四 カリティスディアの亡霊
王宮騎士団の本部は王宮の敷地内、東の一角にあった。石造りの建物が並び、訓練場には朝から打ち合う音が響いている。
ラフィスは、その門の前に立った。
数日、迷った。ロズウェルを出てからずっと考えていたことだった。剣の腕を活かすなら、騎士団という選択肢は当然ある。しかしここを抜ければ、自分の出自が露わになるのも時間の問題だろう。
――いや。迷っている時間が、もう長すぎる。
シェリルは既に自分の素性を明かして出版、そしてアカデミーでの講義の場を得ている。
アノリスは自分の経験を生かして、ロズウェルよりも数段高級な店の顔として、更にキャリアを積み始めた。
それに比べて、それに比べて、私は何だ……何なんだ……
ラフィスは意を決して門を抜け、それでもなお足取りも少々重く、受付らしき建物に向かうと、すぐに声をかけられた。
「ご用件は?」
声をかけてきたのは四十代の男だった。
鎧の意匠が他の兵士より重厚だ。階級が高いことは、見ただけでわかった。
ラフィスは口を開く。
「入団について、相談したい。傭兵として各地を回っていた。腕には覚えがある」
「ほう」男は値踏みするような目をラフィスに向けた。「私はバレンツ・エラースク。副団長兼総隊長を務めている。入団希望者の対応は本来であれば下の者に任せるところだが――今日はたまたま、私が出てきていてね」
周りに集まってきた団員たちの空気も、同じだった。剣を腰につけた女が入団希望で来た、という珍しさだけが、ざわめきの理由になっていた。
騎士団なんぞ男ばかり。そこに女、それも濃紺の髪も麗しい美女。
もっとも、騎士団に女がいないわけではない。だが、戦闘要員ではなく、補給や支援を担う部隊に多いというのが実情だった。
剣を持って前線に立つ女性は、ほとんど見たことがない――そういう空気が、訓練場全体に流れていた。
「いい剣だな。それなりに、年季が入っている」バレンツは、ラフィスの腰の剣に目を留めた。
「使い込んでいるので」
「実力に覚えがある、ということだったな」バレンツは訓練場の方を指した。口元には、わずかに、面白がるような笑みがあった。「なら、見せてもらおうか。まずは小隊長クラスと当たってもらう。合格するまでは名乗るなよ」
――よし、きた。
ラフィスは頷いた。
訓練場には、すでに何人かの団員が集まっていた。新しい入団希望者が来た、という話はこういう場所ではすぐに広まる。
最初に出てきたのは三十代の男。小隊長を務めているという。
木剣を構えながら、相手が女だということに、最後まで気を抜いた様子だった。
「お手柔らかにな」調子よさげに男は、軽く笑いながら言った。
ラフィスは木剣を一度、軽く振る。完全に自分のことを舐め切っているのは明白。
始まりの合図とともに、男が踏み込んだ。
が、それよりも早くラフィスは男の懐に入っていた。
次の瞬間には、男の木剣が地面に落ちていた。
誰も、何が起きたか見えなかった。
ラフィスが動いたのは、一拍。男の木剣を弾き、同時に喉元へ剣先を突きつけていた。
場内は一瞬静寂、どよめきまで少し遅れた。
「……次」とバレンツは言った。声に、わずかな緊張があった。
次に出てきたのは、エシーストだった。二十九歳、将軍位にある男。熱意のある男だ、という評判は、控室にいた団員たちの会話からも伝わってきた。
歳の割には童顔、場内から歓声が上がる。
「エシー様ぁ!どこから来たかも分からない女なんて、やっちゃって!」
これは人気者だ。騎士団に居る僅かな数の女性からも黄色い声があがる。
「将軍のエシーストだ。手加減はしないぞ」
「お願いします」
少し離れた場所で、ガル・カイロスが腕を組んで見ていた。四十六歳、無骨な体格の男だった。
将軍歴十四年、剣術の腕前はバレンツと並ぶ騎士団の双璧と呼ばれている。身分こそバレンツの方が格上だが、キャリア・戦歴においてバレンツの頭が上がらない一人だ。
ガルは、自ら前に出ることはしなかった。代わりに、エシーストとの打ち合いを、じっと見つめていた。
