二 廃洋館の声
シェリルが魔法師団の控室に呼ばれたのは、講義の後だった。
部屋に入ると、副団長ベルナルトの他に、初対面の男女が二名。
一人は、二十代半ばほどの女性。柔らかい雰囲気で、椅子に座る姿勢にもどこか緩やかさがある。
魔法師団の制服を着ているが、纏う空気は、戦闘職というより、もっと別の何かを思わせた。
もう一人は、騎士団の制服を着た、二十代後半から三十代前半くらいの男だった。
背に弓を背負い、腰には矢筒。体格はしっかりしているが、どこか落ち着かない様子で、視線をあちこちに動かしている。
「シェリルさん、お忙しい中、すみません」ベルナルトが言った。「実は、依頼が一件、来ていまして」
リーヴィンに来てから三ヶ月が経とうとしていた。その間、出版や講義という、学者としての勤めを果たしていたシェリルだったが、これはどう見ても戦闘依頼だ。
いつも冷静なシェリルも、少しばかり気が逸っていた。
「エセウル――北西部の街の方からです」ベルナルトは、地図を広げた。「街の外れに、古い洋館があります。以前は、何らかの研究施設だったという話ですが――その洋館から、夜になると、奇妙な声が聞こえるという報告が、続いています」
「声、というのは」
「人のものとも、獣のものとも判断できない声、ということです」ベルナルトは続けた。「周辺には人家はありませんが、街の中まで届くほどの声だそうで――住民の不安が、無視できないところまで来ています」
「すでに、調査は行われているんですか」
「何度か」ベルナルトは、一瞬、言葉を切った。「騎士団と魔法師団から、合同で調査隊を出しました。ですが――手がかりは、得られていません」
部屋の空気が、少し変わった。
「それと――」ベルナルトは、続けるのを、少し躊躇うようだった。「最後に派遣した調査隊のうち、数名が、戻っていません」
シェリルは、その言葉を、静かに聞いた。
――死んでるわね。
戻っていない、という言い方をしているが、それが意味することは、一つしかない。
エセウルの洋館は、ただ「奇妙な声がする」というだけの場所ではなさそうだ。
「これ以上人と時間を費やすわけにもいきません。そこで、特級術師であるあなたと今ここに居る二人、そしてシェリルさんのお仲間二人……この後来ると思いますが、すでに声を掛けさせて貰っています。この五名で本件を調査――あるいは、鎮圧をお願いしたい、という話です」ベルナルトは言った。
ベルナルトは、二人を手で示した。
「魔法師団から、エルナ・シルヴィス」
「エルナです」女性は、ゆったりとした声で言った。「よろしくお願いします、シェリルさん」
その声には、柔らかさがあった。穏やかで、急ぐところがない――安心感のある響きだった。
「回復と補助系の魔法を専門にしています」エルナは続けた。「回復魔法を応用した防御の術式も、扱えます。師団の回復部門では――前線に出られる人間が、私だけなので」
回復部門で前線に出られる者が一人だということか。それ以外は皆後方支援、役割分担が定まっていると言えば聞こえが良いが、攻撃部隊に比べて育成が進んでいないというようにも見える。
「そしてこちら、騎士団からトーリー・クルトマンです」ベルナルトが続けた。
「ト、トーリーです」男は、少し早口で言った。「弓と――クロスボウを使います。よろしくお願いします」
そこに遅れて、騎士団小隊長となったラフィスがアノリスを連れて、やってきた。
「遅くなりました、王宮騎士団・王都第三小隊長、ラフィス・ミラセシルです。そしてこちらはシェリルの妹、中級クラス六、アノリス・アリアシスト」
アノリスは軽く一礼をした。少女っぽい風貌で、十二月の寒気に一瞬暖かい風が吹いた。
それをみてトーリーが目を丸くした。
「仲間って……ラフィス小隊長?それに特級術師様の、妹?」
慌てるトーリーを見て「この依頼は実力の他に、一緒に旅を続けてきた連携が必要ってことですね」エルナは穏やかに言った。
「五人分の馬はお貸しいたします」ベルナルトは、地図を指で示した。「リーヴィンからエセウル市街地までは、三十五リーグ。ただ、洋館自体は、市街地よりもリーヴィン側――市街地から、さらに八リーグほど手前に位置しています。リーヴィンからは二十七リーグほどです」
シェリルは、地図上の距離を見て、わずかに眉を寄せた。
市街地から八リーグ。馬で数時間の距離だ。それだけ離れた場所から発せられる声が、街の中まで届く――尋常な距離感ではない。
地図を覗き込んだアノリスが、思わず、独り言のように呟いた。
「声が届く距離としては――少し、おかしいわ。遠すぎる」
アノリスの呟きに「ええ。私も、報告を読んで、同じことを思いました」ベルナルトは言った。「単純な『大きな声』では説明がつきません。何か、別の要因がある可能性があります」
