42話 消え去る盾
「待ってくれ! なぜだ!? 知能があり、言葉が通じるのなら理由を聞かせてくれ!! なぜいきなり現れて、我々を攻撃する!? 私たちが一体、何をしたというんだ!」
青年の先生が、ドラゴンの眼下で両手を広げ、血を吐くような声で叫んだ。
それは、わずかでも時間を稼ぐための決死の行動だった。彼が叫んでドラゴンの視線と注意を一身に集めているその背後では、生き残った兵士たちが、広場に倒れ伏した大人たちを急いで学び舎の陰へと引きずり込んでいる。
上空のバケモノからは丸見えの行動だ。それでも、今は言葉を使って一秒でも長く気を引き、少しでも多くの命を救うしかなかった。
『――グルゥ……今世ヲイキル貴様ラニ、罪ハ無イ』
地響きのような声が返ってくる。ただの殺戮者ではなく、明確な意図を感じさせるその返答に、先生は一瞬絶句したが、すぐに声を張り上げた。
「今世……?ならば、なぜだ!?」
『ダガ、貴様ラノソノ――』
「――喋りすぎだ」
『――――ッ!?』
鼓膜を震わせるドラゴンの声とは対極にある、ひどく静かで、氷のように冷え切った声が上空から降ってきた。
その声が響いた瞬間、あろうことか、絶対的な強者として空に君臨していたはずのドラゴンが、まるで怯えた獣のようにピタリと口を噤んだのだ。
「は……?」
唐突な異変に、先生の口から間抜けな声が漏れる。
空気が不自然に揺らいだかと思うと、ドラゴンの巨大な鼻先の虚空に、唐突に『それ』は姿を現した。
「宙に、浮かんでる……?」
「背中に翼が生えてる……魔人、なのか?」
教室に避難している生徒たちは、窓の外に現れたその突然の襲来者に息を呑んだ。
彼らが瞬きをしたコンマ数秒の間に、空間そのものが歪んだかのように、突如として出現したのだ。まるで最初からそこに存在していたかのような、不気味なほどの自然さで。
「いったい、なんなの……?」
ティナが震える声でこぼしたその疑問は、教室にいる全員――いや、この場にいるすべての者の疑問だろう。
何が起きているのか、さっぱり分からない。ただ一つだけ確かなことは、あの絶対的な恐怖の象徴であったドラゴンが、その小さな人影に対して明らかに萎縮し、かしずいているという事実だけだった。
「お前は少し、彼らに同情している節がある。……いいか? 問答は終わりだ。速やかに壊滅させろ」
『グルゥ……承知』
上空から降ってきたのは、有無を言わせぬ冷徹な命令。それに、あの巨大なバケモノが従順に低く唸り、首を垂れた。
――この、大災害をもたらすドラゴンですら、ただの『部下』に過ぎない。
その事実が突きつける圧倒的な絶望に、先生も生徒たちも思考を完全に凍らせる。
短い指示を出し終えると、その翼の生えた人影は、了承を得るなり現れた時と同じように、蜃気楼のようにスッと姿を描き消した。
あとに残されたのは、同情心を捨て去り、再び無慈悲な『殺意』を取り戻した巨大なドラゴンだけだった。
バサァッ! と空気を叩き潰すような羽ばたきと共に、巨竜はグングンと上空へ飛翔していく。
そして、学び舎を見下ろす高みでピタリと静止すると――その巨大なアギトを、限界まで大きく開いた。
ズズズズズ……ッ!
