5 幸せすぎて・・・
その日の宿は、ジノツキ王国の特産品を贅沢に使った、見上げるほど立派な造りでした。リビングとダイニングの他に三つの個室があり、さらには清潔なバストイレまで完備されているという、旅の途中とは思えないほど豪華なスイートルームです。
お風呂で旅の埃を流し、柔らかな寝衣に着替えた私は、自分専用に割り当てられた部屋のベッドに体を預けました。
「ふふ、本当にふかふか……」
ドゥシヨモネ王国にいた頃は、常に守護結界に魔力を注いでいたため、眠りについてもどこか意識が張り詰めていました。けれど今は、窓の外から聞こえる微かな喧騒さえ、心地よい子守唄のように感じられます。
断罪され、国を追われた時はどうなることかと思ったけれど。
美味しいものを食べて、綺麗な景色を見て、皆と笑い合って……。
(こんなに幸せで、わたし大丈夫かしら……?)
あまりの環境の変化に、少しだけ怖くなってしまうほどでした。
そして、天井を見つめていると、不意に胸の奥がチリリと疼きました。
(聖教国に戻ったら……セイドリックたちは、一旦護衛の任を離れるのよね)
目的地である聖教国は、私たちのホームです。国境を越え、聖都に辿り着けば、私は聖女として、彼らは騎士として、それぞれの場所へ戻ることになります。
今のように、四六時中セイドリックが隣にいて、私のわがままを聞いてくれたり、美味しいお菓子を「あーん」してくれたりする日々も、終わりを迎えてしまう。
「……寂しいわ」
独り言は、静かな部屋に溶けて消えました。
今まで当たり前だと思っていた彼の温もりが、離れることを想像しただけで、こんなにも恋しくなってしまうなんて。
私はセイドリックが選んでくれた、あのオフホワイトのコートを椅子の背越しに眺めながら、自分の中に芽生えた感情をそっと抱きしめるようにして、深く目を閉じました。
翌朝、豪華な宿のダイニングに顔を出すと、セイドリックが真っ先に私の異変に気づきました。
「おはようございます、ホリー様。……あまり眠れませんでしたか?」
彼は椅子を引いて私を座らせながら、心配そうに私の顔を覗き込んできました。自分ではいつも通りに振る舞っているつもりでしたが、彼には隠し事などできないようです。
「おはよう、セイドリック。……そんなことないわ、お部屋もベッドも、とっても快適だったもの」
私は誤魔化すように、用意された温かいミルクティーに口をつけました。けれど、セイドリックは私の隣に腰を下ろすと、周囲にいたアシャンたちが気を利かせて席を外したのを見計らって、そっと声を落としました。
「嘘が下手ですね。……何か、不安なことでもありますか?」
その優しい声に、昨夜一人で抱えていた寂しさが堰を切ったように溢れそうになります。私はティーカップを握る手に力を込め、視線を落としたまま正直な気持ちを零してしまいました。
「……聖教国が近づくのが、少しだけ、怖くなってしまったの。戻ったら、あなたは私の護衛を終えて、元の場所へ帰ってしまうでしょう? そう思ったら、なんだか急に寂しくなってしまって」
言い終えると、顔が熱くなるのが自分でもわかりました。聖女としてあるまじき、子供のようなわがまま。
けれど、セイドリックは呆れるどころか、ふっと柔らかく、慈しむような溜息をつきました。
「ホリー様。あなたは大きな勘違いをされています」
「え……?」
顔を上げると、彼は私の手を包み込むように握り、真っ直ぐな瞳で私を見つめていました。
「聖騎士としての私の主は、聖教国ではなく、いつだって貴女だけです。ドゥシヨモネ王国での任が終わったのなら、次は貴女が安らげる場所を護るのが私の務め。……離れるつもりなど、毛頭ありませんよ」
「セイドリック……」
「それに、聖教国に戻ったら、私は騎士としてではなく、一人の男として貴女に申し出たいことがあるのです。だから、寂しがる必要はありません」
彼の力強い言葉と、少しだけ熱を帯びた眼差し。
「一人の男として」という言葉の意味を考えて、私の心臓は朝から騒がしく跳ね上がりました。
「……ずるいわ、そんな言い方」
私は真っ赤な顔で俯きましたが、繋がれた手から伝わる体温にわたしは少し自分に都合のいい期待をしてしまってもいいのかしら?




