45話 嗤う異形と、絶望の檻
それは、唐突に訪れた。
「……ん? なんだ?」
見目麗しいエルフの青年が、ふと森の奥へと視線を向ける。
風の向きが変わったわけではない。だが、肌を撫でる空気が急激に淀み、重く湿ったような違和感を覚えたのだ。
しかし、その疑問はつかの間のことだった。
目を凝らし、薄暗い木々の隙間から『ソレ』の姿を捉えた瞬間――青年の背筋を、氷のような悪寒が駆け抜けた。
「っ……!?」
――ギ、ギギ……ギギギギギッ。
遠くから響いてくる、無機質で耳障りな摩擦音。
それは一つや二つではない。蠢く黒いヘイズの塊のような異形の群れが、木々をなぎ倒しながら一直線にこちらへと向かってくるのだ。
◇
「半魔だ!!! 大量の半魔が来たぞ!!!」
青年の悲痛な絶叫が、平穏だった里の静寂を切り裂いた。
その一声を皮切りに、ファランの里は瞬く間に阿鼻叫喚の渦へと呑み込まれていく。
エルフやドワーフたちが『半魔』と呼ぶそれらは、本来であれば群れを作らず、単独で行動するはずの生き物だった。それが今、まるで一つの巨大な意思を持った軍隊のように、一斉に里へ押し寄せているのだ。
「なんであいつらが群れてるんだ!?」
「きゃあああっ!?」
「戦士を集めろ! 中央の結界へ避難を急がせろ!!」
「駄目だ、囲まれてる! 奴ら、尋常じゃない数で結界に群がってきているぞ!!」
「エフィリアへ緊急の通信を! それと大樹の里に応援を頼むんじゃ!」
白髭を蓄えたエルフの長老が鬼気迫る表情で命令を下す。
だが。
「すでに通信の魔導具は起動しました! ……ですが救援の通信を繋いだ途端、結界の外にいる奴らが一斉に狂乱し始め、通信機器に激しいノイズが走って現在通信を行えない状況にあります!」
「……どういうことじゃ!?」
「分かりません! 推測ですが、半魔の中に通信を妨害する特殊な能力を持った個体がいるとしか……! それに、魔法を使って応戦していますが効果が見受けられず、むしろ魔法を放つたびに奴らの動きが活発になっているように見えます!」
報告に駆けつけた戦士の言葉に、周囲のエルフたちが息を呑む。
「我々が魔法を使う度に、奴らの動きが激しくなるというのか?」
「ありえん! これまで幾度となく半魔を退けて来た、我らエルフの魔法が通用しないなど! 奴ら、本当にただの半魔なのか!?」
「……考えている暇はない! 魔法の使用を禁ず! 弓兵、前へ! 魔法に頼らず、弓矢の物理攻撃で応戦するのじゃ!」
長老の指示に、エルフの狩人たちが素早く結界の内側から弓を構え、無数の矢を放つ。
ヒュッ、ヒュッという鋭い風切り音と共に、矢の雨がバケモノたちの黒い身体に次々と突き刺さった。
そのうちの何体かは、たまたま体内の『核』を射抜かれたのか、ビタンと倒れて泥のように崩れ落ちる。
「――!? やったぞ! 物理攻撃なら倒せる!」
若き戦士が希望の声を上げた。
だが、その希望は一瞬にして打ち砕かれる。
――ギギ、ギ……。
身体に何本もの矢を生やしたまま、大半のバケモノたちは平然と起き上がり、再び歩みを再開したのだ。確かな急所を貫かない限り、ただの矢傷など痛痒にも感じていないらしい。
「駄目だ、倒しきれない……! 急所に当たらなければすぐに起き上がってくる!」
「このままじゃ結界が保たない! 押し潰されるぞ!」
じりじりと削られていく防御結界。迫り来る無数の異形。
このまま矢を射掛けているだけでは、到底時間が足りない。長老は血を吐くような思いで、苦渋の最終手段を口にした。
「……木を切り倒せ!」
「長老!? なにを!?」
「魔法が通じず、弓矢で止められぬなら、もはや巨大な質量で圧殺するしかない! 半魔の方へ倒れるように木を爆破し、奴らを押し潰して少しでも足止めして時間を稼ぐんじゃ!」
「し、しかし! それでは下に建っている我々の家屋に落ちる可能性だって……!」
「背に腹は代えられん!!! 命がなければ家など無意味じゃろうが!!! 隙をみて、大樹の里に避難するぞ!」
長老の悲痛な命令に、エルフの戦士たちが涙目で、里を囲む大樹の根本へと魔法の狙いを定める。
彼らは理解していなかった。木をへし折るために放つその「魔法」そのものが、化け物たちにとって極上の餌であるという残酷な真実を。
理由も分からぬまま、生き残るために大樹を魔法で爆砕し、それに巻き込まれて自らの家屋が倒壊するのも厭わずに防衛を続けるという、地獄のような戦いが幕を開けた。
――ドゴォォォォンッ!!ドドダンッ!!