先ほどの攻撃とは比べ物にならない。周囲の空間そのものが悲鳴を上げるほどの異常な魔力密度。光すらも喰らい尽くす『漆黒の光』が、喉の奥で球体となって急速に膨れ上がっていく。
「――精霊よ」
もはや、逃げ場などどこにもなかった。
広場に倒れ伏していた大人たちは、己の死を悟り、空で膨れ上がる絶対的な死をただ静かに見届けた。
せめて、背後の学び舎にいる子供たちだけでも守れますように。そんな叶わぬ願いを込め、最後の魔力を振り絞って微力な結界を張ろうと祈りを捧げる。
しかし――。
極限まで圧縮された終焉の一撃が、無慈悲に地上へと解き放たれた。
着弾の瞬間、世界から音が消え去った。
凄まじい魔力の奔流が引き起こした異常な重力場。地上の土が、岩が、太い木々が、そして祈りを捧げていた大人たちの身体が、まるで時間が止まったかのように一瞬だけふわりと宙へ浮かび上がる。
直後。
すべては圧倒的な漆黒の閃光に飲み込まれ、無音の中で、一片の塵すら残さず完全に消滅した。
そして、遅れてやってきた凄まじい衝撃波が学び舎を激しく揺さぶる。
ピキィィィィンッ……! と、建物を覆っていた最後の砦『第三の結界』が悲鳴を上げて砕け散った。
「きゃああっ!?」
「うわぁっ!!」
結界が殺しきれなかった余波が室内に吹き荒れ、生徒たちはたまらず床へと叩きつけられる。
だが、結界がその身を呈して致命的な威力を相殺したおかげで、教室のある建物だけはなんとか倒壊を免れ、その存在を保っていた。
「……っ、なんだよこれ!? いったい、なんだっていうんだよ……!」
床に倒れ込んでいた生徒の一人が、恐怖に顔を引きつらせながら叫ぶ。
全身を打ちつけた痛みに顔を歪めながら、ラキやティナもどうにか身を起こし、恐る恐る窓の外を見下ろした。
「……結晶……?」
もうもうと立ち込めていた煙が晴れたそこには、信じられない光景が広がっていた。
つい先ほどまで、土と緑に囲まれた豊かな運動場だったはずの場所。そこは今、地面がすり鉢状に大きく抉り取られ、その一面が『青黒く光る結晶』で不気味に覆い尽くされていたのだ。
土も、岩も、木々も。すべてが高濃度の異常な魔力によって変質させられたのか、まるで異界の風景のように、鋭く冷たい結晶がどこまでも敷き詰められている。
一瞬、そのおぞましくも幻想的な光景に思考を奪われかけたラキだったが――すぐに、凍りつくような『現実』を思い出した。
「え……? 先生は……? 外にいた皆は……!?」
弾かれたように窓枠にすがりつき、必死に青黒い結晶の海を見渡す。
――だが
外には、誰もいなかった。
あれほど大声を上げて自分たちを逃がしてくれた青年の先生も、共に大魔法を放った教師たちも、傷つき倒れていた大人たちも。
一片の肉片も、衣服の切れ端すら残っていない。
彼らはただの一人も残らず、あの圧倒的な閃光によって完全に世界から消し去られてしまっていたのだ。
その絶望の余韻を味わうかのように。
ゆっくり、ゆっくりと。上空から、空を覆うほどの巨大な影が舞い降りてくる。
ズシン……ッ!
青黒い結晶で覆い尽くされたすり鉢状の大地に、そのバケモノが降り立った。
分厚く重い鋼鉄のような爪が、敷き詰められた結晶を残酷に踏み砕き、『パリンッ……メキメキッ……』と、ひどく耳障りで鈍い音を周囲に響かせる。
悠然と身を起こしたドラゴンは、長い首を持ち上げ、爬虫類特有の冷酷で濁った瞳を学び舎へと向けた。
――見つかった。
窓枠にしがみついていたラキたちと、完全に視線が交差する。
正面から自分たちを見据えるその巨竜の瞳は、「次はお前たちだ」と雄弁に物語っていた。
「ひいっ……!」
己を射抜く明確な殺意と、極限のプレッシャーに耐えきれず、生徒の一人が短い悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。
ポタポタと、静まり返った教室の床に温かい液体が滴り落ちる音が響く。
見れば、へたり込んだ生徒の足元に、小さな水たまりが広がっていた。
恐怖のあまり身体の制御を失い、失禁してしまったのだ。だが、その失態を馬鹿にして笑う者など、この教室には一人としていなかった。
なぜなら、この場にいる誰もが、今にも狂い出してしまいそうなほどの圧倒的な『死の恐怖』を、等しく突きつけられていたのだから。
「にっ……逃げよう……!」
誰かが、ガチガチと歯の根を鳴らしながら絞り出した。
「どこに逃げるって言うんだよ!? 結界も壊されたんだぞ! なんだよアイツ! 先生たちも……みんな、いなくなったじゃないか!!」
別の誰かが半狂乱になって叫び返す。
それを引き金にして、室内にいた生徒たちは一斉に恐慌状態に陥った。泣き叫ぶ者、頭を抱えてうずくまる者、出口を探して右往左往する者。教室は阿鼻叫喚の地獄と化す。
そんな狂騒の中で――ラキは一人、どこか遠のくような感覚に陥っていた。
(終わり……?)
