楽しげに笑いながら言った。
ネフェクシオスは、もう前方を向いて、悠々と羽ばたいている。
「オレが反撃できたのだって、不意を突いたからです。実力は比べものになりません」
「えっと……」
どこから聞いたら良いのやら。
疑問がありすぎて悩むテオドアに、リュカはすっと表情を引き締めた。
「たぶん、聞きたいこといっぱいあると思います。取りあえず事情だけ説明させてください」
曰く――
リュカは、テオドアが〝依代〟に選ばれた時から、こうなることを予見していたのだという。
「予見ってか、〝予言〟すね。オレの腐れ縁に、クソ真面目なくせにすっげえ間が悪くて予言しかできないヤツがいるんすけど」
「予言ができるだけですごい人だよ?」
「ソイツが、まあ過去にやらかしたことがいくつかあって、オレに頭が上がんないんですよ。で、今回も、坊ちゃんに関すること予言しろって脅……頼んだら、快く引き受けてくれました」
若干、不穏な物言いだが、気にしていては始まらない。
テオドアは、頷いて先を促した。
「で、『前世の因果のせいで三人の女神に攫われる』って言うんで、密かに調べてました。あ、クレイグでしたっけ? 坊ちゃんの元同僚。その人にも手伝ってもらいました」
――あの双子くらいしか、協力してくれそうだけど適度に部外者、って人、いなかったんですよねえ。
そう言って、リュカは疲れたように溜め息をつく。どうやら、彼が、クレイグとハンナの双子を公爵家に誘ったらしい。
それも、テオドアの因縁について調査協力をさせるために。
あとで、二人にきちんと謝ろう。諸々のことを含めて。
テオドアはそっと決意した。
「で、調べてったら、坊ちゃんを攫うっていう女神があの三人で、過去に死んだ男のためにめちゃくちゃやってるって話じゃないですか。これ攫わせたら坊ちゃんの命が危ないんで、対策している間、保険であの花を持っててもらったんすけど……」
リュカの予想よりはるかに早く、女神たちは動いた。
『始めの儀式』より以前にテオドアを攫うことで、そもそも〝依代〟の地位を剥奪しようとしたのである。
あちらにも協力者がおり、三女神が作った異世界を追跡するのに、相当の苦労をしたのだという。
「でも、あの花のこと、調べてくれてて助かりました。あれが最後の手段だったもんで。あの花に仕掛けてた魔法が発動した気配を手繰って、なんとか坊ちゃんとこまで辿り着けましたから」
「えっ? 僕は、魔法は失敗したと思ってたけど……」
「そうなんですか?」
首を傾げたリュカに、テオドアは一部始終を話した。
〝誓いのゆりかご〟の別の逸話を見つけたこと。逸話に則るなら、花を用いて発動できるのは「神を呼び寄せる」魔法だと思ったこと。そのままだと使えないため、魔法を改良できないかと思って、試したこと――などを。
「あー、なるほど。それ、めちゃくちゃ危ないとこでしたね」
リュカは、笑って言った。
「魔法を改良するのって、すげえ難しいんですよ。オレの想定だったら、あの花の逸話通りに、呪文唱えてくれるだけで良かったんです」
それはつまり。
テオドアは、余計なことをやった、ということだ。
恥入り、今にも消え入りたい心地になったテオドアに、リュカは慌てて補足した。
「でもですよ。裏を返せば、魔法自体は発動してたんです。最後の最後に、なにかが引っ掛かって、効果が現れなかったってことになります」
「……うん」
「坊ちゃんは、魔法ができないって、自分でそう思い込んでますけど。それこそ間違いなんじゃないすか? 思い込みが邪魔してるせいで、使える魔法に制限が掛かってるんじゃないですかね」
「うん……そうかもしれない。励ましてくれてありがとう」
「いやその口振り、絶対信じてないじゃないすか」
信じてはいる。が、今すぐに証明できることでもない。
テオドアは、仕切り直すように問いかけた。
「それで、肝心なところを聞かせてくれるかな。リュカ、君って何者なの?」
「あー……それは……」
彼は露骨に口籠もり、大袈裟に目を逸らす。わざとやっているのかと思ったが、判別はつかなかった。
「ま、い、良いじゃないすか! ちょっと謎めいてるほうが神秘的って言うか!」
「うーん。長生き……ではあるよね?」
「そうすよ、人間よりは長生きっす」
「人間じゃないのか。じゃあ、変身ができるのも納得だね。でも、どうしてハンナに変身してたの?」
「そりゃあ、あの異世界に入り込むためですよ。オレ、なんにでも変身できますから。許可のないヤツが立ち入るのは難しいんで、世界の壁を突破するとき誤魔化せるように、あの三人と同じように坊ちゃんを好――あ、ちまちま情報を引き出そうったってそうはいきませんからね!!」
「わりとペラペラ喋ってくれたね……」
リュカは、わざとらしく咳払いをして言った。
「とにかく! 事態は一刻を争います。あの女神たちが追ってくる前に、決着を着けなきゃいけません。分かってるでしょ?」
「……」
決着をつける。
その言葉が指すのは、王弟・フィラットや第一夫人たちとの対決――だけではないことを、テオドアはなんとなく悟った。
まだ、そうかもしれない、という段階だが。今まで集めた情報で、答えは導ける。
本当に対峙するべき相手は、別にいるのだろう。
「まあ、その前に、坊ちゃんは別のこと心配したほうが良いと思いますけど」
「ん?」
「『光の女神』とか、ハンナとか――今ここにいる奥方とか。めっちゃ怒ってたんで、覚悟しといてくださいね」
「……え?」




