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#11:「ヒュー」




 その時、俺の体の中に光が灯った。

 それが何なのか、俺は知っていた。

 『ヒュー』の緑色の光だ。

 今まで、何度となくマチに関わってきた謎の光。

 時に白い髪に白い服の少年の姿をして現れる、謎の存在。

 それが何故俺の中にーーー?

 俺は今両手が効かず、リジーにーー『ヒュー』がマチの外から連れてきたと思われる女性に、

抱かれている状態だった。

 そして何故か、彼女の唇が触れた。

『………!』

 何かが、繋がった気がした。

 突然、俺の脳内には無数のヒトたちの会話が折り重なって飛び込んで来た。

 そう、「ファントム」ーー俺たちの手の甲にある紋章の様な生体端末がーー長らく通信機器

としては使えなかったそれが、突如復活したのだ。

『「ファントム」が使えています!』

『外燃機関がフルパワーを!』

『ジャンプドライブ、予備起動!』

『全員、ジャンプ体制に!エネルギー充填にはどのくらいかかる?』

『十数分です!』

『皆、それまでに隔壁に退避!コントロールをそちらに回す!』

『急げ!』

『………………』

 ヒトたちの声が残響の様に脳内で響いていた。

『………?』

 俺は、ぼんやりとした頭の中で思った。

 あぁーーーマチは、これで飛べるだろうか。

 次の場所へと。

 俺はゆっくりと目を閉じた。

 自分の役目は、もう終わったのかもしれないと思った。

『………………!』

 そして俺の体は光り、リジーと共にその場から消えた。

 俺の名はスキル。

 寿命が無く、境界に囲まれた元は宇宙船のマチの住人、だった筈だ。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 その数時間前、俺はマチで奔走していた。

 マチは宇宙船「ディスカバリー」の前方のブロックだけで次の空間へジャンプしようとして

いた。

 環境は急激に悪化しつつあった。流星の着弾で巻き上がった粉塵のせいか、それとも開いた

クレーターから何かが出ているのか。マチの酸素は急速に無くなりつつあった。

 上層部のハークたちはジャンプするブロックへの人員や物資の移動に手間取っていた。鉄骨

で開いた穴もまだ塞がれていない箇所が多数残っている。作業は山積みだった。

 俺は情報センターでリドリーと最後のチェックを行っていた。

「これで機能自体は船体前部に移せます」

「だがまだジャンプドライブを動かすだけのエネルギーは捻出出来ていない」

「外燃機関の調子が悪くてーー飛び立つまでにどれだけ充填出来るか、微妙なところです」

「とにかく、ギリギリまで頑張ってくれ」

「はい」

 次の現場に向かおうとした俺をリドリーが呼び止めた。

「あ……スキル」

「何だ」

「これ……」

 そう言ってリドリーが取り出したのは前の此処の住人、ソダーが残したフィルムカメラだっ

た。あの老人がサイバーダイブ中に消息を絶った時、俺の前に何故か彼が生前に発見していた

このカメラが現れた。モノが現れ消えるのはこのマチの常とはいえーー俺はその後このカメラ

を何となく情報センターに残しておいたのだった。

「…このカメラが?」

「塔で現像液が見つかったので、現像してみたんです」

「お……!」

 続いて空間に投影された数枚の写真を俺は眺めた。

 旧情報センターのデスクの前でポーズをとるランプ。恐らくソダーが撮ったのだろう。だが

それ以外の写真は非常に暗く、オーロラか何かの中で僅かにホシの様な光が見えている、そん

な写真だった。

「………?」

「……何でしょう」

「さあな……」

 俺の左目に仕込まれたセンサーで少し解析してみたが、そこに写っているものが何なのかは

判明しなかった。

「……とにかく、作業はよろしく。必ず脱出しろよ」

「はい」

 時間も無いので一応写真のデータだけ貰って、俺は次の現場へと向かった。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 まだ「ファントム」による通信は復帰していない。

