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色あせた世界に咲く花:顔、貸します ~記憶を返す少女の歌~赫映 ~無貌の神がくれた色彩~  作者: 「大和 尚羅夢」小花羅夢一生推し


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仮面の裂け目

国会議事堂の特別公聴会場は、重苦しい緊張感に包まれていた。

楕円形の長テーブルを囲み、与野党の議員、官僚、学識経験者らがずらりと並ぶ。中央の証言台に、もんろが一人、直立していた。今日の衣装は、黒を基調としたシンプルなスーツ。能面は、公の場では初めて、純白の能面ではなく、より彫りの深い、威厳を感じさせる漆黒の能面を着けている。これは、AIが提案した「権威+慈悲」複合型の面容に合わせて特別に調整されたものだ。

「以上が、CPDS対策予算の拡充を急務とする理由です」

もんろの声は、会場に静かに、しかし確実に響き渡った。トーンは低く落ち着き、ところどころに情感を込めた間を置く。証言台に置かれたメモを参照することもなく、聴衆の目を一人ひとり、ゆっくりと見渡しながら話を進める。その佇まいは、もはや“歌姫”ではなく、この問題に人生をかけて取り組む“専門家”そのものだった。

「現在、国内のCPDS患者数は推定五百万人。うち重症者は五十万人に上ります。彼らは、色を失った世界で、自分自身の顔さえ認識できなくなる恐怖と日々戦っています」

彼女は、わずかに声を震わせた。計算された震えだ。微表情分析グラスが表示するデータによれば、声帯の振動パターンは「深い悲しみと怒り」のテンプレートに完全一致している。

「この人々の苦しみを、一時的な“癒し”で誤魔化し続けることは、もはや許されません。真の原因解明と、根本的な治療法の確立に、国を挙げて取り組む時です。そのためには、さらなる研究予算と、患者支援のための体制整備が不可欠です」

彼女の言葉は、データと情感が見事に融合していた。統計数値の提示の合間に、実際の患者(匿名加工済み)の証言ビデオを短く流す。紗良ちゃんと母親の再会シーンの一部も、巧妙に編集されて含まれていた。

議場からは、感嘆の息づかいや、うなずく音が漏れる。野党の議員さえ、厳しい表情を緩め、熱心にメモを取っている。

もんろの証言は、圧倒的な説得力を持っていた。

しかし、私の微表情分析グラスが捉えていたのは、別の現実だった。

対象:表情筋制御

全体的同期率:99.2%

注視点不一致:左目→聴衆中央部 / 右目→議場右奥の窓

感情信号:左目領域→「確信・説得」 / 右目領域→「諦念・絶望」

反応遅延:0.1秒(通常の10倍)

グラスの視界の端に、警告表示が点滅する。「表情筋制御に微小なずれを検出。感情信号の矛盾あり」

私は、証言台から数メートル離れた、傍聴席の一番前で、そのデータを凝視していた。

0.1秒の遅延。普通の人間には気づかない、一瞬の“ずれ”だ。しかし、もんろのような、これまで完璧に同期していた存在にとっては、明らかな“異常”だ。能面の下で、彼女の顔の筋肉が、AIの指示通りに動くのに、ほんのわずか、しかし確実に、時間がかかっている。

そして、左右の目の“感情”の不一致。左目は、確信に満ち、聴衆を説得しようとする熱意を反映している。しかし右目――私のグラスが捉える限り、能面の目孔の奥の右目は、焦点が少しぼやけ、何か遠くの、この議場にはないものを見つめている。そこから読み取れる感情データは、「諦念」と「絶望」だった。

彼女は、二つの“役割”を、同時に、しかし別々に演じているのか? それとも、彼女の中の“何か”が、分裂し始めているのか?

もんろの証言は、クライマックスに近づいていた。

「私は、ただの歌姫です。治す力はあっても、救う力はありません。真の救済は、科学と、人々の理解と、そして国のかける覚悟にかかっています」

彼女は、深々と頭を下げた。

「どうか、この灰色の世界に、再び色が戻るその日まで、彼らを見捨てないでください。お願いします」

沈黙。

そして、議場から、割れるような拍手が起こった。与野党の区別なく、議員たちが立ち上がり、もんろに拍手を送る。中には、目頭を押さえる者もいる。

証言は、大成功だ。予算拡充は、ほぼ確実視される。

もんろは、拍手に応えて、もう一度礼をする。その動きは、依然として優雅で、完璧だ。

しかし、私のグラスは、彼女の生体データの“乱れ”を捉えていた。心拍が、証言中は安定していたのに、拍手が起こった瞬間、一瞬、不自然に上昇した。まるで、成功したことへの“安堵”ではなく、何か別の、より切迫した感情の表れのように。

司会の議員が総括を始める。もんろの役目は終わった。彼女は、証言台から下り、控え室へと続くドアへ、静かに歩き出した。

私も、すっと席を立ち、彼女の後を追った。職員証をかざし、関係者用の通路へ入る。

もんろの歩く速度が、だんだん速くなっている。最初は優雅な歩幅だったが、次第に、ほとんど“駆け足”に近い。背中に、明らかな“焦り”が見て取れる。

彼女は、楽屋のドアの前まで来ると、周囲を確認もせず、ドアを開け、中に飛び込むように入った。そして、背後でドアをバタンと閉め、カチャリと鍵をかける音がした。

私は、ドアの前で立ち止まった。中から、何か物音がする。ガタガタという、何かを探す音。そして――

ガシャーン!

