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29話 星を壊す倫理


 N.E(ネオ・エラ)/5887年


 世界の経済は、先進諸国において一つの完成……あるいは「飽和」という名の袋小路に達していた。

 超高度AIが社会の最適解を導き出し、摩天楼の合間を反重力によって浮遊する無数のエアカーが、静寂と共に駆け抜ける。それがこの時代の「日常」であった。

 

 科学が極致に達した時、人類が最後に見出したフロンティア。それは開拓すべき宇宙でも、深海でもなく――自らの肉体という限界を突破する『永遠の命』であった。


 『人為変態/キメラ計画』

 

 科学の探究は、いつしか倫理という名のブレーキを焼き切っていた。他国が手を出すなら、その一歩先へ。隣国が神の領域を侵すなら、こちらはその玉座を奪う。

 国家という巨大な装置が主導する、醜く、そして子供じみた生存競争。国民には甘い言葉と「人類の進化」という大義名分をバラ撒き、その裏で計画は着々と、引き返せない地点へと加速していた。


 「……はぁ」

 

 雲を突き抜けるほどに高い超高度ビルのカフェ。

 赤毛の美女は、透過ディスプレイの眼下に広がる完璧すぎる都市を見下ろし、深く重いため息をついた。


 「大丈夫かい?何か悩み事があるなら相談に乗るよ ?」

 

 不意に背後から声をかけられ、彼女は視線だけを動かす。


 「これが大丈夫に見えるのなら、あなたの思考回路は相当におめでたいか、壊れているかのどちらかね」

 「っふ。相変わらずだね、そう褒めないでくれ」

 「褒められたと勘違いできるなんて、あなたの脳内チップも随分と楽観的なプログラムが組まれているようね」

 

 想定外の角度から返された毒舌に、男は思わず苦笑する。それは拒絶であると同時に、彼女が彼の着席を黙認したという合図でもあった。


 「それで? 何の用」

 「聞いたよ。随分と派手に揉めたそうだね。アイザック博士――『男の闘争本能ほど不毛なものは無い』だっけ? 会議で啖呵を切ったそうじゃないか。もう噂になっているよ。今頃は大統領の耳にも入っているだろうね」

 「あら、噂が広まるのが早いのね。……でも、事実だから。止まらない機関車に乗っている自覚がない連中に、少し現実を教えてあげただけよ」

 

 一歩引いて俯瞰すれば分かるはずだ。死刑囚ならまだしも、孤児を使って人体実験など正気の沙汰ではない。隣国は既に倫理観を捨てた。その事実は後進国から猛烈な非難を浴びているが、この国のトップもまた、同じ過ちを犯そうとしている。


 「ボクも反対だ。あっちの国は最近、軽犯罪であっても適当な言い訳を捏造して『死刑囚』を仕立て上げていると専らの噂だ。もちろん、自国民じゃなく、他国から来た者たちをね」

 「――冗談でしょ?」

 「いや、マジだ。知り合いがあっちに住んでいてね。さすがに死刑囚の出所が不自然だから調べてみたら……ってわけさ」

 「……信じられない」

 

 彼女は静かにカップを置いた。

 透過ディスプレイの向こう、陽光を反射して輝く完璧な都市。だが、その白く、清潔すぎる光景が、彼女には何故か、血の通わない『巨大な墓標』のように見えていた。

 

 欲望を制御できなくなった人類が、いつか自らが生み出した奇跡に裏切られ、この繁栄のすべてが音も立てずに崩れ去る……。


 まだ誰も知らない。まだ名前すら付いていない。だが、取り返しのつかない何かがこの星に産み落とされようとしていることを――彼女の冷めた瞳だけは、確かに予見していたのかもしれない。

 


 ◇



 ブロロロロロロ……ッ! プスン。

 凄まじい爆鳴を響かせて荒野を走っていた鉄塊が、くぐもった排気音と共に停止する。

 静寂など微塵もない。紫色の煙を吐き出すマフラーからは、ジリジリと歪な熱気が立ち上っていた。


 「……ふぅ。着いたか」

 