 代わりにというか、マチには「ファントム」を通して妙なノイズが聞こえている。それは時

に強くなり、脳内で響いて息も出来ない程のものになる。

 リドリーは頑張ってくれてはいるが、これといった対処法は未だ見つかっていなかった。

 これもマチを取り巻いている謎のモヤモヤとしたものが引き起こしているのだろうか。

「…………」

 俺は直接上層部に向かった。今は連絡を取るにはこの方が早い。

 上層部は捌ききれない作業で人員が溢れ、ごった返していた。

 ヒトをかき分けて俺はハークに近づいていった。

「ハーク。状況は?」

「悪いです。酸素量がどんどん減っている。これを」

 ハークは簡易の酸素マスクを渡してきた。

「そんなにか」

「既に船外は八千メートル級の山と同じ状況です」

 その例えは知識としてしか知らないが、深刻な状況だということは分かった。

「そうか……他は?」

「市民や物資の移動は何とかなりそうですが、ブロック分離の爆破作業に手間取っています」

「向かう」

「お願いします」

「最後まで、希望を捨てるなよ」

 俺は、珍しくそういうことを口にした。

「了解……あなたも」

 ハークは軽く敬礼を返して頷いた。

 彼とはかつて色々あったが、今は良い関係でいると思う。

 いつか酒でも組み交わせればいい。


 俺はマチを走っていた。

「フンッ」

 船体中央の亀裂に渡してあるロープを伝って、反対側へと向かう。

 確かにマチの酸素量は減っていてかなり息苦しかった。

「…………」

 そこから見える空は黒々とした土煙で覆われている。

 俺は知っている。

 その先の境界の更に向こう側には、マチを取り巻く様にどす黒いモヤモヤとした何かがいる

のだーーそしてそれが、今マチを飲み込もうとしている。

「スキル!」

「!?」

 内耳の通信機で呼ばれて俺は上空から前方へと視線を戻した。

 ロープを降りたところに、ランプたちが荷車と共にいた。

 黒人青年キャメロンと一緒で、バー「ベルリン」の荷物を前方ブロックの隔壁向こうに移動

させているところだった。

 見れば、常連たちに混じって娼館「カサブランカ」のキャスリンも力を貸している。

「まだここか」

「ギリギリまで飲んでたヒトたちも居たんでね」

「何、物事はなるようにしかならんでな」

「スキルはまだマスクいいの」

 ランプ達は既に酸素マスクをしていた。

 ハーク達の配慮はそれなりに行き届いている様だった。

「あぁ……そろそろ付ける。隔壁まで気をつけろ」

「うん」

「了解でーす」

 キャメロンはいつものように軽い対応だ。

「あんたも、無茶しなさんな」

 キャスリンはマスク越しでも相変わらず色っぽかった。

「あぁ。死ぬなよ」

「お互いね」

 俺たちはそこで別れた。

 もしかしたらこれで最後かもーーとチラリと思ったが、それを口にはしなかった。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 ブロックの分離爆破作業の現場に着いた。

