31話 目覚める残滓
「行くか」
「ぴ!」
『了解』
正面にそびえ立つツインタワー。否、もはや「塔」と錯覚してしまうほどの巨大な建造物の前に立った。
ミーヴェルは袋から予備のセルを取り出し、いつでもアイのパーツを交換できるよう準備を整える。深く一息つき、彼は鉄の墓標へと歩み出した。
「どっちでもいいけど、左のビルにすっか。アイ、頼む」
ミーヴェルの言葉に応じ、アイが先行して扉の認証システムへハッキングを開始する。
静寂の中に、アイが発する電子音だけが不規則に鳴り響く。……しばらくの後、不意に重低音が響いた。
ズ、ズズ……と、何百年も拒絶し続けてきたかのような不快な摩擦音を立てて。
巨大な扉が、ミーヴェルを招き入れるように歪に開いた。
慎重に内部へと侵入する。
中はひんやりと冷たく、部分的に「結晶化」が進んでいた。一歩進むごとに、足元の結晶が「パキパキ」と耳障りな音を立てて砕け、廃墟の静寂に反響する。
――いったい何年、いや、何百年この扉は閉ざされていたのだろうか。
『……否。ダトシタラ、壁面カラ何カラ全テガ結晶化シテイナイト不自然ダ。恐ラク、我々ノ他ニモ以前ココヘ来タ者ガイル……。モシクハ高層階ノ何処カニ、外部ト繋ガル穴ガ空イテイル可能性ガアル』
ミーヴェルは腰の剣に手をかけ、暗がりの奥へと視線を鋭くした。
エントランスホールと思われるその場所は、かつて人類が謳歌した未来の残骸だった。
天井は遥か高く、数枚の巨大な強化ガラス越しに、外の青白い霞がぼんやりと差し込んでいる。壁面にはかつて情報を映し出していたであろうホログラム・ディスプレイの残滓が、まるで剥がれ落ちた皮膚のようにぶら下がっていた。
床には、磁気浮上式の搬送レールが縦横無尽に走っている。かつてはそこを無数の自律ドローンが音もなく駆け抜け、洗練された都市の血流を支えていたのだろう。
だが今や、その流線型の美しい床は、ナノヘイズの結晶体によって無惨に侵食されていた。
「……まるで、時間が凍りついたみたいだな」
ミーヴェルが呟く。
壁の隅には、かつての清掃ロボットだろうか、丸みを帯びた白い機械が蹲っている。しかしその表面は滑らかな装甲ではなく、内側から突き破るように生え出た青い結晶に覆われ、まるで巨大な宝石の原石が機械を食い破ったような、歪なオブジェへと成り果てていた。
かつては白く輝き、細菌一つ許さなかったであろう清潔な空間。
それが今は、ナノヘイズという病に侵され、音のない悲鳴を上げているように見える。
『注意セヨ。コノ先、メインシャフトニ到達スル。本来ナラバ反重力エレベーターガ稼働シテイルハズダガ……』
「……ああ、わかってる。ここは静かすぎる。……まるで、獲物が罠にかかるのを待ってるみたいだ」
アイが照らし出した先には、ビルの中心を貫く巨大な吹き抜けがあった。
上下の視界が効かないほどの深い闇。その中を、かつての超技術の結晶である「浮遊プラットフォーム」が、動力供給を失って中途半端な高さで静止している。
そのプラットフォームにも、あるいは壁に設置された複雑な配管にも、例外なくあの「青い結晶」が血管のように這い回っていた。
「ぴ、ぴぃ……」
ルナがミーヴェルの首筋に顔を埋め、小さく震える。
生物的な本能が、この「死んだはずのテクノロジー」が放つ異様な気配に警鐘を鳴らしているのだ。
まるで、「こんな所に来ると分かってれば付いてこなきゃよかった」と言わんばかりに、穴を開けるような勢いでミーヴェルの首を圧迫してくる。
「ル”ナ……今”、緊迫したシ”ーンだ”から”、ちょっ、息がっ……!」
自分でもカッコイイ台詞を吐けたと、まんざらでもない気分だったミーヴェルだが、ルナのせいで完全に台無しである。
だが、ただでさえこれから会敵するであろう状況だ。このまま首を絞められ続けていては、碌に戦えやしない。
ということで、ミーヴェルはルナをベリッとひっぺがし、宙に浮くアイへとバトンタッチした。
「ぴい!?」
何をする!? と抗議の声を上げているのか。ジタバタと暴れるルナを、アイが強制的にホールドする。
「これから戦う可能性があるんだ。俺が動けないとマズいからな」
アイの端末に首根っこを掴まれ、宙吊りになって運ばれるルナの姿は、まるで親猫に咥えられた子猫のようだった。
「階段で行くしかないか」
気を取り直し、ミーヴェルは結晶を踏み砕かないよう、慎重に、だが確実に上層へと足を向けた。
彼らがその場を去り、再び静寂がエントランスを支配した、その直後。
暗がりに放置されていた一台のモニターが、不気味な電子音と共に、青白い光を明滅させた。
ひび割れたレンズが駆動音を上げ、去り行くミーヴェルの背中を捉える。旧時代の遺物である『顔認証システム』が、数百年ぶりの仕事を始めたのだ。
『………照合……当、企業ノ、従業員……データニ……該当ナシ。……来場、予約、未確認。……管理システム…………エラー。エラー……―――エッ――』
パチッ! と回路がショートするような火花が散る。
