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#8:「ブルー」


 ウィーーッ。

 危険を知らせる、独特のサイレンが鳴った。

「!!」

 私は作業の手を止め、早歩きでドア方向へと向かった。

 開けたままのドアを抜けて自分が無事であることを確認して、一息つく。

 周りではいつもの様に点呼が始まっていた。

 読み上げられる数字を聞きつつ待った。

「32」

 私はそれだけ言うと、続く他のヒトの番号に聞き入った。

 56、が抜けていた。

「………」

 今日もまた、一人が消えた。

 時々あることではある。

 皆はまた、作業に戻り始めた。

 同じく私も部屋に引き返す。

 私の名はブルー。

 とあるマチの塔の中で、時々現れるモノを採取する作業をしている。

 


   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 今日の分の作業が終わった。

 私には特に収穫はなかったが、仲間の一人はフィルムカメラの現像液を見つけた

そうだ。

 そんなモノ、一体何の役に立つのだろう。

「…………」

 私はいつもの様に作業着を返却し、黙って持ち出すモノが無いかどうか厳重に検

査された後、塔の入り口の隔壁を抜ける。

 宿舎は塔の基部に用意されてはいるのだが、私は自分の希望で塔の中に入る直前

の待機室の一角を使わせてもらっている。昔から人付き合いが苦手だった私には、

この環境の方が居心地が良かったのだ。

「…………」

 持ち込んだスリーピングマットの上で寝袋にくるまって、照明も無い天井を見上

げる。

 窓も存在しない部屋で、とても静かだった。

 私はそこで目を閉じ、思考を消す。


 此処は宇宙船「ディスカバリー」が次元転位してきた跡に出来たマチの、船体上

立っている無限に高い塔の中だ。

 不思議なことにこのマチの周りには謎の結界があり、それに触れたモノは存在が

消える。地中も空中も同様なので、この塔の中もある程度の高さになるとヒトが消

えてしまう。難儀なのはその結界がいつも同じ場所にあるとは限らないところだ。

油断していると今日の様に境界に触れ、いなくなってしまう。

 それでも、この塔の中には時々モノが現れる。何が現れるかはその時による。役

立つモノの場合もあるし、今日の様にくだらないモノが来ることもある。このマチ

は閉鎖空間故、有用なモノは残さず有効利用しなければ生きてはいけない。ここ以

外の船体の中にもモノは現れるが、こちらの塔の方が現れる確率が高い。それ故マ

チの上層部は私の様に死を覚悟したモノを派遣して、現れるモノの採取に当たらせ

ているのだ。

 かつては此処にヒトが群がってまるで宝探しの様だったこともあるが、あまりに

多くヒトが消える為に現在の状態になっている。たまに処罰として使役に来る人間

もいるが、大体は長すぎるこのマチの寿命に嫌気が差して、半ば死を望んで来るヒ

トたちだ。

 私、ブルーはトランスーーー「ディスカバリー」の次元転位の事象のことだーー

ーの時からこのマチにいる。

 初期の混乱、絶望、微かな希望を経て、やがて他の多くと同様に成長が止まった。

止まる時期は個人差があるが、私の場合は四十代で来た。そうしてこのマチでは病

気や事故にでも遭わない限り自分が死なないことが分かり始め、ヒトは皆何処か達

観するようになる。元々人付き合いが苦手だった私は、それがこの先もずっと続く

ことに心底絶望していた。それ故、この塔の作業員の話を知った時、迷わず応募し

た。

 ヒトによっては、拷問だとかある意味死刑だとか言われているのは知っている。

 だが私にとっては日々静かに作業に集中出来、時にはそれが役に立ち、煩わしい

人間関係も無くその上運が良ければーー死を迎えることも出来る場所だ。

 以来、私は数十年この作業を行っている。

 今のところ、死にはまだ出会っていない。

 早く来ないだろうかと思うこともあるが、特に焦ることもない。

 淡々と日々を生きている。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 今日も我々は塔の作業に出かける。