 既にかなりの人員が投入されていたが、それでも人出はまだ足りない様だった。

「おうスキル」

 「ベルリン」の顔見知りもいた。かつてはマチの形成に腕を振るっていた往年の技師たちだ。

「手伝おう」

「こっちだ」

 俺は酸素マスクを付けて作業に入った。

 既に前部ブロックのシール自体はされていて、後はブロックとブロックを繋いでいる巨大な

アタッチメント部を分離する為に爆破するだけだった。本来なら爆破せずともブリッジからそ

の作業は出来る筈だが、既に1/3は地面と同化した船体ではそうもいかない。アタッチメン

トの数は二十を超えていた。それも前部ブロックの方には傷を付けずに爆破せねばならない。

慎重に作業は続けられていた。

 俺もその一つの爆薬設置作業に入った。俺は爆発物のプロではないが、一応の知識はある。

片手しか使えない身ではあるが、それでも再生技術で作られた強靭な体はまだ役に立つ筈だっ

た。

 着々と爆破の準備は進んでいった。問題は爆薬の量が心許なく、もし失敗すればやり直す分

は無いという点だった。

「…………」

 作業しながら、俺はそっと周りを窺った。

 老若男女、怪我や病気のもの以外は皆働いている。マチを守る為、自らを守る為、というの

は確かにあるだろうがーーー老人たちにとっては、ようやく死に場所を見つけたのだという側

面もかなりあるのではないだろうか。もしここで命を落としたとしても、それは意味のある死

だと思える。

 それはヒトとしては少々不自然なことなのかもしれないが、寿命の存在しないこのマチでは

仕方のないことだ。

「………」

 俺は空を見上げた。どんよりとした空はまた黒さを増した様に見えた。

「終わりだ!」

「こっちもだ!」

 「ファントム」が使えないので数少ないハードの通信機と後は叫びつつでお互い連絡を取る。

「カウントは省略!爆破!」

「爆破開始!」

 ガンッ!

 ガンッ! 

 ガンッ!

 ガンッ!

「……………!」

 爆発が続いていく。

 今の所順調だ。

 皆固唾を飲んでそれを見つめていた。

「頼むぞ………」

 誰かが祈るように呟いた。

 ガンッ!

 ガンッ!

 ガンッ!

 ガンッ!

 ガゴンッ。

「!?」

 違和感のある音がした。

 それは最後のアタッチメント部だった。

 俺は駆け寄った。

「どうした!?」

「スキル……失敗だ」

「ダメか……」

 見れば、アタッチメント部の最後のフックが前部のブロックに引っかかったまま外れずに残

っていた。巨大なブロックを支えるものだ。十メートル四方程度の太さはある。しっかりと噛

み合っていて、人力で外れる代物ではなかった。

「く……これでは」

「ジャンプは無理じゃ……」

「ここまでか……」

 皆一様に肩を落としていた。

「残りの爆薬は!?」

「もう無い。全て使ってしもうた」

「………」

 辺りは静まりかえった。

「ダメか………」

 絶望的な雰囲気が漂った。

 皆唇を噛んで、自分たちの無力さに打ちひしがれていた。

「………いや!」

 俺は駆け寄った。

 ブーーン!

 右手の振動波を最大出力にした。

 ガウッ!

 船体を支える巨大な鋼鉄が、少しは抉れた。だがその太い鉄骨はまだ堅牢さを保っている。

 ガウッ!

 ガウッ!

 俺は連続して右手を振るった。

 左手に続いて右手も使えなくなっても構わない。

 例え此処で死んだとしてもーー!。

 俺は最大出力のまま打ち続けた。

「ぐ……」

 右手に激痛が走る。

 鮮血が飛び散った。

 それでも俺は止めなかった。

 ガウッ!

 ガウッ!

 少しずつ巨大なフックにヒビが入り、破壊されていった。

「スキル!頑張れ」

「気合じゃ、スキル!」

「お前にかかっとるぞ!」

 周りの皆も俺を鼓舞している。

 後もう少しーー持ってくれ、俺の右手!

 ガガウッ!

「ぐああーー!」

 右手の骨が砕けたのが分かった。

 俺は膝を着いた。

「スキル!」

「ぐ…………」

 俺は崩れ落ちながらも、左目のセンサーで最後のフックが確実にブロックから分離されたの

を見届けていた。

「………………」

 やった……。

 これでもうーーー。

 俺の意識は落ちつつあった。


 その時、辺りに緑色の光が満ちた。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 キィーーーーーーン!


「!!」

 まばゆい光は、俺たちを包んだ。

 その光の中からーーー褐色の肌に黒髪の女性、リジーが現れた。

 倒れ込んでいた俺はいつの間にかリジーに抱きとめられていた。

「リジー……どうして……」

 息も絶え絶えで俺は言った。

 視界がもう歪んでいる。

 リジーは首を振って答えた。

「分からないーーーけど見えたの……」

 何故ーーーどうやって現れた?

