26話 招かれざる入浴巧者
入浴
それは、皮膚に付着する皮脂や汚れを取り除くだけの行為ではない。温熱による血管拡張が血行を促進し、蓄積した疲労物質を押し流す。浮力によって重力から解放された筋肉は弛緩し、副交感神経が優位となることで、精神は深い安らぎを得る。
まさに至高のリラクゼーション。
「やっぱ風呂って最高だわ……ぁあー」
「びー……」
『…………』
ミーヴェルは湯船の縁に頭を預け、全身の重みが熱い湯の中に溶けていくのを実感していた。
今日ギルドから支払われたのは、討伐報酬の銀貨50枚に、ブレードウルフの牙や素材分を合わせて計80枚。期待していた「銀晶草」の追加報酬は、依頼主の所有地だったというオチでゼロに終わったが、それでも手元にはまとまった金がある。
というわけで、予算の都合で泣く泣く諦めた、一泊銀貨10枚もする宿へ、即座にリベンジを果たしに来たのだ。
銀貨10枚するだけあってか、まさか客室に専用の浴室がついているという、驚きの神仕様だった。
アークポッド以来の数日ぶりの湯船に、ミーヴェルのテンションは人知れず爆上がりしている。
どれくらいお風呂が好きかと言えば、アイの目を盗み、AI非搭載の小型ドローンを飛ばして天然温泉を探索した事があるほどだ。結局、温泉は見つからないままドローンのバッテリーが切れ、機体自体をおシャカにするという失態を演じた。(本人は完全犯罪のつもりだが、当然アイにはすべてバレている)。
そんな至福の湯に身を溶かし、極楽気分を味わっていた――。
「――って、ちょっと待って。お前、なんでここにいる訳!?」
視界の端、湯船に浮かぶ「白い物体」に気づき、ミーヴェルは素っ頓狂な声を上げた。
『……キヅクノガ遅イゾ、ミーヴェル。宿ニ入ッタ時点デ、スデニ荷物ノ中ニ紛レ込ンデイタ』
「うそん!?」
「ぴぃぃぃー……」
見れば、あの銀色の耳を持つウサギ――ルナが、湯が入らないよう器用に耳を畳み、仰向けでぷかぷかと浮かんでいるではないか。
あまりに気持ちよさそうに目を細めるその姿に、ミーヴェルは毒気を抜かれ、大きな溜息をついた。
「いや、どうすんのよこれ……。ロキのペットだろ?」
『ドウシヨウモナイ。アイガ今カラ探シニ行クカ?』
「いや、わざわざそこまでしなくてもいいけどさぁ。今日会ったばかりの奴のために、夜通し探し回るのもね……」
『明日ギルドヘ行ケ。ロキトマタ会エル確率ハ高イ。サリアニ相談シテミルトイイ』
「ああ……そうだな。そうしてみるか」
口では冷静を装いながらも、ミーヴェルはじっとウサギを見つめた。
相変わらずの、見事な浸かりっぷりである。
「びぃ゛ーーーー……」
「ふむ……やるなこいつ」
何が「やるな」なのかは自分でもよく分からなかったが、このウサギ、なかなかの入浴巧者だとミーヴェルは直感した。
妙な対抗心が芽生えたミーヴェルは、負けじと湯船に深く浸かり直した。
――その後、意地の張り合いで限界まで浸かりまくり、無事におのぼせ上がった一人と一匹は、真っ赤な顔をして脱衣所に転がることになるのだが……それはまた別の話。
◇
翌日、宿を出たミーヴェルの足は自然とギルドへと向いていた。
特に依頼を受けるつもりはなく、昨日手に入れた銀貨で新しい装備の相場でも見ようという魂胆だったが、何より最大の懸念事項は、今も肩の上で呑気に微睡んでいる「白い毛玉」の処遇だった。
扉を押し開けると、朝独特の活気と、微かな酒の匂いが混じった空気が鼻を突く。
「あら、ミーヴェルさん。おはようございます! 今日もさっそく依頼を受けに来られたのですか?」
受付カウンターの奥で、サリアがいつもの明るい笑顔で手を振った。
「いや……今日は依頼っていうか、顔を出しに来ただけだ。武器とかも見に行きたいし」
