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色あせた世界に咲く花:顔、貸します ~記憶を返す少女の歌~赫映 ~無貌の神がくれた色彩~  作者: 「大和 尚羅夢」小花羅夢一生推し


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12/74

生放送事故

午後八時、東京ドームは、静寂と熱気の入り混じった異様な空気に包まれていた。

五万人を超える観客。そのすべてが、CPDSの患者、あるいはその家族・関係者だ。ステージは、モノクロームを基調とした、洗練されたセット。中央には、大きな円形のプラットフォーム。バックスクリーンには、波紋が広がるような抽象的なモノクロ映像が流れている。

今日の公演は、全国ネット生中継。視聴率は、瞬間最高35%を記録するとも予測されていた。タイトルは『色のない虹へ』。新曲の初披露も含まれる、大規模チャリティーコンサートだ。

私は、ステージ脇の技術ブースから、その様子を監視していた。微表情分析グラスをかけ、もんろの生体データを注視する。数値は、開演前から上昇傾向にあった。

混沌度:67%(前回計測より+5%)

心拍:72/分(平常)

筋電図:『静穏な期待』モードに一致

彼女は、ステージ袖で、最後の調整をしていた。今日の能面は、純白だが、所々に虹色の極薄い箔が貼られている。光の加減で、かすかに七色に輝く仕掛けだ。衣装も、白を基調に、虹のグラデーションが刺繍された、重厚で優美なドレス。彼女の“治癒の歌姫”としてのイメージを、完璧に体現していた。

司会者のアナウンス。大歓声。

スポットライトが、中央プラットフォームに灯る。

もんろが、ゆっくりと、その光の中へ歩み出る。

能面の白さが、光を浴びて、神々しいほどに輝く。観客席から、ため息と拍手が湧き起こる。

彼女は、マイクの前で立ち止まり、深々と一礼。そして、口を開く。

「ようこそ、色のない世界の皆さん、こんばんは」

声は、いつも以上に澄み、優しく、しかし確かな力に満ちていた。この声が、どれだけの人々の灰色の世界に、かすかな希望の灯をともしてきたことか。

オープニングナンバーは、定番の『心做し』のアレンジ。オーケストラの演奏に乗せて、もんろの歌声がドームを満たす。観客は、一様に、目を閉じ、あるいは虚空を見つめ、その声に身を委ねている。私のグラスが、客席の様々な箇所をスキャンする。涙を流す人、無意識に笑みを浮かべる人、隣人と手を握り合う人。もんろの歌声が、確実に、一時的な“癒し”をもたらしている。

しかし、私の注意は、もんろそのものに集中していた。グラスが表示する、彼女の生体データの微妙な乱れ。

筋電図:『静穏な期待』から『高揚・集中』へ移行中

発汗:微増

混沌度:67% → 68%

彼女は、歌いながら、激しいダンスもこなす。衣装の裾が翻り、能面の箔がきらめく。これは、これまでの静的なパフォーマンスとは一線を画す、エネルギーに満ちた演出だった。おそらく、新曲『色のない虹』に合わせた、意図的なものだろう。

三曲目。新曲『色のない虹』の前奏が流れる。

旋律は、これまでのもんろの楽曲とはまた違い、疾走感があり、希望的でありながら、どこか切ない。歌詞は、色を失った世界で、それでも虹を夢見る人々の、ひたむきな願いを歌っている。

もんろの動きが、さらに激しくなる。ステージ全体を使ったダイナミックなダンス。回転、ジャンプ、細かいステップ。彼女の体から、汗のしずくが、スポットライトに照らされてきらめく。

私のグラスが、警告を発し始める。

筋電図:負荷増大(限界近く)

呼吸:速く浅い

混沌度:68% → 69%

無理をしている。この激しい動きは、彼女の、既に限界に近い“器”に、さらに負荷をかけている。

曲は、サビへと向かう。もんろが、ステージ中央で、大きく一回転するダイナミックな動きを入れる。

その時だった。

パチン。

微かだが、鋭い、繊維が切れる音が、私のヘッドセットを通して聞こえた。

もんろの能面の、左側の留め紐が、その回転の勢いで、ちぎれたのだ。

時間が、ゆっくりと流れるように感じられた。

能面は、まだ彼女の顔に張り付いてはいたが、左側が外れ、顔に対して斜めにずれる。左のこめかみから顎にかけての部分が、一瞬、完全に露出した。

0.8秒。

たったそれだけの時間だった。

しかし、その0.8秒の間、4K超高精細カメラのクローズアップが、もんろの、むき出しになった左側の顔――顎のラインから頬の一部、そして口元の端――を、大スクリーンに、そして全国のテレビ画面に、ありのままに映し出した。

私の微表情分析グラスが、その0.8秒を、コマ送りのように記録していた。

0.0秒:能面ずれ。露出開始。

皮膚状態:通常(若干の汗)

0.2秒:露出部の皮膚が、急速に老化。深い皺が刻まれる。頬がこけ、まるで80歳の老女のようになる。

感情信号:深い悲嘆・諦念(第33代巫女・楓?)