理不尽な終わり。その言葉が、真っ白になった脳内を駆け巡っていく。
ほんの十数分前まで、家族と食卓を囲んでいた。ティナと文句を言い合いながら学び舎への森の道を歩いていた。そんな当たり前のこれまでの人生が、一瞬にして走馬灯のようにフラッシュバックする。
(私たち、何かした? なんで? なんで、こんな目に遭わなきゃいけないの?)
家族が待つファランの里は、無事なのだろうか。ティナや、行方不明のルナはどうなるのか。不安と絶望で胸が張り裂けそうになる。
だが、その底知れない恐怖の淵で。
目の前で起きたあまりにも自分勝手で理不尽な暴力に対する反発が、ラキの心に小さな火種を落とした。
――怒りだ
理由もなく日常を壊され、自分たちを守ろうとしてくれた大人たちをあっけなく消し飛ばされたことへの、静かで、確かな怒り。
その熱が冷え切った身体に巡った瞬間。不思議なことに、ラキの心に氷のような『冷静さ』が蘇ってきた。
(誰もいないなら、私がやるしかない……!)
外にいた大人たちは消え、結界も破られた。ここで逃げ惑っていても、あの巨大なバケモノに一人残らず焼き尽くされるだけだ。
ならば、せめて一矢報いてやる。
ラキは震える両足に力を込めて床を踏み締め、正面の窓――悠然とこちらを見据えるドラゴンに向けて、両手を真っ直ぐにかざした。
大気中の魔力を、自身の内に限界までかき集める。
「精霊様! どうかお願い――ッ!!」
「わ、私もやる……っ!」
「う、うん……!」
ラキの決死の背中に感化され、恐怖で心が折れかけていた生徒たちの中でも、かろうじて動ける者たちが次々と窓際に並び立つ。
皆が命を削る覚悟で魔力を練り上げ、一斉に決死の魔法を放った。
――だが。
まばゆい光の奔流を無防備に浴びたドラゴンは、傷一つ負っていなかった。それどころか、放たれた彼らの決死の魔法をまるで極上の餌のように受け入れ、まったく効果がない。
次はこちらの番だと言わんばかりに、ドラゴンは目の前で悠然とアギトを開き、漆黒の光を収束させ始めた。
「終わりだ……」
「やだ……っ!!」
絶望の悲鳴が上がる。
そして、容赦のない漆黒の閃光が放たれた。誰もが死を覚悟し、ギュッと目を閉じた――その瞬間。
ブォォォォォォォォンッ!!
突如、この絶望的な戦場には全く似つかわしくない、けたたましい排気音が響き渡った。
しかもそれは、地上からではなく――『空』から。
『局地ジャミング展開』
無機質で重厚な、謎の合成音声。
直後、生徒たちを飲み込もうとしていたドラゴンの漆黒の光線が、まるで空間にノイズが走ったかのように激しくブレて、霧散するようにフッと消滅してしまったのだ。
「――だから、ヘイズ撒き散らすなって」
ひどく呆れたような落ち着き払った『少年の声』が、――窓のすぐ外、何もないはずの空中から唐突に響いた。
「――えっ?」
「な、なんなのー!?」
「ドラゴンの攻撃が……え、空に浮いてる……?」
突然の事態にラキが間抜けな声を漏らすと、隣にいたティナが悲鳴のような声を上げ、ルーンが信じられないというように目を擦った。
誰もが目を疑いながら窓の外を見つめると、そこにはあり得ない光景が広がっていた。
ドラゴンと学び舎の窓の間。何もないはずの空中に、青白い六角形の光の足場が浮かび上がっている。
そして、もうもうと紫色の煙を上げる鉄の乗り物――ドワーフたちが乗っている『バイク』という代物が、信じられないことにその空中の足場にタイヤを食い込ませ、ピタリと静止していたのだ。
そのバイクに跨り、こんな状況だというのに全く悪びれる様子もなく、どこか面倒くさそうに首の後ろを掻いている彼がそこにいた。
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