#10:「リジー」
私の意識は、何処にあったのだろう。
気がつくと私は、緑色の光の柱の中にいた。
光の向こうには、あの宇宙船で出来たマチがあった。
脳に鈍く響くノイズがマチに溢れる中、私はゆっくりとそこに降り立った。
光が収まっていくと、そこにはマチの人々と共にスキルとファイが立っていた。
彼らとの記憶は少々朧げではあるが、私は一度此処に来たことがある。
スキルの方は、私が何処かの世界で角膜をあげたと思われるヒトだ。
ファイはその側にいるヒト。確か寿命の無いこのマチで生まれた
最初の新生児だった筈だ。
見た所、彼らはより深い結びつきを得た様だった。
それにしてもーーー何故、私は今此処にーー?
私は光る夜空を見上げた。
空を覆うオーロラの下で私を覆っていた光の柱は徐々に消えていき、
あの不思議な白い少年ーー『ヒュー』の姿はもう全く見えなかった。
彼がまた、私を此処に津れてきた。
それだけは、何故か分かっていた。
✴︎ ✴︎ ✴︎
「前に来た時のこと、覚えているか?」
私はひとまずスキルの部屋へと向かった。
部屋に入るなりスキルは聞いてきた。
「えぇ……少しぼやけてるけど」
私は本当のことを語った。
相変わらず船内にはーーというより脳内には小さなノイズが聞こえている。
「耳……大丈夫?」
耳ではないが、と思いながら私は尋ねた。
「あぁ……何とか」
聞けばそのノイズはこのマチのヒトの手の甲にある「ファントム」を介してマチ
中に響いているのだという。それを持たない私でもこれだけ聞こえるのだから、ス
キルたちには相当な負担になっていることは想像出来た。
ヒトたちの通信に利用されていた生体端末「ファントム」だが、その機能は今は
ダウンしているという。自分の意思でオフには出来るものではないので、彼らはこ
のノイズに耐えるしかないのだ。
「それにこれ……」
私はスキルの左手に目をやった。
彼の左手は医療用シートに覆われ、動かせない様だった。
「それはあたしが……」
後ろにいたファイが済まなそうに言った。
「いや……俺が自分でしたことだ」
スキルはチラリと左手を見ながら言った。
「………」
私は二人を不思議な気分で見つめた。
やはり、二人の雰囲気は前とは変わった。間には一定の優しい空気が漂っている。
「…そう……」
私はスキルを見つめた。
長身でロングの金髪を後ろで縛った焦げ茶色の瞳を持つ外見は三十代の男。
その右の瞳には、私が与えた角膜が入っている。
だからと言って今私の目が見えないということではない。
あくまで何処かの世界で、の話だ。
何故私はそれを知っているのか。
それは分からない。
どうして自分がまた此処に来たのかも。
やはりそれは、あの白い少年『ヒュー』が何かを意図している、ということでー
ー今の所私には何も分からない。
「キキッ」
「?!」
私は我に返った。
鳴き声の方を見ると、カワウソのワウが側にいた。
そう言えばスキルの部屋には彼もいたのだっけ。
「キミも、元気だった?」
笑顔を見せた私に、ワウはツブラな瞳をパチパチとさせるだけだった。
「ふふ……」
私は少し笑ってスキルに目を戻した。
改めてスキルは私に聞いてきた。
「それでリジー……それ以外に何か、分かることはあるか?『ヒュー』のこととか」
「……ゴメンね」
私は首を振って謝った。
もどかしい。
私は僅かな記憶以外何も無い。
私に一体、何が出来るのだろうか。
何をすべきなのだろうか。
「…………」
ワウがピクリと入り口側を見た。
コンコン。
ノック音がした。
「………?」
ドアの向こうから声がした。
「ハークです。スキル。お願いします」
「……当然だな」
スキルは私にベッドルームにいるように手で制してからドアの方へ向かった。
スキルはしばらく戸口でハークと名乗った男と話をしていた。
前にこのマチの唯一のバー「ベルリン」で会ったことのある嫌味な小男だ、と思
い出して少し憂鬱になった。その後地下で追い詰められて銃撃戦にもなったっけ。
その時はスキルが助けてくれたが……。
「ハーク、少しは話せる様になったから多分大丈夫だと思うよ」
