41話 宣告
「……え?」
爆発音に呆然と呟くラキ。隣にいたティナも、青ざめた顔で空を見つめていた。
「あれ、ウチの里の方角だよね……?」
「おい、あれ見ろ!」
そんな中、一人の少年がさらに上空を指差して声を上げた。ファランの里の方角から、こちらに向かって一直線に飛んでくる『何か』の影。
「鳥……? にしてはデカ――」
「――中に入れ!!!! 急げぇっ!!!!!!」
少年の呑気な言葉を遮り、普段は温厚な先生が、血相を変えて絶叫した。
それは生徒を導く指導者の声ではない。本能的な『死』の恐怖に急き立てられた、悲痛なまでの叫びだった。額には滝のような冷や汗が浮かび、血走った目が信じられないものを見るように見開かれている。
「先生……?」
生徒たちが戸惑う間にも、先生はなりふり構わず両手に凄まじい魔力を込め始めた。
右手には極限まで濃縮された暴風の渦が、左手には、離れていても肌が焼けるほど強烈な熱風を伴う火の玉が顕現する。
「精霊よ!!」
それは祈りというより、悲鳴に近い切羽詰まった声だった。
二つの魔法が同時に射出される。風の推進力を得て恐ろしい剛速球となった炎は、一直線に謎の物体へと突き進み――。
ドガァァァァァァァァンッ!!!!
空中で激突し、まるで巨大な花火のように凄まじい爆炎を咲き誇らせた。
「えっ……先生、いったい何が……?」
突然の事態にパニックになりかける生徒たち。
やがて、上空の黒煙が晴れていく。その先に見えたのは、撃墜されてゆっくりと落ちていく鳥――のように一瞬錯覚したが、実際は違った。
先生の放った大魔法。その直撃を真正面から『食らった』はずの異形のバケモノは――傷一つ負っていなかった。
それどころか、まるでそよ風でも浴びたかのように小首を傾げ、体についた煤を払うような素振りすら見せている。あれだけの爆発を食らっておきながら、全くの無傷でケロリとしていたのだ。
「ば、馬鹿な……あの直撃を食らって、平然としているだと……!?」
「えっ、先生……いったい、あれは……」
誰かが震える声でこぼした問い。その弱々しい響きが、絶望に呑まれかけていた青年をすんでのところで引き戻した。
ガクガクと震える膝に無理やり力を込め、彼は再び『教師』の顔へと戻る。そして生徒たちに向かって、血を吐くような大音声を上げた。
「ここは危ない! すぐに建物の中に入れ!!」
「えっなにが……!?」
「早く! 行けェッ!!」
先生の鬼気迫る怒声に弾かれたように、少年少女たちは我に返った。悲鳴に近い返事を上げながら、みな一斉に背を向け、巨大な学び舎の中へと全速力で駆けていく。
彼らが逃げ込む学び舎の建物には、強固な防衛結界が張られている。
エルフの国における防衛網は、主に三重構造となっていた。
国全体を覆う、危険な魔物の侵入を知らせる『感知』の役割と、弱い魔物を弾く程度の『第一の結界』。
各部族の里を覆う、強力な魔物を物理的に寄せ付けないための『第二の結界』。
そして、子供たちが集まる重要施設である学び舎を直接覆う『第三の結界』である。
――お分かりいただけるだろうか。
一切の感知アラームが鳴ることもなく、空からあの飛翔体が里の上空へ飛来してきたということは。
すでに理由も分からず、国と里を守るはずの『第一、第二の結界』が完全に無効化され、突破されているという事実に。
大人のエルフである教師が、あそこまでなりふり構わず取り乱し、焦っていたのはそういうことなのだ。
「えっ、なんなの!?」
「あんな先生の顔、今まで見たことなかったよね……」
パニックに陥りながらも、少年少女たちは巨大な学び舎の中へと駆け込み、手近な教室へと逃げ込んだ。
その逃げ惑う生徒たちの波とすれ違うようにして、学び舎の奥からは別の教師たち、さらには武装した里の正規兵たちが、次々と決死の形相で広場へと躍り出ていく。
息を潜め、恐る恐る教室の窓辺に集まるラキたち。
外の様子を覗き込んだ彼女たちの目に飛び込んできたのは――。
そこはもう、つい先ほどまで笑い合っていた平和な運動場ではなく、血と絶望に染まる凄惨な『戦場』だった。
接近してきた飛翔物体。その距離まで近づいてようやく、彼らはその巨大な姿をはっきりと視認した。
空を覆い隠すほどの翼。鋼鉄のような鱗に包まれた、凶悪な爬虫類を思わせる巨躯。
誰かが、震える声でその絶望の名を口にした。
「ドラゴンだ……」
「ドラゴン!? それって――うわっ!?」
「きゃああっ!」
ズズンッ……! と、下から突き上げるような地響きが建物を激しく揺らし、生徒たちが悲鳴を上げて床に転がる。
窓の外では、広場に飛び出した大人たちが必死の形相で上空へ向けて魔法を放っていた。だが、色とりどりの魔力が空を切り裂いて巨竜へと殺到しても、その分厚い鱗に傷一つ付けることはできない。
それどころか、上空のドラゴンはゆっくりとその巨大なアギトを大きく開いた。
地獄の始まりだった。
その喉の奥で、周囲の空間が歪むほどの凄まじい魔力が、究極に濃く集まり漆黒の光となって急速に収束していく。
そして――極限まで凝縮された致死の光線が、逃げ惑う大人たちのいる地上へ向けて、無慈悲に降り注いだ。
ズドォォォォォォォォォォォン!!!!