 塔はマチの中の各所にある隔壁と同じような巨大な鉄の扉から入る。出入りは厳

重にチェックされ、無駄なモノの持ち込みや現れたモノの持ち出しは厳禁だ。

 入るとすぐにあるのは上層部の物資チェックのブロックで、そこを抜けると再び

扉があり、そこを抜けると窓のない螺旋状の廊下が無限に続いている。その両側に

は無数に扉が並び、そこを開けるとそれぞれ三十平米程度の細長い空間がある。そ

こが曲者で、それより明らかに狭い部屋や広すぎる部屋も存在する。その中は大抵

は何も無いのだが、時々モノがある部屋に当たることがある。それを回収するのが

我々の仕事だ。

 境界があるのである程度の高さまでしか行けはしない。なので作業はすぐに済む

様に思われがちだが、そこはこの不思議なマチのことだ、一筋縄ではいかない。

 一応見た部屋はチェックの札を貼っていくのだが、その部屋もマチの環境と同じ

様に中身が変わる。ドアを閉めた直後にもう一度開けると変わっていることもある。

そしてその部屋の場所すら、変わっていることもある。気をつけていても、いつの

間にか境界に触れる位置に移動していることもあるということだ。

 それ故、普段の作業はドアを開けたまま行うことになっている。うっかり閉めて

しまうと、何処に飛ばされるか分からないからだ。

 作業は単純で、何か見つければ報告をしてそれを持ち出す。その繰り返した。書

物などが現れた時には中を見ているうちに時間が経ってしまいがちだが、それは危

険だ。没頭している内に周りの環境が変わっていて死にかけたヒトも私は何人も知

っている。

『作業開始!』

 手の甲にある生体端末「ファントム」で連絡が来て、今日の割り当て分の最初の

部屋に私は入っていった。高度計で高さをチェックし、問題ないことを確認する。

物資を入れる為の背中のリュックには各種工具も入っている。

 その部屋は空のスチールの棚が並んでいて、ちょっとした倉庫レベルの広さがあ

った。

 「何故?」「前後左右の部屋との合わせ目はどうなっているのか?」などという

疑問は当然湧くが、この塔では気にしていても仕方が無い。

「………」

 棚を丹念に見ていったが、特にめぼしいモノは無かった。スチール棚自体が?と

叩いたり動かしたりしてみたが、特に変哲もない棚だった。再利用することもある

かと思い報告はして、私は次の部屋へと向かった。

 私たちは日々こうして淡々と作業を続けている。

 すでにトランスから百年が経っている。

 この先もこのマチは、そしてこの塔はこういう状態だろう。

 私もいつか此処で消える。

 ずっとそう思っていた。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 その日の夜ーーと言っても私の生活では外の景色を見ることは無いので上層部が

伝えてくるスケジュール以上の意味はないのだがーー、私はいつもの様に待機室で

一人で寝ていた。

 ゴォーーーッという風の音が聞こえたような気がした。

「………?」

 普段、塔の中は防音がしっかりとしているのか、はたまた外とは何処か別世界な

のか、とにかくそういう音が聞こえることは無い。

 まさか、と思って普段は連絡用にしか使わない左手甲の「ファントム」を起動し

てみたが、特に何の情報も無かった。

「…………」

 私は何となく起き出して、隔壁の近くに出てみた。

 巨大な鉄扉のコードが我々に知らされることはない。それ故なのか、そこには特

に監視用のヒトはいなかった。

 監視カメラ位はあるだろうが……私は冷たい鉄扉にそっと耳をつけてみた。

「………ル………」

 扉の向こうで一瞬誰かが歌っている声が聞こえた様な気がして、私はビクッとし

た。

「…………?」

 しばらく耳をつけていたが、それ以上音がすることは無かった。

 寝袋に戻ったがその晩、私は中々寝つけなかった。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 外ーー我々はこの塔以外のマチの部分をそう呼ぶーーで何かやらかして罰で来た

