第2話 三年二組
その日の夜、悠人は押し入れの奥から卒業アルバムを引っ張り出した。
自分でも意外だった。
行かないつもりの同窓会なのだから、放っておけばいい。
それなのに、仕事から帰って夕食を済ませると、なぜか昔の顔が気になった。
「埃すごいよ」
床に広げたアルバムを見ながら真帆が言う。
「分かってる」
「そこ絨毯なんだけど」
「あとで掃除する」
「絶対しないやつ」
結菜も隣に座ってきた。
「お父さん、どれ?」
「待て」
卒業アルバムだから写真は六年時のものが中心だった。
三年二組のクラス写真そのものは載っていない。
ただ、学校行事や委員会、クラブ活動など、昔の写真はいくつもある。
悠人はページをめくりながら、自分の記憶の頼りなさに驚いていた。
知っている顔はある。
だが名前が出てこない。
名前を見れば、そんな奴がいたような気はする。
「お父さんいた」
結菜が指を差した。
運動会の集合写真だった。
「どれ」
「これ」
「違う」
「え?」
「そいつ山本だ」
「お父さんに似てるよ」
「似てない」
真帆が覗き込む。
「あ、似てる」
「お前まで言うなよ」
結局、悠人は写真のかなり端にいた。
自分で見ても、確信を持つまで数秒かかった。
結菜が笑う。
「顔、丸い」
「子どもだからな」
「今も丸い」
「お前、最近ちょっと口悪くないか?」
真帆は別のページを見ていた。
「野崎って人、ここに名前あるよ」
六年時の児童一覧だった。
野崎智也。
しかし写真がない。
「あれ?」
「転校したんじゃない?」
確かに、卒業生一覧には載っていなかった。
悠人はスマートフォンで同窓会案内の幹事名を確認した。
野崎智也。
同じ名前だ。
「三年のあと転校したのかな」
「じゃあ、余計覚えてなくても仕方ないね」
その程度の話だった。
悠人も深く考えなかった。
次に押し入れから見つかったのは、学校で作った文集だった。
『三年二組 みんなの作文』
茶色い紙の表紙。
端が少し曲がっている。
「よくそんなの残ってるね」
真帆が感心した。
「俺じゃなくて親が残してたんだろ」
悠人の両親はすでに亡くなっている。
実家を整理した時、捨てるほどでもないものを段ボールごと引き取って、そのままになっていた。
文集を開く。
将来の夢。
楽しかった夏休み。
運動会。
家族旅行。
ほとんどがそんな内容だった。
野崎智也の作文もあった。
題名は『ぼくの自転車』。
新しく買ってもらった青い自転車について書いている。
「普通だな」
「普通じゃ駄目なの?」
「いや、そういう意味じゃなくて」
悠人は他のページもめくった。
何か特別なことがあったクラスには見えない。
誰かが亡くなったとか、大事故があったとか、そんな空気はどこにもない。
そもそも小学生の作文集から事件を探している自分がおかしい。
「職業病だね」
真帆が言った。
「職業じゃない」
「じゃあ趣味病」
「嫌な言い方するな」
そこへ結菜が、テーブルの上に置いていた案内状を手に取った。
「ホテル、どこ?」
「そこに書いてあるだろ」
結菜がホテル名を読み上げた。
真帆が反応する。
「待って。それって結構いいところじゃない?」
「知ってるの?」
「前に旅行サイトで見たことある。温泉もあるし、近くにアスレチックとか湖とか」
結菜の顔が明るくなった。
「アスレチック?」
嫌な予感がした。
「お父さん、行こう」
「同窓会だぞ」
「ホテル泊まるんでしょ?」
「そうだけど」
「行こう」
「お前、同窓会関係ないだろ」
「家族同伴歓迎って書いてある」
いつの間にか真帆も案内状を見ていた。
「ほんとだ」
悠人は取り返すように紙を受け取った。
確かに書いてある。
『ご家族での参加も歓迎いたします』
さらにその下。
宿泊希望者には特別料金を用意しているらしい。
金額を見て、悠人も少し驚いた。
通常料金の半額近い。
「安くない?」
真帆が言う。
「安いな」
「結菜、最近どこも連れて行ってないし」
「この前行っただろ」
「どこ?」
悠人は考えた。
出てこない。
近所のショッピングモールは旅行には入らないだろう。
春休みも仕事が忙しく、夏休みも遠出していない。
「お父さん」
結菜が下から覗き込んでくる。
「何」
「同窓会、好き」
「まだ行ってないだろ」
「もう好き」
真帆が笑った。
その顔を見て、悠人は少しだけ弱くなった。
本当は、前から気にはなっていた。
周囲の家族が旅行へ行った話を聞くたび、結菜は「いいな」と言う。
責めるような言い方ではない。
だから余計に気になっていた。
自分は仕事。
真帆も仕事。
休みが合わない。
お金もかかる。
理由はいくらでもあった。
だが、十歳の夏は一度しかない。
そんな大げさなことを口にする気はなかったが、ふとそう思った。
「じゃあ」
悠人は案内状を見ながら言った。
「同窓会のあと、もう一泊するか」
結菜の目が丸くなる。
「二泊?」
「せっかく行くなら」
「やった!」
立ち上がった結菜が、その場で小さく跳ねた。
「下の人に怒られるよ」
真帆に言われ、結菜は跳ねるのをやめたが、顔は笑ったままだった。
悠人は参加欄へ丸をつけた。
それからふと思った。
格安で泊まれるだけなら、なぜ家族同伴まで歓迎するのだろう。
同級生同士で話すなら、むしろ家族がいない方が気楽なのではないか。
だが結菜が近くのアスレチックについて調べ始め、真帆までスマートフォンを覗き込んでいる。
その疑問はすぐに薄れた。
旅行の方が楽しみになってきたのだ。
参加返信を送る前に、悠人はもう一度だけ作文集を開いた。
野崎智也。
『ぼくの自転車』
青い自転車に乗って、隣町まで行きたい。
子どもらしい字でそう書いてある。
悠人は名前を見つめた。
やはり顔が浮かばない。
まあ、会えば思い出すだろう。
四十歳になった自分だって、九歳の自分とはずいぶん違う。
悠人はそう考えて、返信用紙を封筒へ入れた。