「…そうなの?」
ファイが気を使ってくれたが、それでも私は少々不安だった。
『ヒュー』のことを知りたいあまり、拷問でもされるのは嫌だ。
私自身だって自分が何なのか、『ヒュー』が何者なのかはまるで分からないとい
うのに。
ドアが閉まる音がした。
「………!」
「大丈夫、手荒なことはさせない」
スキルが戻って来て言った。
「ただ……」
「ただ?」
スキルはすまなそうな顔をした。
「一応、ハークの顔も立てていいか?」
✴︎ ✴︎ ✴︎
私はスキルから大体の話を聞いた。
前に私を助ける旨の放送をしたハークの上司は命を落としたらしい。
その後はあのハークたちがマチの上層部として頑張ってはいるが、今マチは危機
が続いて大変な状況なのだという。その為『ヒュー』に繋がる情報ならどんな些細
なものでも欲しい、ということだそうだ。
スキルやファイによれば、ハークは以前ほど話の分からない男ではなくなったら
しい。
私はスキルに連れられて上層部近くの医療部にやってきていた。此処も実は前と
は違う場所なのだという。以前の場所はマチを襲った鉄骨群に破壊されたのだ、と。
そう言えば此処に現れた時、船体の上には無数の穴が開いていたのを私は思い出し
た。
「あんた……!」
とある診察室に入った途端、スキルが声を上げた。
「何だよ、スキル」
エスニックな格好の上に白衣を羽織った老婆が出迎えた。
私は「?」とスキルの方を見た。ファイが呆れた声で私に耳打ちしてきた。
「……占い師のお婆さん」
「終末預言者とも言う」
「人聞き悪いね。人員が足りないから手伝ってるのさ」
老婆は悪態をつきながら私をササッと診察した。
「変な予言を上に上げるなよ」
「フン、それは保証出来ないね」
そう言いつつも老婆は手際良く私を診察し、隣のMRI的な機械へと導いた。
「これは……?」
「深層心理に入るやつ。オカルトじゃなくて、科学的にね」
占いなどとは真逆だ、と私は思った。
老婆は私に額周りにパッドを取り付けた。
「サイバーダイブの応用さ。これであんたの忘れてる記憶を、もしかしたら観られ
るかもしれない」
「………!」
もし本当にそれで私が何者なのか分かるなら、やってみたい。私はそう思った。
「安全なのか?」
スキルが心配そうに言ってきた。
「ほれ、あんたも」
「ん」
老婆はスキルにも同じ様なパッドを渡した。
「心を許したヒトが側にいて一緒に見る方が親和性が高い。何もあたしらが全部覗
き見る訳じゃないんだ」
私はそう聞いて少しホッとした。
同時に、少し複雑な顔をしているファイに気がついた。
「…………」
私の存在が、彼女を不安にさせているのだろう。
それは申し訳ないと思った。
付いてきていたワウが一声キューンと鳴いた。
ギシギシ………
その時、地震の様な、建造物が擦れ合っている音が聞こえた。
「……!」
皆一瞬天井の方を見上げたが、私以外は慣れている様だ。
「今じゃ時々ある。もう船体が持たなくなってきてるのかもね」
「そうなんだ……」
揺れはやがて収まった。
「それじゃ、行くよ」
老婆はキリッとした表情になった。
「………」
私は、覚悟を決めた。
✴︎ ✴︎ ✴︎
『…………』
私は、よく分からないモヤモヤとした空間にいた。
『………スキル?』
今私の身体はMRIの様な機械の中にいる筈だがーーー意識だけはダイブした時
の様に、不思議な空間を漂っている。側にいたはずのスキルの存在は感じられなか
った。
……あれ?私はダイブしたことがあるんだっけ?
どこか頭がーーいや、今は実体は無いのだがーー意識全体が霧に包まれた様にボ
ウっとしていた。
『……大丈夫だ、側にいる』
姿は見えないが、スキルの声は響いてきた。
『……良かった』
私は、その空間をしばらく漂った。
恐ろしいくらい何も無かった。
『…………』
嫌な考えが浮かんだ。
やはりーーー私は何者でもない存在なのだろうか。
僅かな記憶などどこかの誰かのもので、私など、そもそも存在しないのではない
だろうか。
『ヒュー』に翻弄され、何かの意図に利用される時にしか現れない、哀れな存在
ーー?
