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魔王の娘  作者: 星空りん
41/45

40 影に潜む者 7

 捕まえた下位魔族の男は、最初のうちはずっとふてくされていた。


 縄で縛られたまま椅子に座らされ、ギルドの奥の小部屋に押し込まれても、視線だけは妙にふてぶてしい。


 「……で? 俺を捕まえて、満足かよ」


 口元を歪めて、わざとらしく鼻で笑う。


 りんは、その顔を見るたびに胸の奥がざわついた。


 この男のせいで、村が焼かれかけた。

 宿も危なかった。

 たくさんの人が怖い思いをした。


 それなのに、悪びれた様子がない。


 でも――


 その目の奥に、別の色もあるのを、りんは見てしまった。


 いらだち。

 強がり。

 そして、少しだけ混じる怯え。


◇ ◇ ◇


 部屋の中には、蓮、フィオ、ネネ、りんの四人がいた。


 ガルドとライラは外で待機している。

 何かあればすぐに動けるように。


 フィオが机の上に、回収した板と鳴子の金具を並べた。


 「もう一度聞くわ。古い水門で、誰と何を受け渡す予定だったの?」


 男はそっぽを向く。


 「知らねぇよ。運べって言われたから運んでただけだ」


 「そう」


 フィオの声は静かだった。


 静かすぎて、逆に冷たい。


 「じゃあ、これは?」


 木板を指先で示す。


 そこに刻まれた印を見て、男の眉がほんの少しだけ動いた。


 ネネが小さく言う。


 「動きましたね」


 「……うるせぇな」


 男は吐き捨てるように言ったが、その声音にはさっきほどの余裕がなかった。


 蓮が短く口を開く。


 「古い水門で、受け渡しがある。そこまではお前が漏らした」


 「漏らしてねぇよ」


 「顔に出た」


 それだけで、男の口元がひきつった。


 りんは思わず、ネネを見た。

 ネネは表情を変えないまま、男を見下ろしている。


 「末端なら、もう少し雑に開き直るでしょうね」


 ネネの声はやわらかい。

 でも、逃がす気がない。


 「手先は、妙なところで“上”を気にします。そこが分かりやすいのです」


 男が舌打ちした。


 「……ほんと、気分悪ぃな」


 フィオがわずかに目を細める。


 「それはこっちの台詞よ」



 しばらく黙っていた男が、ふいに低く笑った。


 乾いた、嫌な笑い方だった。


 「どうせ行くんだろ、あんたら」


 蓮が答えない。


 男はその沈黙を、図星だと受け取ったらしい。


 「なら急いだ方がいいぜ。あの人、待つの嫌いだからな」


 りんの心臓がどくんと鳴る。


 「あの人って……」


 男は、しまった、という顔をした。


 でも、もう遅い。


 フィオが低く問う。


 「女なのね」


 男は唇を噛んだ。


 そして、吐き捨てるように言う。


 「……だから何だよ」


 ネネの耳が、ぴくりと動く。


 「今日中に行かなければ、空になる。そういうことですね」


 男は何も言わない。

 けれど、その沈黙が何より分かりやすかった。


 蓮が一歩だけ前に出る。


 「水門だな」


 男は視線を逸らした。


 「……行ったって無駄だ。俺が捕まった時点で、たぶんもう――」


 そこまで言って、口をつぐむ。


 フィオが静かに言った。


 「撤収に入る」


 男は答えない。


 でも、その顔が答えそのものだった。


◇ ◇ ◇


 古い水門へ向かう道は、王都の外れを回り込むように続いていた。


 森の中とは違う冷たさがある。


 石。

 苔。

 湿った空気。

 流れているのか淀んでいるのか分からない、水の匂い。


 りんは、古びた石組みを見上げた。


 「……近いね」


 思った以上に、王都のすぐ外だった。


 人が少し足を伸ばせば来られる距離。

 それなのに、人気がない。


 蓮が周囲を見回す。


 「使うにはちょうどいい場所だ」


 「ええ」


 フィオが頷いた。


 「王都に近い。けれど目立たない。逃げ道もある」


 ライラが崩れた石段の上から下を覗き込んだ。


 「下、かなり広いよ。荷の受け渡しくらいなら余裕」


 ガルドが鼻を鳴らす。


 「気に入らねぇ場所だな」


 ネネが小さく息を吐いた。


 「手先が動くには向いています」


 りんは喉が乾くのを感じた。


 ここまで来てる。

 敵はもう、遠くない。


◇ ◇ ◇


 水門の下は、ひんやりとしていた。


 崩れた足場。

 湿った石壁。

 古い水路の溝。


 足音が反響する。


 蓮が手で合図を出し、全員が散る。


 ライラは高い足場へ。

 ガルドは正面の退路を潰せる位置。

 フィオは入口側で術式の準備。

 ネネは、りんの一歩前。


 「お嬢、見失わないでくださいね」


 「うん」


 りんは頷く。


 緊張で指先が冷たい。

 でも、足は震えていない。


 前より、ちゃんと立てている。



 しばらくすると、遠くで水音とは違う音がした。


 石を踏む、軽い音。


 それから、誰かが舌打ちする気配。


 「……遅いのよ」


 女の声だった。


 高くはない。

 でも、妙に耳に残る声。


 ぞくり、と背中が冷える。


 りんは思わず息を止めた。


 ネネの耳がぴんと立つ。


 「来ました」


 次の瞬間、石柱の向こうから影が二つ現れた。


 一つは、小柄な人影。

 もう一つは、その半歩後ろを歩く、背の低い女。


 女は長い外套を羽織っていて、顔の上半分を薄い布で隠していた。

 それでも分かる。


 口元が、笑っていない。


 目も、笑っていない。


 冷たい、というより、悪意が整っている顔だった。


 りんは直感で思った。


 (この人、嫌だ)