というヒトに出会った。

 見た目が三十代なので新世代かと思ったが実はトランス時からマチにいたという。

 名はスキルと言った。

 外から来たヒトは大体いつ自分が消えるかという恐怖ですぐに音を上げるのだが、

スキルは特に気にすることもなく黙々と仕事をこなしていた。

 やがて彼も私と同じ様に隔壁手前の待機室で寝泊まりし始めたので、私は珍しく

少しずつ話をする様になった。

 彼は再生技術で作られた体を持ち、左右の手には武器が仕込んであると言った。

それで上層部の人間と対立して此処に来ることになったのだ、と。

 彼との話で、私は初めて『ヒュー』なる存在を知った。少し前にマチ全体への放

送でそんなことを言っていた気もするが、此処のヒトたちは総じて外での出来事に

関心が無い。

 謎の光る少年、『ヒュー』。私はその存在に少し魅かれた。

 もしそういう存在がマチの成り立ちから全て関わっているならーーーそしてこの

塔に時々現れるモノも彼の手によるものだとしたらーーー我々こそ、その存在のよ

り近くで所作を見ていたことになる。

 スキルはそれ故、此処で過ごしていればあるいは『ヒュー』に会えたり、その存

在の何かに近づくことが出来るかも知れない、と言っていた。自分はそれを目指し

ているのだ、と。

「何故君は、それを目指すのだ」

 私は聞いた。

「俺はトランス時目を覚ました時から、『ヒュー』に関わっているから」

「そしてその場所は、この塔の中の部屋だったから」

 スキルはそう言った。

「…………」

 私はそれ以上、何も聞かなかった。

 『ヒュー』に対する興味はあったが、いつか来る自分の死を後回しにしてまで、

という程ではなかった。

 スキルは私に、ずっと此処で働くというのはどういう気分なのかと聞いてきた。

私はありのままを答えた。何のことはない、ただ死を待っているのだ、と。

 それから数週間の間、スキルは淡々と作業を続けていた。スキルの後に同じく罰

で来たという上層部の小男が来たが、そいつはあっという間に音を上げて連れ去ら

れていった。

 恐らく罰の期限はとっくに過ぎていたのだろうが、スキルは作業を続けていた。


 私とスキルは、時々話をした。

 外のこと、『ヒュー』のこと、記憶の欠片(トランス時には何も覚えていなかった

我々が微かに覚えている記憶)のこと、マチの今。

 相変わらず私は外に出たいとは全く思わなかったが、そういう話を聞くのは楽し

かった。

 最近、外ではテロがよく起こっているらしい。それに『ヒュー』が関わっている

のかどうかは分からないらしいがーースキルは上層部の部隊とは別にそういうこと

への対処もしているヒトでもあった。

 その日も外で大規模なテロが起きているらしく、スキルは仕事終わりでその報を

聞いて急いで出ていった。

 テロは何とか鎮圧されたらしいがその後、待機室で我々が待機していた時にテロ

の実行犯の数人が制止を振り切って塔内部に逃げ込んだという話を聞いた。我々は

運良く彼らに鉢合わせせずに済んだが、結局安全確認の為数日待機になり塔内部に

生命反応が無いことを確認してから作業が再開された。

 恐らく彼らは何処かの部屋の一つに入ってドアを閉めてしまい、消えてしまった

と予想された。

 少々不安ではあったが、我々はまた淡々と作業をこなす日々に戻った。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 その辺りから、連絡用の「ファントム」の調子が悪くなっていった。

 連絡が滞ったり、通じるヒトと通じないヒトが出てきたりと徐々に作業に支障が

出る様になってきた。やがてハードの通信機も渡される様になったが、それすらド

アが閉まってしまうと通じない場合もあり、根本的な解決とは言い難かった。

 私は『ヒュー』に会いたい気分も少しあったが、それでも今まで通り自分の死を

待っていた。

 自分から積極的に何かをしようとは思わなかった。思ったとしても、この塔では

出来ることは少ない。

 そんなある日、私はとある部屋で絵本を見つけた。

 古い皮の表紙の、薄汚れた絵本。

 タイトルはかすれていて読めなかった。

 私は何となくそれを開いてみた。

 内容はこうだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 やぁ。ぼくはネコだよ。

 