今度は、先ほど一瞬で勝負がついた小隊長との試合と少し違った。最初の数手をわざと受けに回った。
エシーストの剣筋は重く、速い。実力者だということは、剣を交えてすぐにわかった。
「女にしてはいい腕だ」
「楽には勝てないわね」
しかしラフィスの声に余裕があった。
数十手、剣を交わした。時に間合いと取ったかと思えば緩急をつけた踏み込み。しかし徐々にラフィスのペースになっていく。
「苦しそうね……」
エシーストの息が上がり始めたのをラフィスは逃さなかった。彼の視界からラフィスは、消えた。
場内が一瞬、困惑の声があがる
「……な」
その瞬間、ラフィスはエシーストの視界から僅かに外れた角度から、一気に間合いを詰めた。
剣の軌道を変え、エシーストの木剣を巻き上げるように弾く。エシーストは、木剣を失った状態で、地面に片膝をついていた。
「強い……あの動き、俺は、俺は、試されていただけに過ぎなかったのか……」
静と動を織り交ぜた剣技で、気が付けばラフィスが圧倒した形になっていた。
バレンツの表情が変わった。
将軍を一蹴したというだけでも、異常な事態だ。
だが、ラフィスの動きを見ていたバレンツには、もう一つわかることがあった。エシーストとの打ち合いの中で、ラフィスは何度か、わざと受け身に回っていたことも見抜いている。本気を見せていない。
ガルが、組んでいた腕を下ろした。表情から、面白がるような色が消えていた。
「私が出る」
バレンツ副団長自ら一歩前に出た。
改めて正面から見ると、木剣とはいえラフィスの構えは無駄が無い。
戦場に男も女も無いが、このような女が部隊を従えていたら男達の士気は上がるだろう。
ただ――それにしてもこの闘気、その中にある気品あふれる佇まい。
並みの者ではないということは分かった。分かったのだが。
その時、バレンツの視線が、ラフィスの腰の剣に向いた。
鞘から覗く、剣の鍔元。そこに、小さな紋章が刻まれていた。
バレンツの足が、止まった。
「まぁ、ここまできたら合格だ。名乗ることを許そう……それはそうと、その剣見せてもらえるか」
ラフィスは、一瞬だけ、動きを止めた。
――来た。
ラフィスは潔く剣を抜き、両手で持ち、バレンツに差し出した。
バレンツは、剣を受け取った。鍔元の紋章をじっと見つめ、そしてラフィスとの間を視線が往復する。
「これは――カリティスディアの紋章、に見えるが」
まぁ偽物だろう、くらいの声に聞こえる。
「カリティスディア?」エシーストが顔を上げた。「滅んだ国だろう。十年以上前に」
「それに紋章だけなら、似せて作ることもできる」バレンツは、まだ紋章を見ていた。「だが、これは――」
バレンツの背後から、声がかかった。
「見せてみろ」
現れたのは、老齢の男だった。七十代、白髪だが、目には鋭さが残っている。バレンツの伯父、サンズ・エラースクだった。
サンズは、バレンツから剣を受け取った。紋章を一目見て、それから、剣をひっくり返した。柄の裏側を、指でなぞる。
「本物の紋章には、裏に正統な刻印がある」サンズは言った。「カリティスディア王家直属の剣には、こうして――」
サンズの指が、止まった。
刻印が、そこにあった。
「三日月の角度が僅かに傾いている。偽物は三日月の両端を結んで柄の方に線を引くと、その柄の部分を綺麗に二つに分ける線が引ける。贋作職人はこれが正統だと誤解して、一時期この剣がたくさん出回っていた時期がある」
その一言で、訓練場の空気が一変した。
「一方、この剣に刻印されている三日月、四度だけ傾いている。この角度はカリティスディア城の回廊にあった柱が一本ズレていたことに由来している――本物だ」
サンズはここまで、何でも知っているという老練の剣士とという顔で淡々と告げて来た。更に続けた。
「名乗るが良い、そなたの名を教えてくれ」
ラフィスは少し固まった。こういう時、自分はどんな態度を取るべきなのか。
よく分からなかったので、とりあえず一歩後ろに下がり、軽く息を吸い込んだ。
「ラフィス・ミラセシル、と申します」
ただ名乗っただけなのにその声はどこか、緊張しているのか不器用に聞こえた。




