41 影に潜む者 8
捕まえた下位魔族の男は、前よりずっと静かになっていた。
ふてくされた態度は残っている。
目つきも悪い。
口を開けば、ろくでもないことしか言わない。
それでも、水路で女に置いていかれてから、強がりの質が少し変わった。
前みたいな“どうせ俺が上手くやってる”って顔じゃない。
今は、“自分が切り捨てられる側だった”って知ってしまった顔をしている。
ギルドの奥の小部屋。
蓮、フィオ、ネネ、りん。
四人の前で、男は椅子に縛られたまま、面倒そうに顔をそむけていた。
「……で? 次は何を聞くんだよ」
フィオが机の上の板を、指先で軽く叩く。
水門で押さえた、印の板。
それから、倉庫群の手前を示す簡単な記号。
「倉庫群の手前で、何をするつもりだったの」
男は鼻で笑う。
「見りゃ分かるだろ。様子見だよ」
「様子見?」
りんが小さく聞き返すと、男はちらりと視線だけ寄越した。
その目には、敵意より先に、薄っぺらい見下しがある。
「いきなり燃やすほど馬鹿じゃねぇって話だ。出入りの数、見張りの癖、荷の集まる時間……そういうのを見とけって言われてたんだよ」
ネネが、静かに目を細める。
「段取りを踏んでいるのですね」
男は舌打ちした。
「そりゃそうだろ。適当に火ぃつけて終わりじゃ、面白くも何ともねぇ」
その言い方に、りんの胸の奥がひやっとする。
面白い、の話じゃない。
燃えたら困る人がいて、泣く人がいて、戻らないものがある。
でも、この男にとっては、そこが軽い。
◇
蓮が短く問う。
「女の指示か」
男はすぐに口を噤んだ。
でも、その沈黙が答えみたいなものだった。
フィオが淡々と続ける。
「食料倉庫、水場、積み荷の通り道。そこを先に狙うように言われた」
男の目が、ほんのわずかだけ揺れた。
「……あんたら、ほんと気分悪ぃな」
「否定しないのね」
「するだけ無駄だろ」
吐き捨てるようにそう言って、男は苛立った顔で髪をかき上げた。
「どうせ行くんだろ、倉庫の方。なら勝手に行けよ。あの人、手際が悪いの嫌うからな。今日ならまだ――」
そこまで言って、舌を打つ。
しまった、という顔。
蓮がすぐに拾った。
「今日ならまだ何だ」
男は黙る。
ネネが静かに言う。
「まだ、配置の途中。あるいは、確認段階」
男は視線を逸らした。
フィオが小さく息を吐く。
「十分ね」
りんは、男を見た。
性格は悪い。
でも、今の顔には別のものも混ざっている。
あの女に、怯えている。
そこだけは、少し分かってしまった。
◇ ◇ ◇
倉庫群は、王都の外周に沿うように並んでいた。
石壁に囲まれた大きな建物。
荷馬車の轍。
干し草と木箱と、油の匂い。
朝から昼に変わる時間帯で、人の出入りはそこそこ多い。
けれど、少し外れた裏道に入ると、一気に人気が減る。
「……ここまで来てるんだね」
りんがぽつりと漏らす。
王都のすぐ近く。
人の暮らしが、もうすぐそこにある。
ネネが頷いた。
「はい。だからこそ、早めに押さえたいところです」
ライラが細い路地の先を見ながら言う。
「正面から入る気はないみたいね。見てるのは裏の搬入口と、水場寄りの通路」
フィオが地面にしゃがみ込み、指で轍の脇をなぞる。
「足跡が混じってる。人間に紛れるつもりはない。……陰から見る配置」
ガルドが低く唸る。
「嫌なやつだな」
蓮は短く指示を飛ばした。
「昨日と同じだ。ライラは上。フィオは奥の導線。ガルドは正面の逃げ道を切る。ネネはりんの前」
「りんは?」
「中へは入れない。裏の通りで待機。何かあれば、すぐ動ける位置に」
りんは頷いた。
前に出られないことへの不満は、もうない。
今どこにいるべきか、少しずつ分かってきた。
「うん。大丈夫」
蓮が一瞬だけ、りんを見る。
「無理はするな」
「しない……ようにする」
その答えに、ライラが小さく笑った。
「今のは半分くらいしか信用できないわね」
「うぅ……」
◇ ◇ ◇
張り込みは、思ったより長かった。
倉庫群の裏手は、人通りが少ないくせに、完全に無人になることもない。
遠くで荷が積まれ、車輪が鳴り、時々人の声が風に混ざって流れてくる。
だからこそ、気配は見つけにくい。
りんは石壁の陰で息を潜めながら、何度も指先を握ったり開いたりした。
「緊張していますね」
ネネが小さく言う。
「……してる」
「それでいいのです」
りんは少しだけ顔を上げた。
「いいの?」
「ええ。緊張がなくなるより、ずっと良いです」
その言葉に、ほんの少しだけ肩の力が抜ける。
自分はまだ平気な顔なんてできない。
でも、それでいいなら。
◇
やがて、屋根の上から、ほんの小さな合図が落ちてきた。
ライラだ。
蓮の肩がわずかに動く。
フィオの術式が、空気の底で静かに固まる。
ネネの耳がぴんと立った。
「来ました」
りんも石壁の影から、そっと先を覗く。
路地の奥。
倉庫の裏手へ続く狭い通り。
そこに現れたのは、例の女だった。
もう一つは、その半歩後ろを歩く、背の低い女。
――ではなく、今回は女本人ひとりに加えて、別の手先の男が付き従っている。
小柄な体。
背は低い。
なのに、空気の主導権を全部持っている。
女は周囲を一瞥しただけで、不機嫌そうに眉を寄せた。
「遅いわね」
その後ろの手先が、すぐに頭を下げる。
「……申し訳ありません」
「謝ってどうにかなるなら、こんなに楽なことはないのだけれど」
女は吐き捨てるように言って、倉庫の壁際に積まれた木箱へ視線を向けた。
「数は?」
「まだ増えています。昼過ぎが一番――」
「知ってるわよ。だから見に来たんでしょう」
口調が、冷たい。
怒鳴っているわけじゃない。
でも、その冷たさで相手を縮こまらせるタイプだと、りんにも分かった。
(この人、本当に嫌だ)
◇
女は、倉庫の裏手をゆっくり見渡した。
「悪くないわね」
唇の端だけで笑う。
「水場も近い。荷も偏る。火が出れば、慌てて人が集まる」
その言い方に、りんの背筋が冷える。
人の流れまで、計算に入れている。
フィオが低く呟いた。
「……暮らしを崩す方が先」
蓮が、ごく小さく頷く。
ライラの視線が鋭くなる。
りんは、その会話の意味を完全には追えない。
でも、“わざと困らせるために考えている”のだけは、はっきり分かった。
◇ ◇ ◇