凄まじい地響きと共に、切り倒された巨大な樹木が半魔の群れと、その下にあった数軒の家屋をまとめて圧殺する。
「よし! 潰したぞ!」
だが安堵は一瞬だった。
もうもうと舞い上がる土煙の向こうから、か細い声が聞こえたのだ。
『……タスケ、テ……』
「っ!? 誰かいるのか!?」
先ほど歓声を上げた若き戦士が、倒木の下敷きになった生存者がいるのかと慌てて瓦礫へと駆け寄る。
しかし、それは知能を持つ化け物の、あまりにも悪趣味な罠だった。
木が倒れた衝撃と、奴らが外側から削り続けたことで生じた結界のほころび。そこから這い出していた真っ黒な異形が、瓦礫の影でじっと獲物を待ち構えていたのだ。
「どこだ! どこに――」
戦士が瓦礫の隙間を覗き込んだ、次の瞬間。
――ズバシュ!!
「……ガ、ぁ……?」
結界の穴から勢いよく射出された黒い触手が、戦士の胸を容赦なく貫いていた。
『……ヤッタ、ゾ……ヤッタ! ヤッタ! ンーオイシイ!!! ギャハハハハハ!!』
口から大量の血を吐き出して絶命する戦士の耳元で。化け物は先ほど彼自身が放った歓喜の言葉を、パクリと嘲笑うかのように反芻した。
それに呼応するように群がるヘイズ・コレクターの群れ。
「ヒィッ……!? なんだよこいつら!?」
「う、撃て! 矢を放てええっ!!」
仲間の凄惨な死に、エルフたちが半狂乱になって弓を引く。
そんな事になっても、気にせずそのむくろに群がりさしまくるコレクター達
だが、本当の絶望はここからだった。
「上を見ろ!! 結界が……!!」
誰かの絶叫に空を見上げた長老は、そのまま絶望に膝から崩れ落ちそうになった。
空を覆う巨大なドーム状の防御結界。その表面に、おびただしい数の化け物たちがびっしりと張り付き、極上の餌である魔力を貪り食い始めていたのだ。
ドロドロと蠢く黒いヘイズが、結界のドームを外側から完全に覆い尽くしていく。
「あ、あああ……暗く、なっていく……」
光が遮断され、里の内側はみるみるうちに深い暗闇へと沈んでいく。
外の化け物を防ぐための防御結界が、逃げ場のない真っ暗な『檻』へと変わった瞬間だった。
視界を奪われたパニックの中、暗闇のあちこちから結界が食い破られる不気味な音が響き――次々と仲間の悲痛な悲鳴が上がっては、消えていく絶望的な状況。
――ドガアアアァァンッ!!!!
