42 影に潜む者 9
女が手先へ向き直る。
「星灯りの宿で少し躓いたからって、もう動きが鈍いのは困るのよ」
手先はびくっと肩を揺らした。
女は続ける。
「一人捕まったくらいで動きが鈍るなんて、笑えないわ。おまえたちの失敗なんだから、おまえたちで片付けなさい」
その言葉に、りんの胸の奥がぞわっとした。
仲間が捕まっても、それはただの失敗。
切り捨てるだけ。
ネネが小さく息を吐く。
「……本当に、そういう女ですね」
蓮の目が細くなる。
「十分だ」
その瞬間、合図は一度だった。
ライラの矢が、女の足元へ走る。
石畳を打ち、火花が散る。
女が即座に下がるより早く、ガルドが表へ回り込んで退路を塞いだ。
「おっと、そっちは通れねぇぞ!」
フィオの術が路地の床を走る。
「動かないで」
淡い鎖が、手先の男の足首へ絡みついた。
ネネが一歩で距離を詰める。
蓮は女の前へ、まっすぐ出た。
◇
女はほんの少しだけ目を細めた。
驚いた、というより――面倒が増えた、という顔。
「またなの」
その一言が、やけに癇に障る。
ライラの二射目が飛ぶ。
今度は外套を裂いた。
女が舌打ちする。
「鬱陶しいわね」
それでも慌てない。
真正面からぶつからず、角度を変えて抜けようとする。
蓮がそれを読むように動き、道を潰す。
「逃がす気はない」
「別に、逃げるほどでもないのだけれど」
そう言いながら、女は細い刃を抜いた。
鋭い。
でも、重い武器じゃない。
殺し合うためより、削って乱すための刃。
その嫌な感じが、またはっきりした。
◇
一方で、拘束された手先の男は、フィオの鎖を無理に切ろうとしていた。
ネネが腕を払う。
男がよろめく。
ガルドが盾で押し返す。
壁にぶつかり、息が詰まる。
ライラの矢が手元を打ち、刃が落ちる。
「はい、そっちは終わり」
淡々とした声。
男は歯を剥いたが、もう動けない。
◇ ◇ ◇
女は、自分の手先が押さえられたのを見ても、顔色ひとつ変えなかった。
むしろ、少しだけ冷たく笑った。
「使えないわね」
その軽さが、りんには嫌だった。
自分の側の人が倒れても、困った顔すらしない。
蓮が一気に踏み込む。
女は刃を返し、受ける。
甲高い音。
ライラの矢がもう一本飛ぶ。
女は避けるが、その分だけ位置がずれる。
そこへフィオの術が重なった。
床から伸びた鎖が、女の足元へ絡みつく。
「――っ」
初めて、ほんの少しだけ女の余裕が崩れる。
ネネがその隙を詰めようとした、次の瞬間。
女は腰の小袋から粉を投げた。
灰色の粉が、空気に散る。
フィオが鋭く声を上げた。
「吸わないで!」
蓮が反射で身を引き、ガルドが盾で風を切る。
その一瞬の空白。
女は石壁を蹴って、裏路地の細い抜け道へ滑り込んだ。
ライラの矢が飛ぶ。
今度は肩口を浅くかすめる。
「ちっ……!」
女が舌打ちした。
痛みではなく、予想より迫られたことへの苛立ちみたいな声だった。
◇
そのとき、近くの荷運び人が騒ぎに巻き込まれ、足をもつれさせて倒れた。
「わっ――!」
りんの身体が先に動く。
倒れた人を支える。
腕が擦りむけて、血が滲む。
「だいじょうぶですか?」
相手が頷くより先に、りんの手が触れていた。
傷が消える。
荷運び人が目を丸くする。
「え……」
りんは、それどころじゃない。
その人を後ろへ押しやって、路地の先を見た。
女は振り返っていた。
その目が、りんをちゃんと捉える。
初めて、少しだけ認識したような目。
「……面倒な回復役ね」
低い声。
それだけを残して、女は姿を消した。
りんの胸が、どくんと鳴る。
今のは、はっきり“敵”の声だった。
◇ ◇ ◇
残ったのは、拘束された手先の男と、落とされた荷だった。
フィオが荷を確認する。
「見取り図……それと、印の更新板」
蓮が視線を落とす。
板には、倉庫群の裏手だけじゃなく、その先の細い通路まで記されていた。
「こっち側の流れも見てる」
ライラが低く言う。
「本当に、嫌な見方するね」
ネネが静かに続ける。
「生活を支える場所から順に、少しずつ崩すつもりなのでしょう」
ガルドが、拘束した手先を見下ろした。
「で? まだ“様子見”か?」
男は青い顔で黙っていた。
さっきまで女の後ろにいたくせに、今は完全に見捨てられた顔だ。
りんは、それを見て少しだけ苦くなる。
助ける気にはなれない。
でも、捨てられるのは嫌だと思ってしまう。
◇
蓮が板を地図と重ねる。
「次は、ここだな」
フィオが頷いた。
「倉庫群の外れ。その奥にある古い荷捌き場」
ネネが目を細める。
「女は、まだそこを使うつもりです」
ライラが、女の消えた抜け道を見ながら言う。
「逃がしたけど、余裕じゃなかったね」
「ええ」
フィオの声は静かだった。
「少なくとも、予定は崩せた」
ガルドが笑う。
「それなら上出来だろ」
◇ ◇ ◇
帰り道、王都の外壁が夕陽を受けていた。
守りたい色だ、とりんは思う。
ネネが隣で、そっと聞く。
「お嬢、大丈夫ですか」
りんは少し考えた。
それから、正直に言う。
「……あの女、嫌」
ネネがわずかに目を細めた。
「はい。お嬢の感覚は正しいです」
蓮が前を向いたまま言う。
「次は、あの女を基準に動く」
ライラが小さく笑う。
「やっと“追う相手”が決まった感じね」
フィオが板を布に包みながら言った。
「顔が見えたなら、次は癖を読む」
ガルドが盾を軽く叩く。
「ぶん殴りがいのある相手ってのは助かるな」
りんは指先を握った。
助けたい。
止めたい。
増やしたくない。
その気持ちは、もう迷いじゃなくて、ちゃんと向いているものになっていた。
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