第38話 母が見ていた世界(後編)
飛び出したルミナが向かった先はあの場所。
彼女は何を思い、カガミを連れ出したのでしょうか。
母が見ていた世界(後編)
どうぞ。
(ルミナぁ、どこまで行くんだよ)
散歩のつもりで、なんとなくその後をついていくカガミ。
ルミナの足取りは思いのほか速かったが、進む先の景色には、すでに見覚えがあった。
(……やっぱり、ここか)
彼女が足を止めたのは、いつもの見張り場。
その隣で立ち止まったカガミが、何気なく周囲へ目を向けると——ふと岩壁に残された傷跡が視界に入る。
(あれって……)
あの時、ルミナが放った風の魔法によって、岩壁へ刻まれた傷だった。
途端に彼の気分は再び沈んでいく。
——すると隣から、ため息が聞こえてきた。
「こんなことに、なるなんてね……」
責めるような言葉とも取れたが、何も言い返せないカガミ。
そしてしばしの沈黙のあと——彼女は静かに尋ねた。
「そんなに似てた? あの子と……昔のあなた」
(……っ!)
まさかと思いカガミが振り向くと——。
(……見てたのか?)
「まあね」
ルミナは頷いた。
エルリアを見るたびに蘇っていた、かつての自分の記憶。
ルミナの中にいた時、それが彼女にも覗かれていたのだと、カガミはようやく察した。
——やがて、彼は言葉を漏らす。
(あの子の力になりたかったんだ。あの時の、母さんみたいに——)
大人たちに押さえつけられながらも、自由を求めるエルリア。
その姿はまさに、かつて父とぶつかっていた自分そのものだった。
(戦えない自分が嫌だったのも——痛いほどわかる)
さらにこの世界へ来てから、幾度となく思い知らされてきた自分の無力さ。
その悔しさを身をもって知っているからこそ、彼女の涙を他人事とは思えなかった。
それなのに——。
(でも結局、あの子を勇気づけることなんてできなかった——やっぱり、俺のやってることは間違いだったんだ)
後悔ばかりが駆け巡り、自分を戒めるカガミ。
すると——。
「カガミ!」
(うぐっ!)
彼の体を挟み込むように、ルミナが勢いよく両手を打ち合わせた。
「そうじゃないでしょ⁉︎ お母さんが言ってたのは」
(母さんが?)
そして彼女は、カガミの心を辿るように訴え続ける。
「カームさんの判断は正しかったかもしれない。でも——ぶつかったくらいで、すぐに自分が間違ってるなんて思わないで!」
その言葉は、カガミの胸へと深く刺さるものだった。
いや——初めから、刺さっているものだった。
母からもらったはずなのに、自分一人では引っ張り出せなくなっていた、確かな勇気。
(そうか……)
母の言葉は、自分の選択を否定するものではなかった。
たとえぶつかっても、逃げずに向き合えと、背中を押してくれていた。
心を重ねたルミナが、それをもう一度思い出させてくれたのだ。
(……そうだよな)
やがて、溜まっていたものを吐き出すように、ゆっくりと息をつくカガミ。
自分を責めるために蘇らせた記憶が、いつしか彼の背中を押すものへと変わっていた。
(ありがとう、ルミナ。母さんのこと——思い出してよかったよ)
「もう。しっかりしてよね——カガミ」
二人の間に、ようやく小さな笑みが戻る。
——するとカガミは、ふと思い出したように尋ねた。
(それで、こんなとこまで俺を連れてきたってことは、やっぱり——)
「決まってるじゃない」
即答し、目の前の岩壁へと向き直るルミナ。
「少しでも、強くなるの」
(……ああ。そうだな)
これから始める修行へ、二人は意識を切り替える。
だが、岩壁に残る傷跡へ目を向けたルミナの顔からは、笑みが消えていた。
「風の里……今は救えないけど、いつかは救わなきゃ。だから——」
決意を込めた拳を強く握る。
(まずは、里の外側に目を向けよう)
付け足すように言い放つカガミ。
彼らが目を向けていたのは、風の民を谷へ追いやった元凶だった。
(俺たちにできるのは打倒帝国だけ——君もこう考えてるんだろ?)
「うん……わかってるじゃない」
ルミナの顔に、再び小さな笑みが戻る。
すべては、エルリアと里のため。
いつか彼らが外の世界で安心して暮らす——同じ景色を、二人は思い描いていた。
その想いが重なった瞬間、ルミナの中にふと一つの考えが浮かぶ。
(ふふ……マルクなんかよりも、俺の方が君を理解してるかもしれないぞ——なんだったら鞍替えしてもいいぜ)
「……」
カガミがさらに言葉を重ねるが、彼女は俯いたまま何も答えない。
(ルミナぁ。冗談なんだから、無視されたらさすがに傷つくぞ)
返事のない沈黙に耐えきれず、情けない声を上げるカガミ。
その時——ルミナは何かを確かめるように顔を上げた。
「今……私の中に入ってみて」
(え? なんだって?)
