第33話 鏡のみぞ知る怒り
五日目の滞在。
恐れを持つ彼らの瞳の色も、徐々に変わっていくのですが、ついに彼の逆鱗に触れてしまいました。
鏡のみぞ知る怒り
どうぞ。
風の里滞在、五日目。
一匹の妖魔を退治したきり、里には大した危機も訪れず、皆の心も徐々に元の平和な暮らしへと戻ろうとしていた。
「カガミ——もっとマナを送れないの?」
(むむむ……)
辺りは夕暮れ。
門番を任され、再び二心同体のマナ融合を試みていたルミナとカガミは、いまいち煮え切らない成果に四苦八苦していた。
(体はちゃんと任せてるんだけどな……肝心のマナだけを渡すってのが、どうにも難しい)
夢中になり、その体を酷使していく二人。
(すまない……また俺が、足を引っ張ってしまって——)
いつにも増して気弱な声が脳内に響く。
「仕方がないわ。別に今は急ぐことでもないんだし、ゆっくりやりましょう」
いちいち目くじらを立てることもなく、ルミナは優しい言葉を掛ける。
すると——。
「……あっ、そろそろ帰ってきたみたい」
独り言のように会話をしていた矢先、谷へと続く道から、一人、また一人と里人が姿を見せ始めた。
(もうこんな時間か——ルミナぁ……隠れるのも面倒だし、この状態のまま休んでてもいいか?)
彼らの瞳がマナを視認できることを知ってしまったカガミは、彼女の中から呟く。
「いいけど、うっかり変なこと考えないでよね」
(大丈夫だよ——そんじゃ)
かくして彼の滞在を許したルミナ。
その思考が眠るように鎮まる中、里へと帰ってきた人々が次々と横切っていく。
「ただいま戻りました」
そして、その最後尾に見えてきたのは、二人の護衛役。
「ルミナさんの方は、いかがでしたか?」
「里の方は平和そのもの。妖魔の“よ”の字もないわ。そっちは——?」
ジーンの問いに首を振るルミナだったが、ニーテもすぐに同じ反応を見せる。
「活動範囲を広げているのですが、こっちも全くです。やはり犯人は逃げたのでしょうか……」
今日もまた思うような成果を得られず、どんよりとした様子で呟くニーテ。
そんな彼女の肩に、ジーンは優しく手を置いた。
「気に病むことはありません。結果的にこの里が平和になれば、それでいいじゃありませんか」
「ジーンさん……ありがとうございます」
ニーテは少し微笑み、気持ちを切り替える。
やがて三人は、再び里の方へと足を運んでいくのだった。
* * *
「わぁ! ブルーベリーがこんなに!」
妖魔が現れて以降、採取もままならなかった山菜や薬草の数々。
それだけに彼らは、ここ数日の調達ぶりに胸を高鳴らせていた。
「今日もずいぶんと採れたな」
地面いっぱいに広げられた食材を選別しながら、横目でギルバディアの戦士たちを見つめる。
「あの人たちの、おかげだな」
「本当に……悪魔なのだろうか」
その瞳には未だ警戒の色が残っていたが、これまで教えられてきた外への認識を疑い始める者も、確かに現れていた。
「また見てますよ……得意の視力があれば、悪魔かどうかの見分けぐらい簡単につくでしょうに」
「何——私たちはただ、尽くすのみです」
半信半疑の視線に気づきながらも、相変わらず縮まらない彼らとの距離に不満を漏らすニーテ。
すると——。
「——ルミナ殿! ルミナ殿はおられるか⁉︎」
突然、里を包み込むような怒号が響き渡った。
「えっ? 私⁉︎」
その声に振り返ると、そこには鬼の形相をしたカームの姿。
「お主は、なんてことを——!」
「何のこと……エルリア?」
彼の後ろには、腕を引かれてやってきたエルリアが、小さな体を震わせていた。
「なぜこの子に、戦う術など与えた⁉︎」
怒りの正体。
それは、ルミナが教えた——風の刃の術だった。
「最近こそこそしていると思って問い詰めてみれば、お主がこの子に——良からぬ技を教えたそうだな?」
「それは……」
ルミナは俯き、言葉を詰まらせる。
するとエルリアが、鋭い視線を向ける祖父の前へと飛び出した。
「違うのおじいちゃん! ルミナは悪くないの!」
震える両手を広げる。
「私がルミナに、“戦いたい”って言ったの! だって、里のみんなが危険な目にあって、何もしないなんて嫌だもん——」
そして、緑色の瞳を真っ直ぐ向け、言い放った。
「それに、里の外のことだって——私、この目で見てみたい!」
孫娘の口から飛び出したその言葉に、カームは思わず息を呑む。
「……エルリア。お前——」
掟に背き、あまつさえ彼女が望むのは、危険に満ちた外の世界。
真っ赤に紅潮していた顔は、みるみるうちに青ざめていった。
「そんな恐ろしいことを考えていたのか……この大陸には、悪魔のような人間がたくさんいるんだぞ」
「そんなことない! 外の世界には、きっとルミナたちみたいに、いい人だっていっぱいいるよ!」
風の里に吹き渡る、自由への叫び。
その想いは、周囲の里人たちの心にも僅かに吹き込んでいく。
しかし——それでもカームは、動じなかった。
「何を言おうが、里の掟に背くことはこのわしが許さん! 戦うことも、里の外に出ることもだ!」
何も言えず、唇を噛み締めるエルリア。
掟という枷で自由を奪おうとする祖父に、憎しみすら覚えていた。
——すると。
「なぜだ……」
不意に、ルミナの口から言葉が漏れる。
「なぜ、この子の言うことを、ちゃんと聞いてあげないんだ?」
(……えっ?)