 不思議なホシで、不思議な青年といるよ。

 そこはとても小さなホシで、時々流星が降ってくるよ。

 青年は体力が異常にあって、どこまででも走れるよ。

 時々流星をパンチで砕こうとしたりして大けがを負うよ。

 そんな時はぼくが介抱してあげる。

 でもネコだからあまり役に立たないんだ。


 ある時、流星が落ちた後に赤い服の女の子がいたよ。

 青年と女の子はすぐに仲良しになった。

 ぼくはちょっと寂しかったよ。

 でも女の子はすぐに消えちゃったんだ。

 青年が寂しそうにしてるから、ぼくも寂しかったよ。


 あれから、流星は時々降るけど、ぼくたちはそれなりに楽しく暮らしてるよ。


 でも……離れ離れになっちゃった。


✴︎✴︎


 やぁ。ぼくはビーバーだよ。


 不思議なシマに、女の子といるよ。

 女の子はずっと一人だけど、強く生きているよ。

 女の子は泳ぎがうまくて、何処までも潜れるよ。

 シマ以外は全て海だけど、時々別のシマが現れたりするよ。

 そこには大体ヒトがいて、彼女と遊んだり絡んだりするよ。

 そういう時、ぼくはちょっと寂しいんだ。

 でも、そういうヒトもシマも、長くはいないんだ。

 だから彼女がまた一人になって寂しそうにしている時は、

 ぼくが側にいるよ。


 ある時、潜りに潜った女の子は、海の底で不思議な光を見たよ。

 その時ぼくは一緒にいられなくて、後ですごく後悔したよ。

 だからその後は、出来るだけ一緒にいようと思ったんだ。


 でも……離れ離れになっちゃった。


✴︎✴︎


 やぁ。ぼくはカワウソだよ。

 不思議なマチで、強いヒトと一緒に暮らしているよ。

 マチは不思議な境界に囲まれてて、誰も外には出られない。

 ぼくは百年もここにいるけど、マチのヒトたちもそのくらい生きている

 不思議なマチだよ。

 強いヒトは強い両手と、よく見える左目を持ってる。

 他のヒトも優しいけど、ぼくはやっぱり彼がいいよ。

 時々環境が変わってよく死にそうになるけど、

 ぼくたちはそれなりに楽しく生きているよ。


 ある時、マチに鉄骨がたくさん降ってきたよ。

 強いヒトは出来るだけ多くのヒトを救おうと頑張っていたけど

 その時、左手を失ったよ。

 それからは、女性がそばにいる。

 ぼくは少し寂しいよ。


 そして……離れ離れになっちゃった。


✴︎✴︎


 あれ?それらはみんなぼくなの?


 とても暗い空間で、今ぼくは小さくうごめいているよ。

 今は何者でもない。



 ……ぼくは、だれ?

 ふとそんなことを思って、ぼくはとても寂しくなったよ。


 今はそばに誰もいない。


 なんだか、とても寂しくなったよ。


✴︎✴︎


 そんな時、ぼくは緑色の光を見たよ。


 ぼくはそれをずっとまえに見たことがある。


 それが、何かを教えてくれるような気がしたよ。


 ずっと遠いところに、モヤモヤした何かがいる気がしたよ。


 その中に、ぼくも吸い込まれていく。


 ぎゅいーーーーん。


 ーーーーーわぁ!


✴︎✴︎


 そうか。


 ぼくは、何かがわかった様な気がしたよ。


 次は、何になるのかな?


✴︎✴︎


 やぁ。ぼくは……



 不思議な宇宙船の中にいるよ。


 まだ誰もいないよ。


 これから誰が、現れるのかな。


 ぼくは、何になるのかな。


 誰であってもーーーー



 そばに、いるよ。

               (  おしまい  )


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「…………?」

 何の変哲もない話だがーーー私は少し、引っかかっていた。

 カワウソが強いヒトと一緒にいるページだ。

 マチというのは此処ではないのか?

 強いヒトというのはスキルか?

 確か彼の両手は武器、左目は高性能センサーだったはず。

 そして確かスキルはカワウソと暮らしている、と言っていなかったか?

 もしそのカワウソがそれならーーーそいつは幾多の世界を旅しているということ

か?

 そしてそのカワウソが見た光というのがもし『ヒュー』であるなら?

「…………」

 私は改めてその絵本を見つめた。

 これは、何かの予言書なのだろうか。

 だとしたら、他の段落ーー違う生物の姿でヒトのいるホシとかシマとは何なのだ

 そして最後のページの宇宙船とは?

「……まさかな」

 私は首を振って一息ついた。

 自分でも少々飛躍が過ぎる、と思った。

 その絵本は普段と同じ様に上層部に提出した。

 いつかまたスキルに会うことがあるなら、このことを話してみたいものだ。

 もし私が消える前に会うことがあれば。

 そう思っていた。

 だがその日、私はまた眠れない夜を過ごした。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 次の日の朝、我々は待機室に集合した後そのまま待機になった。

 マチを覆う環境は今海に変化していて、そこから現れた動く金網群がマチへと迫

っているらしい。一応紙の報告は上がっていて張り出してあったらしいが私も特に

気にしていなかった。

 「ファントム」で情報を得ようにもどうにも調子が悪かった。それは周りの皆も

同じだった。

 私は昨晩ほとんど眠れず、頭がぼうっとしていた。

 ガガッ!