『……あそこだ』
スキルの声に私は我に返った。
『あ………』
やがて私が前にマチにいた時のイメージがぼんやりと見えてきた。
私は少し安堵した。
『………』
私の意識はそれに寄って行った。
そこにいる私は、まだ何も知らず怯えていた。不安な中、やがてスキルやファイ
と出会って親しくなり、恐らくスキルが何処かの世界で自分の角膜を与えたヒトで
あることを確信し、また『ヒュー』の光と共にマチを去った。
その時のことを、私は体感した。
『…………』
あれ?
私はあの時、何の為にマチへ来たのだ?
考えても分からなかった。
そしてーーー周りを見回しても、その時のもの以外のイメージは全く感じられな
かった。
私は焦った。
これ以外にはーーー本当に何も無い?
『スキル……スキル!』
『…………』
スキルの声は聞こえなかった。
私はとてつもなく不安になった。
『スキルーーーー!』
『誰かーーーーー!!』
そこには誰の声も無かった。
『……………!』
私は恐怖に押しつぶされそうだった。
キィーーーン!
その時、一筋の光が見えた。
緑色の光だ。
あれはーーー『ヒュー』?
あの光の中に、何か断片的なイメージが煌めいている様な気がした。
私はそちらに意識を集中させた。
だが、そのイメージはまだ遠く、ぼんやりとしていてよく分からなかった。
そしていくら望んでも、近づくことが出来なかった。
『ーーーー!?』
ダメだーーー何故届かない!?
その光は徐々に弱々しくなり、消えかけていた。
『お願い、待って!』
『お願いーーー!』
私は何度も叫んだが、その光はやがて消えていった。
そして、私の意識はぷつんと途切れた。
「リジー!」
私はファイに抱きかかえられて目を覚ました。
まだ少し意識が混濁している。
「あぁ……?」
「また揺れが起きて、装置にオーバーロードが起きたんだよ」
ファイの後ろでは老婆が心配そうな顔で機器をいじっていた。
「リジー……無事か」
その向こうでは同じく意識が途切れ途切れであろうスキルが、看護師に抱き起こ
されながら呻いていた。
「スキル……」
「俺は大丈夫だ……すまない、独りにして……」
「うん……」
「ちゃんと、見たから……」
「え……」
「ちゃんと………」
そこまで言うと、スキルは意識を失った。
「スキル!?」
ファイが驚いて声を上げた。
「大丈夫、気を失っただけだよ。バイタルは正常だ。休ませてやろう」
老婆がそう言った。
「………」
「良かった……」
ファイはため息をついた。
「…………」
私も力を抜いた。まだ視界が揺れている。
あれはーーあの時の微かなイメージは、一体何だったのだろう。
そんなことをぼんやりと思いながら、やがてわたしも気を失った。
✴︎ ✴︎ ✴︎
次に目が覚めると、そこはファイの部屋だった。
側には医療スタッフや老婆もいて、事故のことを謝ってくれた。
「あの……スキルは?」
「まだ眠ってる。結構深いダイブだったし、万一のことがあるといけないからまだ
医療部で預かってるよ」
「そう……」
スキルは、大丈夫だろうか。
最後に何か「見た」と言っていたが……。
「また何かあったら、報告するので。ここはわたしで大丈夫です」
ファイはそう言ってスタッフたちを帰らせてくれた。
その気遣いがありがたかった。
「ありがとう」
「ま、落ち着かないよね……あの人たちにずっといられると」
「うん……」
わたしはベッドで起き上がろうとしたが、まだ頭が少しクラクラした。
「あ……無理しないで」
ファイはクッションを持ってきてわたしの背中に入れ、上体を起こしてくれた。
「ありがと」
ファイが渡してくれたパックの水を飲み干してから私は一息ついた。
「スキル……何も無いといいけど」
