其の十一 公然の秘密
本日も閲覧ありがとうございまず。
小さな伏線回収があります。
わたしは、買いもの帰りに、飲泉場にも顔を出した。
あの一件以来、飲泉師のサーラとはすっかり仲良くなった。他の飲泉師の娘たちも紹介してもらい、「ヴァーシルの嫁のリオーナ」を知ってもらった。これで、一人で路地を歩いても大丈夫だろう。
今日は、買いもののついでに、ドライフルーツのシロップ煮を詰めたパンを手に入れてきた。立ち仕事に疲れた娘たちには甘い物が喜ばれる。
扉を押して飲泉場に入っていくと、師長やサーラのほかに、ここで働き出して間もないリヴシェとタマラがいた。まだ、二人とも正式な飲泉師ではなく、飲泉師見習いとしてここで働いているそうだ。
真っ先にわたしを見つけて声をかけてきたのはタマラだった。
「リオーナ! こんにちは! 今日も飲泉ですか?」
「今日は、ちょっと甘い物を差し入れに来ました。今、忙しいですか?」
「ええっ?! 甘い物の差し入れですか? 何かしら?」
差し入れと聞いて、リヴシェやサーラも寄ってきた。ちょっとお行儀が心配な娘たちを、困ったような笑顔で見つめながら、師長が答えてくれた。
「今は、大丈夫ですよ。最近よく通ってきていた石工さんたちが、今日から仕事が始まるとかで、昼間は来られなくなりましたから。ちょうど、こちらも休憩する頃合いです」
わたしは、師長にパンをわたし、みんなに配ってもらった。
リヴシェとタマラは、顔中に粉砂糖をつけながら、夢中でパンを頬張っていた。サーラは、端から小さくちぎりながら、やけに上品に食べている。シロップ煮の部分を上手に残して、最後に一口で食べるつもりらしい。そのサーラが、パンをちぎる手を止めて言った。
「いよいよ、洞窟温泉の掘り直しが始まるらしいよ。それで、閉めてあった『太った穴熊亭』を開けて、石工たちの休憩所にするんだって。今日は、川向こうへ渡りやすいように、丸木橋を作るって言ってた」
「でも、洞窟温泉は危ないのでしょう? 掘り直しなんて本当にできるのでしょうか? 少し上の崖が崩れたことがあるって、お義母さんも言っていました」
「今年も秋に大雨があって、洞窟温泉が川に沈みかけた日があったんだ。崖にも水が染みているかもね。石工を集めたのはラトゥリらしいけれど、あの人も外から来た人だから、よくわかってないんじゃない?」
「石工さんたちが、詳しいことを知らされずに働いているとしたら心配です」
「事故でもあったら、リーシェレーバン温泉全体の評判に関わるわ。湯治客が減るようになったら、あたしたちだって困るの!」
サーラの言葉に、手で口元を拭きながら、リヴシェやタマラがうなずいていた。師長も、小さなため息をついた。この町に住む人々は、みな何かしら温泉の恩恵を受けて暮らしているのだ。温泉が衰退したら、暮らしていけなくなる者だって出てくる。わたしは、みんなを元気づけるように言った、
「ルジェクを通して、自警団には、洞窟温泉の近くの見回りや石工さんへの声かけを頼んであります。危険なことが起きそうなら、彼らがきっと作業を止めてくれますよ。彼らの働きを信じましょう」
ルジェクの名前を出した途端に、四人は顔を見合わせクスリと笑い、一斉にわたしの方を見た。えっ? 師長まで笑っているって、どういうこと? サーラが、ひどく楽しそうな顔で言った。
「ねぇ、リオーナ。本当のことを教えてよ。あなた、本当はヴァーシルの奥さんじゃないんでしょう? なかなか戻ってこないヴァーシルを待っているレニタのために、ルジェクがあなたとヤンを雇って、王都から来てもらったんじゃないかって、わたしたちは噂しているの。
ルジェクは、前のご領主様のご用で、年に2,3回、王都に出向くことがあるから。そのときに、あなたたちを見つけて、ヴァーシルの嫁とその弟の役を頼んだんじゃないかって。
それならば、ルジェクが、やけにあなたに関わりたがるのもわかるわねって、言っているんだけど」
そんな噂まで囁かれているのか? 確かに、いっこうにヴァーシルが戻って来ない状況で、様々な憶測が流れるのは致し方ないことだ。若女将たち以上にヴァーシルへの関心が高いだけに、ここでは、どんどん妄想が膨らんでいる。それより、ルジェクが、前のご領主様のご用で王都に行くとは、どういうことだ? 町の自警団の副団長が、そんな重要な役目を仰せつかるものだろうか?
「まさか、そんなこと……、考えすぎですよ! それより、ルジェクは、前のご領主様と、その、何か特別な繋がりがあるのでしょうか?」
「えっ? 聞いてないの?! ルジェクはともかく、レニタもあなたに話していないの? この町で暮らしていくなら、知っていなくちゃいけない大事なことなのに……」
「ああ、その、大事なこと……って?」
「これは、公然の秘密ってやつなんだけどね、ルジェクは、前のご領主様、エリアーシュ・イーシェナーブ様と温泉医師の間にできた子どもなの! 否定しようがないわよね、エリアーシュ様にそっくりなんだから」
「……」
前のイーシェナーブ侯爵――、エリアーシュ・イーシェナーブ! ようやく思い出した。赤みを帯びた麦藁色の髪、栗色の瞳の人物を。現国王陛下が、王太子だった頃からの年の近い守り役だ。つねに陛下の身近に仕え、体を張って暗殺者から守ってきたという。国王陛下の腹心の一人だったが、5年ほど前に奥方を亡くされた後、息子に爵位を譲ったはずだ。
あの頃、もったいないが仕方がない、と父上が言っていた。前の侯爵は、刀で刺されたり、矢で射られたり、毒を盛られたりして、「いくら故郷の温泉で癒やしても、もう体はぼろぼろなのだ」と、気が置けない相手には話していたらしい。ルジェクがその息子だったとは……。
「ごめん。これ以上の詳しい話は、ルジェク本人から聞いて! ルジェクが聞かせたくないことまで話したらまずいから。じゃ、今日はごちそうさま!」
サーラは、わたしを追い立てるように扉を開けた。わたしは、挨拶も忘れて飲泉場をあとにした。
たしか、今の侯爵は、エリアーシュ殿の長男で、その下には娘が二人いたはずだ。二人とも、すでにそれぞれ侯爵家に縁づいていて、子どももいたと思う。
おそらく、ルジェクは、今の侯爵の異母弟ということになるのだろう。
貴族の家にとって、庶子の男子は扱いにくい存在だ。女子なら、政略結婚の駒として使える。しかし、男子の場合は、後継者争いの火種となったり、母親への冷遇から父親を恨んだりして、家に悲劇をもたらすことも少なくない。
ルジェクの場合は、どうなのだろう? 自警団の仲間から慕われ、町の人たちからも愛されているが、侯爵家とはうまくいっているのだろうか?
サーラが言う通り、これ以上は推測混じりで話す他人から聞いていい話ではない。ルジェクに直接聞くしかないだろう。ルジェクが話したくないと言えば、それでもいい。わたしは、所詮レニタに雇われた偽の若女将なのだから。それ以上、ルジェクのことを詮索できる立場でもない。
むしろ気になるのは、ルジェクがたびたび王都に出かけていたということだ。王都に行ったら、当然友人であるヴァーシルにも会っていただろう。ということは――。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ようやく80部分、25万文字まできました。
予定のちょうど半分当たりでしょうか。
折り返したら、後はゴールを目指すだけです。