 突如、船体が揺れた。

「お……」

「おぉ……?」

 普段は口数の少ない作業員たちがそれなりにどよめいた。

 私もウトウトとしかけていたが流石に目を覚ました。

 恐らく金網群が船体にブチ当たった衝撃だろう。

「…………」

 揺れは1分程で収まった。


 「ファントム」ではなく上層部から直接伝令が届いて、我々は作業に戻ることに

なった。

 金網は船体に取り付いた後静止したらしい。

「……………」

 私は考えていた。

 トランス以来初めて攻撃らしきものを受けたマチ。

 外はどうなっているのだろう。

 それは気になったが、それはそれとして我々は開いた隔壁を抜けいつも通りの作

業に入っていった。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 作業はいつも通り終わった。

 外は大変らしかったが、我々は我々の仕事をするだけだ。

 その日の晩、私はまた寝付けずにいた。

 スキルが言っていた記憶の欠片、という言葉のことを今更ながら思い出していた。

 スキルによると、トランス時マチにいたヒトには、トランス以前のモノであろう

微かな記憶があるという。新世代には無いし、たまにトランスを経ても無いヒトも

いるという。

 私にあるとすればーーーそれはたまに見る、自分が椅子に乗って飛んでいる夢、

だろうか。それは記憶というより何かの願望だと思っていたがーーそれをスキルに

言った時、笑われるかと心配したがスキルは真剣に聞いてくれた。

 そしていつか、それに出会えるかも。そう言っていた。

 私が死ぬまでに、それは実現するだろうか。

「…………!」

 その時、私はまたあの声を聞いた。

「………ル………」

 私はまた起き出して、隔壁の前まで行ってその冷たい鋼の壁に耳をつけた。

 あの声はーーーもしかして『ヒュー』、なのだろうか。

「…………」

 もしそうだとしたら、会ってはみたい。

 だが会って、どうするのだろう?

 何を聞く?

 私は、いずれ消えるというのに。

 だが今の状況では、その前にマチがどうにかなるかもしれない。

 私はその可能性を考え始めていた。

 今、「ディスカバリー」の船体には無数の穴網群が覆いかぶさっているという。

 動いている時に死傷者も出た様だが、今はそれは静止している。

 だがそれもいつまで保つことか。

「…………?」

 何か、引っ掛かるものがあった。

 その時、私は見つけた絵本のことを思い出した。

「ーーーーー!」

 もしあれが真実を語っていたとしたら。

 マチのことが書いてあるページで、「鉄骨がたくさん降ってきた」と書いてなか

ったか?!

「あ………!」

 金網、ではなく鉄骨。

 あれは、ただの絵本ではなく、確かな予言であるのならーー?

 ぞっと鳥肌が立った。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 その旨はすぐさま上層部に報告したが、取り合ってはもらえなかった。

 だが次の日、本当にマチに鉄骨が降った。

 まだ境界の外ではあるもののーーーこれで終わるとは思えなかった。

「…………」

 既に絵本は外に持ち出されていて、私が接触することは出来なかった。

 私はそのことを誰にも言えなかった。

 言えるとしたらスキルだけだったがーーーわざわざ外に出て言おうとまでは思わ

なかった。

 徐々に入ってくる情報に、我々もマチの終末に向けた覚悟を決めざるを得なくな

っていた。


 その日の晩、私はまた隔壁の前に出ていた。

 今日は何も聞こえない。

「…………」

 外では色んなことが起こっている。

 その全てに、スキルの言う『ヒュー』は関わっているのだろう。

 私はあの絵本を見た。

 あれが本当にこの世界の真実を語っているのならーーースキルの側にいるカワウ

ソは、あるいは別世界では別の生物として、誰かの側にいたのかも知れない。

 そして恐らくは『ヒュー』の光によって、また別の世界へ行くのだと書いてあっ

た。

 ーーー別の世界。

 このマチの様に、また別の世界を、『ヒュー』は作れるというのだろうか。

 だとしたらーーー我々は一体、何なのだ?

 ふと、私の記憶の欠片ーー時々見る椅子で飛ぶ夢は、そのどれかに関わっている

のだろうか、

などという考えが浮かんだ。

 いやーーーまさか。

「…………」

 いくら考えてみてもそれ以上の答えは出ようがない。

 隔壁の前は、全ての音を飲み込んでいるかの様に静かだった。

 私はそっとため息を吐いた。

 その時、いつもとは違うサイレンと共に放送が始まった。

”マチの全員に告ぐ!”

「!?」

 前に放送で聞いた声だった。上層部の一人だろう。

”今現在、また鉄骨群がマチに落下しつつある!”

「!!」

 私は思った。いよいよ本当にマチに、鉄骨が降る!?

”全員、直ちにマチの最下層部へと避難!各所の隔壁を開けるので、その中へ退避し

てくれ!

皆、冷静な対処を望む!”

 放送が終わった。

「………」

 どうしようか、と私は迷った。

 だがすぐに衝撃が来た。

 ガッ!

「く……!」

 私は隔壁の丸い鉄扉のハンドルに掴まって揺れに耐えた。

 …………ガコンッ。

「?!」

 音と手に伝わる感覚で分かった。

 目の前の隔壁が、開いた?