 また『ヒュー』がーーあの少年が、何かしたのだろうか?

 だとしたら、今度はマチに何をする気なのだ?

「リジー……マスクを……」

 マスクをしていないリジーに俺は自分のマスクを渡そうとしたが既に俺の手は二つとも使い

物にはならなかった。

「大丈夫ーーー大丈夫だから」

 リジーが俺を強く抱きしめた。

「………」

 俺はゆっくりと目を閉じた。

 遠くで、ファイの声が聞こえた様な気がした。

 俺の酸素マスクがずらされ、唇に何か触れた。

「………?」

 その時、俺の中で何かが光った。

 それは緑色の『ヒュー』の光。

 繋がるはずの無い「ファントム」で皆の声が聞こえた。

 ジャンプドライブが起動し、マチは飛べる状態になりつつあるのが分かった。

 あぁ、俺はやるべきことをやったのだ。

 俺は心の底から安堵した。

 そして次の瞬間、俺は『飛んだ』。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



『飛ぶ』。

 ジャンプドライブのそれとは違う、あの緑色の光による瞬間移動の様なある種の次元転移。

 それをそう呼ぶのは、何処の世界の話だったろうか。

 俺は、それを知っているーーー?


 俺はいつか見たことがある様な、無数の光が流れる空間の中にいた。

 だがそこは前の記憶とは違って光量は少なく、オーロラの様な淡い光を背景にした何処かの

宇宙空間にも見えた。

 俺は思った。

 そういえばあのソダーのカメラの写真に写っていたのはーーーあれは少し暗かったが、此処

ではないのか?