0.5秒:老化が一瞬で消え、今度は、十代の少年のような、張りと弾力のある肌に変わる。顎に、赤い大きなニキビのようなものが浮かび上がる。

感情信号:焦燥・戸惑い(誰か?)

0.8秒:肌は、生まれたばかりの嬰児のように、つるりとした柔らかな質感に。ほんのり桃色を帯びている。

感情信号:無垢・安らぎ(紗良ちゃん? それとも…)

そして、0.9秒目。ずれた能面が、弾力で元の位置にバチンとはね返る。顔は再び、純白の仮面に覆われた。

一瞬の、死のような静寂。

観客席の誰もが、あの0.8秒の“何か”を目撃していた。しかし、理解できていない。信じられない。ただ、呆然と、スクリーン(あるいはステージ上のもんろ)を見つめている。

ステージ上でもんろは、一瞬の間も置かず、歌い続けていた。能面がずれたことなど、まるで何もなかったように。呼吸も乱さず、ダンスのステップも狂わせない。その冷静さ、プロフェッショナルぶりは、むしろ不気味ですらあった。

しかし、私のグラスが捉えていたのは、彼女の生体データの、劇的な変化だった。

混沌度:69% → 62%

急激な下降を確認

あの0.8秒の“露出”によって、彼女の“中”に蓄積されていた“何か”が、一気に、外へ、世界へと、少しだけ“漏れ出た”のか? それとも、仮面という“抑圧”が一時的に外れたことで、内部の“圧力”が解放されたのか?

曲は、そのままクライマックスへ向かい、力強く終わった。

拍手は起こらなかった。客席は、相変わらず、理解できない事態に直面したような、重い沈黙に包まれていた。

もんろは、静かに一礼をし、ステージを後にした。その背中は、微動だにしていない。

私が技術ブースを飛び出し、バックステージへ駆けつけると、そこは、既に騒然としていた。

ディレクターが、ヘッドセットに向かって怒鳴っている。

「何だった?! あの映像、何だったんだ?! 技術トラック?! 特殊効果?!」

技術スタッフも、蒼白な顔でモニターを確認している。

「い、いえ! 特殊効果のトリガーはありません! カメラの映像そのものが、ああなって…」

「バカな! 人の顔が0.8秒で三通りに変わるわけがない!」

その時、私のスマートフォンが、けたたましく鳴った。伊達課長だ。

「尚! 今の、見たか?!」 彼の声は、怒りを通り越して、恐怖に近いものが込もっていた。

「はい…」

「あれはマズい。とんでもなくマズい! SNSはもう、完全に炎上している! 『顔が変わった』『AIだ』『怪物だ』…収拾がつかん!」

背景で、他のスタッフの叫び声が聞こえる。「ネットの書き込み、すごいことになってます! 『死んだ祖母の顔が見えた』って人も…『戦友の』ってのも…!」

「すぐに対象を確保しろ!」 伊達課長の声が、耳をつんざく。「楽屋に閉じ込め、誰とも接触させるな! 警備を倍増だ! 我々が到着するまで、絶対に外すな!」

「了解しました」

電話を切る。私は、もんろの楽屋へと急いだ。

楽屋ゾーンの廊下でも、スタッフたちが、興奮した声でささやき合っている。私が通ると、それらがぴたりと止む。好奇と疑いの視線を感じる。

もんろの楽屋の前には、既に二人の警備員が立っていた。私が近づくと、警戒しながらも、ドアを開けてくれた。

中では、もんろが、壁にもたれて立っていた。能面は外している。彼女は、天井を見つめ、深く、ゆっくりと呼吸をしている。その顔は、先ほどの“沸騰”のような激しい変動はないが、相変わらず、微かに、絶え間ない“揺らぎ”を保っていた。混沌度は62%で安定している。

私が入ってくると、彼女は、ゆっくりとこちらの方に目を向けた。

その目は、驚くほど落ち着いていた。深い、静かな湖のようだ。

「…尚さん」

彼女は、かすかに、ほんのわずかに、口元を緩めた。それは、笑顔というより、何かから解放されたような、安堵の表情に近かった。

「…見られちゃったね」

その声には、恐怖も後悔もない。ただ、ついに起こってしまった“避けられないこと”に対する、ある種の諦念と、さきほどから感じていた、かすかな“安堵”が混じっているように聞こえた。

「…あれは?」 私は、声を絞り出した。

「『漏れ』です」 もんろは、そっと自分の左頬に触れた。「仮面が外れた瞬間、中に詰め込みすぎた『借り』の、ほんの少しが、外へあふれ出てしまった。それだけです」

“借り”があふれ出る。それが、0.8秒の間に、三つの別人の顔を、彼女の肌の上に投影した。

「ネットは大騒ぎだ。様々な…『証言』が上がっている」

「ええ、そうでしょうね」 もんろは、窓の外の、コンクリートの壁を見つめた。「私の顔には、たくさんの人の、忘れられた顔の欠片が詰まっていますから。そのうちのどれかが、たまたま、誰かの大切な人の顔と一致する確率は、ゼロではありません」