 隔壁を開くと先程の放送で言っていたが、上層部の誰かが此処も間違えて開けた

のだろうか。

 それとも………?

「………」

 どうせ、マチの最下層部まで行く時間は無い。

 私は少し考えてから、ハンドルを回した。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 私は、螺旋状の廊下が続くスペースに入っていった。

「………」

 誰もいない無限の廊下は、とても静かだった。

 ガンッ!

 また衝撃が来た。鉄骨はどんどん落ちてきているらしい。

 あまり時間は無い。

 マチが終わりを迎える前に、私が死を迎える前に、何かをーー出来れば『ヒュー

』に届く何かを、見つけるのだ!

 私は珍しく走った。

 手当たり次第に見える扉を開けていった。

 いくら開けても、空の部屋が続くだけだった。

 やがて私は螺旋状の廊下を、奥の方に向かって走り始めた。

 ガッ!

 断続的に衝撃が来る。「ディスカバリー」船体にも直撃が次々に来ている。この

塔とて、いつまでも無傷とは限らない。

「く……!」

 ガガッ!

 一際大きく揺れ、私は膝と手を突いた。

 だめかーーーだめなのか?!


 その時ーーー停止している筈の「ファントム」経由で何かが聞こえた。

『   』

「?!」

 微かに聞こえるそれは、スキルの声の様にも聞こえた。

 次の瞬間、緑色の光が見えた。

 あぁ、これはスキルから聞いていた『ヒュー』の光だーーーそう思った後、私は

気を失った。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 次に意識が戻った時、私は羊水の中にいる様なゆったりとした気分だった。

 ここは、天国なのだろうか?

「………?」

 何だ……この妙な安らぎは…… ?

 私は目を開けた。

 本当に、体が浮いていた。

「ーーーーー!!!」

 私は動揺して叫んだ。だが喉を通過して音声を伝えているのは、空気ではなく水

だった。

 自分の叫び声がくぐもって響いた。

「ーーーえっ??」

 そうして、私はしばらく水で深呼吸を繰り返した。どうやら普通に呼吸をする分

には問題無さそうだった。このマチでは、そしてこの塔では、こういう不可思議な

ことはいくらでも起こる。

 此処は、五十平米程度のとある部屋の中だった。ヒカリゴケでもあるのか、辺り

はボウっと薄緑色に染まっている。

「…………?」

 私は思った。水で満たされているのはこの部屋だけだろうか、それとも廊下も塔

の外もなのか?

 「ファントム」で外と連絡を取ろうとしたが通じなかった。ハードの通信機も無

くなっていた。

 心配なのは、後ろの扉が閉まっていることだった。もし部屋ごと何処かへ行って

しまっていたらーーー?

「…………」

 私は扉まで泳いで行ってノブに手をかけた。

 少し重かったが、扉は開いた。

 そしてその外の廊下も全て水で満たされていることが分かった。

「…………」

 結局これは、いつものマチの環境の変化なのだろうか。だとしたら今回は環境だ

けではなく我々の体も込みで全てが変わってしまったことになる。

 私は廊下に出た。廊下も同じ様に薄緑色に染まっていた。

 これだけの水だと相当な重量になる筈だが、塔や船体の強度は大丈夫なのだろう

か。

「………」

 巨大な螺旋状で両側にドアがあるいつもの廊下。私は今どの辺りにいるのだろう。

普段つけている高度計も何処かにいってしまっていた。ということはーー私はすぐ

さま境界に触れて消える可能性もあるということだ。

 降りるべきか、登るべきか?

 助かる可能性を考えれば降りるべきだがーーー私は、上の方へと泳ぎだした。

 どうせいつかは死ぬのだ。既に死後の世界なのかもしれない。今更自分の生命な

ど……。

『………ル………』

「!?」

 あの声が聞こえた様な気がして私はハッとした。

 隔壁の向こう側で聞いた声よりもよりハッキリと、その歌の様な声は水を通して

私の耳へと伝わってきた。

 ーーー知りたい。

 誰が歌っているのか。

 果たしてそれは『ヒュー』に関係しているのか?

 私は辺りに気を配りながら、ゆっくりと泳いで行った。

「!?」

 目の前に突然、光る何かが横切った。まるで壁をすり抜けてきた様だった。

「え!??」

 目で追うと、それはボウっと光った、筋肉質の青年だった。力強い走りで、もう

片方の壁の中に消えた。

「………?」

 幻だろうか?

