40話 異変
ファランの里を出発して一時間。
木々が鬱蒼と茂る森を抜け、深い谷間に架かる吊り橋を渡り、ひたすら歩き続けた二人は、ようやく目的の大きな里へと到着した。
これだけ険しい山道を一時間も歩き通したというのに、二人の顔は涼しいままだ。
森と共に生きるエルフの種族特性とでも言うべきか、その華奢な見た目に反して彼女たちの体力は底知れない。道中、他愛のない話で笑い合い、時折ティナにからかわれてラキが怒るというやり取りを繰り返しながらも、息一つ切らしていなかった。
その気になれば、木々の枝から枝へと飛び移りながら移動することすら、彼女たちにとっては造作もないことなのだ。
エルフの国『エフィリア』において、各々の部族は森の広範囲に点在して暮らしている。
そのため毎日通うのは物理的に困難であり、『10日に一度』という割合ではあるものの、現在の女王の名のもと、若者たちはこうして大きな里に集まって勉強することが義務付けられていた。
木々の合間から開けた場所に出ると、ファランの里よりもずっと巨大な樹木群と、そこに集まる同年代の少年少女たちの姿が見えてきた。
そこは、この周辺の部族を束ねる中心地――『大樹の里』だ。
ファランの里とは比べ物にならないほど巨大な、天を衝くほどの古代樹が何本もそびえ立っている。その太い幹を直接くり抜いて作られた多層階の住居や、巨木同士を繋ぐように張り巡らされた丈夫な蔦の吊り橋。豊かな水脈から引かれた清らかな水路が縦横に巡り、緑の自然とエルフの文化が見事に調和した壮大な光景が広がっていた。
「やっほー、ラキ! ティナ!」
「いよーっす! お前ら今日もギリギリじゃん!」
「お前もな!」
広場に到着するなり、別の里から集まってきた同族の友人たちと気安い挨拶を交わす。
そのまま彼らは連れ立って、里の中心にそびえる一際大きな建物へと吸い込まれていった。巨大な老木の根本を丸ごとドーム状にくり抜いて作られた、いわゆる『学び舎』である。
「こらー! 廊下は走るなー!」
「ふふっ、今日も元気だねぇ」
わちゃわちゃと学び舎へ集まってくる生徒たちを、周囲で作業をしている大人たちは目を細め、にこやかに見守っていた。
各里から若葉のように瑞々しい少年少女たちが一堂に会する10日に一度のこの日は、里全体がいつもより一層明るい活気に包まれる、大人たちにとっても密かに楽しみな日なのである。
◇
学び舎でのカリキュラムは多岐にわたる。簡単に言えば、「彼らが大人になった時に必ず役に立つ実学」が主軸となっていた。
歴史、魔法学、基礎体力訓練、狩り、野草探しそして生活に必須の算術など。
これらの課程をしっかりと修了すれば、国の兵士になる道や、ハンターとして生計を立てる道も開かれている。
血気盛んな年頃の男子ならば、一攫千金を夢見てハンターを目指しそうなものだが、意外にもエルフのハンター志望者は非常に少ない。
というのも、エルフは同族の絆や郷土愛が強く、生まれ育った里や国から進んで外に出ようとする者が滅多にいないからだ。
ハンターズギルドの支部は一応この国にも存在するが、その主な役割はドワーフ国など他国との『魔物出没情報の共有・連携』に留まっている。閉鎖的な土地柄ゆえに、他国から訪れるハンター自体が極端に少ないのだ。
それに加え、国内での魔物討伐の依頼は優秀な正規兵たちが迅速に片付けてしまうため、ハンターの仕事そのものがほとんど回ってこない。
いわゆる、組織の『形骸化』である。
だからこそ「本格的にハンターとして稼ぎたい」と考える変わり者のエルフは、わざわざ荒くれ者の多いドワーフ国へと出向く必要があるのだ。
◇
「ほら、さっさと並べー。授業はじめるぞー」
学び舎では、エルフの年代ごとにクラスが分けられて授業が行われる。
十五歳であるラキたちの、記念すべき本日の第一時限目は――。
「いや、いいって……」
『体力訓練と魔法』だった。
「こちとら一時間も山道歩いてきたっちゅうの……」
「わかる」
ティナの心底嫌そうなボヤキに、ラキも深く相槌を打つ。
すると、周りに集まっていた同級生たちも次々と便乗し始めた。
「うちも歩き疲れたー」
「わらわもじゃ」
「誰だよ、今どさくさに紛れて女王のモノマネしたの!」
他愛のない文句をぶつくさと零し合いながらも、結局は先生の指示に逆らうことはせず。少年少女たちはぞろぞろと、広い運動場の周囲を走り始めた。
◇
数周のランニングを終え、息を整えながら中央へ戻ると、この場で唯一の大人である先生の前に集まるよう指示された。青年のようにも見える若々しい容姿だが、長命なエルフである彼は、当然ラキたちより遥かに年上だ。
「よし、次は魔法の実技訓練を始める。前回の続きだが――」
エルフの魔法には、生まれつき得意・不得意な『属性』が存在する。