「そうだね……」
そう言って私たちは少し黙った。
「…………」
微妙な空気が私たちの間にあった。
気を利かせた訳でもないだろうが、ワウがベッドの上にシュタッと上がってきて
丸くなった。
「ふふ……」
少し場が和んだ。
先に私の方が口を開いた。
「そういえばあのリボルバー……まだ持ってる?」
「あぁ…うん」
ファイは腰の後ろからリボルバーを取り出して見せてくれた。
「それ確か…お母さんの形見だったよね」
「うん……話したことあったっけ?」
私は首を振った。
「ううん、……見えた」
「……?」
「あのダイブで気を失う前に、断片的に見えたの。あなたのこと、スキルのことも」
「え……!」
ファイは驚いて私を見た。
本当のことだ。私にはあの瞬間、無数のイメージが見えた。
寝ている間に記憶が整理されたのか、今はそれを思い出すことが出来ていた。
「私……あなたのお母さんにも、会ってるかもしれない」
「……!」
私は続けた。
「勿論此処じゃなくて何処かの世界で、私は自分のリボルバーを誰かにーーー多分
あなたのお母さんに、あげたのかも」
「……それって……」
私は頷いた。
ファイは自分のリボルバーを見つめた。
「そう。スキルに角膜をあげたのと同じ」
「……!」
「何処の世界でも、私はそういう役回りなのかもね」
そう。それが私が見たイメージ。
私は結局、自身の人生は歩んでいない。
本当にそんなものは無いのかもしれない。
ただ何処かの世界で、その時ごとに誰かと繋がりがあった。
ただそれだけだ。
「だから、気にしないで」
「え?」
ファイは顔を上げた。
「私はスキルの想いビトでも運命のヒトでもないから……」
「リジー……」
私はファイに微笑んだ。
少し悔しい部分も確かにあるが、この世界では私はこうなのだろう。
今はそう思えた。
ファイはしばらく考えてから、私を優しく抱き締めた。
私の顔は、彼女の旧オリエンタルな黒髪に埋もれた。
「リジー……ずっと、友達だから」
「うん……」
私はファイの少し筋肉質な腕に黙って抱かれていた。
この時間が、ずっと続けばいいなと思った。
側ではワウが私たちをじっと見つめていた。
✴︎ ✴︎ ✴︎
少しして、スキルもようやく目を覚ましたらしい。
上層部から呼ばれて、私はファイとともに医療部へと向かった。
「大丈夫なの?」
「あぁ、自分の体は自分で分かる」
そう言えば彼の左目に仕込まれたセンサーは大抵のことは解析出来るのだった。
相変わらず左手は医療シートに覆われたまま動かせない様だが、スキルは思った
よりも元気に見えた。
「念の為もう一晩此処に置きますが、心配は無い様です。ご心配をおかけしました」
ハークが丁寧に頭を下げた。
「落ち着いたら、出来れば何を見たのか聞きたいね」
白衣の老婆も腕組みをしたままではあるがやれやれといった表情だった。
「では、何かあったら呼んでください」
ハークと老婆が出て行って、病室にはスキルとファイと私だけになった。
「……何か、あったか?」
スキルはすぐにわたしとファイが打ち解けた雰囲気になっているのを感づいた様
だった。
「まぁ……色々」
「そうそう」
「……そうなのか?」
スキルは少し笑った。
それから真剣な顔になって言った。
「俺も……見たよ。このマチが、境界で守られているのを」
「え……!」
それは、私には見えなかったイメージだ。
スキルは私とは違うものを見たのだろうか。
「その外で、リジーが彷徨っているのも。そしてやはり『ヒュー』がリジーを連れ
てきたというのも」
「……そうなんだ……」
自分で思ってはいたが、改めて言われると少々ショックだった。
私は、やはりそういう存在なのか。
なら私はーーー?