『あぁ……』

 両手の感覚はもはや無い。

 いや、体自体の感覚も既に無かった。

『…………?』

 俺は、ようやく死んだのだろうか。

 ならば、それもいい。

 俺は充分生きた。

 だがもし、そうでないのならーーこれは『ヒュー』のーー今までマチにずっと関わってきた

あの謎の白い服に白い髪の少年が起こした何かである筈だ。

『………!』

 俺は意識を周りにやった。

 辺りを飛び交う小さな無数の光はただ黙って、それぞれで流れていた。

 俺はーーただこの場所で漂っているだけだ。

 リジーはどうしたのだろう。

 ファイは、マチは、どうなったのだろう。

 俺はその行く末を見られるだろうか。

『スキル』

 誰かの声がした。

『リジー?リジーか!?』

 俺は脳内で呼びかけた。

『………ごめんね』

 姿は見えない。

 だがこの感覚は、間違いなくリジーのものだと思えた。

『私、マチよりもファイよりも、自分を優先した……』

『……何のことだ?』

 俺は尋ねた。

『………』

 いやーーー敢えて聞かなくても、もう分かっていた。

 今俺たちは、「ファントム」の奥底で繋がっていた。

 そう、これが本来の「ファントム」。

 ただの通信装置などではなく、ヒトとヒトが深く繋がる為のもの。

 彼女が思っていることは俺に、俺が考えていることは彼女に、言語などではなくそのまま感

覚として伝わっていた。

 リジーの中には、元々あった自身の存在に対する不安が渦巻いていた。

 そして、あのマチでは唯一右目の角膜で繋がっている俺を、求めてしまった。

 そのことへの後悔。

 それらが、今は手に取るように分かった。

『本当に、ごめんね……』

『……いいよ、もう』

 それは本心だった。

 俺は、やるだけやった。

 恐らく、もうマチはジャンプして次の空間へ向かうことが出来るだろう。

『私、ファイに悪いことした……』

『……………』

 胸がチクリとした。

 それは、俺もだ。

 俺は最後の一瞬、彼女のことを忘れた。

 自分だけで、人生を終えようとした。

 もういいと、やるだけやったと、感じてしまった。

 俺がずっと心の中で思っていた、所詮俺は本当にヒトと深く繋がることなど出来はしないの

ではないかという恐れ。

 それが図らずも表面化した形だった。

 俺のその感覚も、リジーは理解しただろう。

 結局その点で、俺たちは似ていたのだ。

『………』

 俺たちは小さな無数の光が流れる空間に目をやった。

『ここはーーー』

『うん?』

『何なんだろうな……』

『うん……』

 この空間は、前に何度か見た風景の延長上にあるものに見えた。

 それはあの白い少年『ヒュー』が見せたものでーーー

 だが今、その存在は全く感じられなかった。

 あの白い髪に白い服の少年は、何処にもいない。

 何故なのだろう。

『………マチに、帰りたい?』

『そうだな……』

 帰りたいと言えば、帰りたい。

 ファイにも会って一言謝りたい。

 あの旧オリエンタルな顔立ちをした黒髪の女性を、抱き締めたい。

 だがーーーこうしてこの場所で意識だけの存在になってみると、何処か達観した様なーーー

少し乾いたフラットな感情でいる自分を、俺は認識していた。

 もはや、俺はヒトではないのだろうか。

『…………』

 俺は無限の広がりを持ったこの空間を見渡した。

 無数の小さな光が流れ、時にぶつかり、飛び回っている。

 両手を広げ、それを全身で感じようとした。

 勿論身体は無いのだが…………。

 辺りは静まり返っていた。

『…………!』

 誰かの声が聞こえた様な気がした。

『………?』

 誰だーー少し懐かしい様な感じもするがーー

 今はリジーの声しか俺には聞こえない。

 姿も見えない。

 だが、この気配はーーー?

『ソダー……?』

 俺はその名を呼んだ。

 サイバーダイブの途中でいなくなった元情報センターの老人。

 一緒に『ヒュー』の謎を追いかけていた仲間だ。

 彼が此処にいても、不思議では無い。

 彼は『ヒュー』と「ファントム」の秘密を解き明かそうとして消えたのだから。

 答えは無かったが、十分だった。

 間違い無く、彼はこの空間の何処かにいる。

 あるいはこの光の中の一つとして。

 俺はそれを感じ取れた。

『………!』

 いや、彼だけではないーーー

 マチに鉄骨が振った時、上層部から『ヒュー』と共に旅立った俺の上司パトリスの気配もし

た。

 塔の中で現れるモノを拾う作業をしていたブルーも、恐らく此処にいる。

 それだけじゃない。

 今までマチで消えた、もしくは命を落としていった幾多のヒトたちも、間違いなくこの光の

中にいる。

『…………』

 此処は、そういう場所なのだ。


 キィーーーン!!