例えばラキとティナの場合、別名雷の里とも呼ばれる彼女たちは『雷属性』の魔法に強い適性を持っていた。簡単に言ってしまえば、息をするように、何も考えずとも直感で雷を放つことができるのだ。
今この場にいる同級生の中で、雷属性を得意とするのはラキとティナ、ファランの里から来た者だけである。というのも、エルフの属性適性は『出身の里』によって大きく偏るからだ。
長い歴史の中で、同じ属性を得意とする者同士が自然と集まって集落を形成し、それが今の各部族のルーツとなっている。もちろん、他属性の魔法が全く使えないわけではないが、発動までに呪文や精神集中など余計な時間がかかってしまうため、基本的には自里の属性を伸ばすのが普通だった。
そして、エルフの社会において『魔法』とは、自然界に漂う『精霊』に願いを捧げ、力を借りることで発動するものだと信じられている。
彼らにとって、空気中を漂う青い淀み――旧文明の遺物である『ナノヘイズ』とは、大いなる自然の象徴であり、神聖なる精霊そのものとして崇められていた。
授業が始まると、生徒たちは次々と目標の的に向かって、己の得意属性の魔法を放っていく。いわゆる『的当て』の実技訓練だ。
先生が用意した特製の的は、一定の魔力濃度で正確に撃ち抜かないと穴が開かない仕組みになっている。つまり、ただ闇雲に威力を出すのではなく、精密なコントロールと集中力が求められるのだ。
「あかん! どっちの意味でもあかん! 穴も開かないし、そもそも的にも当たってない!」
豪快に魔法を外したティナが、頭を抱えて叫んだ。
「やーい、ティナのへっぽこー」
「ティナやーい」
「ぐぎぎぎぎぎぎ……!」
同級生たちから容赦なく煽られ、悔しそうに歯ぎしりをする親友。そんなティナを尻目に、ラキはスゥッと息を吸い込んで前へと出た。
「精霊様、お願いします……」
小さな祈りの言葉と共に、手のひらから雷撃を放つ。
バチバチッ! と甲高い音を立てながら、放たれた雷の矢は一直線に目標へと向かい――見事、的のど真ん中を正確にブチ抜いて綺麗な穴を開けた。
「おー! ラキすげー!」
「さすがだなー」
「ぐぎぎぎぎぎっ……!」
「…………?」
周囲から沸き起こる称賛の声と、隣でさらに激しく歯ぎしりをするティナの音が、平和な運動場に響き渡る。
だが、ラキの心の中には、言葉では表現しがたい奇妙な『違和感』がわずかに渦巻いていた。気のせいだろうか。先ほど魔法を放った瞬間、手の中の精霊が、どこか見知らぬ方向へ吸い寄せられるように、不自然なブレを見せたような……。
そんなラキの思考を遮るように、ティナが元気よく声を張り上げた。
「ちょっ、待て! ルーンにミリナ! 二人ともまだやってないじゃん! 人を馬鹿にするのは、自分が成功してからだ!」
ズバババババーン! と、謎の幻聴が聞こえてきそうな勢いで、ティナが同級生の二人に向けてビシッと人差し指を突きつける。
指を差された二人は、ふふんと鼻で笑って前へと出た。
「……ええ、良いでしょう。私の力を見て戦慄くといいわ」
「仕方のない子ですの。わらわの力の片鱗、垣間見せてやりますわ!」
無駄にカッコつけたセリフと共に、二人は「いけーっ!」「おりゃー!」と自分なりの気合いの掛け声を上げ、火属性の魔法を練り上げて射出した。
が、放たれた火球は的に当たるどころか明後日の方向へと力なく飛んでいき、的のはるか後方の地面に着弾して空しく煙を上げた。
「――ぷっ、ひゃははははっ! なにそれ、お前らだって全然当たってないじゃん! ぷぷっ!」
「な、なんで!?」
「嘘!?」
顔を真っ赤にして慌てるルーンとミリナに、ティナが腹を抱えて大爆笑する。そこから「もう一回やらせろ!」「だせー!」と、わちゃわちゃとした賑やかな口論が始まった。
そんな微笑ましい光景を眺めながら、ラキはふと周囲の状況に気がついた。
(あれ……?)
ルーンやミリナだけではない。運動場を見渡すと、先ほどから他の同級生たちも、ほとんどの者が的を外してしまっていたのだ。
「……おかしいな。精霊たちの流れが異常だぞ」
大人である先生も環境の異変に気づいたのか、怪訝そうに眉をひそめて呟いた。
その瞬間だった。
「おい……なんだあれ」
誰かの震える声が、運動場の賑やかな喧騒をピタリと止めた。
声に釣られて、全員が同じ方角の空を見上げる。
視線の先――ラキやティナたちの故郷であるファランの里がある方角の空が、一瞬、あり得ないほどの眩さで強烈な閃光を放った。
直後、空気をビリビリと震わせるように、巨大な硝子が砕け散るような『パリンッ!』という不気味な音が空から響き渡る。
「今、空が……光った……?」
呆然と立ち尽くす生徒たちの目の前で、再び空が激しく明滅する。
そして今度は、ドズンッ……! と、足元の土を揺るがすほどの重い爆発音が、遠く離れた森の向こうから遅れて届いた。
「……え?」




