五 群れと巨影
窓の外、光が、急速に弱くなっていく。日没が近い。
――時間が、ない。
二階に居たシェリル、ラフィスは階段を駆け下りた。
七号室の扉の外に吹き飛ばされた三人――アノリス、トーリー、エルナが中央ホールに倒れている。
ラフィスは三人に駆け寄る。幸い、三人とも傷は負っていない。程なくして皆、立ち上がった。
一方、シェリルはゾンビが大量にいるという、白い扉の六号室の前に立っていた。
さっきまでは殺気は無かったが、七号室の巨大な亡霊が動き出してから、一気に六号室の中から尋常ならざる殺気が漏れ出していた。
俄かに悪臭が漂う。
七号室――巨大な亡霊が出てきた部屋、「ソレッグ」という名前が記されていた。
この亡霊の名前か。一体何者か――いや、それを考えるのは後だ。
「ラフィスはあの亡霊――ソレッグの注意を引いて。エルナはラフィスへの防御、そして隙が見えたら解呪を打てば彼は崩れる。私は六号室のゾンビを相手するわ。この扉を開けたらとんでもない数のゾンビが出てくる。ホールに溢れてきたゾンビはトーリーとアノリス、お願い」
簡潔で的確な指示がシェリルから発せられた。
「はいっ!!」一際、トーリーの声が響いた。
シェリルは意を決して、六号室の扉を開けようとしたが躊躇した。
――これは開けた瞬間、私が大丈夫でも他の四人が危ない……扉の向こうに居るゾンビは百や二百ではない。
しかし迷っていたらこの扉は内側から破られる……
ここまで考えて、シェリルは扉から三歩引いた。
「多過ぎるわ……扉の外には出さないようにするけど……」
シェリルは、一番近く居たアノリスだけに聞こえるように言って、両手に異なる術式を組み始めた。
右手からは扉に極点を組み込み……
――バァァァン!!!!
扉を破壊したと思えば、破壊し終わらないうちに左手からは室内に魔力の光線、それも入口をすっぽり覆う程に極太。
これだけあれば部屋の中の者は一掃できるはずだ。
ただしシェリルは室内でゾンビが無限に湧き出ているのも見抜いていた。
間髪入れずに自身の足元に風を集めて浮遊。その瞬間、シェリルは室内のゾンビの群れに躊躇わず、真っすぐ飛び込んだ。
「姉さん!?えっ?」
あまりにも流れるような動き、この数秒の間に術式を三つ時間差で展開していたシェリルを見て、アノリスは固まった。
いや――固まっている暇は無いのだが……
更にシェリルは室内に飛び込む途中、自身の周囲を覆う風の術式を組んでいた。群れの間を風の渦が、シェリルの体を包んだまま、滑るように通り抜けていく。手を伸ばしてくるゾンビの腕は、風に逸らされ、シェリルに触れることなく、空を掴んだ。
そして、室内の中央部に達した時、シェリルはその風の術式を強めた。
――風斬術・円形展開
術者を中心に、閉じた経路が描かれる。極を囲む閉合が成立し、術式が起動する。
だが、刃そのものは閉じない。円周上の各点に、放射状の不連続面が――開いたままの曲線が、次々と生成されていく。閉じた経路が術式を支え、その上に、開いた斬撃を並べていく。
複素数で記述した、回転の理論。半径rと、一回転する角度θ。講義で語ったそのものが、目の前の状況に当てはまっていた。
風の刃がシェリルの周囲を高速で回転する。
刃に触れたゾンビが、次々と切り刻まれていく。並の者なら立っていられないであろう悪臭が広がっているが、術を展開しているシェリルには何も感じなかった。
一方、ホールでは――
これだけ扉からゾンビが漏れ出てこないようにとシェリルが手を尽くしたが、それでもホールに溢れ出てくるゾンビをアノリスとトーリーが相手にしていた。
「うわ、結構来るな!」
「足元、お願い!」
トーリーのクロスボウが、アノリスの周囲に近づくゾンビを、的確に撃ち抜いていく。アノリスのヴェントラーゼが、間合いに入ったゾンビを、次々と斬り払う。
その時――
アノリスの背後で、別の扉が、軋みながら、開いた。
その先からも、ゾンビの群れが、こちらに向かって、溢れ出してきた。
「――っ!?」
アノリスは、振り返る間もなく、後ろから、複数のゾンビに、組みつかれた。
「う、そ……」
爪が、アノリスの肌に食い込み、そのまま強く引っ掻いたのだ。
その瞬間――
傷口に、ゾンビの瘴気が、触れた。
「――ぎゃあああああああっ!!」
アノリスの、これまでにない、大きな悲鳴が、館全体に響いた。
苦痛で顔が歪む。傷の周りが、一気に、黒く変色していく。瘴気が、体の中に、入り込んでいくのが、わかった。
「アノリスさん!」トーリーが、すぐに、組みついたゾンビを、撃ち抜いた。
六号室の中、シェリルの耳にも、アノリスの悲鳴は、届いていた。
だが――シェリルは、動じなかった。
むしろ、術式の出力を、さらに、上げた。
――ソレッグが、いる限り、ゾンビは、湧き続ける。
