其の十 済んだことは済んだこと
休日ですのに閲覧ありがとうございます。
本日は少し長めです。
お楽しみいただければ幸いです。
地方から王都にやって来た若者は、煌びやかな王都の社交場には、気後れしてなかなか足を踏み入れられないものだ。でも、上品で清純な「聖女様」と出会えるという触れ込みの「聖女居酒屋」(本当に存在したのね!)なら、たぶん一人でも臆せずに入っていけたのだろう。最初は、職場の仲間にでも、誘われたのかもしれないけれど。
「聖女様」は、通い続ければ、顔を見せたり、手を触れたりしてくれるようになるのだろう。内緒でチップを渡したり、贈り物を届けたりするうちに、店の外でも会ってくれるようになるわけだ。
貴族の間でも、よく聞く話だ。社交場で知り合った美女に入れあげて、破滅してしまった男の話。
母親に便りも寄越さなくなったヴァーシルは、今、どこでどうしているのだろう?
「昨日、あんたを初めて見たとき、一瞬だけど本当にリオーナが来てくれたんだと思ったんだよ。
だって、あんたは、ヴァーシルの手紙を読んで、わたしが勝手に想像していたリオーナそのものだったんだもの。すらりと背が高くて、丈夫そうな体つきで、澄んだ大きな目をしていて、ちょっと品があってさ。フフフ……。
ときどき拝礼している秋の神殿の稔り神様が、ようやくわたしの願いを叶えてくださったんだなあって……喜んじゃった。すぐに、そんなことあるわけないって、思い直したけどね。アハハ……」
わたしは、隣に座るレニタにすり寄り、その肩にそっと頭を載せた。そして、小さな声で言った。
「ここにいる間は、わたしは、ヴァーシルの嫁のリオーナですよ。夢でも幻でもなくてね。お義母さんが、そう思っていたい間は、ずっと……」
「リオーナ……」
それからしばらくの間、わたしたちは黙って寄り添い浴槽の中に座っていた。温泉は、わたしたちを柔らかに包み、ひんやりとした寂しさを抱えていた胸の奥まで温めてくれた。
店で待っていたギーが、心配そうに湯殿をのぞきに来て、「のぼせたの?」ときいてくるまで、二人だけの幸福な時間は続いた。
それからの2週間ほどは、ややのんびりとした若女将修業の日々が続いた。
洗濯の折に、向こう岸の洞窟温泉を観察していたが、流れの穏やかなところを通り、石工たちが行き来する様子が見られた。やはり、掘り直しが始まるようだ。いつの間にか、入り口を封じていた板戸も片づけられていた。
エスカベッシュの作り方を広めたことがきっかけで、宿屋の若女将たちが「小さな翡翠亭」を頻繁に訪ねてくれるようになった。わたしは、様々な料理を提案し、彼女たちに作り方を教えた。
狩猟は、広大な領地を持つ貴族の楽しみだ。しかし、リーシェレーバン周辺の森だけは、マイサの兄のような領主専属の猟師が何人かいて、森や生き物の管理をしながら自ら狩りをすることが許されている。
わたしは、マイサの兄から下処理した肉を分けてもらい、領地の屋敷でよく食べていた、野ウサギのクリーム煮やカモのソテーのキトゥルスソースなどで若女将たちをもてなした。
これも貴族以外の者でも狩猟が可能なリーシェレーバンだからこそ出せる料理で、冬の温泉街の名物になるはずだ。山で採れる栗やきのこも、肉料理の言い添え物になるだろう。
「ねぇ、リオーナは、どうしてこういう高級な料理を知っているの?」
「あなたが、これだけ料理上手なら、ヴァーシルはもう料理の修業をしなくてもいいんじゃないの?」
「そうよ、さっさと帰ってこないと、ルジェクが……」
「シーッ!!!」
レニタが席を外していると、決まって会話はこういう流れになった。わたしには、話せることは何もないので、にっこり笑ってごまかしておく。ルジェクとは、近づき過ぎないようにしているつもりだが、どうして、こんな風に思われているのだろう? わたしの方が質問したいくらいだ。
その理由は、ある日の昼下がり、久しぶりに自警団を訪ねてわかった。
レニタに頼まれて、燻製用のチップや豆類を注文しにいくついでに、焼き栗を持って自警団に立ち寄った。詰め所には、留守番役のイルジーしかいなかった。
「やあ、リオーナ! 久しぶり! ああっと、副団長は……その、ルジェクはちょっと野暮用で、今、留守なんだけど……」
「ルジェクに用があってきたわけじゃありません。ルジェクには、『小さな翡翠亭』で、毎日のように会っていますから。焼き栗をたくさん作ったので、買いもののついでにお裾分けに来たのです。どうぞ!」
「おう、ありがとう! 焼きたてだね、旨そう!」
わたしが、紙に包んだ焼き栗を渡すと、イルジーは、受け取りながら、おやっという顔をした。
「ねぇ、リオーナ、なんかいい香りがするんだけど、香水とかつけてる?」
「香水? そんな高級な物は持っていませんよ。服に移ったサシェの香りかもしれません。気になりますか?」
「いや、そうじゃなくて。ああ、いや、そういうことだったのか……フフフッ」
な、何? このちょっと意味ありげな笑いは。イルジーは、何を言いたいの?