 今、緑色の光が、側で光った。

『…………!』

 いよいよ、『ヒュー』と出会うのだーーー。

 全ての謎が解ける。

 そう思った。

『ーーーーー!』

『えーーーー!』

 だが、その光が俺たちにもたらしたのはーーー

 それは、まるで違う感覚だった。


 俺はーーーいや、正確にはこうしてリジーと繋がっている俺こそがーー

 『ヒュー』なのだということ。


『!?』

『………!』

 流石に俺は驚いたがーーー同時に今はそれもあることかも、とフラットな感覚で思ってもい

た。

 あの白い髪に白い服の少年『ヒュー』は、マチに何かの力を及ぼす時に出現する記号、擬態

の様な存在。リジーを触媒にして俺の奥底が何らかの形であの緑色の光と繋がった時、あの少

年『ヒュー』は現れる。それ故彼には重量も生命反応も無かったのだ。

 だから彼自体に意思は無い。

 勿論俺たちにも、その自覚は無かった。

 『ヒュー』が現れたからといって、俺たちにそこまで無制限の力がある訳でも無い。

 所詮はあの緑色の光の力を借りた、伝導者の様なものでしか無いのだ。

 全ては、あの緑色の光が起こしたこと。

 本当に何かを起こしているのは、あの光だ。

 それでも、俺たちはーー意図したものではないにしろ、ずっとマチに対して関わってきた。

 うまくいかないことも多かっただろうが、その時なりにマチの為に何かをしてきた。

 俺たちは今、それをようやく認識した。

『そうかーーーー』

 俺はリジーのイメージに向かって笑いかけた。

『そうなのーーー?』

 俺はリジーに向かって手を伸ばした。

 いや、手はもう無いのだがーーー

 俺たちはしっかりと、繋がった。

 いやーー「ファントム」によって、既に俺たちは同一のものだった。

 それが、本当の「ファントム」の機能。

 それすらも、あの緑色の光の力を借りた、ヒトの希望の様なものだったのだ。

『だから、特別だった?』

『多分ーーお互いに』


 キィーーーーン!!


『『ーーーー!』』

 再び緑色の光は強く光った。

 今度は俺たちの中からだった。

『あぁ…………!』

 そして俺たちは見た。

 マチだけじゃ無い、幾多の世界を。

 それぞれの世界で、俺たちはーーヒトは生きている。

 それぞれ違った環境で。

 あの緑色の光も、その時々で世界に少しずつ関わっている。

 小さなホシで、ネコと暮らしている青年がいた。

 小さなシマで、ビーバーと泳いでいる少女がいた。

 その全てを、俺は何処か懐かしい思いで見つめていた。

 ーーー知っている。

 無限の別世界にいる彼らのことを。

 ジャングルや花や海中や山岳地帯や白夜やホシの中や金網や火山や氷海やーーマチの様に、

その時々で変わるあらゆる環境の中で頑張っていたヒトたちの姿を。

 時に邪悪なモヤモヤとした存在と戦い、時に生き抜いてきた彼らのことを。

 いやーーあのモヤモヤ自体も、そんな中でいつしか疲れ捻れてしまったヒトたちの姿では

なかったか?

 そしてーーー

『あれ……』

『……!』

 何処かの宇宙で、巨大な宇宙輸送船が見えた。

 船尾からモヤモヤとしたガス雲の様な何かに襲われ、飲み込まれようとしている。

『…………?』

 俺たちは思った。

 あれはーーー「ディスカバリー」ではないのか?

 マチが形作られる前、次元転移する前の?!

『………!』

 その宇宙輸送船には僅か数人しか乗ってはいなかった。

 だがモヤモヤとした塊に覆われつつ、ジャンプを試みてーーーモヤモヤと共に消えた。

『……………』

 それはまた別の何処かの世界の話かもしれないがーーー俺たちは理解した。

 その先の未来の一つが、マチだ。

 中のヒトたちは、その時ーー俺たちがかつてトランスと呼んでいた事象の時に現れた。

 数々の記憶の欠片も、幾多の世界から流れてきたものだったのかもしれない。

 そしてーーその世界では、マチでは、俺とリジーが『ヒュー』ーーあの白い髪と服の少年だ

った。

『だから私たちーーー』

『あぁーーーー』

 俺は、全てが分かったような気がした。

『………………』

 そして目の前に、もはや懐かしいマチのイメージが見えてきた。

 マチは飛び立つまで後少しという段階だがーーーそれを取り巻く境界は、周りを取り囲んだ

モヤモヤとした存在に押し潰され、どんどんと狭まってきていた。中にいるヒトたちは皆覚悟

を決め、それでも最後まで戦おうとしていた。

 そんなヒトたちそれぞれの思いを、俺たちは感じ取ることが出来た。

『…………』

 それは、幾多の世界の一つに過ぎない出来事なのかもしれない。

 でも、それでもーーー。

『…………』

 俺はゆっくりと目を閉じた。

『スキル………』

 リジーも、分かっているようだった。

『行こう』

『うん』

 俺たちは何の迷いも無くそう思った。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 俺たちの意識は、モヤモヤによって押し潰されようとしているマチの境界に触れた。

『………!』

 そして、それを何とか押し戻そうと力を込めた。

 俺たちが出来る最後のこと。

 それは誰にも見えない世界での出来事だった。

『……スキル?!リジーなの?』

 ファイの声がした。

『!!』

『俺が、分かるのか?』

『うん、ワウが教えてくれた』

『ワウ?!』

『やあスキル、すぐ分かったよ』

 もはや懐かしい、カワウソのワウの声もした。

 ということは、ワウはファイともようやく話をする様になったということか。

 それにしても、既にヒトではない俺のことを認識出来るとはーーー

 こんなことが出来るのはーーーーやはり?