ここまで聞くと、ラフィスが少し顔を歪めた。
――化け物屋敷か、何かか。
生ける者同士のぶつかり合いはラフィスの望むところであるが、もしかして相手は「生きていない者」だろうか。
気を確かに持とうとするが、小隊長の目が泳いだ。
依頼を受けて、五人は、その日のうちに準備を整えた。
アノリスは、月華亭のセレナに事情を伝えた。事前に言えば休みは取りやすい職場だ。「王宮からの依頼で、しばらく留守にする」と告げると、セレナは「行ってきな」と、あっさり送り出してくれた。
翌朝、五人はリーヴィンを出発した。
二十七リーグ――馬であれば、一日半ほどの距離だ。エセウル市街地までは行かず、その手前にある洋館が、目的地になる。
馬を並べて進む道中、会話の中で、エルナとトーリーの実力についても、自然と話題になった。
「クラス五って――アノリスより一つ下か」ラフィスが言った。
「いえ」シェリルが言った。「回復術者を正しく評価する基準が、そもそも少ないだけです」
死者が出ているような危険な任務に、回復部門として唯一前線を張れるエルナが送り込まれた。
実力に疑問符が付くとしたら、こんな貴重な存在をこんな任務に送り込むはずが無い――シェリルはそう見ていた。
「トーリーさんは、小隊長候補なんですよね」アノリスが聞いた。
「あ――はい、そう、言われては、います」トーリーは、視線を逸らしながら答えた。
なんか頼りなさそうな男だが、射撃小隊というのも花形とは別の路線、何か光るものがあると見込まれてのことだろう。
馬は、北西へ向かって、進み続けた。
洋館は、丘の上にあった。
遠目には、佇まいだけは豪華だった。石造りの正面、左右対称に伸びる翼棟、かつては庭園だったとわかる広い前庭。だが、近づくほどに、その印象は崩れていった。
庭は、何年も手入れされていない。雑草が、人の腰の高さまで伸びている。建物の壁には、蔦が這い、窓のいくつかは、蔦に覆われて見えなくなっていた。
――ざっと、三十年は放置されているわね。
シェリルは、建物を見上げながら、そう判断した。
どこからか、低い鳥の鳴き声が聞こえた。一度、二度――間隔をあけて、繰り返される。その声が、ただでさえ不穏な雰囲気を、さらに濃くしていた。
正門から玄関までの間だけ、雑草が刈られた跡があった。以前の調査隊が通った道だろう。それ以外の場所は、すべて、伸び放題のままだった。
玄関の上、石造りの壁に、文字が彫られている。蔦と汚れで、ほとんど読めなくなっていたが――目を凝らせば、うっすらと判別できた。
『ギロッグ魔法研究所』
「ここが――」エルナが、小さく呟いた。
五人は、一度、足を止めた。
シェリルは、改めて建物を見上げた。
――怖いから動く。
それが、シェリルの信念だった。だが、この建物を見て、シェリルの中に湧いていたのは恐怖ではなかった。むしろ、好奇心に近いものだった。
三十年放置された研究施設。何が行われていたのか、その答えが、この中にある。
一方で――この佇まいを前に、一番、表情が変わっていたのは、ラフィスだった。
わずかに、眉間に力が入っている。視線は、建物の上層、暗い窓の一つ一つを、順に追っていた。
「ラフィ姉、大丈夫?」アノリスが、小さく聞いた。
「……平気だ」
その声は、いつもより、少し硬かった。
――あぁ、そっか。ラフィ姉、こういうの苦手なんだった。
三人がエレシアに入る半年前のことだ。
とある町で請けた墓地荒らしの調査依頼。生きた盗掘者の仕業だろうと踏んでいたラフィスは、その時は張り切って、真っ先に墓地へ踏み込んでいった。剣の腕なら、三人の中でも群を抜いている。生きた相手なら、この人の右に出る者はいない。
だが、原因は、生者ではなかった。
荒らされた墓から這い出したのは、成仏しきれなかった幽霊が妖獣化したものだった。青白い異形が、次々と湧き出し、四方から三人を取り囲んだ。
その瞬間、ラフィスが、豹変した。
「――っ、来るな、来るなっ……!」
上ずった、掠れた声。剣を構えたまま、一歩も踏み込めず、じりじりと後ずさっていく。あの、生者相手なら誰より頼もしい人が、まるで別人だった。
結局、シェリルが風の術式で異形を祓い、アノリスがヴェントラーゼで斬り伏せ、二人でラフィスを庇うようにして、その場を切り抜けた。
全てが終わった後、地面にへたり込んだラフィスは、絞り出すように叫んだ。
「生きている者とぶつかるのは、望むところだ! だが――生きていない者とぶつかるのは、勘弁してくれ!」
あの悲鳴を、アノリスは、今でもはっきり覚えている。
――で。
目の前の、廃洋館の暗い窓を見上げるラフィスの横顔は、あの夜と、まったく同じだった。
――うわぁ。これ、絶対、中身「生きてない系」じゃん。