「じゃあ……これからリジーは、どうなるの」
ファイが私の手を握って言った。
スキルは首を振った。
「それは分からない……でも」
「でも?」
「『ヒュー』がやったように……もしかしたら俺たちも、外に出ることは可能かも
しれない」
「!?」
「え?」
スキルは意識を失う瞬間、そのイメージを見たのだという。
宇宙輸送船「ディスカバリー」の失われたと思われていたジャンプドライブは、
ギリギリ前方下部の境界の内側にまだ残っているらしい。それを使用してジャンプ
を行えば、あるいは別の空間に出られるかもしれない。
勿論、その先がちゃんとした宇宙空間とは限らない。
それは一か八かの賭けだ。
「………!」
「どう思う?」
私とファイは顔を見合わせた。
「………」
しばし沈黙が続いた。
「私は……やる価値はあると思う」
私はそう言った。
自分にそんな資格や価値がないのは無論承知だ。
私はマチの住人ではない。
「わたしもそう思うけど……マチのヒトたちは、どうだろうね……」
ファイは慎重だった。
「それは、俺も考えた。だがまた鉄骨が降らないとも限らない。船体だっていつま
で持つか分からない。このことはハーク達に話してみようと思う」
スキルは既に決めている様だった。
✴︎ ✴︎ ✴︎
その日の内に、上層部で緊急会議が行われた。
スキルと共に私たちも同席した。
スキルは熱弁を振るったが、流石に反対意見が多かった。
「まず、本当にジャンプドライブはあるのか、それにちゃんと動かせるのか」
「調査したところ、確かに今は存在しています。百年前には無かった。今だけの現
象かもしれません」
「だったら、急がないとーーー」
「待て待て、エネルギー源はどうする?ただでさえ電力は足りないんだ」
「大丈夫なのかリドリー」
リドリーと呼ばれた中年の男は外燃機関や「ファントム」の調整を行っているヒ
トらしかった。
「一時的に居住区スペースへの電力を切れば、一度は動かせるかもしれません」
「かもーーーか」
「危険すぎる」
「第一、そんなことが可能なのか。「ディスカバリー」の三十パーセントは地面と
同化しているんだぞ」
「各所にシールの作業が必要です」
「船体には亀裂も入っている。この間の鉄骨で開いた穴も、全て塞ぐのは無理だろ
う」
「亀裂部以降のブロックを切り離して、船体前部だけで飛ぶなら可能かと」
「だが行き先も座標も全く不明ときてはーーー」
「あまりに不確定要素が多すぎる」
「ジャンプした瞬間、バラバラになってチリと化すかもしれん」
「ジャンプアウトした瞬間もどうなることか」
「無理じゃ」
「………」
スキルは予想していたのか、それ以上は言わなかった。
会議が捌けた後、スキルはハークと二人で話をしていた。
恐らく準備だけは密かに行っておこう、という話だと私は思った。
✴︎ ✴︎ ✴︎
翌日に私たちは「ベルリン」を訪れた。
「ようスキル。大変じゃったらしいの」
「両手に花とは、いい身分じゃな」
「リジーも久しぶり」
久しぶりの常連のおじいさんたちは相変わらずだった。
本来彼らには得体の知れない存在であろう私にも、フランクに声をかけてくれた。
見れば黒人のマスター、キャメロンや少年のランプだけではなく、普段はあまり
此処を訪れないマチのヒトたちの姿もチラホラと見えた。
「リジーとの再開を祝して、乾杯!」
「かんぱーい!」
私をサカナに祝杯をあげ、飲み食いが始まった。こんな時だからか、少々質素な
催しではあった様だ。皆、「ファントム」を介したノイズや漠然とした不安は感じ
ている筈だが、それを忘れようとするかの様にはしゃいでいた。
スキルは私を連れてマチのヒトたちに紹介して回った。
その中に四十代くらいの外見の色気のある女性がいた。マチのほぼ唯一の娼館「
カサブランカ」の女主人だという。
「左手はまだダメなのかい」
「あぁ。しばらくはこのままだ」
「……で、皆に大事な話があるんだろ」
「まぁな」
敵わないな、という顔でスキルは答えていた。
この町の唯一の娼館ということは彼女と肌を合わせたこともあるのだろうか。私
は不思議なことに少し嫉妬も覚えていた。
ファイはーーと振り返ったが、軽く頷いただけだった。後から聞いたが、既によ
く話す間柄であるらしい。少し羨ましいと思った。
「皆、聞いてくれ」
歓談が一段落してから、スキルは皆に話し始めた。
このマチの状況、ジャンプドライブの話。それを動かして一か八か次の空間へと
飛ぶべきか否か。
マチのヒトたちは黙って聞いていた。
