七 事実、生きている
館を離れて半刻程のところ、トーリーが慣れた手つきで、野営の準備を進めていった。
彼は射撃部隊ということで、最前線というよりは後方支援寄りの任務をこなすこともあり、得意分野だ。
寝床を整え、火を起こし、見張りの位置を確認する。一連の動作に、無駄がなかった。
火を起こすこと自体はシェリル、アノリスにもできたが、そこは騎士団で積んできた経験に任せた。
「トーリー、手際いいね」アノリスが、毛布を受け取りながら言った。
「こ、これくらいは……」トーリーは、視線を別の方向に向けながら、答えた。
火が安定して、五人が、それぞれの場所に落ち着いた。
北西の空に、まだ、赤い光が揺れていた。館の炎だろう。静かな夜の中で、それだけが燃え続けていた。
慌ただしかった時間もようやく落ち着きを見せた。
そして、トーリーは気がついた。
男が、自分一人だった。
シェリル、アノリス、ラフィス、エルナ――四人、全員、女性だった。
今更ながら。今更に、気がついた。
洋館の中では、それどころではなかった。ゾンビも、亡霊も、蔦も――全部が全部、命がけで、そんなことを考える余裕など、どこにもなかった。
だが、今は。
火を囲んで、静かに座っている。
アノリスは、膝を抱えて炎を見つめている。爽やかな笑顔、少し視線を下げると、他の三人より際立つ身体の線。
ラフィスは、まっすぐ背筋を伸ばして空を見上げている。凛とした勇ましさ、あの剣・そして静止していても見え隠れする気品。
エルナは、アノリスの肩にそっと、手を添えている。慈愛に満ちた天使のような表情。
シェリルは、ノートを膝に乗せて、何かを書いている。紫髪と涼しげな顔立ちが、炎を受けて妖しく光る。
「……」
トーリーは、視線を、地面に落とした。
しばらくして、また、うっかり、上を向いた。
――目のやり場が、ない。
火を見た。火なら、いい。
だが、火の向こうに、アノリスがいた。
また、地面を見た。
「トーリーさん」
シェリルの声が、した。
「は、はい!」
「さっきから、視線が地面と空を往復しているわね」シェリルは、ノートから顔を上げずに言った。「何か、困っていることがあるの?」
「い、いえ、その――」
シェリルは顔を上げて、トーリーをまっすぐ見た。「私を見ていてもいいわよ。減るものじゃないし、事実なので」
トーリーは、固まった。
ラフィスが、小さく、笑った。声は出さなかったが、口元が、明らかに緩んでいた。
「姉さん」アノリスが言った。「それ、解決策になってないから……でもトーリーも大変ね。でも内心嬉しいんでしょ?こんなハーレム状態、騎士団に居たら絶対ないじゃん」
「……ハーレム、状態?」シェリルは、少し、首を傾げた。
――しまった、姉さんが世間知らずなところをトーリーとエルナに見せてしまった。
アノリスは少しだけ動揺した。
ただ、トーリーの初々しさは女たちからも弄りの対象になるようで、エルナが少し意地悪な質問をした。
「トーリーさん、この中で一番理想に近い女性は誰ですか?」
どうせ言い淀むか、軽くかわすのだろう。エルナは、その慌てる姿を、見てみたかっただけだった。
「んーっと、そうですね……やっぱり戦ってる姿が美しい――ラフィスさんかなぁ……いや、小隊長、ラフィス小隊長、えぇ」
――しまった、こんなに大真面目に答えてくるとは夢にも思わなかった。
しかも、名指しで。
エルナは、先ほどのアノリスとは違って、絶句した。
横でそれを聞いていたラフィス、焼いていた携行食の肉にフォークを突き刺しながら、
「それは、愛の告白ってことで、いいか?」
ラフィスは笑いながら、冗談だろうがまんざらでもない、といった表情でトーリーを見た。
「あ、あわわっ……い、いや、それは――俺なんか勿体ないですよ」
慌てて否定するトーリーも、また女たちからは愛らしく見えた。
夜風が、草の上を、通っていった。
しばらくして、アノリスが、くつくつと笑い始めた。
「なんか、変な感じだね」アノリスは言った。「さっきまで、亡霊と戦ってたのに」
「……そうだな」ラフィスが、空を見上げながら言った。
「生きてる感じがする」アノリスは言った。「こういうの」
シェリルは、ノートに視線を戻しながら、小さく頷いた。
「事実、生きているわね」
ここまで聞いて、トーリーはようやく口元が緩んだ。
「……お疲れ様でした」トーリーは、小さく言った。「みなさん」
「お疲れ様」アノリスが、気軽に返した。
「お疲れ様でした」エルナが、ゆったりと言った。
「ああ」ラフィスが言った。
シェリルは、ノートに何かを書きながら、一度だけ、視線を上げた。
「お疲れ様」
北西の空の赤みが、少しずつ、薄れていった。
四人が眠りにつく中、シェリルだけが、まだ、起きていた。
ノートを、膝の上に置いたまま、火を見ていた。今夜は、研究ではなかった。
――エルナ・シルヴィス。
シェリルは、今日の戦闘を、頭の中で、もう一度、辿っていた。
解呪術式の展開速度。防御術式の精度。ソレッグに対する術式の浸透の仕方――どれを見ても、中級クラス五の魔力量とは、つり合っていなかった。
――あの解呪は、上級相当の術式構成だった。
防御術式も、そうだ。あの一撃――ソレッグの大剣を受け止めたとき。エルナが展開した三人を包んでいた光の壁の構造を、シェリルは一瞬で読み取っていた。
複数の術式を、同時に、重ねて展開していた。しかもそれぞれが干渉していなかった。
シェリルは、火の中を、静かに見た。
回復術者を評価する指標が乏しい、という話は知っていた。
攻撃魔法と違って、「どれだけ相手を倒したか」という明確な指標がない。
治癒の速度も、患者の状態に左右される部分が大きく、数値として表れにくい。
だが――。
それにしても、だ。
エルナが、回復部隊の前線に立てる唯一の魔法使いだとしたら――あまりにも、回復支援を軽視しすぎている。
師団全体の話だ。等級評価の基準の問題だけではない。回復術者が前線に出られないのが「当然」という前提で、部隊が組まれている。
だから、エルナのような術者が、クラス五のまま見過ごされる。
シェリルは、ノートを、膝の上で開いた。
研究のためではなく、覚書として、書き留めた。
――今回の件と、併せて、報告しなければ。
シェリルは、ペンを置いた。
エルナは、アノリスの隣で、穏やかな顔をして、眠っていた。
――いい術者ね。
シェリルは、そう思いながら、空を見上げた。
その時、トーリーが目を覚ました。
「見張り、交代しましょう」
北西の方角の赤みは消えていた。館は既に燃え尽きたか。