 私は彼が消えた壁に寄って触ってみた。

 何もそこには無い、ただの石の壁だった。

 あれが『ヒュー』なのか?と思ったがスキルから聞いていた姿とは全く違う。ボ

ウっと光ってはいたが今のはもっと精悍な青年風だったし、水の中なのにそれを全

く感じさせない重量感、疾走感があった。

 あれはーーー誰だったのだろう。

 ひょっとして幽霊?此処で消えたヒトたちの亡霊なのか?

 私は少し混乱していた。

『………ル………』

 歌声の様な何かは断続的に聞こえている。

「う………」

 私は動揺していた。

 やはり私は既に、死んでしまっているのだろうか?

 塔で消えたヒトたちも、こういう幻覚の中に囚われているのだろうか?

 だとしたらーーー

「?!」

 また光る何かが横切った。

 人魚ーーー?

 いや、それは大人になりかけの少女に見えた。

 見事な泳ぎで私の側を通り抜け、また壁の向こうへと消えた。

「…………?」

 消えた壁をまた触ってみたが、冷たい石の感触がするだけだった。

 私はーーー半信半疑のまま、緩やかな螺旋状の廊下を上の方に向かって泳ぎ出し

た。

「…………」

 此処は、何なのだろう。

 私は、今どこにいるのだろう。

 ボウっと各所が薄緑色に光った廊下は、まるで深海の様だった。

 この光の色といえばーーやはり『ヒュー』なのだろうか。

「…………!」

 その時、私は思い出した。

 先程私が見た走る青年、泳ぐ少女はーーーあの絵本に出ていた二人なのではない

か?

「ーーーー!!」

 何処までも走れる青年。何処までも潜れる少女。ネコやビーバーとして動物が側

にいるヒトたち。

 だとしたらーーー強いヒト、スキルも、この中にいるのか?

「…………」

 私は頭を振った。

 自分でもおかしな思考をしている、というのは分かっていた。

 あれは絵本の中の話で、スキルはこの世界の住人だ。

「……………」

 だが、現に鉄骨は降ったではないか。

 あれに書いてあったマチが『ヒュー』の光によって作られた世界ならばーーーこ

の塔が『ヒュー』と我々を繋ぐ場所であるのならーーー!

「…………!」

 私は我を忘れて泳いだ。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



「ん……?」

 私は、いつの間にか流れがあるのに気がついた。

 それは私の後方から、螺旋状の廊下の上の方へと。

 此処は閉鎖された塔内で、物理的におかしいのは分かっている。

 だがその潮流は次第に強くなりーーー私はそれに押し流されつつあった。

「うぅーーーー!?」

 このままでは、境界に触れる。

 それは恐怖ではあったがーーーそれももう致し方ないか、と思えた。

 望んでいた死が、やってきたというだけのことだ。

 やがて私は泳ぐのを止め、流れに身を任せた。

 私の体は轟々と音を立てて螺旋状に押し上げられていった。

 あぁ、願わくば死ぬ前にこの無限の廊下の先をーーそして『ヒュー』のことをー

ーー理解したいものだ。

 心の奥底でそう思った。

 やがてどんどん水流の速さは増していき、流れていく周りのドアを目で追うこと

すら出来なくなった。

「ーーーーー!」

 やがて周りの風景は漆黒に溶けていきーーー次の瞬間、周りの感覚自体が全て無

くなった。



『……………』

 私は声を出そうとしたが出なかった。

 体の感覚も全く無かった。

 私はようやく、死んだのだろうか。

 ただ自分がそこにいる、ということだけは分かっていた。


 キィーーーン!


 緑色の光が瞬くのが見えた。

 視覚はまだ生きている?

 いや、それは脳内へのイメージでーーー脳がまだ生きていればだがーーーまるで

「ファントム」で繋がった時の様な感覚だった。

『あぁ………』

 その光は優しく、私を包み込む様だった。

 スキルから聞いた『ヒュー』の光。

 聞いただけではよく分からなかった、この何かをザワザワとさせる、不思議な光。

 その光は、やがて私の方へと向かってきた。

『………!』

 そして私の中の何かに、そっと触れた。

『!!!!』

 その時、私の中に無数のイメージが見えた。

 何処かの宇宙船の中が見えた。

 中には男性二人と女性とネコがいた。

 あれはーーー絵本の最後の宇宙船なのか??