 理由はうまく言えない。

 でも、見た瞬間に分かる種類の嫌な感じだった。



 女は、水門の影に立ったまま、苛立ったように周囲を見回した。


 「まだ来ないの?」


 隣の小柄な影が、怯えるように答える。


 「……その、まだで」


 「使えないわね」


 声は大きくない。

 でも、それだけで空気が冷える。


 「一人捕まったくらいで動きが鈍るなんて、笑えないわ。おまえたちの失敗なんだから、おまえたちで片付けなさい」


 その言い方に、りんの胸の奥がひゅっとした。


 人のことも、ゴブリンのことも、仲間のことすら、ただの道具みたいに言う。


 ネネが小さく呟く。


 「……あれですね」


 フィオも低く言う。


 「ええ。質が違う」


 蓮の視線が鋭くなる。


◇ ◇ ◇


 女は足元の石を軽く蹴った。


 「王都の連中も、少しは面白い動きをしてくれると思ったのだけれど」


 唇の端だけで笑う。


 「宿一つ守ったくらいで、図に乗られても困るのよ」


 ライラの眉がぴくりと動く。


 ガルドが低く唸った。


 りんは、その言葉に胸が熱くなるのを感じた。


 守れたことを、こんなふうに踏みにじるみたいに言うなんて。


 でも、怒鳴ったりはしない。


 ただ、嫌だと思った。



 女が小柄な影に手を差し出す。


 「荷は?」


 「こ、ここに……」


 包みを受け取ろうとした、その瞬間。


 蓮が動いた。


 「今だ!」


 ライラの矢が石柱に当たり、甲高い音を立てる。


 ガルドが正面へ飛び出し、退路を塞ぐ。


 フィオの術式が水路の床に走る。


 女はすぐに反応した。


 「……へぇ」


 小さく笑う。


 驚いているのに、楽しんでいるようでもある。


 その余裕が、また嫌だった。


 小柄な影――手先の男は、慌てて包みを抱えたまま後退する。


 ネネが一歩で間合いを詰めた。


 「行かせません」


 男が短剣を抜く。


 ネネの爪がそれを払う。


 金属音。


 女はその横で、わざとらしくため息をついた。


 「本当に使えない」


◇ ◇ ◇


 戦いは、一気に始まって、一気に散った。


 女は本気で戦わない。


 それがすぐに分かる。


 様子を見て、道具を回収して、逃げる気だ。


 フィオの拘束が床を這う。

 女はそれを軽く避ける。


 ライラの矢が飛ぶ。

 女は身をひねってかわす。


 蓮が距離を詰める。

 だが、女は正面から受けない。


 「……面倒ね」


 その一言だけ残して、石壁の影へ滑るように下がる。


 りんは一瞬だけ目を見開いた。

速い。――でも、追えないほどじゃなかった。


 ただ、“嫌なやり方”に慣れている。



 一方で、小柄な手先の男は逃げ切れなかった。


 ガルドの盾が道を塞ぎ、ライラの矢が足元を止め、フィオの術が絡みつく。


 ネネが肩を掴んで引き倒す。


 「離せ……!」


 「離しません」


 そのまま石床に押さえつけられ、男はもがく。


 りんがそちらへ気を取られた、その隙に――


 女が小さな刃を投げた。


 狙いは、拘束された男。


 りんの背筋が凍る。


 「だめっ!」


 声と一緒に身体が動く。


 何をどうしたのか、自分でも分からない。


 でも、刃は男の喉元に届く前に、石床へ落ちた。


 女が、初めてほんの少しだけ目を細めた。


 「……なに今の」


 低い声。


 りんは答えられない。


 自分でも分かっていないからだ。