何かが倒れる、壊れる音だ。

私は、迷わず職員証をドアの電子ロックにかざした。しかし、「ロック中」の表示が出る。もんろが内側から物理的に施錠したようだ。

“緊急時用”のマスターキーカードをポケットから取り出す。これは、監視官用に特別に発行されている、あらゆるドアを開けられるカードだ。使用には報告義務があるが、今は構わない。

カードをかざす。ロックが解除される音。

私は、ドアを開けた。

楽屋の中は、惨状だった。

デスクの上の書類やペンが床に散乱している。スマートミラーは倒れ、画面にひびが入っている。そして、部屋の中央――

もんろが、鏡台(ミラーは倒れているが、壁に付けられた普通の鏡は残っている)の前にうずくまっていた。能面は外され、床に転がっている。彼女は、両手で自分の顔を覆い、体を小さく震わせている。

「う…うう…」

唸るような、苦悶の声が漏れる。

そして突然、彼女が顔から手を離し、鏡に映る自分――いや、映っている“何か”――を見つめ、金切り声を上げた。

「だれ……? だれ……? だれなの……?!?!」

その声は、もはや、もんろの声ではなかった。老いも若きも、男も女も入り混じった、無数の声が、一つの喉から無理矢理に絞り出されるような、不気味なコーラスだった。

彼女は、鏡に映る自分の顔に、両手の爪を立てた。

「いや…やめて…わたしを…わたしをかえして…!」

爪が頬に食い込む。肌が裂ける音ではない。むしろ、皮膚の“質感”が変わるような、ねっとりとした音だ。

私は、飛び込むように彼女に近づき、後ろから彼女の両腕を掴んだ。

「もんろ! やめろ!」

彼女の腕は、信じられないほどの力で暴れていた。普通の女性のそれをはるかに超える。私のグラスが、彼女の筋電図を表示する。通常の最大値を軽く超える、異常な信号が迸っている。

「離せ! あれは私じゃない! 違う! 違うんだ!」

彼女は、私の拘束を振りほどこうと、もがく。その間も、彼女の顔は、恐ろしい変化を続けていた。

微表情分析グラスを通して、私はそれをありのままに見せつけられた。

彼女の顔の皮膚の下で、無数の“パーツ”が、まるでそれぞれに意志を持つかのように、蠢き、押し合い、はじき合っていた。左頬の皮膚が、老人のように深く沈み込むかと思うと、右頬は幼子のようにぷっくりと膨らむ。鼻の形が、瞬く間に三通りほどに変化し、口は、微笑みと絶叫と嗚咽を、一秒間に何度も繰り返す。

最も恐ろしかったのは、それらのパーツが、一時的に、ある“まとまり”を持とうとする瞬間だった。額のパーツと顎のパーツが、無理やりに一つの輪郭を形成しようと近づく。しかし、頬のパーツや目のパーツが、全く別の“顔”を構成しようとして邪魔をする。それらが衝突し、押し合い、ついに、全体がぐちゃぐちゃに“沸騰”したような、歪でグロテスクな“顔”のコラージュが、一瞬だけ鏡に映る。