光すら呑み込む漆黒の光線が降り注ぎ、地上で凄まじい爆発が起きた。
やがてもうもうと立ち込めていた煙が晴れると、そこには広場の地面が大きく抉り取られ、先ほどまで魔法を放っていた幾人もの大人たちが、血を流して無惨に倒れ伏している光景があった。
「嘘でしょ……!? っていうか、いったい何が……なんでドラゴンが……ッ!」
ドラゴン。
エルフの歴史上、最悪の災厄をもたらすと言われている存在。
ふと現れたかと思えば、一夜にして街を跡形もなく破壊し尽くして去っていくという、恐怖の御伽噺に登場する存在。
気まぐれなのか、それとも人々の何らかの罪に対する怒りなのか。なぜ襲ってくるのか、その理由は誰にも分からないとされている。
「ただの御伽噺じゃなかったの!?」
「まさか、本物が……っ」
窓枠にしがみつきながら、生徒たちが絶望の声を漏らす。
だが、外の広場では、生き残った大人たちがまだ抗う意志を失っていなかった。
「カルテットだ!」
先ほどラキたちを逃がしてくれた青年の先生が、血を吐くような声で叫んだ。
その声に応えるように、散開していた三人の教師が青年のもとへ集結し、ひし形を描くように陣形を組む。
一人では到底練り上げることのできない、四人掛かりの複合大魔法。
先生たちがそれぞれの両手を前に突き出すと、四人の間に、先ほどまでとは比較にならないほど莫大な魔力が集まり始めた。
炎の赤、風の緑、雷の黄。
命懸けで練り上げられたその輝きは、色とりどりの極彩色だった。先ほどのドラゴンのような、絶対的な絶望を孕む『漆黒』には、遠く及ばない。
「大いなる精霊よ! 我らの命を束ね、今ここに――!」
四人の咆哮と共に放たれたのは、まさに荒れ狂う世界の自然そのものだった。
炎、風、雷――色とりどりの極彩色の光が巨大な螺旋を描き、ねじれながら一つに交じり合う。それは天を衝く極太の閃光となって空へ駆け上がり、見事、ドラゴンの顔面へと直撃した。
ズガガガガガガガァァァァンッ!!!!
上空で凄まじい衝撃波と爆炎が炸裂し、突風が地上の木々を大きく揺らす。
「はぁっ、はぁっ……! や、やったか……!?」
魔力を絞り尽くして膝をつきながら、青年の先生が荒い息を吐いて空を睨みつける。
やがて、風が爆炎の煙を吹き飛ばし――。
「うそ……だろ……」
誰かの絶望の呟きが落ちた。
煙が晴れたそこには、先ほどと何一つ変わらず、悠然と空に鎮座する巨竜の姿があったのだ。
エルフの大人四人がかりの命を懸けた複合大魔法は、ドラゴンを墜落させることすらできなかった。
だが、完全に無傷だったわけではない。
ドラゴンの顔面、その硬質な鱗の隙間から、ほんのわずかに赤い線が垂れていた。頬に少しばかりの『鮮血』が滲んでいたのだ。
『――――――――――――――――ッッ』
次の瞬間。
空気が凍りついた。いや、世界そのものが恐怖に震え上がったかのような、圧倒的なプレッシャーが上空から降り注ぐ。
『―――――ギィヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!』
大気をビリビリと引き裂き、学び舎の窓ガラスを一斉にひび割れさせるほどの、鼓膜を破壊するような咆哮。
頬に傷をつけられたこと。己より遥かに矮小な存在から痛みを与えられたこと。
それが、絶対的強者であるドラゴンの逆鱗に触れたのだ。
少しでも生存の可能性を信じて放ったはずの大人たちの決死の一撃は、最悪なことに、ただ理不尽な災害の明確な『激怒』と『殺意』を呼び覚ましてしまっただけだった。
そして次の瞬間、彼らは本当の『絶望』の底へと突き落とされることになる。
『――――グルゥゥ……亜人共ヨ』
地鳴りのような低い唸り声に混じって、直接脳髄を揺らすような不気味な音が響いた。
空気がピタリと止まる。窓枠にしがみついていた生徒たちも、広場で膝をつく青年の先生も、全員が己の耳を疑い、息を呑んだ。
今、なんと聞こえた?
ただの巨大な獣。知性のない災害の象徴。そう思っていた目の前のバケモノの口から、確かに、自分たちと同じエルフの言葉が紡がれたのだ。
『楽ニ 死ナセテヤル ツモリデアッタガ――――』
それは、ただの獣の鳴き声ではない。
圧倒的な力を持つ者が、格下の獲物をいたぶり、無惨に引き裂くことを決定した――残酷な知性を孕んだ『宣告』だった。
「しゃ、喋っ……た……?」
誰かが掠れた声でこぼす。
相手は言葉が通じる存在なのだという事実は、彼らに安堵をもたらすどころか、底知れない恐怖を倍増させた。
自然の気まぐれなどではない。これは明確な悪意を持って、自分たちを『狩り』に来たのだと、そこにいる全員が本能で理解させられてしまったからだ。
『――ヤメダ』