『みんなーーー「ファントム」で?!』

『俺たちだけじゃないよ』 

『ーーーー!』

 俺は意識を広げた。

 その先には、幾多のヒトたちがいた。

 「ベルリン」の常連たち。

 キャメロンやランプ。

 「カサブランカ」のキャスリン。

 預言者の婆さん。

 情報部のリドリー。

 ハークを始め上層部の彼ら。

 そして生き残ったマチの全員と、俺たちは繋がっていた。

 いや、俺たちと言ったがーーーー俺とリジーは既に同一のものだった。

『ーーージャンプドライブは、使えるか?』

 答えを聞かなくても、状況は分かった。

 ジャンプ一回分のエネルギーにまだ僅か、届いていない。

 原因はマチの境界が「ディスカバリー」の船体ギリギリまで来て外壁の謎の外燃機関に干渉

しているからだった。

『ーーーよし』

 俺は意識を集中させた。

 何故かやり方は分かっていた。

『ーーーーー!』

 外壁の外燃機関の脇に、あの白い服に白い髪の少年がヒュイッと現れた。

 それを、マチの皆も同時に見ることが出来ていた。

『おぉ……!』 

『!』

『あれはーーーー!』

 マチのヒトたちの反応も手に取るように分かる。

 その少年ーー俺たちが『ヒュー』と呼んでいたそれはパァッと光になって散り、外壁の中へ

と吸い込まれていった。

 キィーーーーン!

 外燃機関が緑色の光を放った。

『!!』

『おぉーー!』

『これはーーーー』

 リドリーたちの反応も直接伝わってきた。

 外燃機関はフルパワーで出力を開始した。

『ーーーーーー!』

 俺はようやく理解した。

 「ファントム」だけではない。

 全てが、『ヒュー』の、いやーーー俺の意識が少年の形を成していたそれとは違う、本来の

緑色の光のおかげだった。

 「ディスカバリー」船体外壁の謎の外燃機関は、あの緑色の光ーーーあの光も、おそらくソ

ダーやパトリスたちを感じた時と同じ様な、幾多の世界のヒトの光だろうかーーそれらをエネ

ルギーに変えているだけのものだった。

 やはり俺たちは、マチは、あの緑色の光に生かされていたのだ。

『…………!』

 俺は、ようやく笑んだ。

 身体は既に無いが、全身で喜びの叫びを表したい気分だった。

 ゴゴゴーーーーー!

『!!』

 再び境界の圧力が強まっていた。

 あの邪悪なモヤモヤとしたものがーーあれもまた、幾多の世界の捻れたヒトたちの悪意や邪

念が凝り固まったものだろうかーーーそれが、マチを押しつぶそうと最後の圧をかけてきてい

る。

『ハーク!ジャンプを!』

『了解です。各自、配置につけ!』

『ハイッ!』

 ブリッジでは人員がフルスピードで作業を始めた。

『…………!』

 俺はマチを押しつぶそうとする圧力に対して、全力で抵抗を試みていた。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