しかし、当のルミナは戸惑っていた。
そう——それは、彼女の意思で発した言葉ではない。
体の中に眠っていた、もう一つの魂——カガミのものだった。
「ルミナ殿……一体何が言いたい?」
(わ、私じゃないのに……!)
自分の体の中で、必死に声を響かせる。
だが、彼の心はそれすら届かないほどの昂りを見せていた。
「子供は、お前たち大人の都合のいい道具じゃないんだ——」
止まらないカガミの叫び。
そして。
「自分たちの考えを押しつけて、何も知らない子供をこれ以上縛りつけるんじゃない!」
ルミナの体を通したその言葉が、容赦なくカームへと浴びせられた。
「……」
里人たちをはじめ、その場にいたジーンやニーテさえも、ぽかんと口を開ける。
突然豹変したように見える彼女の姿に、誰もが戸惑いを隠せなかった。
(カガミ……あなた、どうしてこんなに)
その憤りを誰より近くで感じているルミナですら、なぜ彼がここまで怒るのか、その理由まではわからない。
——すると。
「……お主の言い分はわかった。だが——」
歯噛みをしていたカームが、その睨み合いに背を向けた。
「この子の処遇は、里の掟に従って決める」
「待て! まだ話は——」
まだ何かを言いたげなカガミが一歩踏み出すが——。
「無用だ。これはこの里の問題——エルリア……わかっているな?」
有無を言わせぬよう言葉を被せられ、やがてエルリアは観念したように肩を落とす。
そして——。
「風の掟により、“無風の刑”に処す」
「「「……っ!」」」
その言葉が落ちた瞬間、場の空気が凍りついた。
怯えるように俯く者、顔を強張らせる者——誰一人、その口を開こうとしない。
まるで触れてはならない何かを恐れるように、里人たちは一斉に沈黙を貫いていた。
「なんなのよ……無風の刑って?」
ただ事ではない彼らの様子を、ニーテは不思議そうに見つめる。
そこに——。
「光も差さない、風も吹かない部屋の中で……ただ丸一日過ごすんだ」
いつの間にか隣にいたデインが、恐怖に怯えながら彼女の袖を掴んでいた。
「そんなところにいたら、精神を壊しかねない……随分と前に、この刑はなくなったんだけどねぇ」
さらに、彼の元へと歩み寄ってきた一人の老婆が、その言葉を繋ぐ。
風と共に生きてきた者にとって、それを失い、暗闇の中で時を過ごすということは、この上ない苦しみ。
それが——無風の刑だった。
「ジーンさん!」
「可哀想ですが……余所者の私たちには、どうすることもできません」
必死な声を上げるニーテだったが、ジーンは静かに首を横へ振る。
そしてエルリアは、族長にいざなわれるまま、その地獄の部屋へと重い足取りで進んでいった。
「エルリア……」
「……なんてことだ」
まだ年端もいかない一人の少女に、哀れみの視線が集まる。
その時——。
「いけません、族長!」
群衆を掻き分けて現れたのは、必死の形相で息を荒らげるペストだった。
掟を破ったエルリアに気づき、激怒するカームでしたが、それは彼だけではありませんでした。
突如カガミが見せた怒りとは一体。
そして駆けつけるペスト。
風の里はこのまま、空中分解していくのでしょうか……?
お次は火曜日!
風の里に起きた悲しみが、ついに明かされていきます。