「いいから、早く!」
(わ、わかったよ。それっ!)
言われるがまま、カガミはルミナの体へと飛び込んだ。
「んっ……!」
(はぁ……!)
カガミの魂が、ルミナの体へ溶け込んでいく。
五感が蘇り、人間だった頃の感覚が目を覚ます。
エギルを通し、マナの干渉を許された者同士による——二心同体の術。
だが——。
「これは……?」
(なんだ? いつもと……)
ゆっくりと目を開けた二人は、今までにない感覚に息を呑んだ。
「マナが、見える……!」
(こんなにもはっきりと)
二人の目に映っていたのは、己の手に灯る緑色の光。
しかも、その輝きは今までとは比べものにならないほど強大だった。
「こんなに、力が——」
新たな景色に目を丸くしていたルミナは、軽く握った拳にマナを込める。
すると。
「あっ!」
(うおっ!)
具現化を果たした炎が——星空を激しく照らすほどに立ち昇った。
「すごいっ……!」
桁違いの豪炎に驚くルミナ。
決して自分一人の力では、到底生み出せるものではなかった。
(これが——マナの融合ってやつか)
興奮するカガミの声が、彼女の内側から響く。
これまで何度試しても、上手くいかなかったマナの融合。
その違いを探るカガミだったが、二人はその答えを、すでに予感していた。
「私たちの、心が——」
(一つになったのか……?)
カガミの中に潜在するマナを——ルミナのマナに重ねるために必要だったもの。
それは力でも技術でもない。
原動力となったのは——想いだった。
——エルリアを救いたい。
その強い願いが二人の心を一つにし、互いのマナを強く結びつけたのだ。
さらに——。
「さっきから——何かを感じるわ」
ルミナは新しい感覚に目を見開いていた。
それは、転生者カガミにも備わっていた力。
風に乗り肌へと伝わってくる、里の者たちの微かな息吹。
想いを司る青白い生命の光——エギルを感じる力だった。
「これが——」
静かに夜空を見上げるルミナ。
「女神の力……」
なぜだろう。
初めて触れたはずの感覚なのに、どこか懐かしいその温もりに——彼女はふと思い浮かべる。
「これが、お母様が見ていた……世界?」
その直感は、決して間違ってはいなかった。
だが、なぜ彼を通してその世界に触れられたのかを、今のルミナはまだ知らない。
すると——。
(まだ完全じゃないな)
「えっ?」
カガミがそっと呟いた。
(俺のマナは、まだ全て馴染みきってない)
——女神の力の継承。
そのためには、転生者のエギルの全てを受け入れ、完全な融合を果たさなければならないのだ。
しかしそうなれば、おそらく彼は——。
「じゃあ、これからが本番ってわけね!」
(ああ……そういう、ことだな)
力の片鱗に触れ、たまらず胸を高鳴らせているルミナ。
そんな喜びを分かち合いながらも、カガミは思っていた。
心の奥へしまい込んでいた真実を、いつかは伝えないといけないのだろうと。
いつかはその結末を、迎えなければいけないのだろうと——。
「でもやるわね、カガミ——さっきの鞍替えの話、考えてあげてもいいわよ?」
(おいおい。今さら蒸し返されると、逆に恥ずかしいなぁ……)
和気藹々と言葉を交わす二人——しかしその時。
(はっ……!)
カガミは覚えのある何かを感じ取った。
(ルミナ……! 今の、わかったか?)
「えっ?」
突如変わった声色に、ルミナも笑みを消す。
以前よりも研ぎ澄まされた察知能力を得た彼は、妙なものが混じっていることに気づいていた。
「この感覚……こっち?」
(ああ。間違いない)
その方向へと顔を向けるルミナ。
その瞬間、彼女の脳裏にも、カガミの記憶を通して見たある人物の姿が蘇った。
それは、エルリアが攫われかけたあの日。
牙の男たち以外に僅かに感じ取っていた——隠れた者の存在だった。
(よく似てる)
「まさか……嘘でしょ」
ルミナの表情は、みるみると青ざめていく。
確信するにはまだ早かったが、気配のする方角を見つめたまま、カガミは静かに告げた。
(ルミナ……戻ろう)
「うん」
そして、それ以上の言葉を交わすことなく、静かに道を引き返す二人。
吹き抜けた夜風の中に、先ほどまでとは違う何かが混じっている感覚を、彼らは拭えなかった。
皆が追い求めていた闇。
その気配は確かに——里の中にいたのだ。
エギル感知の力がさらに研ぎ澄まされた転生者カガミと、それに目覚めたルミナ。
しかし、彼らは気づいてしまったのです。
あの時感じた、息を潜める者の気配が、里の中にいた事に……。
お次は火曜日!
クライマックスへと近づきます!