モニターに映る文字列がデタラメに崩れ、バグに侵食されていく。
『――爆輔絃 練幌壹 純。練後 練ỈU縫Ỉ◆縫 、募後 膜練り練 縫Z代練 纏九線「ワỈ墓園練りỈ後練円~ 峨 煌 線]後登……ア…!! ――――――――――排除。……ハイジョ、ハイジョ、ハイジョ不審者ヲ……即刻、排除セヨ!!!』
その絶叫に近い合成音声は、誰に届くこともなく、ただ結晶化した壁に虚しく反響した。
そして、その直後。
ビルの奥深くから、重苦しい「何か」が動き出す音が響き始めた。
◇
ミーヴェルたちは非常階段を使って順調に上へと登っていた。
アイが検知した目的の場所は、階層で言うとおよそ『70階』相当の高さだという。
壁に記されたフロア表示は『F39』。
まだ道程の半分ほどだが、もうひと踏ん張りだ。
「……にしても、よくこんなもん建てたな。はぁ、はぁ……っ」
ミーヴェルは荒い息を吐きながら、果てしなく続く階段を見上げてぼやいた。
だが、そこで不意に足が止まる。ある疑問が浮かんだのだ。
「はぁ……はぁ。……ん? 階段……もう無くね?」
40階へと上り切った踊り場。
そこから先へ続くはずの階段は――無情にも、完全な行き止まりとなっていた。
『……オソラク、コノ非常階段ハココマデダ。トナリノタワーヘ連絡通路デ移動スル必要ガアル。モシクハ、崩壊シタシャフトヲノボルシカナイ』
「了解」
呼吸を整え、重い鉄扉を押し開けた。
そこに現れたのは、巨大なラウンジのようなフロアだった。変色したテーブルや流線型の椅子など、旧文明の遺物であろう未来的な家具がそこかしこに散乱している。
足早にその無機質な空間を通り抜けると、奥にさらなる扉があった。
その先――そこに現れたのは、左右のタワーを空中で繋ぐ、ガラス張りの一本道だった。
足元から頭上までを覆う透明な壁の向こうでは、地表とは比較にならないほど高濃度のナノヘイズが、どす黒い青色となって荒れ狂っている。眼下を覗き込んでも、渦巻く霞に遮られて地上はおろか、数メートル先の景色すら見通せない。
強風に煽られ、数百年の風化に耐えてきたガラスと鉄骨が「ギ……ギィィ……」と不安を煽るような軋み声を上げていた。
まるで、自分たちだけがこの空の毒海に取り残されてしまったかのような錯覚。
「……行くぞ」
ミーヴェルは意を決して、その頼りない空中回廊へと一歩踏み出した。
◇
突き抜けるような蒼穹。
高度数千メートル。地上の喧騒も、人々を蝕むナノヘイズの毒も届かないその高地は、ただ静謐な死と、暴力的なまでの青に支配されていた。
遮るもののない空の果てから、巨大な影が音もなく、二枚の翼を翻して現れる。
それは巨大な猛禽のようでもあり、あるいは旧文明の遺産が意志を持ったかのような異形の航空兵器にも見えた。
右翼は、汚れなき雲の結晶を敷き詰めたような純白。
左翼は、すべての光を吸い込み、無へと還す深淵の漆黒。
相反する色を纏ったその翼が、希薄な空気を力強く押し出すたび、塔の頂上には雷鳴のような風切り音が轟いた。
やがて影は、眼下に広がる青白い雲海を汚物でも見るかのように見下ろす、天を衝く巨塔の頂へと舞い降りた。
隣にそびえるもう一基の塔が落とす長い影が、巨大な日時計の針のように床面を横切り、刻一刻と迫る終わりの時を示している。
「おかえりなさいませ」
吹き荒れる烈風の中、一人の女性がその場に跪き、恭しく頭を垂れた。
彼女もまた、この過酷な高地で平然と呼吸をする強者の一人であったが、主を前にその肩は目に見えて微かに震えていた。
彼女は、風に乱れた長い黒髪を、細くしなやかな指先で無造作に払った。
地上の命運など知らぬげな、超然とした瞳で空を見上げる。その切れ長の瞳には、知性と、それ以上に深い孤独の色が潜んでいるようにみえた。
「……準備は?」
出迎えを当然の儀式として受け流し、低い、だが芯の通った声が塔の頂に響く。それは問いでありながら、逆らうことを決して許さない絶対的な命令でもあった。
「はっ。間もなく完了いたします」
「そう。ならいいわ、少し休む。……あとのことは、いつものように」
淡々とした返事を残し、跪く女性の脇を、風そのもののような足取りで通り過ぎようとした。
その歩みには迷いも、他人への関心も欠片ほども感じられない。
「お待ちください。……火急の報告がございます」
「何?」
足を止めず、耳だけを貸して通り過ぎようとした影が、床の上でわずかに伸びる。
「侵入者です」
「そう。なら、相応の処理をしなさい。私を煩わせるようなことではないはずよ」
冷淡な切り捨て。だが、続く言葉が、絶対の静寂を内側から食い破った。
「――人間です」
――風の音が、一瞬にして止まった。
いや、彼女から放たれた目に見えぬ圧力が、吹き荒れる大気そのものを凍りつかせ、黙らせたのだ。
ゆっくりと振り返る。
その瞳には、先ほどまでの退屈さは微塵もなく、獲物を見つけた猛禽のような……あるいは、数十年ぶりに失くした宝物を突き止め、困惑と歓喜を隠しきれない、狂気じみた鋭い光が宿っていた。