「ーーということだ。いずれ上から提案なり投票なりあると思う。それぞれ、考え
てみてくれ。この話は広めて構わない」
それだけ言うとスキルは動く方の右手でグラスを掲げた。
「このマチに、乾杯」
「………」
皆、黙ってグラスを掲げた。
その時、またマチが揺れた。
ゴゴゴ…………。
「お……!」
「またか……」
「………」
一同は慣れた様子で揺れが収まるのを待った。
「…………」
私は彼らの様子を窺った。
皆揺れが収まると変に騒ぎ立てもせずまた歓談を始めたが、心の中では一様にマ
チや自身の行く末を考えていることだろう。
ファイが近づいてきた。
「皆、それぞれあるからね」
「そうだね……」
前にスキルから聞いたことがある。
寿命の無いこのマチでは自分を含め、長く生き過ぎた倦怠感が常に支配している。
その中で、新世代に何かを託そうという雰囲気は僅かながらある。それはヒトが持
っている希望というべきものなのだと。
私にはそういうヒトの年輪、みたいなものは分からない。だがそれを今は、心底
羨ましいと思った。
次の日から、スキルはあちこちに出かけては作業をする様になった。
恐らく各所のエアやライフラインのシール作業だろう。
あのリドリーともよく打ち合わせをしている様だ。ジャンプドライブを動かすの
に必要なエネルギーをどう捻出するかを考えているのだろう。
ファイも上層部の仕事を手伝って忙しくしていたので、私は必然的に暇になった。
話し相手はたまに部屋に戻ってくるカワウソのワウ位しかいない。
私はマチを歩いた。
まだ「ファントム」からはノイズが出ているのだろう、ヒトたちは普通に日常生
活を送ってはいるが少々辛そうだ。
それでも、此処には確かにヒトの生命が息づいている。前来た時よりも、私はそ
れをより強く感じた。マチ全体を、ギュッと抱きしめたい気分だった。
少しでも長く、このマチが続けば良いと思っていた。
だがそれは長くは持たなかった。
✴︎ ✴︎ ✴︎
その日の明け方、再び赤く焼けた流星が落ちた。
それはたった一つだったが、マチを激変させるには十分だった。
落ちたのは西の境界の近く。それは大きさにして僅か一センチ弱のものだったら
しい。
だがその衝撃は巨大なクレーターを発生させ、西側の商店のほとんどを破壊した。
黒々とした土煙が立ち込め、太陽は見えなくなった。朝早く商店の準備をしていた
ヒトや鉄骨で開いた穴を塞ぐ作業をしていた人員もかなりやられたという。マチは
大混乱に陥っていた。
私は運よくスキルの部屋にいて無事だった。
すぐにスキルが駆けつけてきた。私は側にいたワウを抱きしめたまま出迎えた。
「リジー!」
「スキル……私は大丈夫」
ファイもやってきた。
「二人とも無事?!」
「あぁ」
スキルはファイに向かって言った。
「ファイはここにいてくれ。俺は上層部を見てくる」
「了解」
「あ……スキル」
私は声をかけた。
「……?」
「気をつけてね」
「……リジーも」
ファイにも頷くと、スキルは走って行った。
その左手はまだ医療シートに覆われたままだ。
マチの各所では火の手が上がっていた。
「………」
スキルの部屋の細い窓からは変わり果てた外の風景が見えている。
私は、じわりとした不安に包まれていった。
ワウがキシッと唸った。
ヴーーーン。
「つ………」
例の「ファントム」のノイズが突然大きくなった。
それを持たない私がこれだけ聞こえるのだから、持っているヒトはーーー
「う……」
ファイは頭を押さえてうずくまっていた。
「ファイ!?」
私は走り寄り崩れ落ちそうになるファイを支えてベッドルームに連れて行った。
ベッドに寝かせたが、私にはその頭痛を押さえてあげることは出来ない。
「どうしよう……」
スキルを呼びに行こうか。
だがスキルも、マチのヒトたちも、同じ状態ではないのか。
「…………」
私は考えた。でもファイをさすってやることしか出来なかった。
こんな時も、私は何も出来ない。
それが悔しかった。
「…………フッ」
突然ファイの体の力が抜けた。
「!?」
私にも聞こえていたヴーンというノイズが突然小さくなった。
「……ファイ?」
「はぁ、はぁ……何だか、やばいよね……」
「うん……」
やがて息を整えたファイは、ドアを開けて外の様子を窺った。
ファイの肩越しに見えた外は、オロオロとあたりを見回すヒトたちで溢れていた。
何かが、確実に終わりを告げようとしている。
そんな雰囲気だった。
✴︎ ✴︎ ✴︎