彼女の言葉は、ますます、彼女を“人間”から遠ざけていく。彼女は、自分を、単なる“記憶のアーカイブ”として語っている。

ドアがノックされ、別の警備員が顔を出した。「尚さん、上層部から、対象の移動命令です。すぐに、よりセキュアな施設へ」

もんろは、それを聞いて、特に驚く様子もなく、うなずいた。

「わかりました。着替えを済ませますので、少々お待ちください」

彼女は、ごく自然に、私用のタブレットやわずかな私物を小さなバッグに詰め始めた。能面は、丁寧にケースに収める。まるで、よくある移動の準備をするかのように。

しかし、その動作の一つひとつが、なぜか、別れの準備をしているようにも見えた。

「もんろ」 私は、思わず声をかけた。

彼女が振り向く。

「…57日後、のことは」

彼女の目が、わずかに見開かれた。そして、すぐに、また穏やかな表情に戻る。

「約束ですよ、尚さん」 彼女は、ささやくように言った。「それまで、あなたが、私の『顔』を見つけるための、時間をください。そして私が、あなたに、残りの真実を、お渡しします」

彼女はバッグのファスナーを閉め、立ち上がった。

「では、行きましょうか」

警備員に囲まれて、彼女は楽屋を出て行った。私は、少し遅れて後を追う。

移動用の特殊車両は、既に待機していた。もんろは、何事もなかったように車内へと導かれた。ドアが閉まり、車列が静かに動き出す。

私は、別の車に乗り、その後に続いた。

目的地は、都心から少し離れた、高いセキュリティを誇る“特別管理施設”。外見は、ごく普通のオフィスビルだが、内部は、最新の監視システムと、脱出不可能な構造になっている。

もんろの新しい“楽屋”——というより、“軟禁部屋”——は、最上階の一角にある。窓は防弾ガラスで、外の景色はぼんやりとしか見えない。室内は、必要最小限の家具と、高度な生体モニタリング機器が設置されている。ドアは分厚い金属製で、外側からしか開かない。

もんろは、その部屋の中央に立ったまま、ゆっくりと周囲を見回した。そして、ベッドの端に腰を下ろした。

警備員と技術者が、機器の最終チェックをして退出する。私だけが、ドアの内側に残った。

「これで、少しの間、外には出られませんね」 もんろは、淡々と言った。

「…あの事故の調査が終わるまで、だ」

「調査、ですか」 彼女は、かすかに笑った。「私の『中』を、もっと詳細に調べる、ということですね。能面化のプロセスを、前倒しにするためのデータを集める」

私は、返す言葉がなかった。彼女の言う通りだろう。

「では、お休みなさい、尚さん」 もんろは、ベッドにもたれかかった。「明日からも、よろしくお願いします。監視官さん」

その呼び方に、私は、胸が締め付けられる思いがした。

私は、無言でうなずき、部屋を出た。ドアが分厚く閉まる音。自動でロックがかかる。

隣の監視ルームに入る。一面のモニターに、もんろの部屋の様子が、様々な角度から映し出されている。彼女は、ベッドに横たわったまま、天井を見つめている。動かない。

生体データは、平静を示している。混沌度62%。心拍も安定。

時間が過ぎる。一時間。二時間。

もんろは、一度も起き上がろうとしない。ただ、じっとしている。

そして、深夜零時を過ぎた頃。

モニターのスピーカーから、かすかな声が聞こえてきた。

歌ではない。ただの、鼻歌のような、息が漏れるような、子守唄 の旋律だ。

『ゆりかごのうた』。

しかし、それは、彼女がこれまで歌ってきた、完璧な音程のそれとは違った。ところどころ音が外れ、リズムが曖昧で、時折、言葉にならない呟きが混じる。まるで、遠い昔、誰かに聞かされた、うろ覚えのメロディを、無意識に口ずさんでいるかのようだった。

彼女は、目を閉じたまま、ただ、それを歌い続けている。

モニター越しに、彼女の横顔が見える。能面は外している。その顔は、暗い部屋の中、モニターの微かな光に照らされて、かすかに、しかし確かに、絶え間ない“揺らぎ”を続けていた。無数の顔の亡霊たちが、まだ、彼女の中で、静かに、しかし絶え間なく、ささやき合っている。

私は、監視ルームの椅子に深く座り込み、その光景を見つめ続けた。

窓の外、東京の夜は、相変わらず、深い灰色に沈んでいる。

あの0.8秒の映像は、今、世界を駆け巡り、人々に、計り知れない衝撃と混乱を与えている。

そして、この部屋の中では、全ての元凶であり、また最も痛みを背負った存在が、暗闇の中で、壊れた子守唄を歌い続けている。

57日。

彼女は、その日まで、この檻の中で、何を思い、何を準備するのだろう。

私は、モニターに映る彼女の、微かに揺らぐ横顔から、目を離すことができなかった。


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