 ただ、“死なせたくない”と思った。



 女は小さく舌打ちした。


 「面倒なのがいるわね」


 その視線が、初めてちゃんとりんに向く。


 冷たい。

 薄く笑っている。

 でも、その奥で、少しだけ“覚えた”顔をした。


 ネネがすぐにりんの前へ出る。


 「お嬢に近づかないでください」


 女は肩をすくめた。


 「別に。今日はここまででいいわ」


 そう言って、踵を返す。


 蓮が踏み込む。


 でも、女はその前に水路の影へ滑り込んだ。


 石の向こう、細い抜け道。

 最初から用意していた逃げ道だ。


 ライラの矢が一本、外套の裾を裂く。

 それだけ。


 女の姿は、すぐに闇へ消えた。


◇ ◇ ◇


 残されたのは、拘束された男と、包み、それから散らばった荷の一部だった。


 フィオがそれを拾い上げる。


 「印板。鳴子の予備。……それと、水門の奥の印」


 蓮が男を見下ろす。


 「逃げなかったな」


 男は青ざめた顔で、荒い息をしている。


 さっきまでの強がりは、もうどこにもない。


 「お、俺を置いていきやがった……」


 かすれた声だった。


 ネネが冷たく言う。


 「切り捨てられる側だったのですね」


 男は何も言い返せない。


 りんは、その顔を見て胸の奥が少しだけ痛くなった。


 性格は悪い。

 でも、それでも。


 使われて、捨てられるのは、やっぱり嫌だ。



 蓮が包みの中身を改めて確認する。


 その中に、小さな板が一枚混じっていた。


 他より上質な木。

 印も、少し細かい。


 フィオがそれを受け取り、目を細める。


 「……次の場所ね」


 「どこ?」


 りんが聞くと、フィオは短く答えた。


 「王都外周の倉庫群。その手前」


 ネネが小さく言う。


 「本当に近いですね」


 蓮は板を地図に重ねた。


 「次はここだ」


 ガルドが低く唸る。


 「いよいよって感じだな」


 ライラが、女の消えた方向をちらりと見た。


 「あれ、絶対また出るよね」


 「出ます」


 ネネの声には迷いがなかった。


 「末端を切り捨てても、自分は残るつもりです。そういう女です」


 りんは、胸の奥に残る嫌な感じを思い出す。


 あの女は、壊すことを楽しんでいる。


 少なくとも、傷つくことをなんとも思っていない。


 それが、今までの“見えない影”とは違った。


 ちゃんと、嫌な相手だ。


◇ ◇ ◇


 帰り道。


 空は夕方の色に変わり始めていた。


 王都の壁が、やわらかな光を受けている。


 守りたい色だ、とりんは思う。


 ネネが隣で言った。


 「お嬢、大丈夫ですか」


 「……うん」


 少し考えてから、りんは続けた。


 「でも、あの女は嫌」


 ネネがわずかに目を細める。


 「ええ。りんの感覚は正しいと思います」


 蓮が前を見たまま言う。


 「次は倉庫群だ。そこで、もっと近づく」


 フィオが静かに続ける。


 「逃がしてもいい。でも、今度は道具も場所も、もっと削れる」


 ライラが息を吐く。


 「顔が見えたのは大きいね」


 ガルドが盾を軽く叩いた。


 「ぶん殴りがいのある相手ってことだ」


 りんは指先を握った。


 助けたい。

 止めたい。

 増やしたくない。


 その気持ちは、今度こそはっきりしていた。


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