 ミーヴェルは強張っていた肩の力を抜き、荒々しく振動するバイクから降りた。

 街を出てから約一時間。舗装などとうの昔に剥がれた荒れ地や、巨大な瓦礫が転がる悪路を突き進んできたため、想像以上に体力を削られた。バイクと言えども、思いのほか時間がかかった印象だ。


 とはいえ、道中で遠くから同じような燃焼音が聞こえてきたりもした。

 サリアの言っていた「バイクはハンターの必需品」という言葉は、どうやら事実らしい。


 「最初は死ぬかと思ったけど……でも、確かにこれは便利だな」


 荒野を進む途中、幾度か得体の知れない魔物に出くわした。

 徒歩なら隠れてやり過ごすか、あるいは命がけの戦闘を強いられていたはずだ。だが、アイのスキャンによる早期発見と、このバイクの野蛮なまでの馬力があれば、敵を認識した瞬間に加速して置き去りにできる。

 目的地に着くまでに疲弊しきってしまう、という最悪の事態を避けられたのは、探索において何よりも大きな収穫だった。

 幸いなことに、風が吹き抜け、ナノヘイズが分散しやすい広大な荒野では、残響種と出会うことはなかった。

 だが、それは単に、高濃度のヘイズを好む彼らにとって、この場所が空腹を満たせる餌場ではなかったというだけに過ぎない。 


 「おい、ルナ。着いたぞ」

 

 ミーヴェルは、肩にかけた麻袋の中を覗き込んだ。

 最初はあれだけ振動に怯えていたルナだったが――今は袋の底で、丸くなって爆睡している。

 この短時間で爆音とウィリーに慣れるとは、なかなかに図太い神経だ。


 「(……ついでに、袋に入れっぱなしにしてた『しわしわのキノコ』でも食べて片付けてくれないかな)」

 

 そんな益体のないことを思いつつ、ミーヴェルは視線を正面に向けた。


 「これか……。ここが、目当ての場所なんだな?」

 

 目の前に広がる光景に、ミーヴェルは息を呑んだ。

 先日の閉鎖的な『地下鉄跡』とは、明らかに異質だ。

 そこにあるのは、瓦礫と廃墟が複雑に混じり合った、剥き出しの巨大建造物群。

 赤茶けた巨大な鉄パイプが、天を突き刺す槍のように何本も伸び、崩れかけたコンクリートの防壁が迷路のように入り組んでいる。かつては大規模な工業地帯、あるいはエネルギーの精製施設だったのだろうか。

 ナノヘイズの霞に沈む巨大な影は、旧人類の栄華の成れ果てだ。

 施設の入り口らしきゲートには、錆びついた金属の看板が打ち付けられている。

 そこに刻まれているのは、旧人類の文字でもなければ、魔人国の文字でもない。――幾何学的で、まるで『歯車』を組み合わせたような意匠の文字。

 ドワーフが管轄し、管理しているダンジョンであることを示す無骨なサインだった。


 「(……一見するとただの廃墟だが。果たして、この地下にダンジョンがあるとか?)」

 

 ミーヴェルは首を傾げ、周囲を窺う。

 風が瓦礫の隙間を吹き抜ける不気味な音以外、何も聞こえない。


 「……誰もいないのか?」

 『スキャン完了。現在、周囲に我々以外ノヒューマノイドの生体反応ハ確認デキナイ。タダシ――』

 

 脳内に響くアイの声が、警告のトーンへと変わる。


 『複数ノ魔物ノ反応アリ。警戒レベルヲ引キ上ゲヨ、ミーヴェル』

 「……了解」

 

 ミーヴェルは腰のリンク・エッジの柄を握り、ゆっくりと引き抜いた。

 生まれ変わった刃が、淀んだ空気の中で鈍い光を放つ。

 静寂と毒霧に包まれた瓦礫の迷宮。

 ミーヴェルは一歩、その巨大な廃墟の「口」へと足を踏み入れた。



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