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36話 天空の大浴場


 大きな窓の外に広がるのは、天空都市エンテリオンの絶景だった。

 ナノヘイズの淀みなど一切ない、どこまでも澄み渡る青空。そこに立ち並ぶ流線型の白亜の建造物群は、降り注ぐ陽光を反射し、まるで都市全体が黄金のベールに包まれているかのような神々しい輝きを放っている。

 それはまさに、旧文明のおとぎ話に登場する『神の国』をそのまま具現化したかのような、洗練され尽くした清浄なる世界だった。

 

 「でかいな……」

 

 その圧倒的なスケールを前に、ミーヴェルは呆然と呟いた。

 

 「ぴぃ……」

 

 肩に移動したルナも、目を丸くして同意の声を上げる。

 

 「あぁ。お前もそう思うか……」

 

 ミーヴェルの視線の先に広がる、その規格外の光景。

 

 それは――。

 

 優に十人は一斉に入浴できそうなサイズの、無駄に豪華な大理石の『浴室』だった。

 いや、浴室というより、もはやちょっとした『巨大入浴施設』と言った方が正しい。

 

 ◇

 

 備え付けられていた、どう見ても高級品としか思えない香りの良い石鹸で頭と体の汚れを念入りに洗い流し、ミーヴェルはゆっくりと湯船に身を沈めた。

 

 「はぁぁ……生き返る……」

 「ぴいぃ……」

 

 ルナも湯の表面を器用に犬かきのような動きで泳ぎながら、気持ちよさそうに目を細めている。ヘイズにまみれた地上での死闘を思えば、ここはまさに天国だった。

 

 「これ、俺とルナで完全独占だぞ? ウチにも……いや、アークポッドにも、こんなデカい風呂は無かったよな」

 

 防水シールドを展開したまま、脱衣所のあたりで待機しているアイが、淡々と答える。

 

 『アークポッドモ、用途ヤ居住規模ニヨッテ、設備ハ様々ダ。ミーヴェルノ居住区ガ標準トハ限ラナイ』

 「……アイ、お前、他にもアークポッドがあるって隠してたのか?」

 『否定。ベツニ隠シテナドイナイ。タダ、残存シテイル可能性ハ著シク低イト結論ヅケテイタダケダ』

 「あっそ。……相変わらず都合のいい頭してんな」

 

 ちゃぷん、と湯をすくいながら、ミーヴェルは謁見の間での出来事を反芻する。一息ついて冷静になったことで、頭の中には聞き忘れた疑問が次々と湧き上がってきていた。

 

 「にしても、聞き忘れたことがいっぱいだ。……謁見の間にいたアイツら、一体なんだ? 俺が地上で見たことのある魔物とも違うし、ラキみたいな亜人とも全然違った。あれは何族って奴なんだ?」

 

 アークポッド内で過去のアーカイブデータを確認した際、ミーヴェルは地上の種族について調べていた。

 記録によれば、『亜人』とは旧人類が長命種を目指し、遺伝子操作によって生み出した人工的な種族のはずだった。

 ミーヴェルの知識にあるのは、エルフ、ドワーフ、獣人族。そして数百年が経過する中で新たに誕生したという魔人くらいだ。

 

 あそこに並んでいた異形たちは、果たしてどのカテゴリーに分類されるのか。そして何より、あの『ラーミア』と名乗った女は何者なのか。さっぱり皆目見当がつかない。

 

 『――検索完了。該当データナシダ。謁見ノ間ニイタ個体群、オヨビ「ラーミア」ト呼称サレル個体ノ生体特徴ハ、旧文明ノデータベースニ存在スル如何ナル種族トモ一致シナイ』

 「ふーん……。もしかして、あのメルメアとか、ラーミアって奴も、本当は俺と同じ『人間』なのか? 俺と大して見た目も変わらなかったよな?」

 

 ミーヴェルは天井を見上げながら、ぶつぶつと推理を続ける。

 