旅暮らしでは、風呂に入れる機会はあまりない。せめて、サシェで衣服に香りをつけて、人に不快な思いをさせないようにしているのだ。それは、そんなに特別なことではないはずだが――。
「ルジェクは、ここの2階に住んでいるんだ。この前、夜回りの担当の日に、部屋に起こしに行ったんだよ。そうしたら、すごく気持ちよさそうに寝ていて、枕元にはサシェが置いてあったんだ。
あれって、リオーナからのプレゼントだったんだね? リオーナとおんなじ香りがしてた」
「プ、プレゼントなんかじゃありません。そ、それは、洗濯してあげたとき、うっかりして……」
「えっ? 洗濯? してあげたの? やっぱり、そうだったのかあ!」
うわっ、余計なことまで言ってしまった! 今、思い出した! 洗濯したルジェクの作業着をたたんだあと、サシェを一つ挟んでおいたのだっけ――。
サシェを取り出さないで、ルジェクに返してしまっていたのか……。プレゼント? 誤解です!
ルジェクもルジェクだ。言ってくれればいいのに。あれから、もうずいぶん立つのに、そんなこと一言も言わないし――。
「まあ、いいさ。サシェがルジェクのところにある理由なんて――。とにかく、ルジェクは、あれをとても大切にしているよ。たぶん、今は自分の衣装箱に入れているんじゃないかな? いろいろな服にリオーナの香りが移るように。フフフ……、罪作りなプレゼントをしましたね、奥さん!」
「……」
「大丈夫だよ。俺は口が堅いから、いろいろな人に話したりしないよ。ただ、姉ちゃんにきかれると、つい口が滑っちゃうんだけどね」
「お姉さん?」
「うん。『双子の小熊亭』の若女将のボジェナ。俺の姉ちゃん!」
「……」
ここにいたのか! 若女将たちの情報源! いったい、どんな話をやりとりしているのだろう?
「リオーナは王都生まれだから、洒落た料理をいろいろ知っているんだってね? 姉ちゃんが、感心していたよ。ここで手に入る材料で、簡単に美味しそうなものを作れちゃう人なのよって。
ルジェクもさあ、前は「小さな翡翠亭」の湯殿での仕事が終わると、そのまま自警団に帰ってきて、おれたちと食堂に行くことが多かったんだ。でも、リオーナが来てからは、必ず店で食べてから帰ってくるようになったもんね。ありゃ、胃袋掴まれちゃったのかなぁって、みんな噂してる……」
「今、宿屋がとても混んでいて、帰りがいつも遅くなってしまうので――」
「いいの、いいの。ルジェクが幸せだと、俺たちも幸せだから! また、来てよね。できたら、『小さな翡翠亭』の料理もお裾分けしてくれると嬉しいな!」
「ああ、それは、もちろん。次に来るときは、用意してきます」
「ありがとう! そろそろ、ヴィレムと交替の時刻だ。じゃあね、リオーナ。気をつけて買いものに行っておいで」
「では、また」
見回りから戻って来たヴィレムと入れ替わるかたちで、わたしは番所をあとにした。
イルジーはきっと、サシェの話をポジェナにするに違いない。次に会ったとき、ポジェナはわたしを捕まえて、くんくんにおいを嗅ぐだろう……。そして、きっとそのうちルジェクのことも捕まえて……。
もう、考えてみてもしょうがない! 済んだことは済んだこと、なのだから!
最後までお読みいただきありがとうございました。
それでは、すてきな休日を!