しばらくして戻ってきたスキルは、私たちに告げた。
例のジャンプドライブを動かす件、上層部でもOKが出たという。
マチの住民にもそれは放送で知らされた。特に反対するものはいなかった。
だがその準備にはまだ数日かかる。それまで船体が持つかが問題だということだ
った。
元々船体中央部には巨大な亀裂がある。その前のブロックだけを切り離して、ジ
ャンプさせようというプランだった。今のスキルの部屋もファイの部屋も廃棄にな
る。
簡単な身の回り品を身につけて、私たちは移動になった。私は特に荷物などない。
ファイの荷物を半分持って、私たちはマチのヒトたちと共に移動を始めた。ワウも
トコトコとついてきていた。
スキルも周りの人たちを手伝いながら前方のブロックへと向かう。
私たち以外にも、備蓄の水食料や宇宙生活用の物資などが続々と運ばれていった。
「………」
見上げた空は、舞い上がった土煙でどんよりとしたままだった。
歩きながら、私も一緒にいていいのだろうか、という考えがふと脳裏をよぎった。
だがすぐにそれは失礼な考え方だろう、と思い直した。
こんな私でも今は、スキルたちと一緒にいたい。マチのヒトたちもそれを受け入
れてくれている。出来るなら、このマチの行く末を最後まで見届けたいと私は思っ
た。
隔壁の向こうの避難所の様な開けたカーゴスペースで落ち着いた私たちのところ
に、上層部から伝令が来た。スキルと話し込んでから、すぐにその伝令は帰って行
った。
話を聞くとジャンプの準備は着々と進んでいるが、流星や火事の影響かマチの酸
素量はどんどん減っているという。シールされた壁で隔離された此処は大丈夫だが、
隔壁の外はヒトが住めない場所へと徐々に変化しているーー。
「上層部は大丈夫なの?」
「まだ大丈夫だ。そのうちこっちに移動する」
「電力は持つ?」
「分からん。最悪ジャンプ前に落ちれば、マチはここで終わりだ」
スキルはパニックを起こさないよう私たちだけに小声で告げていた。
ゴゴ……!
また船体が地鳴りのように軋んだ。
「………!」
各所で悲鳴が上がった。
スキルは私たちを抱える様にして収まるのを待った。
「ジャンプは……間に合うの?」
「分からん。出来るだけのことはする」
「……死なないでよ」
「……なるべくな」
ファイとスキルのもしかしたら今生の別れ?話に、私は出来るだけ入らない様努
めた。
「…………」
やがてスキルが私にも声をかけてきた。
「悪い。行く。何が起こるか分からないが、やるだけやってみる」
「うん……気をつけてね」
「待ってる」
「あぁ」
スキルは私たち二人の頭を順番に片手でポンポンとやってから出て行った。
そして私とファイは取り残された。
✴︎ ✴︎ ✴︎
長い半日が経った。
此処にいると、外の様子が分からない。
時折、マチは揺れる。「ファントム」のノイズも時々酷くなる。
ヒトたちはそれに耐え、不安な時を過ごしていた。
スキルたちはマチを旅立たせるため、今頃必死に戦っているだろう。
私たちの周りには「ベルリン」の常連たちが寄ってきて、体を温めあった。
気がつけば、この場に残っている常連たちは手足が不自由だったり、病気であっ
たりというヒトばかりだった。まだ健常な老人たちは皆外の作業へと向かった様だ。
恐らくキャメロンやランプ、「カサブランカ」のキャスリンなども外で働いてい
るのだろう。
「わたしも……行くね」
ファイもやがて立ち上がった。
「私もーー行くべきじゃ?」
「ううんーー此処はわたしたちの、マチだから」
そう言うとファイは出て行った。私はそれを見送るしかなかった。
「………」
「あんたはーーこのマチの行く末を見ていてくれ」
「そうそう、なんだかんだリジーが一番生き残る確率が高い」
側にいた老人たちは皆優しい顔で言った。
「…………」
私は、どう答えて良いのか分からなかった。
本当にもどかしい。自分の気持ちがうまく表現できずにフワフワとしていた。
私は結局残った老人たちの中で待った。常連たちはこんな状況でも酒ビンを手放
さず、チビチビとやりながら時にそれを私にも進めてきた。気を使ってくれている
ことは分かっていた。
「……ありがとう」
私はそれを口にした。苦く、じわりと胃の中に入ってくるアルコール。だがそれ
は私を酔わせるには弱かった。
側で丸くなっていたワウが顔を上げた。
ゴゴンーーー!
「!?」
ひときわ大きく、船体が揺れた。
だがそれは、今までの地震のような揺れとは違っていた。
ゴゴン!