 何処かの空間を焦って走っているヒトも見えた。

 あれは塔の中の様だが、彼が走っているのは見えている廊下や壁とは全く違う空

間だ。

『そうかーーー』

 彼は逃げ込んだテロリストの一人だ。塔の無限の中に取り込まれ、やがて力尽き

るのだろう。

 私がさっき見た、走る青年や泳ぐ少女のイメージも見えた。

 彼らはそれぞれのホシやシマで、孤独に耐えながらもしなやかに生きていた。

 ならばスキルはーーーマチは?

『…………!』

 見えた。

 無数のイメージの中に、ポツンとした閉鎖空間がある。

 周りはヒトの存在できない、謎のモヤモヤが取り囲んでいる。

 その中で、境界に取り囲まれたマチが見えていた。

 私は何故か分かった。

 あぁ、やはりこのマチはーーースキルが言う様に、『ヒュー』が守っていたのだ

と思った。

 境界は、外にあるモヤモヤとした何かからマチを守るために存在していたのだ。

 あの金網群も、鉄骨からマチを守るために、船体に取り付いていたのだ。

 船体は、まだ無事だった。

 マチはもう水の世界ではなく、元の姿を取り戻していた。

 船体の至る所に穴が空いていたが、そのシルエットはずっと前にーー塔に入る前

に私が見たものとほぼ同じだった。

 その船体上に、スキルと女性が立っていた。

 側にはあのカワウソがいる。

『…………』

 スキルは左手を怪我している様で、右手の方で女性を抱いていた。

 私には何が起きてそうなっていたのか、何故か理解していた。


 

   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 私は、どうなってしまったのだろう。

 彼らの姿も、他の無数の世界の姿も同時に見られる。今は感じ取れる。

 ここは死後の世界なのだろうか。

 『ヒュー』は……何処にいるのだ?

『…………』

 私は意識を集中させた。

 『ヒュー』はどの世界にも同時に存在出来る。それぞれの世界に『ヒュー』がい

るとも言える。

 つい先程までマチではスキルたちといたこと、そこでマチ全体と「ファントム」

で繋がっていたことは何故か分かっていた。

 それらを認識出来る、今の私は一体何なのだろうか。

 どういう存在なのだろうか。

 とにかく今は『ヒュー』をーーー私は探した。

『いた………』

 『ヒュー』はーーーボウっと光る白い髪に白い服の少年は、私に見える幾多の世

界の何処にもいなくて、ただそれを外から眺めていた。

『…………』

 私はそれを見ていた。

 いや、ーーーー今だけは私の視点は『ヒュー』のそれだった。

 私が『ヒュー』なのか?

 いや、まさか。

 それが違う、ということも私は知っていた。

 どれ位の時間が経ったろう。

 いや、既に時間など今の私にはあまり関係無くなっていた。

 やがて『ヒュー』はひゅるりと体を翻しーーーフッと姿を消した。

『ーーーーー!』

 その時、私の意識は強い力で引かれた。

『おぉーーーー!』

 先ほどの豪流のように、私はまた何処かへとーーーいや、行き先は既に分かって

いた。

 他の無数の世界のイメージも、どんどん見えなくなっていった。

 ただ一つーーー何処かの世界で、浮かぶ椅子に乗っている黒服の男が一人で呟く

様に歌っているのを私は見た。

『………ル………』

 あの歌う様な声が聞こえてきた。

『…………!』

 あれはーーーその世界の、私か?

 聞こえていた歌は、私が歌っていたのか?

 椅子で飛ぶ夢は、あのーーー!

『そうか…………』

 私は全てが分かった様な気がした。

 私の意識はどんどんマチの船体に立つあの塔へと戻って行った。


『…………!』

 気がつくと、私は塔の中にいた。

 塔の中も既に水は無くなっていた。

『…………』

 だが私の体はもう無い。

 そして、私はこのマチーーこの小さな世界の、観察者とも言うべき存在になった。

 トランスから百年の時間を、私は見ることが出来た。

 とは言え、先程の全てを見通す様な全能感は無い。

 他の世界のことはもう見えなくなった。

 だが、私は思った。

 私に見えるこの場所だけは、ずっと観察していこう、と。

 もはや誰とも連絡は取れないし、存在も証明出来ない。

 ただ、観察するだけだ。

 それでも、私は良い。

 望んだ死とは少し違うが、これもまた運命なのだろう。

 恐らく、他の世界にも私の様な存在がいるのだろう。

 この先どうなるかは分からないがーーいつかは、マチと少しは関われることもあ

るかもしれない。

 訪れるかどうか分からないその時を、私は待とうと思う。

 それはただ淡々と死を待っているよりは、幾分かマシだろうから。 


                   (   続   )



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