 「大体、何百年も前に絶滅した『人間』を初めて見たにしては、あの落ち着きようはなんなんだ? 例えばさ、何十年も前に絶滅したと思われてた動物が、ある日ひょっこり目の前に現れたらどう思う? 普通は信じないか、驚いて舞い上がるかのどっちかだろ? ……アイはどう見た?」

 『否定。彼ラガ旧人類デアル可能性ハ低イ』

 

 アイは即座にミーヴェルの推測を切り捨てた。

 

 『コノ世界ニオイテ、ナノヘイズニ対シテ完全ナ【反発力】ヲ持ッテイルノハ、ミーヴェルダケダ』

 「……どういう事だ?」

 『報告スルマデモナイ些事ト判断シ、言及シテイナカッタガ』

 「いや、嫌な予感がするぞ。お前の言う些事はだいたい重大な事だ」

 

 ミーヴェルのツッコミを無視し、アイは淡々と分析結果を述べる。

 

 『ミーヴェルノ場合、高濃度ノナノヘイズ環境下ニオイテモ、ヘイズガ一切体内ニ吸収サレナイ。アイノ視覚センサーカラ見レバ、ミーヴェルノ肉体ハ常ニナノヘイズヲ物理的ニ反発シ、弾イテイル状態ダ。カノ者タチニハ、ソノ傾向ガ見ラレナカッタ』

 「……おい待て。それ、めちゃくちゃ重要な情報じゃないか!?」

 

 ミーヴェルは思わず湯船から勢いよく身を乗り出した。ルナが波に揺られて「ぴあ!?」と抗議の声を上げる。

 

 『落チ着ケ、ミーヴェル。ソモソモ、過去ノ戦争――旧人類ト、反逆シタ『亜人』トノ戦争ニオイテ、旧人類ハ敗北シタノダ』

 

 波立つ湯船を見下ろしながら、アイは淡々と過去の血塗られた事実を語る。

 

 「反逆……? 亜人が、俺たち人類に?」

 『肯定。長命種ヤ労働力トシテ遺伝子操作デ生ミ出サレタ彼ラハ、ヤガテ旧人類ニ牙ヲ剥イタ。ソシテ反逆ノ最中、彼ラノ一部ガ突如トシテ未知ノ物質――ナノヘイズヲ撒キ散ラシ、ソレヲ触媒トシテ『魔法』トイウ不可解ナ力ヲ放チ始メタノダ』

 「……っ」

 『魔法ノ乱発ニヨリ、ナノヘイズハ瞬ク間ニ世界中ヘト拡散サレタ。結果トシテ、ソノ未知ノ猛毒ニ適応デキナカッタ旧人類ハ皆死滅シタ。……生キ残ッタノハ、ヘイズヲ撒キ散ラシタ元凶デアル亜人種ダケダ』

 「自業自得……いや、作り出した俺たちの責任でもあるのか」

 『皮肉ナコトニ、ソノ元凶デアル亜人種デサエモ、現在デハ高濃度ノヘイズニ耐エキレズ、病気ニ罹患シテシマウガナ』

 「……じゃあ、なんで俺は平気なんだよ? 旧人類はヘイズで全滅したんだろ?」

 『肯定。本来ナラバ、ミーヴェルモ外ノ空気ヲ吸ッタ時点デ死ニ至ッテイタ』

 「……?」

 『ミーヴェルガ今、完全ナル反発力ヲ得テイルノハ、偶然デハナイ。アークポッドニヨル【500年ノ睡眠】ノ結果ダ』

 

 アイは空中を少し移動し、ミーヴェルの目の前でピタリと静止した。その青いレンズが、じっと彼を見据える。

 

 『ミーヴェルノ母親ハ、アークポッドノ睡眠装置ニ特殊ナプログラムヲ組ミ込ンデイタ。500年トイウ途方モナイ時間ヲカケテ、極限マデ薄メタナノヘイズヲ細胞ニ接触サセ、肉体ガ自然ニ反発力ヲ獲得スルヨウ、徐々ニ、慎重ニ適応サセテキタノダ』