突如、結界の外から、魔法とは違う純粋な『物理的な爆発音』が鳴り響いた。
閃光と共に巻き起こった衝撃波で、結界に張り付いていた黒い生物たちが、まとめて上空へと吹き飛ばされる。
「なんだ!?」
「あれは……ロキ? ロキだ!」
晴れていく爆煙の向こう。結界の外側に、獣のなめし革と厚手の布を機能的に組み合わせた、独特なハンター装束を纏う男が立っていた。
「伏せて!!」
ロキは叫ぶなり、腰のポーチから次々と筒状の物体――旧文明の火薬を取り出し、半魔の群れの中心へと思いっきり投げつける。
――ドッガァァァァンッ!!
再び凄まじい轟音が弾け飛び、火柱と共に半魔の群れが粉々に吹き飛ぶ。
魔法の光を一切持たない純粋な暴力が、一瞬だけバケモノの包囲網に穴を開けた。ロキはその僅かな隙を突き、滑り込むようにして結界の内側、里の中へと飛び込んでくる。
「ロキ!」
「大共鳴が起きてる! ここはもう保たない、すぐに皆を避難させて!」
ロキは息を呑む長老に向かって、矢継ぎ早に言葉を叩きつけた。
「ティアナが裏の大樹の通り道を開けて待ってる! そっちへ逃げて! それと、こいつらはただの半魔じゃない、新種だ! 魔法は効かないから、弓や物理で直接核を狙って時間を稼いで!」
血相を変えて早口で怒鳴るロキのただならぬ様子に、長老も事態の深刻さを悟る。
「そういう事か……っ!」
「長老! 母さんは!? ラキは無事か!?」
周囲の惨状に目を血走らせながら、ロキは里に残した家族の安否を叫んだ。
「ロキ!」
その時、崩れた家屋の陰から、泥だらけになった一人のエルフの女性が飛び出してきた。
ロキの母親だ。息子の無事な姿を認め、彼女の顔に安堵の涙が浮かぶ。
「母さん! よかった、無事――」
駆け寄ろうとしたロキの表情が、次の瞬間、恐怖に凍りついた。
「母さん! 後ろだ、危ないッ!!」
「え……?」
母親が振り返るよりも早く、彼女の背後にあった瓦礫の影から、真っ黒なヘイズがドロリと膨れ上がった。
歪な形をとった化け物が、獲物を見つけた悪魔のような、下品で悍ましい笑みの形に口を歪める。無数の鋭い黒い触手が、無防備な母親の背中へ向けて無慈悲に振り下ろされようとしていた。
遠い。ロキが駆け寄るにも、ダイナマイトを投げるにも間に合わない。
誰もが最悪の光景を予感し、絶望に目を瞑りかけた、その瞬間――。
――ブォォォォォンッ!!!!!
聞いたこともない野獣の咆哮のような駆動音が、戦場に轟いた。
直後、母親の背後を青白い閃光が横薙ぎに一閃する。
ジュゥゥゥッ!! という何かが焼け焦げる音と共に、悪魔のような笑みを浮かべていた化け物の身体が、見えない刃にバターのように両断された。
核を正確に砕かれたソレは、断末魔を上げる間もなく、ドロドロの泥に変わって地面に崩れ落ちる。
「……え?」
何が起きたか分からず、母親が呆然とその場へへたり込んだ。
――ズザザァァァッ!!
土煙を巻き上げながら、母親のすぐ横でバイクが鋭くブレーキをかけて止まる。
それに跨っていた少年は、青白い光の尾を引く鉄剣を肩に担ぎ直しながら、ふうとわざとらしく息を吐いた。
「あッぶねー……ギリギリセーフ」
絶望のどん底にある戦場に全くそぐわない、あまりにもマイペースで軽口な第一声。
呆気に取られるエルフたちの中で、ロキだけが目を丸くしてその少年の名前を叫んだ。
「き、君は……? ミーヴェルか!?」
「よぉ。ちょっと道に迷ってな、遅くなった」
ミーヴェルはひらりとバイクから降り立ち、ロキに向かってニッと笑いかけた。