「ふふ、昨日の稼ぎで装備の新調ですか? ハンターらしくなってきましたね」
冗談めかして笑うサリアに、ミーヴェルは少し決まり悪そうに視線を逸らすと、意を決して自分の肩を指差した。
「……それより今日は、こいつだ」
「え? あれ、ウサギさん……? ロキさんにお返ししたのではなかったのですか?」
サリアが不思議そうに首を傾げた。無理もない。感動の別れを昨日見届けたはずなのだ。
ミーヴェルは溜息混じりに、昨夜の浴室密航事件の一部始終を説明した。気づいたら湯船で自分より寛いでいた、という点まで含めて。
「――というわけだ」
サリアは話を聞き終えると、困ったように頬を掻いた。
「あー……そうなんですか。ええと、事情は分かりましたが……困りましたね。ロキさんたちのパーティー、今朝早くに二泊三日の討伐依頼に出発してしまいましたよ」
「は?…………まじ?」
「マジ、です」
ミーヴェルの口から、乾いた声が漏れた。
二泊三日。つまり、最低でもあと三日は、このウサギと寝食を共にしなければならないということだ。
「ぴい?」
タイミングを見計らったかのように、ルナがミーヴェルを見上げて可愛らしく鳴いた。その瞳には「これからもよろしくどうぞオナシャス」と言わんばかりの図々しい輝きが宿っていながら、長い耳でミーヴェルの顔をペシペシと叩いている。
「(……アイ。これ、やっぱり押し付けられたんじゃないか?)」
『(可能性ハ否定デキナイ)』
「いや!ちょっと待て!昨日俺の宿に来たんだぞ? それなのに今日ここにきて、こいつの事何も聞かなかったのか?」
ミーヴェルが当然の疑問を口にすると、サリアは「ああ、それなんですけど」と、ロキから預かっていた言葉を思い出した。
「実はロキさん、今朝出発する前にチラッと寄られたんです。そこで『もしルナがここに現れたら、あの赤髪の少年に預けておいてくれ』って仰ってましたよ」
「はあ? なんでそうなるんだよ」
「ロキさん、笑ってましたよ。『あいつは気まぐれな野良上がりだから、自らついて行ったのなら好きにさせてやれ』って。エルフの人たちって、自然の一部として動物に接するので、あんまり『所有物』っていう感覚がないんです。特にルナちゃんみたいな変わったウサギは、賢いから自分で自分の居場所を決めるだろう、って考えてるみたいですね」
「……普通さ。ペットがいなくなったら、必死に探し回るもんじゃないのか?」
ミーヴェルが呆れたように問い返すと、サリアは人差し指を立てて補足した。
「普通ならそうですけど、ルナちゃんはロキさんにとってもたまに顔を出す居候みたいな距離感だったみたいです。ロキさんも『あいつならどうせ死なないし、嫌なら勝手に帰ってくる。それまでは、新しい友人と風呂でも楽しんでるだろうさ』って、妙に確信してましたよ。実際、そうなってるようですし」
昨夜の浴室でのルナの見事な「入浴巧者」っぷりを思い出した。
あのロキという男、案外、すべてを見抜いた上で楽しんでいるのではないか。そしてあの時のセリフを思いだし、ミーヴェルは無性にムカムカしてきた。
(エルフ族は、受けた恩は返さないと気が済まない性分なんだ。放っておけば、私の誇りが夜も眠らせてくれないだろう)
「(……嘘つけぇ!)」
『(エルフトイウノハ、時ニアイノ計算ヲ凌駕スルヨウダ。興味深イ個体ダ)』
アイが感心したように呟く中、ミーヴェルは肩の上で再び丸くなったルナを横目で見た。
二泊三日――あるいは、それ以上。
どうやらこの、柔らかくて図々しい居候とは、もうしばらく付き合わなければならないらしい。
「……たく、食費はあいつが帰ってきたらきっちり請求してやるからな」
文句を言いながらも、ミーヴェルの指先は無意識に、ルナの柔らかな毛並みを撫でていた。