発生源を断たなければ、いくらアノリスとトーリーが処理しても、終わらない。アノリスを助けに動けば、根本の解決が、遅れる。
ここは、自分が、続ける。
「ラフィス、エルナ――お願い!」
シェリルの声が、ホールに響いた。
ラフィスは、すでに、ソレッグと、剣を交えていた。
大剣が、真上から落ちてくる。
受けた瞬間、腕が痺れた。刃を滑らせて逸らさなければ、剣ごと叩き折られていた。石床が砕け、破片が飛ぶ。
二撃目は、横薙ぎ。ラフィスは沈み込んでかわしたが、風圧だけで体が浮きかけた。頭上を通過した刃が、壁の石材を、削り取っていく。
――重い。速い。
巨体に見合わぬ剣速だった。振り下ろしてから次の一撃までが、あまりに短い。
三撃目が、突きで来た。
ラフィスは横へ跳んだ。だが、ソレッグは突きの姿勢のまま、腕を薙いだ。追撃だった。避けきれず、ラフィスの脇腹に、鎧の腕が入る。
「――ぐっ!」
体が、宙を舞った。ホールの柱に叩きつけられ、そのまま床へ落ちる。
口の中に、鉄の味が広がった。
「ラフィスさん!」
エルナの防御術式が、追撃の一歩手前で、ラフィスを包んだ。振り下ろされた大剣が、淡い光の壁に阻まれ、鈍い音を立てる。
だが、ラフィスは、剣を離していなかった。
立ち上がる。息が浅い。肋骨が、軋んでいる。
――生きていないものを恐れてばかりも、いられない。
ソレッグが、再び、大剣を振り上げた。
その瞬間、ラフィスは、前へ出た。
振り下ろされる刃の内側へ、踏み込む。大剣の間合いより内へ入れば、その刃は届かない。
ソレッグの腕の関節部分へ、下から斬り上げた。刃が、深く食い込む。
ソレッグの動きが、わずかに、鈍くなった。
その瞬間――ラフィスの体が、低く沈んだ。
次の瞬間には、ラフィスは、ソレッグの腕を踏み台にして、跳んでいた。
異様な跳躍力だった。地上から、一気に、ソレッグの肩の高さまで、飛び上がる。
「――っ!」
肩の上に降り立ったラフィスは、すぐに、剣を、ソレッグの首元――鎧の継ぎ目に向けて、振り下ろした。
一撃目で、鎧の表面が、削れる。
ソレッグが、苦悶するように、体を揺らした。ラフィスの体が、振り落とされそうになる。だが、ラフィスは、姿勢を低くして、肩にしがみつくように、留まった。
脇腹に、鋭い痛みが走る。折れているかもしれない。それでも、手は、緩めなかった。
「エルナ、今だ!」
「はい!」
エルナが、解呪の術式を、ソレッグに向けて放った。
淡い光が、ソレッグの体を包む。鎧の隙間、亡霊そのものを構成する魔力の残滓に、解呪の効果が染み込んでいく。
ソレッグの体が、ぐらりと、揺れた。
大剣を握る力が、緩んでいる。
ラフィスは、その隙を、見逃さなかった。
「いやああああーーーーっっっ!!!」
肩の上から、剣を、振り下ろす。
ソレッグの首――いや、首の位置にあった、鎧の継ぎ目を、正確に切り裂いた。
光が、ソレッグの体から、噴き出した。
巨大な体が、淡い光の粒子になって、崩れていく。
ラフィスは、崩れ落ちる体から、地面に降り立った。着地の衝撃で、脇腹の痛みが、突き上げてくる。片膝が、わずかに折れた。
その瞬間――
六号室の中、シェリルの円形展開に触れていた、残りのゾンビたちが、一斉に、力を失って崩れ落ちた。
ホールでも、湧き出していたゾンビの動きが、止まった。
静寂が、戻った。
シェリルは、六号室から、ホールに出てきた。
「アノリス――!」
アノリスは、片膝をついていた。傷の周りが、黒く変色している。
「エルナさん、お願い!」シェリルは、すぐに言った。
「はい、すぐに!」
エルナの治療魔法が、アノリスの傷に、向けられた。淡い光が、傷を包む。
「んんっ……痛……くっ……」
アノリスが悶える。
黒い変色が、少しずつ、薄れていく。だが――完全に消えるまでには、少し、時間がかかりそうだった。
「……瘴気まで、入り込んでたなんて」シェリルは、アノリスの傷を見て、眉を寄せた。「治療には、時間がかかるかもしれないわ」
「平気――」アノリスは、痛みに顔をしかめながら、言った。「終わったんだよね、これで」
「戦う相手は居なくなった。ただ、まだ依頼の謎は残ったままよ」
依頼の謎、つまり遠いエセウルの市街地に届く声の謎がまだ残っている。
シェリルは、ラフィスを見た。脇腹を押さえたまま、壁に手をついている。
「ラフィスも」
「……大したことはない」
その返事が、いつもより短かった。
窓の外は、すでに、薄暗くなっていた。
その時二階の方から、小さく、何かが外れるような音が、響いた。
「……今の音?」エルナが、二階を見上げた。
シェリルは、少し考えた。
二階で最初に入ろうと思って施錠されていた部屋だ。
「エルナは、アノリスを……お願い」
そう言って、シェリルを先頭に、ラフィス、トーリーは二階の部屋に向かった。