 「なっ……」

 

 ミーヴェルは息を呑んだ。

 母が自分をポッドで眠らせたのは、ただ災厄が過ぎ去るのを待つためだけではなかった。この狂った世界で、息子が確実に生き延びられる体になるまで、気の遠くなるような時間をかけて守り抜くための「500年」だったのだ。

 

 「……母さんが、俺を……」

 『ソノ通リダ。ミーヴェルハ、母親ノ手ニヨッテ500年カケテ創リ上ゲラレタ、旧人類唯一ノ【完全適応者】ダ。ソコニ、中途半端ニヘイズヲ取リ込ム他種族トノ明確ナ差ガアル』

 

 アイは再び視線を換気窓の外、オレンジ色に差し掛かるエンテリオンの夕空へと向けた。

 

 『コノ高度ニアル天空都市デモ、極メテ微量ナヘイズガ空中ヲ舞ッテイル。ダガ、謁見ノ間ニイタ者タチハ、ソノ微量ナヘイズスラ反発シテイナカッタ。故ニ、彼ラハミーヴェルト同ジ人類(オリジナル)デハナイト判断シタ』

 「なるほど……。ちなみになんだけど、何で俺だけなんだ? その長い時を掛ければ適応できるんなら、みんなそうすれば人類は生き残れたんじゃないのか?」


  ミーヴェルの素朴な疑問に対し、アイは青いレンズの瞬きもせずに、冷徹な事実を告げた。

 

 『単純ナ理由ダ。ソノ【猶予】ト【設備】ガ、当時ノ人類ニハ既ニ残サレテイナカッタ』

 「猶予と、設備?」

 『第一ニ、ナノヘイズノ暴走カラインフラガ完全崩壊スルマデノ速度ハ、人類ノ想定ヲ遥カニ超エテイタ。全人類ヲ500年ノ眠リニ就カセル時間的余裕ナド、ドコニモ存在シテイナイ』

 

 アイはモニターに、かつての世界がナノヘイズに飲み込まれていくシミュレーション映像を簡略化して映し出す。

 

 『第二ニ、ミーヴェルガ眠ッテイタアノアークポッドハ、母親ガ独自ニ改修ヲ施シタ特注品(ワンオフ)ダ。500年間、細胞ノ変異ヲ24時間体制デ監視シ、致死量一歩手前ノヘイズヲ極小単位デ投与シ続ケル……ソンナ狂気的ナ医療プログラムヲ狂イナク実行デキル装置ハ、既ニ世界ニ、アレ一基シカ残ッテイナカッタト推測サレル』

 「…………」

 『ソシテ何ヨリ、コノ適応プロセスノ成功率ハ極メテ低ク、一歩間違エバポッドノ中デ被検体ガ異形ニ変異スル危険性スラアッタ。コレハ、国ガ主導デキルヨウナ救済措置デハナイ。タダノ非人道的ナ人体実験ダ』


 アイの容赦のない言葉に、ミーヴェルは湯の中で拳を強く握りしめた。


 『故ニ、母親ハ最期ノ手段トシテ、ソノ唯一ノ席ニ自分デハナク、ミーヴェルヲ乗セタ。確証ノナイ未来ニ、自分ノ命ト引キ換エニシテデモ、息子ヲ託シタ。……ソレガ全テダ』

 「……っ」

 

 広い浴室に、チャプン、と静かな水音だけが響く。

 自分だけが生き残った理由。それは「選ばれた」からではない。母が全てを捨てて、自分というたった一つの命を生かすためだけに、世界で最後のポッドを使い、500年という時間をかけた壮絶な実験を成功させた結果だったのだ。

 

 「……無茶苦茶な母さんだな……」

 

 ミーヴェルは、顔にかかった水滴を拭うふりをして、深く、長く息を吐き出した。


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