表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/36

一 総帥と魔法算術

 コルトラン大陸から海を隔てて対岸、ウルメシア大陸は帝都ヴォルテナ、軍総帥府。

 その執務室に、ヴァッサン・オークロスは、立っていた。


 上座の椅子に座るガルデウスは、机の上に、一枚の報告書を広げていた。エレシア王国から外交ルートを通じて送られてきた、事案の経緯を記した文書だった。

 ガルデウスは、しばらく、その報告書を見ていた。

「聞かせてもらおうか」ガルデウスは、静かに言った。「順番に、だ」

 ヴァッサンは、黙っていた。

 言うべき言葉が、見つからなかった。いや――正確には、どの言葉を口にしても、この場では、言い訳にしか聞こえないと、わかっていた。

「魔法算術論という理論が、エレシアで広まっているという報告を受けた。それに対して、お前は――どう判断した」

「陸軍省にとって、脅威だと――」

「私憤だ」ガルデウスは、遮った。「魔法省が台頭することへの、お前個人の苛立ちだ。それを帝国の判断と混同した」

 ヴァッサンは、口を閉じた。

 図星だった。だが、そう認めてしまえば、自分がこの帝都から遠く離れた隣国まで、たった一人で乗り込んでいった行動の全てが――ただの八つ当たりに成り下がる。それだけは、認めたくなかった。

「次。お前は、軍を無断で離れた」ガルデウスは、続けた。「行き先も、目的も、報告なし。帝国軍の司令官が、だ」

「緊急の判断として――」

 ヴァッサンが言い終わるかどうかというところで、

「緊急の判断は、上に通してから行う」

 ガルデウスがそれを制した。


「次。エレシアに入って、お前は何をした」

 ヴァッサンは、答えなかった。

 答えられなかった、と言った方が、正しい。

 あの時の自分が、何を考えていたのか――今となっては、自分でも、うまく説明ができない。理論を潰す。そのために、書いた本人を捕らえる。そこまでは、筋が通っていたはずだった。それが、どこで、あんな形に転がったのか。

「エーテラリスを名乗る研究者に、直接会おうとした。だが、当事者には会えなかった」ガルデウスは語尾を強め、報告書を指で叩いた。「代わりに――娼館の受付嬢を、個室に連れ込んで、暴行を働こうとした」

 ガルデウスの調子が上がってきた。叱責するような様子では無いのだが、事実を並べるだけの口調にしては少々緊張感が高まってきた。

 情報収集と称して月華亭という最高級娼館へ行き、その後、受付嬢の姉が「当の本人」ということを突き止める。そこまではよかった。

 が、その受付嬢に戦闘能力があった、というのは誤算であった。

 そこにガルデウスが少々声の調子を落として言う。


「陸軍省の司令官が、隣国の娼館で、婦女暴行だ」


 ヴァッサンは、下を向いた。

 その言葉を、他人の口から、こうして並べられると――自分でも、信じられなかった。

 総帥府の執務室。磨き上げられた床。壁に掛かる帝国の紋章。その全てが、今の自分を、突き放しているように感じた。

「外交問題になるところを、エレシア側が、内々に処理することを選んでくれた。本国への移送で、済んだ」ガルデウスは、報告書を閉じた。「感謝すべき話だ。皮肉なことに」

 沈黙が、続いた。

 ヴァッサンは、その沈黙の重さに、耐えていた。むしろ、怒鳴られた方が、まだ楽だった。ガルデウスの静けさは、失望そのものだった。

「お前の処分については、追って、通達する。今日は、下がれ」

 ガルデウスは言った。それを受けてヴァッサンは深く頭を下げて、執務室を出ていった。


 ――ちっ、あの受付の女め……

 ヴァッサンは扉を閉める。それでも収まらないものがあった。


 扉が閉まると、ガルデウスは机の上に肘をついた。

 報告書を、もう一度、開く。

 エーテラリス、魔法算術学者。魔力消費やその軌道を定式化し、術式の効率を高める理論――。

 ガルデウスは、しばらくその部分を、読み返した。

 ――面白い。

 ヴァッサンが「脅威だ」と判断したのは、魔法省への警戒からだった。陸軍省と魔法省の権力争いを、そのまま、この理論に投影した。

 だが――ガルデウスの見方は、違った。

 術者個人の効率が上がることは、帝国の軍全体の底上げになる。陸軍であれ、魔法師団であれ、関係ない。

 理論として広まることを、単純に「脅威」と切り捨てるのは――考えが、浅い。

 それよりも、気になることがあった。


 ――エーテラリスとは、何者か。


 エレシア王都で、活動している研究者。魔法使いを志す学生や魔法師団の講義を担い、入門書を出版した――そこまでは、報告に書いてある。

 だが、王都の魔法師団に所属しているわけでもなく、素性の詳細は、まだ、つかめていない。

 ガルデウスは、報告書の一節に、指を止めた。

 ヴァッサンが襲おうとした、月華亭の受付嬢。その素性についても、簡潔に記されていた。

 ――エーテラリスの、妹。

 そして、その年齢。文面には、被害者はまだ十代と見られる、とあった。

 ガルデウスの目が、細くなった。

 妹が、十代。

 姉と妹の年が、極端に離れていない限り――エーテラリスもまた、若いということになる。二十代の、それも、前半か。

 ガルデウスは、報告書から、視線を上げた。


 ――若い。


 この理論を、一から体系立て、入門書として書き上げ、講義として教え、大陸に広げている。その人物が、二十代そこそこの若さだというのなら――それは、ヴァッサンが「脅威」と呼んだ以上に、恐るべきことだった。

 いや、恐るべき、という言葉は、正しくない。

 ガルデウスの中に湧いたのは、警戒ではなかった。

「帝国の本屋には、まだ、並んでいなかったな」ガルデウスは、独り言のように言った。

 エレシアで出版されたという入門書。ソルガン連邦やウィルモント共和国には届いているという話を、別の報告で聞いていた。だが、帝国には、まだ、流通していない。

 ――読んでみたいものだ。

 研究者として。魔法使いとして。

 一人の人間が、それも、まだ若い人間が、これだけの理論を、これほどの速さで、広げている。

 ヴァッサンが「始末すべきだ」と言った相手を、ガルデウスは、そうは思わなかった。

 ――会ってみたい、と思う。

 その若き頭脳が、何を見て、何を考え、この理論に辿り着いたのか。それを、この目で、確かめてみたい。

 ガルデウスは、報告書を閉じて、机の引き出しに入れた。

 窓の外、帝都の空は、灰色の雲に覆われていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