『スキル』

 そんな中、ファイの声がした。

『………!』

 俺は彼女の存在を身近に感じた。

『………………』

 俺は、彼女に何がしてあげられるだろうか。

 既に俺の身体は存在していない。

 意識も元の俺のままかどうかも分からない。

 それでもーーー。

 彼女の意識が、優しく語りかけてきた。

『リジーは、どうしたの?』

『俺の中にーーー右目に、いる』

『そう……』 

 今は、この黒髪の女性がどれだけ大事な存在だったかが分かる。

 ヒトではなくなってようやく。

 遅すぎた。

 本当に。

『そんなことはいいの』

 俺の思いを直接感じたのだろう。

 彼女の意識は言った。

『大丈夫、あたしたちは飛ぶわ』

『……次の世界でも、会えたらいい』

『うん。……ありがとう』

 そんな思いを伝え合った。

 今の俺は、ヒトであるスキルとは何処か違っているだろう。

 それが少し、もどかしかった。

 もっと早く、伝えたかった。

 最後まで、彼女と生きたかった。

 あの寿命の無いマチで。

 狭い境界の中の世界ではあったが、実は俺たちは幸せであったのかもしれない。

 本当にそう思った。

『ジャンプ!』

 ハークの号令が聞こえた。

『ファイーーーありがとう』

『うん』

『スキル……またな』

 ワウの声もした。

『楽しかったな』

『あぁ』

 俺も返した。

 ワウはカワウソではあったが、共に百年を過ごした掛けがえのない戦友だった。

 また、会えたら。

『ディスカバリー、ジャンプします!』

 ジャンプドライブが光を放ち、マチの前方ブロックを包んだ。

 空間が歪み、一瞬の光と共にそれは消えた。

 マチは、次の空間へと飛んだ。

 その瞬間、ヒトは無数の記憶を見る。

 俺が見た、幾多の世界の物語だ。

 ヒトの切ない無限の営み。

 その中で次の世界でも残った微かなイメージが、

 俺が記憶の欠片と呼んでいるものだったのだろう。

『………………』

 また、トランスが起こったのだ。

 次の世界は、どうなっているだろうか。

 ちゃんとした空間に、出られただろうか。

 皆、ちゃんと生きているだろうか。

 そこでも俺は、そして『ヒュー』はいるだろうか。

 俺にはもう、それを見る術は無い。

 俺の意識は、この場にあった。

 残った「ディスカバリー」の後方は迫り来る境界に触れ、瞬く間にチリと消えていった。

 船体に立っていた無限の塔だけはしばらくその場に残っていたが、やがて一瞬緑色の光に包

まれて消えた。

 また何処かの世界へと旅立ったのだと、俺は思った。

 あの塔は、マチと別世界を繋いでいた存在だったのかもしれない。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 長い長い時が過ぎた。

 俺はいつか、何処かの宇宙を彷徨っている宇宙輸送船を見た。

 中には、老人と男女とネコしかいなかった。

 あれはーー見たことのある風景だった。

 ヒトは、あれを繰り返しているのかもしれない。

 やがてあれは、またモヤモヤとした何かに出会うのだろうか。

 そして別の世界に飛んでーーーまた新しい世界が始まったりするのだろうか。

 それでもその時ごとに、ヒトは生き続けるのだろう。

 俺はーー今は緑色の光の中の小さな一つだ。

 光は此処に無数にあって、それぞれが何処かに関係している。

 俺もまた、何処かに関わることもあるのかもしれない。

 既に記憶は心許なくなっているがーーー大事なヒトの名前、ファイというのは覚えている。

 ーーまた、会えたらいい。

 乾いた感情の奥底で、そんなことをそっと呟く様に思ってみる。

 そんな時、俺の既に存在しない右目の奥で、小さな光が瞬くのだ。

 俺はフッと息をついた。

 その時ふと思った。

 かつてあの白い少年が『ヒュー』とことあるごとに口にしたのを聞いて、俺は彼を『ヒュー』

と呼ぶことにしたのだがーーーあれは俺の中の何かが、ヒトへの期待を込めて見せた笑顔だっ

たのではないだろうか。

『…………』

 既にヒトではない筈の俺の中で、温かいものが染み込んだ。

 俺の意識は、無限のオーロラの中で微かに瞬いていた。

 周りにはそうしたものが、数限りなくあった。

 

    

                   (   終   )



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