それは、最早“人間の顔”ですらなかった。無数の顔の亡霊が、一つの皮膚の下で、永遠に決着のつかない戦いを繰り広げている、生ける地獄絵図だった。

「静かにしろ、もんろ! 大丈夫だ、落ち着け!」

私は、必死に彼女を抱きしめた。彼女の背中が、私の胸に強く打ちつけられる。彼女の髪の、線香のような匂いが鼻をつく。

「だめ…離して…私…私が…消えちゃう…」

彼女の抵抗が、突然、弱まる。力が抜けていく。私の腕の中で、彼女の体が、小さく震え始める。

「尚…さん…?」

声は、かすかで、震えている。もんろの、あの澄んだ声に、わずかに戻っている。

「…うぁ…たし…」

彼女は、ゆっくりと、私の方に体を預けてくる。全身の重みがかかる。

「私…私は…誰…?」

その問いかけは、子どもが迷子になった時のようで、あまりにも無防備で、痛々しかった。

私は、何と答えればいいのかわからなかった。彼女は、赫映もんろだ。歌姫だ。第108代巫女だ。生贄だ。側溝だ。

どれも、今、この震える小さな体を抱く私に、かけられるべき答えではなかった。

「…大丈夫」

私は、そう繰り返すしかなかった。彼女の髪に、そっと手をやる。冷たく、汗で少し湿っている。

「大丈夫だ、もんろ」

彼女は、私の胸に顔を押し付け、小さく、嗚咽を漏らした。涙ではない。ただ、苦しそうな、息の詰まるような音だ。

そのまま、彼女の体の震えが、次第に収まっていった。緊張が解け、重みが増す。意識を失ったのか、深い眠りに落ちたのか。

私は、彼女をゆっくりと床に横たえた。能面が転がっているそばは避け、なるべく平らな場所に。上着を脱ぎ、彼女の体の上にかけた。

彼女の顔は、まだ“変動”の残響を留めていたが、先ほどのような激しい“沸騰”は収まっていた。無数のパーツが、疲れ果てたように、ただ皮膚の下で微かに脈打っているだけだった。紗良ちゃんの母親の“星空”のそばかすは、相変わらず右頬にあったが、その周囲の肌が、不自然に赤く腫れ上がっている。自分で掻きむしった跡だ。

彼女の呼吸は、浅く、しかし規則的になっている。昏睡状態か、少なくとも、深い睡眠にはいったようだ。

私は、その場に座り込み、彼女の眠りを、ただ見守った。心臓の鼓動が、ようやく落ち着いてきた。

楽屋の惨状を見回す。倒れたスマートミラー。散乱した書類。そして、もんろが普段使っている、私用のタブレット端末が、デスクの端からかろうじて落ちずに引っかかっている。

私は、立ち上がり、そっとそれを手に取った。画面にはロックがかかっている。しかし、私(というより、早織のツール)には、この程度のロックは簡単だった。

数秒後、画面がホーム画面を表示した。

デスクトップは驚くほどシンプルだった。スケジュール管理アプリ、音楽プレイヤー、ファイルマネージャー、そして――

画面の中央に、一つだけ、目立つアプリのアイコンがあった。

『FINAL COUNTDOWN』

最終カウントダウン。

私は、胸騒ぎを覚えながら、それをタップした。

アプリが開く。シンプルな画面だ。中央に、大きなデジタル数字が表示されている。

57

その下には、小さく、

Days until the Final Performance

(最終公演まであと)

そして、その下に、一行のメモが書かれている。

『すべてを返す日。それから、さようなら。』

57日。

ほぼ二ヶ月だ。

混沌度95%に達する予測時期と、ほぼ符合する。いや、もしかすると、彼女自身が、この日を、能面化の“最終期限”と設定しているのかもしれない。

“すべてを返す日”。

彼女は、あの“返却待ちリスト”に記された、借りた全ての顔、全ての記憶、全ての“借り”を、その日に、一挙に返還しようと計画しているのか?

“さようなら”。

それは、能面となることへの別れの言葉か。それとも、もっと別の、彼女だけが知っている“結末”への?

私は、アプリを閉じ、タブレットを元の位置に戻した。痕跡を消す。

もんろは、まだ深く眠っている。顔の“変動”は、ほぼ止まっている。まるで、全ての“借り”が、一時的に眠りについてくれたかのようだ。

私は、楽屋の片づけを始めた。スマートミラーを起こす。ひびは入っているが、一応映る。書類やペンを拾い集める。能面を拾い上げ、埃を払い、デスクの上に丁寧に置く。

すべてを元通りにしたわけではない。ミラーのひびや、床の少しの乱れは、どうしようもない。

しかし、少なくとも、彼女が目覚めた時、全てがめちゃくちゃだった、という状況ではいないように。

私は、もんろの傍らに戻り、座った。彼女の眠る顔を見つめる。

今、この顔は、比較的“安定”している。だが、それは一時的なものだ。57日後、彼女は、何か大きなことをしようとしている。そして、国は、彼女を能面へと転写しようとしている。

私は、ポケットから、監視用の小型端末を取り出した。本日の報告書を起動する。

日時:XX月XX日

対象:赫映もんろ

監視者:尚羅夢

活動内容:国会公聴会への証言出席

ここまで打ち、私は指を止めた。

本来ならば、ここに、公聴会後の“異常行動”と“一時的精神不安定状態”を詳細に記録し、混沌度の急激な上昇(おそらく、一時的に70%近くまで達していただろう)を報告しなければならない。緊急措置としてのマスターキー使用の理由も添える。

それが、監視官としての職務だ。

私は、ゆっくりと、続きを打ち始めた。

所見:対象の証言は極めて効果的であった。公聴会後、対象は疲労の色を見せたが、健康状態に特段の異常は認められず。楽屋において静養中。

一呼吸置く。

結論:対象は安定。一切正常。

“送信”ボタンを押す。

画面に“送信完了”の表示が出る。

これで、公式の記録上、今日の“事件”は存在しなかったことになる。マスターキー使用の記録も、私は後でシステムから削除しなければならない。

私は、端末をしまい、再びもんろの顔を見つめた。

安定。正常。

どちらも、大きな嘘だ。

しかし、この嘘が、彼女に、ほんの少しでも、“自分”を探す時間を与えられるなら。

57日。

私は、その日が来るまで、彼女の側溝が、詰まらないようにしなければならない。

たとえ、それが、監視官としての全てを賭けることになっても。


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