ゴゴン!
一定のリズムでそれは起こっていた。
「……何じゃ?」
「後ろのブロックを、切り離しておるんじゃろう」
元技師だった風の老人が言った。
「そうなのか?」
「いよいよ準備が出来たのかもしれん」
ーーガゴン!
違和感のある音がした。
「!?」
「……失敗かの」
その老人は宙を見上げた。
周りは不安げな声を上げた。
「そんな……」
「どうなろうとも、それは運命じゃ」
「………」
一同は黙った。
それでも、パニックを起こすヒトはいなかった。
皆、運命を受け入れる覚悟は出来ている様だ。
私は、このマチのヒトは強いと思った。
✴︎ ✴︎ ✴︎
「………!」
私は、何かの気配に気がついた。
何だろう。
何かが、来る。
何処から?
いやーーー私の体の中からだ!
キィーーーン!
私の体が、ふわりと緑色に光った。
「あぁーーーー!」
その時、何故か私には見えた。
それは壁の外にいるヒトたちのイメージ。
マチの前部を切り離そうとして失敗したブロックで、振動波を発して何とか接合
部を破壊しようとしているスキルの姿。
周りには酸素マスクをつけた人員がいて、外は既に死の世界へと近づいている。
ハークは最後に上層部を移動させようと部下たちと必死に動いていた。
情報センターの老人、リドリーもジャンプドライブへのエネルギー供給を安定さ
せようと必死に空間キーボードを操っていた。
まだギリギリまで物資を搬入しようとエアロック周りで働いている人員もいる。
壁の外だけではない。内側でもコクピットで何とか船を動かそうと機器と格闘し
ているヒトたちもいる。
恐怖に耐えながら、希望を捨てずにいるヒトたちもいる。
そんな、この空間の全てのヒトの姿が、私には見えた。
マチはまだーーー戦っている!
そしてマチはーーーあぁーーーあのモヤモヤに、取り囲まれつつある!
マチを取り巻く境界が、狭まってきている!
このマチをーーー何とか、しなければ!
「ーーーーー!」
私の体はその時強く光りーーー
次の瞬間、私の視界は緑色の光に包まれた。
✴︎ ✴︎ ✴︎
気がつくと、私はスキルの側にいた。
スキルは最後の振動波で、ブロックの接合部をようやく断ち切ったところだった。
「ぐ……」
彼の右手はもう使い物にならなかった。
倒れこむスキルを私は抱きとめた。
「スキル?!」
「リジー……どうして……」
私は首を振った。
「分からないーーーけど見えたの……」
酸素マスクの向こうでスキルは苦しげな顔を見せていた。
「リジー……マスクを……」
スキルは自分のマスクを外そうとしたが既に彼は両手が使えなかった。
だが私は知っていた。
淡く緑色の光をまとった今の私は、何故か酸素などもはや必要なくなっている。
私はもう、ヒトではないのかもしれない。
「大丈夫ーーー大丈夫だから」
私はスキルを抱きしめた。
「………」
スキルは目を閉じた。
私は思った。
何て、愛おしいのだろう。
私はそういう気持ちを初めて知ったのかもしれない。
「リジー!?」
後ろで声がした。
振り向くと、酸素マスクをつけたファイが走ってくるのが見えた。
「ファイ……」
その表情には困惑が浮かんでいた。
それはそうだろう。
「…………」
私はーーー何故そうしたのか自分でも分からなかったがーーいや、恐らく分かっ
てはいたがーースキルの酸素マスクをずらし、彼にキスをした。
「リジー!?」
キィーーーーン!
「う……?」
抱きしめたスキルの体の中でも、私と同じように緑色の光が煌めくのが分かった。
「…………!」
「リジー?!スキル!」
奥でファイが叫んでいるのが分かった。
でも、私はどうしようもなかった。
私はこのヒトが、欲しいと思ってしまった。
このヒトとは、角膜で繋がっているのだ。
同じものを持っているのだ。
それがこの世界の、今の私にとっては、唯一の繋がり。
支え。
ごめんなさいーーー。
『…………!』
私の体の中から何かが湧き上がってくるあの感じが、再びあった。
スキルと私の体は同じように強い緑色の光に包まれていきーーー
次の瞬間、その場から消えた。
( 続 )




